第32話 和尚と小狐
庵をあとにした
向かう先はそう遠くはない。体格に優れた鬼人の歩幅ならばなおのこと。焦らずとも昼前には着くだろう。
かつて住職を務めていた
ところが、いざ近くまで来てみると、どうも様子がおかしい。
いつしか一面に立ち込める
湖沿いとはいえ、この季節、この時間に霧など現れようものか。
「……誰ぞ、悪さをしておるようだの」
立ち塞がるのは、千切れた猫尾を作務衣の裾から生やした壮年の男。獄に
「
「何故、とは心外ですな。貴方がそう望んだからです」
(
「左様です。引き返しましょう、わたしとともに、さあ」
見透かされた心の内。いよいよ幻覚を疑う。
「悪いが
「わたしを差し置いて行かれると?」
「迷うておる暇はないのだ。人は前へ進まねばならぬ」
「やはり……それが貴方の本心か……」
百慶の容貌が様変わりを見せた。半白の髪が黒く染まり、顔の
「ですが、知れたことですな。正しき道を歩んで来られた貴方には、後ろめたさなど何一つないのですから。わたしとは……まるで違う」
(なるほど、望んだものを見せる幻――か)
「偽りとはいえ、師弟として貴方と過ごした日々は、わたしの人生にとって
(これは儂がそう願っておるにすぎぬのだ)
弟子の姿をしたものは若返りの最中、恨み言を発し続けた。
「幼くして親を失い、飢えと寒さに震え、邪教に
(儂を裏切ったお主にも、良心の呵責や葛藤の苦しみがあったのだと――)
「お師匠さま……どうして
幽慶は身を
「どれだけ悔やめども過去は変えられぬのだ。だが安心せい。可愛い弟子の不始末はお師匠さまが片を付けてやるでの」
ただ一つ、
付近を覆い隠していた濃霧は、嘘のように晴れていた。
「ふむ。幻術の使い手はお主であったか」
「あ、あぅ……ご、ごめんなさ……」
目に見えて恐縮する少年を、幽慶は手振りで
「わかっておる。不審な者を追い返すためであろう? しかし妙だ。来訪の知らせは昨日送ったはずだが――」
宿の母屋から、眼鏡を掛けた赤毛の男が駆けつけて来る。
「今の魔力反応……やっぱりか。すまねぇ、和尚」
ジャンルカは幽慶、次いで少年にも謝罪する。
「それからジェス坊もな。お前、昨夜は早く寝ちまったから、和尚が来るっての言いそびれてたぜ」
少年の名はジェスロ。住み込みで宿の手伝いをしている。成長に伴い魔法の才能が開花しつつあり、ジャンルカが制御の手ほどきしているとのことだ。
「そういうわけだ。行き違いについては改めて詫びさせてもらう」
「何、むしろ礼を言おう。思いがけずも、心が定められたのだからのう」
ジャンルカとジェスロに手引され、幽慶は大手を振って前庭を横切ることの喜びと懐かしさを噛みしめる。
実に三十余年ぶりの帰還であった。再び
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