18 恋知りのつるじゅわゼリィ 陸

 鳥の焼ける匂いはすいた腹には毒だ。香ばしい香りに口の中に唾が溢れる。

 居た堪れない気持ちで待っていた杏は名を呼ばれて顔を上げた。

 友人達に手を振ったミネが近付いてくる。


「きぐうだね。お母さんと一緒に来たの?」


 手にいくつかの包みを下げたミネが小首を傾げる。

 杏は答えに困った。ミネには本条家に使いに行くを話したことがない。隠すようなことでもないが、何かの拍子に洋菓子を作っていることを話してしまいそうで恐かったからだ。彼女を以外の誰かが聞いて、洋菓子嫌いの父の耳に入りでもしたら大惨事になってしまう。

 本条家の跡取りを屋台に案内したなんて説明ができるはずがなかった。


「友達か?」


 間が悪いことに克哉が帰ってきた。ミネの勝気な目はこぼれ落ちそうな程まん丸だ。

 じぃっと克哉もミネも互いのことを見るので、杏は落ち着かない気持ちに襲われた。

 彼らが口を開いたの奇しくも同時だ。


「ツネの孫か?」

「坊っちゃん?」


 杏達を放って、包みの上に十本の山ができ、新たな包みにまた山が積み上げられていく。最後の二本を包む頃には、克哉とミネは世間話に花を咲かせていた。


「おばあちゃんっていつも克哉様の小さい頃の話ばかりするんですよ。あの頃はまだ可愛かったって。誰だってそうに決まってるのに!」

「だろう。日に日に小言が増えて、実の親よりも厳しいんだ。いつもの礼に、て菓子を渡しても、ちっとも喜びやしない」

「おばあちゃんたら、そのお菓子を私達にくれてるんですよ。洋菓子を作ってる暇なんてないでしょうに、と言いながら必ずひとつは摘まむんです。全部食べられるのは嫌なんでしょうねぇ」


 堪えきれず笑いを噛み殺した克哉は追加で五本の焼き鳥を注文して気前よく金を払った。

 ミネに追加した分を渡し、杏の前に焼き鳥の包みを差し出す。


「焼き鳥、本当にいらないのか?」


 力強く頷く杏に克哉は苦笑した。

 きゅっと小さな胸が苦しくなる理由を少女はまだ知らない。

 代わりに杏の目の前に出されたのは乾いた笹の包みだ。焼き鳥が入ったものに似ているが、それは反対の手に握られている。


「じゃあ、団子だ。さっきみたいに高いものは受け取れないとか、小難しいことは言うなよ? ミネだって買ってるんだから」


 正直に言えば受けとりたくなかった杏だが、ここでわがままを通したら、余計に子供のようだ。子供が買っていたから、ちょうどいいと思った考えにも少し苛立つのは自分の心が狭いから。それでも、きっと、克哉は克哉なりに杏のことを考えてくれた。そうやって自分を納得させて、包みを受けとる。

 何もわかっていないだろう克哉がとても嬉しそうに目を細めるものだから、余計に質が悪い。

 不機嫌な顔を見られまいと杏は顔を伏せて、礼を行った。

 一連の流れを見ていたミネが杏の耳のそばに寄る。


「もうすぐ誕生日なんだから、遠慮しなくていいんじゃない?」


 寝耳に水だった。

 杏が止める間もなく、ミネが遠くの屋台を指差して話し始める。


「あっちにかわいい手毬もあったし、綺麗な柄の風車もあったし」

「いい、いらないから!」


 普段では考えられないような大きな声に克哉が身を引いた。


「どうした、急に」

「杏ちゃん、もうすぐ誕生日だから、何か贈り物しようかなって」


 そうか、と無垢な顔で流されると思っていたのに、克哉はめずらしく気まずげに笑った。二対の不思議そうな目に見上げられ、観念したように白状する。


「近々、誕生日とは聞いたんだが、それとは別に礼をしようと思ってたんだ。ツネにこき使うだけ使って、何様でいらっしゃいますか、なんて言われたしな」


 おばあちゃん言いそぉとミネは半笑いだ。

 先程向けられたやけに蔑んだ瞳の理由はそれか。杏はどう受け取ればいいか考えあぐねた。

 わざとらしく喉の調子を整えた克哉は、とにかくと片方の口端をわずかに上げる。


「これ見よがしに礼だと押し付けるものでもないだろう。どうせなら喜ぶものをやろうと思ってな」


 杏は言葉につまった。まさか、自分のために克哉が苦心していたとは思いもよらなかったからだ。


「おいしい菓子をいただけるだけで十分です」

「そのおいしい菓子を作るためには、アンの力も必要なんだよ」


 晴天の霹靂だった。自分が必要と言われたのは初めてだ。

 瞬きも忘れた杏を見たミネが口をすぼめて克哉を盗み見ると、両手で杏の手を握った。

 包みがあたり、杏は我に返る。

 目と鼻の先に人のいい笑顔。


「杏ちゃん、ちょっとでいいから、見て回らない?」

「でも……子供だけで行くなって」

「今はいいじゃない。克哉様がいらっしゃるんだし」


 ね、とミネに手を引かれた杏はたたらを踏んだ。これは、あれはとミネが指差すものが目まぐるしく変わっていく。

 手鞠に風車と始まり、蝶を模した簪にひらひらとゆれる髪留め、甘く香る電気飴わたあめに足がつられ、香ばしいイカ焼きに唾が出る。素敵なものはたくさんあるが、我慢できないわけではない。目の前で買われてもうらやましいだけだ。

 もう少しで一通り周り終えるというところで、杏は見つけてしまった。己が一等好きな色を。

 杏の足が止まったのにつられて、ミネと克哉も動きを止めた。

 すぐに我に返った杏は先に行こうとミネの背を押す。


「いいものあったよね? 行こうよ、見るのはタダだって」

「いいの、気にしないでッ」


 ついにはミネの腕を引き始めた杏の耳に、アンズだなと克哉の呟きが届いた。驚きで見開かれる瞳に、店主から買い付ける克哉が映る。

 止める間もなく、包みが差し出された。


「これっぽっちでいいのか」


 贈る言葉に風情がないところが、克哉らしい。

 杏の代わりに目くじらを立てたのはミネだ。


「わかってないですね、克哉様。宝石だって輝く小さな石ですよ。小さくったって浪漫がつまっていればいいんです」


 正直者の克哉は納得していない顔で、そうかと頷いた。

 いつもだったら、杏だって文句の一つや二つ思い付く所だが、それどころではない。アレを見たのは一瞬だったはずだ。わかるわけがないと冷静な自分は否定するのに、期待してしまう心を隠しきれない。


「ねぇ、杏ちゃん。よかったら私も見たい」


 ミネに促され、緊張で震える指で紙袋を開ける。慎重に傾けると、手の平にさっき見たものと寸分変わらないものが転がり落ちた。

 杏色に薄桃色の花が咲くとんぼ玉。目よりも小さな塊が少しだけ傾いた気がした。花の中心を彩る赤が愛らしい。

 ミネの声も耳に入らないくらい、杏は言葉を失って確かめるように克哉を見つめた。


「気に入ったみたいだな」


 鈍くて無頓着なはずなのに、まるで杏の言いたいことがわかっているようだ。

 もらってはいけない、と心の何処かが警鐘を鳴らすが、震える両手は杏色のとんぼ玉を握りしめていた。

 帰るか、と克哉が言ったので、杏はミネに手を振った。

 行きとは反対に、長い影を追うようにして帰路につく。

 勇気を振り絞った杏は、短く息を吸った。あの、と勢いづけて先に行く背中に投げかける。


「ありがとうございます」


 思い出の橙色よりも、赤い茜色。


「こちらこそ、いつもありがとな」


 目を細めた彼が夕焼けに照らされている。

 あたたかい手が杏の頭を撫でることはなかったけれど、懐にしまったとんぼ玉があつく波打つ気がした。



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