第25話 小説家の品格
坂田忍 小説家の品格
「莉那ちゃん。そろそろスタンバイ。お願いね」
楽屋口のドアを少しだけ開いた隙間からマネージャーが呼ぶ。今日のステージもきっとお客さんでいっぱいなのだろう。
きらびやかなドレスに身を包み、完璧なメイクで暗い過去を覆い隠した松永莉那は、正面に備え付けられた壁いっぱいの大きな鏡に向かい、出来る限りの最高の笑顔をして見せる。
我ながら素晴らしい笑顔だと思う。鏡の向こう側にまだみぬ恩人がいることを想像しての笑顔は、彼女にできる限りの最高の笑顔。
今日のステージに彼は来ているのだろうか。それともどこか遠くでじっとわたしのことを応援してくれているのかもしれない。
――三年前。多額の借金を抱え、その身を犠牲にしながら生活をしていた日々から救い出してくれた、見ず知らずの恩人。数百万円に及ぶ札束とともに一緒に同封されていた一冊の本。それだけがその恩人の手掛かりだ。
〝ナイス坂田〟という著者名に、まっさきに学生時代の同級生の顔が浮かぶが、その人だという確証もなければ、その同級生がわたしを救ってくれる理由すらない。
借金地獄から抜け出したわたしはスカウトされるがまま、しがない地下アイドルとなった。初めのうちはみじめな仕事が続いたが、ありとあらゆる手段を使い、ここまでのし上がってきた。最近ではテレビのバラエティー番組の出演の仕事も増えてきた。目標まであともう少しだ。
バラエティー番組に出演して、その番組の企画でわたしを救ってくれた人物を捜してもらうのだ……
――と、そこで妄想をストップした。
いくらなんでも無理がありすぎるのではないだろうか。このまますべてがうまくいき、彼女の抱えた借金をオレが肩代わりするまで、どう考えたってあと一年はかかるだろう。その頃に松永さんはすでに二十三歳で、アイドルとしてデビューするにはいささか年を取りすぎているだろうし、そこから三年後という設定ではすでに二十六、すでにアイドルとしての賞味期限は終わりかかっているのではないだろうか。それに大体もともと風俗業で働いていた人間がアイドルになってしまっては、マスコミに過去を暴かれた時にその天命も尽きてしまうだろう。にもかかわらずテレビ番組の企画で〝ナイス坂田〟を捜してもらうだなんて自殺行為としか思えない。このシナリオは根本的な部分から練り直さねばならない。
K社の小説新人賞は取り逃してしまったが、おそらくK社は後々この出来事を後悔することになるだろう。もしかすると〝ナイス坂田〟の『吝嗇の薔薇』を落選させた編集は懲罰を受ける結果となるかもしれない。
もう間もなくナイス坂田が他社の出版社からデビューすることは間違いない。
昨今のスマホの普及率は計り知れない。それに従いインターネットコンテンツの充実もまたしかりで、小説の世界においてのその限りではない。
一般人の投稿形式によるネット小説は時代のもっとも最先端の形と言え、すでにネット上には数限りない小説が存在する。その数はもはや大型書店の蔵冊数をしのぐほどだ。そのネット小説の世界で、今まさにナイス坂田はそのトップに君臨していると言って過言ではない。
近年になって新設されたネット小説投稿サイト〝マルヨミ〟のネット小説大賞の募集があり、その大会の受賞作品は書籍化され、当然プロデビューということになる。もちろん、その作品の注目度は高く、おそらくヘタな新人賞を撮るよりもよほど将来性があるだろう。
マルヨミのネット小説大賞の採点方法は各出版社が行う小説新人賞とは大きく違う。採点をするのは読者自身で、そのネット小説を読んだ読者が0~3ポイントの点数を加える。最終的のその獲得ポイントが多い者が最終選考に進むというものだ。つまり、一般的な小説新人賞とは違い、無能な下読みや読みの浅い編集者のせいで素晴らしい作品が落とされてしまう心配がない。一読者の肌に合わない作品だったとして1ポイントすら獲得できなくとも、素晴らしい作品はその他の人が読んでかならずポイントをつける。したがって、素晴らしい作品がふるい落とされてしまうという心配が少ないのだ。
しいて言うなれば、その問題点はあまりに多すぎる出品数のあまり、はなから誰にも読んでもらえないというリスクだ。ただでさえ素人の作品ばかりのネット小説だ。中にはヒドイ作品だってかなりある。いくら無料で読めるとはいえ、十万文字を超える小説一作を読み終えるには数時間という時間を必要とする。できるなら面白くない小説にそれだけの時間を割きたくはないと思うものがほとんどだろう。それにほかにも小説ならいくらでもあるのだ。だから読者はおそらくなるべく失敗がないように、すでにそれなりの評価がされているものを選ぶだろう。
そしてネット小説のトップページには最近の人気急上昇作品やランキングの高い作品が表示されるようになっている。つまり、なるべく早い段階でランキングの上位にさえ乗ってしまえば、あとから読む人は勝手に増え、ポイントはどんどん稼げるだろう。しかし、いくら素晴らしい作品を書いたところでこのランキングに入れない作品は新しい読者を獲得できず、ポイントがあまり稼げないという結果に終わってしまう。
この点をいかにうまく切り抜けるかというのが重要なカギだったわけだが、オレは見事な作戦でこの場をやりきることに成功した。
まずはじめに考えた作戦は、自分がその小説サイトに複数のアカウントを作り、そのアカウントそれぞれで自分の作品にポイントを入れていくという作戦だ。この作戦で一度ランキングの上位にさえ乗ってしまえばあとは放っておいても勝手に読者は増えていく。
だが、言うまでもなくこの方法は明らかなルール違反だ。そういうことをしてはいけないと運営もたしかに明記してある。だからオレはこんなリスクの高い方法は絶対にしてはならないと思った。しかしながら、実際にふたを開けてみればそのような暴挙に及ぶ者は決して少なくはなかった。ランキングの上位に名を連ねる作品の多くはそういった複数アカウントを使っている者は多かった。各作品にポイントをつけたアカウントは、その作品の一覧に表示される。ランキング上位の作品の多くに、やたらと無意味なアルファベットの羅列のようなユーザー名が目立つ。そのユーザー名をクリックしてみると、まるで中身のない読者の存在を感じる。そのアカウントでポイントを入れている作品はその一作品のみで、文句なしの満点、3ポイント評価をしている。しかも作品についてコメントを入れるでもなく、レビューもない。しかもそういったアカウントからのポイントが同じ日の、しかも数分ごとに入れられているのだ。これはどう考えたって作者本人が偽のアカウントを作っては自作自演でポイントを入れているとしか思えない。これは明らかなルール違反にもかかわらず、運営はそれに気づかないのか、のうのうとのさばっているのだ。
しかしオレはこのことを今すぐ通報しようとは思わなかった。できるなら読者選考期間ぎりぎりまでそいつらをのさばらせておくことが理想だ。そうすれば一般の読者はそういった作品に目が行き、他の作品がランキングの上位に挙がってくることを防いでくれる。そしてぎりぎりになって運営に通報し、失格にしてもらえばいいのだ。
しかし、もちろんこの方法には条件がある。それは自分の作品がその方法以外で、すでにランキングの上位にあがっていなければならない。でないと自分の作品までそいつらルール違反者のせいでランキングの上位に上がれないということだ。その点においてオレは例外だった。素晴らしい方法でランキングの上位に食い込んだ。あとは不正野郎どもがほかのランキングを埋めてさえいてくれれば他の作品に目が行くことはないだろう。
さて、ではオレがどのようにしてランキングの上位にランクインしたか、ということのなのだが……
複製アカウントは必要ない。正々堂々、自分自身のアカウントを使用して、ライバルとなる他の作品に対し、片っ端から満点、3ポイントの評価を入れていくのだ。別に作品をいちいち読んで行く必要はない。ざっくりと目を通してあらすじだけを理解さえしておけばレビューだって感想だって書ける。そもそも、それ以前にそんなものさえ必要ないかもしれない。
さて、最高評価である3ポイントの評価を入れてもらった作品の作者の気持ちを考えてみよう。ただでさえ、そのポイントを少しでも多く稼ぎたいと苦心している各作者からすれば、3ポイントという評価はこの上なく嬉しいだろう。そしておそらくは、その3ポイントを入れた人物がどういう人なのか、そのユーザー名をクリックしてみるのは当然の行動だ。
そこにあるのは同じく作品を出品している作者だ。と、なればその作品をチェックしてみるのもまたしかり。おもしろければポイントを入れてくれるだろう。あるいは面白いと思わなくてもポイントを入れてくれるかもしれない。なぜなら、受けた義理は返すのが侍というものだ。やってもらったらやり返す。恩返しだ! あらかじめ互いにポイントを入れ合うことを約束したわけでもなければ、決してこちらからポイントを入れるように強要したわけでもない。
もし、ポイントを入れ返してくれないものがいれば、自分がいれたポイントを回収するのもありかもしれない。しかし、オレがとった作戦はもう一息つっこんだ作戦だ。ポイントを入れてくれない相手からは、しばらくたってポイントをひとつだけ削り、2ポイントにする。それでもポイントを入れてくれない相手からはさらにポイントを一る削る…… それ以上ポイントを削られたくないと思った作者はきっとポイントを入れてくれるだろう。
これら一連の作業をなるべく短期間で行う。短期間で多くのポイントを稼いだ作品は週間ランキングの上位に上がり、いやでも目立つようになる。
名付けて、ゲッツ&リターン作戦だ。
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