第9話 白百合いざなう黒揚羽

 グ・フォザラの旧市街にある酒場。新市街の〝鯖豚さばとん〟とは違い一般の店だが、休日や仕事終わりの烈士もよく出入りしている。


 例えば、あの角にあるテーブルにも――


「さぁて、今宵も聞かせてもらおうかぁ?」


 ゆったりとしたローブの上からでもわかる豊満な肢体、濃い金色のウェーブ髪を垂らした褐色肌のエルフは、重力の魔女・エヴァンゲリスにほかならない。

 群青に艶めく瞳が見据えるのは、同席したネコ耳の女性。


「人の相談事を酒の肴にしやがってぇ~」


 烈士組合の受付・阿知波あちわ那海ナミだ。眼鏡の奥のツリ目はすでに酔いで蕩けている。

 気心知れた女二人、杯を傾けながらのご歓談だ。


「いいでしょ。アタシをジャンルカの当て馬にしてくれた見返り」

「協力してくれたのは感謝してるぅ……おかげでアイツも若者たちと上手くやれてるみたいだしぃ……」

「よかったじゃない。でもこうしてアンタが呼び出すところ見ると、あの男まだ過去のこと引きずってる?」


 この国を訪れて日の浅いエヴァンだが、早くに知り合った那海たちとは互いの事情も把握済みのようだ。


「そうなの! アイツ、那海が烈士辞めたの、いまだに自分のせいだって思い込んでるみたいなのぉ~!」

「仕方ないっしょ。自分の失敗がきっかけには違いないんだしさ」


 エヴァンの素気ない素振りに、那海は口を尖らせて反論した。


「違うぅ……ジャンルカの言うとおり、あんなザコさっさと倒しちゃえばよかったんだ。なのに那海が臆病だったから、アイツに負担かけちゃった……向いてないって思った。だから引退したんだって言ってるのにぃ……」

「おー、よしよし」


 テーブルに突っ伏す那海の頭を、エヴァンは愛おしむように撫でる。


「知ってるぅ? アイツ、肩の所にキズがあるんだけどぉ……」

「へぇ、どうしたの? 聞かせて?」


 小声で「ホントは五回ぐらい聞いてるけど」とつぶやくのが聞こえたが、那海には届いていない様子だ。


「那海がヤケドしたの見て、イグナーツすっごく怒って……剣でブスッて刺した。ジャンルカこのやろう! みたいな感じで」

「うんうん」

「一緒いた精霊使いが、那海のこと治してくれた。でもジャンルカ、自分のは治さなくていいって。これは戒めだからって……キズ、残った」


 なるほど、ジャンルカの大仰な異名――那海が名乗らせた〝聖痕顕れし者スティグマータ〟の出処はそちらであったか。

 もっとも、エヴァンにとっては既知の事実らしいが。


「アンタがジャンルカに世話焼いてるのは、ただの罪滅ぼし?」

「…………」

「それとも、十六年ぶりの再会で運命感じちゃった?」

「そ、そうゆうんじゃないもん!」

「もん!? うわっ、キッツ……」

「うるさぁい!! 那海の十倍も歳イってるくせしてさぁ!!」

「そんなイってませぇええん!! 九倍弱ですぅうう!!」


 口論勃発か――と思いきや、酔いどれ那海の情緒が壊れるのが先だった。


「うひゃひゃ! デカ盛りぃ! オマエ、チチもタッパもトシもデカ盛りぃ!!」

「ぐっ……アンタ酒弱いのに飲みすぎだって! もうおあずけ!」

「んだとォ!? こうなりゃ刺し身だぁ……刺し身持って来ぉおお――い!」


(……これ以上の長居は無用にござるな)


 長らく耳をそばだてていたが、有益な情報は得られそうにない。

 そもそも、本来の待ち人ターゲットは別にいるのだ。


 瑠仁るじろうは手早く勘定を済ませ、振り返ることなく店を後にした。




 保守的な旧都とはいえ、獣人がうとまれていたのも過去の話だ。大手を振って歩けども、咎める者はまずいない。

 にもかかわらず、狐の尾を丸め、忍び足になってしまうのは、癖というより職業病か。


 それほど歩かぬうち、瑠仁るじろうはふと小さな気配に気づいて街灯の下へ身を寄せる。

 季節はずれの黒揚羽がひらりと舞い込んで来た。


(もうそんな時間でござったか)


 広げた手の上で、蝶は紙切れへと変じる。憶えある筆跡で符牒が記されているのを確認すると、瑠仁郎は再び道を急いだ。




 二月・太鵬節タイホウセツも末、新月に近い闇夜だが、幸い夜目が利く。

 いくつもの路地を抜け、たどり着いたのは、旧市街にある行きつけの宿酒場の一つだった。


「早かったですね、瑠仁るじろう


 ボソボソと喋る若い女性の声が、いつもの席で出迎えた。

 喪服と見紛う黒装束。それ以上に目を引くのは、肩まで伸びた癖毛をかき分けるように渦巻くヒツジの角だ。


香夜世かやせ殿の呼び出しとあらば拙者、何を差し置いても馳せ参ずる所存……!」

「相変わらず大袈裟ですね。ただの定期招集だというのに」


 厳しい口ぶりも、呆れ顔も、蔑んだ目つきも、甘露とさえ思える。

 陰陽師・ぶね香夜世――彼女はかつて瑠仁郎に道を示してくれた、かけがえのない恩人なのだ。


「大袈裟などではございませぬ! このゆん瑠仁郎を烈士にお誘いくださった大恩は忘れておりませぬぞ!」

「いいから座ってください。あなた忍者のくせに目立ちすぎです」

「か、かたじけない……」


 イムガイ国の近代化によって、多くの忍たちは本来の居場所を失った。時勢を読み通信業や製薬業に鞍替えした集団もいるが、ほとんどは解散するか里ごと帰農する道を選んだ。


 瑠仁郎の育ったたまの里も例外ではなかった。受け継いだ忍の技を活かす機会を失い、途方に暮れる青年の前に現れた少女こそ香夜世であったのだ。


「それで、首尾はどうでした?」

「あの店ははずれにござる。邪教の徒は一向に姿を現さぬ」


 昨年から俄かにイムガイ中を騒がしつつある邪教〝冥遍めいへん〟の動きを、瑠仁郎たちは独自に追っていた。

 元より幕府ですら手を焼く相手だ。そう易々と尻尾を掴めるとは思っていない。


「あなたがそう言うのなら正しいのでしょう。戦闘と諜報能力〝だけ〟は信用してますから」

「身に余る光栄……。して、香夜世殿の方はいかがでござった?」


 香夜世は焙じ茶に口をつけると、湯気に曇った眼鏡が晴れるのを待たずに語り始めた。


「わたくしたちの予測どおりですよ」


 その言葉は、各地で頻発する魔物発生が、人為的に引き起こされた召喚事故であるという事実を示している。


「現場付近の霊脈に小さな歪みが観測されました。陰陽寮にいる知り合いに確認を取りましたし、間違いありません」

「然るに、その歪み自体は目的ではないと?」

「ええ。今後の経過を追っていけば、真の狙いであろう大きな歪みの発生場所が特定できるはずです」


 語り終えた香夜世はおまんじゅうを半分に割り、片方をモソモソと食べ始める。

 無言で差し出されたもう片方を、瑠仁郎は恭しく受け取りながら応じた。


「できれば手遅れになる前に阻止しとうござるな」

「もぐもぐ……同感です。まぁ、詳しい話は皆が揃ってからにしましょう」

「うむ……(……む?)」


 まんじゅうを口に運んだ直後、瑠仁郎は香夜世の口元に異変を発見する。


「……? どうしました?」

「モゴッ、モゴォオ……!(ほっぺに、つぶあんが付いてるでござる!)」


 瑠仁郎はあんこを頬張ったまま、テーブルに身を乗り出し訴えるも、香夜世には伝わらず。


「な、何なんですか!? 気持ち悪い……!」


 これは本気で嫌がっている顔だ――と思ったのも束の間、香夜世の淀んだ瞳が一転してパッと輝き出す。

 視線の先を追うよりも早く、


「二人とも、待たせてしまったね」


 凛々しき女性の声が、店の入口から聞こえてきた。

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