第30話 あんた、とんでもないビッチだよ
久しぶりに訪れた所有者不在のアパートの部屋は以前来たときよりもきれいに整理されていた。武本君本人だって、留守中に来訪者があるのは知っているだろうし、そういうことだってたびたびにあるらしいので、日ごろから整理整頓を心掛けているのだろう。武本君はこの部屋を有料で貸出しているらしい。学校からほど近く、住宅街であまり人目につかないこの部屋の利用方法はわたしにだって安易に想像がつく。その事をどうこう言うつもりはないが、その間、自分の家に帰れない彼はああしてリリスでひとり、読書をしながら過ごしているのだろう。
わたしより一足先に部屋に到着していた須藤先輩は、彼の部屋のソファーに腰かけてまったりとくつろいでいた。きっとこの部屋を利用するのは初めてというわけではないのだろう。
「いらしゃい」と、まるで自分の部屋に招待したかのような素振りの彼は、わたしを一瞥しただけで再び視線をテレビの方へと向けた。ソファーの隣に腰かけたわたしは物事の本題に入る。
「それで…… わたしたちは今からここで何をするんですか……」
「なにもしないよ。だってそういう約束だろ?」
少しばかり怯えていたわたしをまるで罵るかのように言い放つ須藤先輩は、少しだけ嫌味な笑い方をした。
「ただ、今日は笹木さんに俺の秘密を知ってもらうだけだよ。……もしかして、本当は何かをされることを期待してきたのかな?」
「そ、そんなことありませんっ!」
「だろうね。ごめんよ、嫌味なことを言ってしまった。それに俺は君の体に興味はないんだよ」
「す、すいません……なんか、女としての魅力がないようで……」
「ああ、ごめん。そういうことで言ったんじゃないんだよ。たぶん笹木さんは女としてとても魅力的な女性だと思うよ……」そう言いながら、リモコンでテレビのスイッチを切った。ソファーの隣に座る須藤先輩は体を斜めにわたしの方に向ける。やはりこうして近くで見るときれいな顔立ちをしている。「――でもね、俺は女の体に興味がないんだよ」
「え?」
いったい何の事だかわからなかったが、少ししてそれが須藤先輩に聞いてもらいたかった秘密なのだと気づくまでに少しの時間が必要だった。
「ようするに俺はゲイなんだよ。男色家ってやつだ。だから笹木さんにどうこうしようとは思わない。当然、あの明日香っていう子にも……」
「じゃ、じゃあ、もしかして……須藤先輩は武本君のことが……」
「武本君は……どうかな。彼がその気ならベッドを共にしてもいいかな……」
思わず、ベッドの中で裸で抱き合う二人の姿を想像してしまった。それはとても認めたくない事なのだが、しかしその光景は悪くないと思ってしまうわたしがいる。
「まあ、それほど心配する事じゃないよ。武本君にその気はなさそうだし、俺にはちゃんとべつに彼氏がいるからね」
「で、でも、何で今日、わざわざこんなことをする必要が……」
「そのことについては昨日言ったとおりだよ。俺と恋人同士のふりをして、この部屋で一緒に写真を撮ってくれればいいだけのことだ。この部屋のレンタルのことは俺たちの周りではそれなりに有名だし、その写真さえあればきっとおれたちが恋人同士だと誰も疑いはしないだろう」
「で、でも、何でそんなことまでする必要が? 自分がゲイだっていうことを隠すために……ですか?」
「ま、根本的にはそういうことだ。でもね、俺の場合そこがとても大事なことなんだよ。俺はずっとレスリングをやってきたし、大学もレスリングの推薦で行く予定なんだ。もし、オレがホモだってばれた時の事、考えたことがあるかい?」
――たしかにそれは、あまり想像に耐えられるものではないかもしれない。
「おそらくみんな、俺と組み合うのを嫌がるようになるだろうな。もしそれがうわさになれば到底レスリングなんて続けていけなくなるだろうし、推薦での進学も難しくなる。だからさ、今はどうあってもそのことは隠しておきたいんだ」
「そして……その写真があればわたしが処女であることも隠すための証拠になり得る……」
「なんだ、笹木さん、処女だったのか……」
「え……知ってたんじゃ……」
「いや、俺が知っているのはあの夜、武本とはしてないだろうってことだけさ。まさかあいつにその場の雰囲気で笹木さんを襲うような度胸なんてないだろうって思っていただけだよ」
「そ、そんな……」
「まあ、いいじゃねえか。なんだったら武本とまた、そういうことしたらいいじゃねえか。あいつたぶん、笹木さんのこと好きだぜ」
「そ、そんな……」
「なんだよ、顔、そんなに赤くしなくてもいいだろ。あ……これ、約束していた武本のアドレス。まあ、そのなんだ…… もし、俺とのことがうわさになってもさ、武本に正直に言えば、わかってくれると思うぜ、あいつのことだから……」
「う、うん、ありがとう……」
須藤先輩から受け取った紙切れには、武本君のメールアドレスが書かれてあった。しかし、そのアドレスを見る限り、わたしは迂闊に連絡が入れられないと思った。
『tamayan○○@……』タマヤン? こっれってもしかして……いや、普通に考えればただの偶然だろう。深く考えることなど無いのかもしれない。しかし、ただの偶然なら問題ないが、もし、そうなのだとすればわたしからメールを入れた場合、相手も何か思うところがあるかもしれない。わたしのメールアドレスの始まりは『sakauramineko○○……』サカウラミネコ。
それからわたしたちは、ベッドの上で二人仲良く並んで写真を撮った。こんなことで二人が幸せになれるなんてまるで思えない。なのに、須藤先輩はこれでもかというほどの立派な一眼レフのカメラで、三脚を立てて撮影した。いったいこのカメラ、いくらぐらいするんだろうか疑問にこそ思うが、それでも須藤先輩はその高価なカメラを使いこなせてはいないようだった。ピンとすらうまく合わせることが出来なくて何度も取り直しをしなくてはならなかった。
まったく。男というやつはやたらと一点豪華主義で、身の丈に合わないものを持ちたがるものだ。使えもしないのに、やたらと見栄を張りたがるのは須藤先輩にしても同じことのようだ。
それから少しの間、ベッドで休ませてもらった。この布団で寝るのは二度目だ。いったいどれだけの人がこの布団にくるまってきたのかは知れない。その事を考えると少しだけいやな気持にもなるが、相変わらず布団からは武本君の匂いがした。そして、少しだけエッチな夢を見た。もちろん夢の中の相手は武本君だった。夢から覚めて、その原因ははっきりした。須藤先輩が寝室のテレビでエッチなビデオを見ていたのだ。しかも大音量で……
「ちょ、ちょっと。どういうつもりなの……いくらなんでもデリカシーが……」
「ああ、ごめんね。一応これも念のためさ」
「念のため?」
「そう、その向こう側」須藤先輩が寝室のテレビのうしろの壁を指差す。「俺の調べた限りでは、その壁の向こうにはいかにもモテそうもない大学生が住んでいる。そこで、ちょっとした嫌がらせをしてやったのさ……」
そして、しばらくして武本君の部屋のドアチャイムが鳴った。須藤先輩はビデオの電源を切り、わたしを引っ張りながら玄関を開けた。おそらく隣の部屋の住人だろう。たしかにあまり女性からは受けの良さそうには思えない大学生くらいの男性が立っていた。初めのうちは目を吊り上げて、文句を言いたそうにしていたが、後ろにいるわたしの姿を一目見て、顔を真っ赤にしてうつむき、「そ、その……もう少し、し、静かに……」と言った。須藤先輩はそれに対し、半笑いで頭を下げた。そして大学生は逃げるように隣の部屋へと駈け込んでいく……って、これ、絶対さっきの大学生は誤解したよね! しかもそれは須藤先輩の確信犯だ。なにもここまでの証拠なんて作らなくてもいいのに、さすがにこっちも恥ずかしい。
そして、一応これで全ての作戦が終わったとのことだった。
スマホをどこかに置き忘れたことに気付いたの次の日の朝になってからのことだったが、友達の少ないわたしはそれをあまり気にするでもなかった。朝目覚めた時に、いつもよりも時間が過ぎていることに気付き、それでようやくアラームが鳴らなかったと気づいた。焦る気持ちはあったが、いつもよりもずいぶん寝過ごしてしまったため、そんなことを言っている余裕はなかった。急いで準備をして家を飛び出した。学校に到着して、エレナと明日香に挨拶をする。
そしてちょうどそのタイミングで明日香のスマホがメールの着信を知らせた。そのメールを見た明日香はわたしに向かって言った。
「ねえ、紗輝。今、小堀から連絡があって、須藤先輩があんたのスマホ拾ったって。昼休みに例の喫茶店に持って行くからこいってさ」
その言葉を聞いてほっとした。そしてその時、ちょっとだけ油断してしまったのだ。
「ああ、よかった。やっぱり武本君の部屋に忘れてたんだ」
迂闊だった。その言葉を聞いたエレナは首をかしげた。学校の勉強はぜんぜんダメなくせに、こういうことにだけやたらと頭が回る。
「ねえ、明日香さっき、須藤先輩って言った? いつも、大地って呼んでるんじゃなかったっけ? それにさ、昨日もあんた達デートって言ってなかった? なのに、須藤先輩は紗輝と一緒にいたわけ? しかも、武本の部屋に?」
明日香はわたしをにらんだ。わたしの目は泳ぐ。逃げた視線の先にはエレナがいる。
「あ、あの……ほら、昨日武本君の部屋に行ったら、たまたまそこに須藤先輩がやってきたんだよ。ほら、わたしスマホ忘れたわけだから連絡取れないわけだし、だから明日香に連絡が取れる須藤先輩が預かったんじゃ、ないかな……」
我ながら咄嗟な嘘にしてはよくできたと思った。わたしは武本君と、肉体関係にあると思われいるわけだし、明日香がついている嘘にしたって、この方法でなら暴露されないはずだと予想した。しかし、エレナの攻撃は止まらなかった。
「だとしてなんで、間に小堀君が入るわけ? それってつまり、須藤先輩とあんたのことを明日香にばれないようにってことだよね」
――当たらずとも遠からず。それが理由なら小堀君からのメールに須藤先輩の名前なんて出す必要が無いことにエレナは気づいていないが、それでもわたしが須藤先輩と直接関係があることは感づいている様子だ。
「それにさ、昨日の夜、あたし武本の部屋の近くの喫茶店にアイツがいるのみかけたよ。それってつまり武本の部屋を誰かが使ってるってことでしょ。あの部屋ってさ、要するにヤリ部屋でしょ。そんなのは有名な話。つまりそのヤリ部屋にあんた達二人でいたってわけだよね?」
――もはやいいわけする手立てはない。そしてわたしの嘘がばれる時、おそらく明日香の嘘もばれる……そう思っていたが、明日香は一枚上手だった。
「そう、そういうことなのね紗輝。なんか最近大地が冷たいと思っていたら、アンタとそういうカンケーだったわけだ。ふーん。ま、いいわ。あたしも飽きてきたとこだったし、あいつはあんたにあげるよ」
それだけを言い残し、明日香はわたしのもとを去って行ってしまった。
「紗輝さぁ、そーいうのはあんましよくないと思うなあ。あんた、とんでもないビッチだよ」
続いて明日香までもが……
もしかすると、ここまでのすべてが須藤先輩の作戦だったのかもしれない。須藤先輩は周りをうろつく明日香を追い払い、わたしを孤立させて真実がばれないようにするためと思えば大した策士だと言えるかもしれないが、さすがにそこまでではないだろう。だいいちことの発端はわたしがスマホを忘れたのが原因だ。百歩譲って須藤先輩がわたしのスマホを隠していたとして、そのことに気付かずに帰るなんてふつう思わないだろうし、そもそもがわたしの失言から始まったことだ。
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