第43話 君がくれた翼

 仲間が邪神に撃墜された瞬間を、うるたちははっきりと目撃していた。


「る……瑠仁るじろう――――っ!!」


 香夜世かやせの悲痛な叫びがこだまする。皆で駆け寄った先には、見るも無惨な残骸が転がっていた。

 引き裂かれた忍装しのびしょうぞくと、バラバラになったわら


「これは……〈空蝉うつせみ〉の術……」

「なかなか派手な有り様だのう」


 幽慶ゆうけいは腰を曲げて覗き込む。

 その巨体の後ろから、半裸の瑠仁郎がひょっこりと姿を現した。


「うむ。離脱の手間がちとあやうかったでござるが……おや? 香夜世かやせ殿、泣いているでござるか?」

「な、泣いてませんッ!! これは敵をあざむくための演技ですからッ!!」

「そうでござったか。さすがは香夜世ど……ぬほぉっ!!」


 瑠仁るじろうは突然、脇腹を押さえてその場に倒れた。こちらはどうも演技ではなさそうだ。


「ルジ!」

「……どうやら……攻撃がかすっていたようで、ござ……る……」

「瑠仁郎ぉおおお~っ!!」

「和尚……あとは任せ……ご、ざ…………」

「瑠仁郎……」


 幽慶に支えられたその腕の中で、瑠仁郎は静かに目を閉じると、スヤスヤと寝息を立て始めた。

 ひとまずは安堵しつつ、うるは残る二人と顔を見合わせた。


「ルジはしっかりと仕事を果たしてくれた」


 邪神の尻尾を指差す。迎撃される瞬間、抜かりなく結び付けられた瑠仁るじろうの服の切れ端には、策の決め手となるどっしょくるまれているはずだ。


 共に戦い抜いてきた仲間同士、多くの言葉は要らない。


「これが最後だ。僕たちの力は必ず通用する」


 あさではあったが、先ほどうるは邪神に一太刀浴びせることができた。防御障壁は常に全身を覆っているわけではない。これまでを思い返せば、特定の瞬間にだけ反応しているのは明らかだった。


 致命傷となりうる一撃――すなわち、この場ではズーシェンの攻撃がそれだ。


 戦況を見極めながら、潤葉は師へと呼びかける。


「先生……ご教示願います!」


 土煙舞う戦場の中心で、師弟の視線が重なった。


「おうよ、見せてやらあ――」


 ズーシェンは重心を低く構えを取る。にわかにしきの霊光をまとわせた刀尖は、大地をすくい上げるかのように弧を描き、空を裂き、天をく。


「――ミョウトウゼツこうりゅう開天かいてん〉」


 立ち昇る虹の軌跡は分厚い防壁を易々と縦断し、邪神の胴体もろとも真っ二つに斬り裂いた。


「ぐぉお、お……っ、おのれぇええ……ッ!! だが、まだ…………ッ!」


 四肢がバランスを維持できぬほどのふかを負いながら、なおも邪神は回復を図ろうとする。


 その瞬間こそが、うるたちにとっての好機であった。


「和尚!」

「任せい――ユァッ!!」


 狙い撃つは巨獣の尻尾、どっしょに込められた法力を幽慶ゆうけいが起爆する。立ちどころに金色こんじきの光が広がり、邪神の身を覆い尽くした。


「これはッ……!? き、傷が……治せぬ…………!」


 破邪の力。それ自体は邪神に痛痒つうようを与えずとも、瘴気の吸収を阻害するには充分だった。

 光はさらに、邪神の身体を構成する闇の最も濃い部分を浮かび上がらせる。


(弱点はあそこか)


 うるは唇を結び、肩越しに香夜世かやせの方を振り返る。

 眼鏡のレンズの奥から、澄んだ深緑の瞳が見つめていた。


「行ってらっしゃいませ、潤葉様」


 そう言って、恋人はとっておきの陰陽術まほうをかける。柔らかい両手が背中を押すと、潤葉の体は空を駆け昇って行った。


 黒揚くろあげはねを羽ばたかせ、飛び込んだまばゆい光の中で、赤黒く脈動する邪神の核が潤葉を待ち構えていた。


 迷いなく抜き放つ二刀は、


「〈ちょうりゅうせい〉」


 じゅうもんに閃き、破滅の元凶を打ち砕いた。




 かりめの神体は剥がれ落ちるように崩壊し、中から教主の本体がまろび出る。ズーシェンはその真下へと走り寄り、彼女を抱き止める。


 すでに教主の命のともしびは消えかかっていた。取り込まれた幾多の憎悪と破壊衝動は霧散し、重い代償がその身をもってあがなわれようとしていた。


「口惜しや……何も、成せずして……絶え果てようとは……」


 野望を阻止した男を見上げる眼差しに、もはや恨みは残っていないかに見えた。


「正道を行く者よ……其方そちの目に、我が姿はさぞ醜く映っておろうな」

「そんなことはない」事の是非はどうあれ。「精一杯を生き抜いたあんたは美しい」


 ズーシェンの言葉を聞くや、教主はゆっくりとまぶたを閉じ、


「そうか…………――――」


 そのまま息を引き取った。程なくしてその亡骸なきがらは――彼らが崇める魔物と同じように――黒水と化し大地へ溶けていった。


 辺りに渦巻いていた瘴気は均衡を失い、空間の亀裂へと逆流する。あとは放っておいても『扉』は自然に塞がれてゆくだろう。


 一人たたずズーシェンのもとへ、じゅうせいは近づいて行く。うる香夜世かやせを伴い、幽慶ゆうけい瑠仁るじろうを両腕に抱きかかえて。


 集まって来た弟子たちを一瞥いちべつし、紫深はその働きをねぎらうように浅くうなずいてみせた。


「ルジ公は無事かい?」

「はい。おかげさまで」


 全員無事――と潤葉が答えるより先に、折よく本人が目を覚ました。


「むぅ……邪神は……もう倒したのでござるか……?」

「ああ、終わったよ。カヤが僕に力を……翼をくれた」

「何とッ!? そ、そんな尊い場面を見逃すとは……無念ッ!」


 ショックのあまり瑠仁郎は再び意識を失った。

 幽慶は苦笑いしつつ、瑠仁郎を地面に寝かせると、教主の亡骸が消え去った跡へ向かって手を合わせる。


「……世が世ならば、争わずに済んだものを」


 やる方ない思いを、皆で噛みしめる。


 冥遍めいへん信徒の大半を占める獣人族への差別意識は、ここ数十年で劇的に改善されている。とはいえ、すでに負ってしまった心の傷や憎しみは消えず、歪まされた人生を正すのも容易ではない。


 ズーシェンが生まれ育ったおうでの獣人差別は、イムガイ以上であった。逆風の中、己の武だけを頼りに身を立てた艱難かんなんしんの歳月は、察するに余りある。


「どれだけ大きな力を身に着けようと、救えるものってのは、めえが思うよりもずっと少なかったりするもんだ」

「先生……」

「けど、そこで絶望しちゃいけねえ。行動した分だけ自分も、世の中も確実に前に進んでる。オレはお前さんの成長を見て、改めてそう思ったよ――うる


 つられて空を仰ぎ見る。陽はいつしか沈み、群青色の天幕が頭上を覆っていた。

 北天を極星が、南天を十字の星宿が、瞬きながらそれぞれの航路を緩やかに進んで行く。


 今は姿が見えずとも、同じ空のどこかで輝く月に想いを馳せて。




  *  *  *




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