第8話 はじまりの一歩

 鉤爪の四肢を持つ大型犬ほどのガマガエル――人里離れた荒れ地に生息する、ワイラという魔物だ。

 主に単独で行動し、群れてもせいぜい数匹程度だと聞いていたのだが――。




 高台から見下ろす岩場のあちこちに、ワイラがひしめいていた。


「またかよ……コイツら、何十匹いやがる……!?」


 このところイムガイ各地で同様の異常が起きていた。

 僻地での魔物の大量発生。原因にけんみおは心当たりがある様子だ。


「やっぱり意図的な匂いを感じるよ」

「〝冥遍めいへん〟の召喚実験ね。あの時みたいな」


 昨年から続く邪教・冥遍夢の不穏な動きはジャンルカも耳にしている。

 それはそれとして。


「考えるのは後にしようぜ。とにかくオレたち新月組しんげつぐみはこの場を押さえないとな」

「ほうね。うちは準備万端じゃけ、いつでもええよ」


 ラリッサと澪はうなずき合うや、競うように斜面を駆け下りてゆく。


「二人とも、後ろは任せたから!」


 言い残されたリーダーの言葉どおり、ジャンルカは献慈とともに後詰めへと回る。


「俺が敵を引き付けます。ジャンルカさんは……」

「ああ。距離を保ってついて行く」


 奥地に突き進む澪たちへの追撃を防ぐのが二人の役目だ。

 早速、蹴散らされたワイラたちが献慈に群がって来た。


「好都合だ――〈旋転せんてんりゅう〉!」


 大きく回転させたじょうが敵を押し戻す。激昂した魔物たちの注意は献慈に集中した。

 すでにジャンルカは術の準備に取り掛かっている。


「……猛り立つほむらふつくみよ、心掻き乱るまにまに、逸早いちはやく吹き惑え――」


 定められた文法に沿って詠唱を行うのには、二つの意味がある。一つは術の出力を調節し、術者の消耗を抑えるため。

 もう一つはさらに重要だ。


「――〈炸散火スプレッドファイア〉!」


 燃え広がる炎が、献慈に群がるワイラの集団を一斉に焼き払った。

 はたして、焼け跡から現れ出た献慈は火傷一つ負っていない。正しく綴られた呪文が敵味方を正確に識別したのだ。


「お見事です、ジャンルカさ……ん……!」

「おい! ケガしてんじゃねぇか!」

「さすがに数が多くて……でもご心配なく」


 切り裂かれた肩を、献慈は手で覆う。指の間から漏れ出る治癒の光が止むと、傷は綺麗さっぱり消えていた。


「……ね? 俺のことは多少放っておいても大丈夫ですから」

「そんなわけにいくか。痛ぇもんは痛ぇだろが」


 ジャンルカがたしなめるも、献慈は平然と言い放つのだった。


「仲間が傷つくぐらいなら、自分が傷ついたほうがずっとマシです」


 言い返せなかった。献慈の気持ちが、ジャンルカには痛いほどわかってしまったから。




  *




 今のけんたちとそう変わらぬ年頃だった。


「ここで食い止めておいてくれ。すぐに戻る」


 イグナーツは雇われの精霊使いを連れ、手負いの大型魔獣を追って行った。

 その場には魔犬が二匹。那海ナミと二人で持ちこたえるだけでよかったのだ。


「二対二だ。このままぶっ倒そうぜ!」


 間もなく三匹目が駆けつけて来た。囲まれた那海を救おうと、ジャンルカは咄嗟に術を放った。

 暴発した火炎は魔犬を焼き尽くしたが、那海をも巻き込んでしまった。


「お前が……出しゃばりさえしなければ……!!」


 イグナーツの、怒りに歪んだ顔が忘れられない。

 精霊使いがすぐに治療してくれなければ、火傷の跡は今も那海の体に残ったままだったろう。


 程なくしてチームは解散した。那海は烈士を辞め、ジャンルカは国を出て放浪を始めた。




  *




 焦っても、念を入れても、傷つくことからは逃れられない。

 それでも、歩みを止めるわけにはいかない。


「やっと追いつけましたね」

「ああ。あれは……ツチグモだな」


 荒れ地の奥で、巨大なクモの怪物とみおが対峙していた。


「オレたちも加勢……する暇もなさそうだ」


 澪の振るう刀は大蜘蛛の脚を次々と斬り落とし、最後にはその身を真っ二つに両断する。


「それよりあっちが危険です」


 けんが指摘する。澪たちの死角となる方角から、もう一体のツチグモが迫っていた。


「ラリッサちゃんの方が近いな。おーい! 聞こえるかー!?」


 ジャンルカが声と手振りで合図を送る。周囲のワイラを片付けていたラリッサが、最後の一体を蹴り倒したその足で、瞬く間に岩場を駆け上がってゆく。


(何てスピードだ……軽功ってやつか?)

「喰らいんさいや――〈翠星氷霜波ジェアダ・エステラ〉!」


 二丁斧に渦巻く凍気が刃と化し、ツチグモの巨体を十文字に斬り裂く。会敵からわずか数秒の出来事だった。


 ジャンルカは声を失った。思えば、いつも澪のサポートに徹していたラリッサの本気を目にしたのはこれが初めてだった。


「今の氷……お前の治癒の力と同じ、異能か?」

「そうみたいです。ラリッサもマレビトの血を引いてますから」


 聞いてはいた。ラリッサの亡き祖母も、献慈と同じ出自であると。


 気後れしてしまう。一人だけ、四人の中でジャンルカだけが、特別ではない。

 替えの利く存在。いてもいなくても変わらない。

 役立たず。


(情けねぇ……こんなことでウジウジ悩んでるオレ自身が――)

「ジャンパイ、具合悪いん?」


 ラリッサの、普段より低めな声音に顔を向けると、心配を湛えたぱっちりお目々が覗き込んでくる。


「……何でもねぇよ」

「ふーん……。このあと素材集めどーするん?」

「程々にしとけ。どうせ最近の大発生で暴落してるしな」

「ほいじゃツチグモだけでええかね。たいぎいけぇ、献慈くん手伝てごしてくれん?」

「あ、うん……」


 ラリッサはジャンルカを一瞥し、献慈だけを連れて行ってしまった。

 なぜだか、胸がチクリとする。


 手持ち無沙汰で立ち尽くしていると、入れ替わりに澪がやって来た。


「なぁに黄昏たそがれてるの?」

「べつに……若者同士仲良くやってるし、オッサンは黙って見守ろうかな、と」

「献慈取られて、じぇらしー感じてるんだ? わかるなぁ、その気持ち」

(何言ってんだ? この女……)


 思ったジャンルカだったが、すんでのところで口に出さずに済んだ。


「というのは冗談で」

(冗談に聞こえなかったんだが……?)

「献慈も同じだったなぁ……時々そういう思い詰めた顔して、自分だけで何もかも抱え込んで……男の人ってホント強がり」


 年頃の男子と比べられるのはどうにもくすぐったい。だがそれが献慈なのは悪い気がしなかった。


「黙ってちゃわからないから、一つだけ。あなたが本当はどうしたいか、言って。これはリーダー命令です。拒否権はありません」


 澪はジャンルカを見据えたまま、真正面に仁王立ちする。言い逃れが通用する相手ではないのは明らかだ。


「……お前さんたちは随分と優秀だなって、思っただけだ」

「ふんふん。それで?」

「一個だけじゃねぇのかよ」

「どうしたいかまだ言ってない。未来に目が向かなきゃ、一歩も踏み出せないままでしょ?」


 ぐうの音も出ない正論だ。那海あいつに誓った手前、口だけの男にはなりたくはない――そう思ったから。


「魔物退治も立派な仕事だ。だが腕っぷしばかり強くても、それだけじゃ烈士としちゃ半人前のままだ。オレは……お前さんたちがもっと大きく羽ばたけるような手伝いがしたい」


 この一ヵ月、四人で組合に出ていた依頼を漁っていた。もう一段階上の仕事に挑む時機を窺いながら。

 今がその時だ。


「遺跡の調査依頼ってのがあったろ? オレに心当たりがある」

「でも、国内のめぼしい場所はほかのチームが……」

「この国じゃないとしたら? オレの故郷に来る気はないか?」


 澪の瞳が見開かれた。


「オルカナ王国……」

「ガキの頃オレが捨てられてた場所だ。そこからもう一度、オレはやり直したい」




  *  *  *




★ラリッサ(氷霜) イメージ画像

https://kakuyomu.jp/users/mano_uwowo/news/16818023213925936977

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