くにつほし九花烈伝〈レトロモダン活劇 第二幕〉

第41話 八十禍宵比売命(ヤソマガヨイヒメノミコト)

　狂える獣たちは教主を守るよう陣列を組み立ち塞がる。この期に及んでも、自分たちが冥遍（めいへん）夢（む）の信徒であるという意識は消えていないらしい。

　あるいは、教主本人への忠誠がなせる業（わざ）か。

　烈士軍の総大将・潤（うる）葉（は）が見渡す戦場では、今まさに奮戦が繰り広げられていた。

　機敏に動き回る化け猫の爪が、狡猾に不意を突く化け狐の牙が、獰猛に荒れ狂う化け狸の豪腕が、烈士たちに絶え間なく襲いかかる。

「一度守りを固めろ！　反撃の隙を作れ！」

　敵軍の猛攻を六宝牌（ろっぽうはい）が食い止め、没汀（ぼってい）牙（が）の拳士たちが側面から波状攻撃を仕掛ける。

　後衛に陣取るのは、祭（さい）火（か）衆（しゅう）の遠隔部隊だ。

「『扉』を開かせる前に、討ち取ってしまっても構わないんだろう？」

　狙撃手の魔導銃が火を吹く。銃弾は教主の頭部を狙い撃ちし――

「興（きょう）を削（そ）いでくれるな」

　呪力の障壁に防ぎ止められた。どうやら生半可な攻撃では通りそうもない。

　前線まで駆けつける傍ら、潤（うる）葉（は）は烈士たちに言い聞かせる。

「無茶はしなくていい！　こっちには切り札がある！」

「『切り札』とな？　それは楽しみじゃ……間に合えばよいがのう」

　教主は一転、喜色を湛（たた）え、両の袖を振り乱す。妖しき指先が、宙に呪印を描き出していた。

　空間の乱れが目に見えて加速するも束の間、急激に広がった巨大な亀裂から、仄暗（ほのぐら）き深淵が顔を覗かせる。

　あれよという間に『扉』は開かれていた。

（そんな……速すぎる！）

　それ以前に、冥遍（めいへん）夢（む）の教主とは、これほど強力な呪法の使い手だったのか。

　潤（うる）葉（は）と同じ疑問を、隣で戦っていた香夜世（かやせ）も感じ取っていたようだ。

「何か妙です。先ほどよりも、教主の呪力が急速に高まっているような……」

　戦況は味方側が押している。にもかかわらず、不安が拭えない。半獣と化した狂信者たちを一体、また一体と討ち取るごとに、禍々しい気配も膨れ上がっていくかのようだ。

　気のせいであれば、どれほどよかったことか。

「よもや、生贄（いけにえ）か！」幽慶（ゆうけい）が声を上げる。「信者どもの命を吸い上げておるのだ！」

　目を凝らしてみれば、黒く溶け出した敵の亡骸（なきがら）は大地へは還らず、霧となって教主のもとへ棚（たな）引（び）いている。

　その事実に気づいた潤（うる）葉（は）は、瑠仁（るじ）郎（ろう）に目配せを送った。

「承知――忍法〈駆（く）雷燦（らいさん）蛇（だ）〉!!」

　ほとばしる電撃は敵の群れを殺（あや）めずして足止めする。

　その真っ只中を一足飛びに、大太刀を振り被った潤葉は、教主の元まで肉薄する。

（一撃で決めて――……!?）

　渾身の力を込めた一太刀は、教主の体に達する寸前、底知れぬ不可視の力によって弾（はじ）かれていた。

　飛び退（すさ）りながら、辛くも膝をつくのを免れた潤（うる）葉（は）を、

「遅かったようじゃのう」

　俄（にわ）かに膨張を始めた教主の肢体は、衣服を突き破りながら、艷（つや）やかな白銀の毛並みに覆われていく。

　どこまでも、どこまでも、大きく、天を衝（つ）かんばかりに。

「まさか……教主自身が……!?」

　山のごとく聳（そび）える八尾の狐神は、いまだ戦場を暴れ回る信徒たちを捕まえ、巨大な顎（あぎ）門（と）の奥へと丸呑みにしていった。

　その姿、まさに邪神と呼ぶに相応（ふさわ）しく。

　贄（にえ）を喰らい尽くし、『扉』から流れ込む魔界の瘴気を浴びた教主の身は、現（うつし）世（よ）のものならざる存在へと変わり果てていた。

「讃（たた）え、平（ひれ）伏（ふ）し、命を捧げよ……八十（ヤソ）禍宵（マガヨイ）比売（ヒメ）が大いなる名の下に――」

　名乗りを響かす邪神の前脚が、烈士たちの頭上に踏み降ろされる。

「妙（ミョウ）刀（トウ）技（ギ）〈弎談（さんたん）〉」

　思わず見惚（みと）れてしまうほど真っ直ぐな太刀筋だった。邪神の前脚を両断した鋼の閃きは、天下三剣に数えられる名刀〝葛（つづら）解（と）き泰虎（やすとら）〟。その持ち主は、潤（うる）葉（は）に剣術を授けた師をおいてほかにいない。

　長（チャン）袍（パオ）を翻（ひるがえ）し、事もなげに着地する羊角の剣聖。おどけた口上も朗（ほが）らかに。

「さてさてお待ちかね、切り札様のお出ましだ」

「先生！」

　師のもとへ駆け寄りたい気持ちを抑え、潤（うる）葉（は）は敵の動向を横目に窺った。

「おのれ……極（きょく）星（せい）烈士……紫（ズー）深（シェン）、か……！」

　邪神は体勢を崩しながらも、怯む様子は見せない。斬り落とされた前脚は黒い靄（もや）となり、元の場所へと瞬時に再生する。

「なるほど、厄介な敵だな。オレを呼んだのは正解かもしれん」

　大股で歩み来る紫深を正面に、潤葉は頭を下げた。

「僕が未熟なばかりに、お手を煩（わずら）わせてすみません」

「そんなことはない。己を過信せず人に頼れるのは立派だ」

　師の言葉は、潤（うる）葉（は）に将の務めを思い出させる。

「六宝牌（ろっぽうはい）、没汀（ぼってい）牙（が）、祭（さい）火（か）衆（しゅう）、周囲の安全を確保してくれ！　この場は我々十（じゅう）字（じ）星（せい）と極星烈士・紫（ズー）深（シェン）で引き受ける！」

　魔界の瘴気は周辺の魔物を凶暴化させる。邪神との決戦に横槍が入らぬよう、烈士たちは役割を即座に認め、四方に散っていった。

「すっかり大将が板についてるじゃねえか。その調子でオレもこき使ってくれや」

「お戯（たわむ）れを。ですが、お力はありがたくお借りいたします」

「もちろんだ。お仲間たちもよろしく頼まあ」

　師弟が肩を並べ、仲間が後に続く。

　仰ぎ見る空を冥（くら）く覆う、八尾（やお）狐（ぎつね）の邪神は牙を剥き出しに、この世への呪詛の言葉を漏らした。

「世は真（まこと）文（あや）無し。贄となりし者たちが恨み、憎しみ、滅びを以（もっ）て贖（あがな）ってくれようぞ」

　見開かれた眼光は凶星のごとく降り注ぐ。

　破壊の化身。不条理の権化。

　あらゆる意味で大きすぎる敵を前に、地上の五星は自ら放つ光をもって道を示さねばならなかった。

「カヤ、ルジ、和尚、そして先生。僕を信じてついて来てくれたこと、心から感謝します」

「わたくしの心はいつでも潤（うる）葉（は）様とともにあります」

「潤葉殿と香夜世（かやせ）殿の未来は拙者が守るでござる！」

「拙僧も身をもって百（ひゃっ）慶（けい）に示しをつけようぞ」

「オレもたまには愛弟子にいいとこ見せてやるか」

　誰一人として迷いを持つ者はいない。心強さが胸を満たしていく。

　その名を呼ぶのは最初で最後と、潤葉は太刀の切っ先を邪神に差し向けた。

「覚悟しろ、八十（ヤソ）禍宵（マガヨイ）比売（ヒメ）」

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★八十（ヤソ）禍宵（マガヨイ）比売（ヒメ）　イメージ画像

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