第18話 武本君の嘘
笹木紗輝 武本君の嘘
いつの間にか、ナントカゲームというのが始まっている。割り箸の先にそれぞれ1~5までの数字と王という数字が書かれている。くじ引きみたいにみんなで引いて、王と書いている人の命令を聞かなければならないというルールらしい。そのゲームが始まってからというもの、やたらと明日香とエレナが奇妙な動きをしているなという印象……
あ、たしかさっきここへ歩いてくる途中、明日香とエレナ、それに明日香の友達の小堀君がなにかを小声で相談していた。たしか、一が髪をかきあげるとか、二が背伸びをするとか、そんな感じのことだ。
小堀君が王のくじを引いて、エレナが背伸びをして、明日香が髪をかきあげる。ああ、なるほど、そうやってお互いに数字を教え合っているというわけか…… つまり、それが一体どういうわけなんだろう。さっきからいまいち思考が廻らなくて、結局そんなことはどうでもよくなってきた。
「じゃあね、3番と4番がキス」
小堀君が半笑いで言う。さっきまでは一発ギャグだとか、物まねをさせるといった内容だったというのに、急に肌色の変わるその命令に、さすがにはいそうですかというわけにもいかないだろう。一瞬場がこおりついたかと思うと、
「おい、さすがにそれはマズイだろ。それはナシだ」
須藤君の一言に、小堀君はテレを隠しながら「冗談だってー」と言いごまかす。そしてその言葉から何かを悟ったのだろう。一瞬不敵な笑みがその表情を走る。
「じゃあさ、3番と5番が…… となりの寝室で30分!」
「小堀、いい加減にし――」
須藤君が半分身を乗り出しかけたところで、エレナが口を挟んだ。
「いいじゃない、そのくらい。別にそこで何をしろってわけでもないでしょ。二人きりでゆっくりしてもいいし、疲れた人は休んでいてもいいわけだし」
「そ、そりゃあ、そうだが……」
「じゃあ、きまりだな。で、3番と5番は……」
ふと、わたしの割り箸を見ると3と書いてあった。たしかにお酒を飲んで少し疲れているようだし、少し休ませてもらうのもいいかもしれない。わたしは少しふらつく足に意識を集中させながら立ち上がった。
「おお! 紗輝ちゃーん。やる気全開じゃーん! で、5番は誰なんだ」
「え……」
と、うろたえる武本君。どうやら5番らしい。
「じゃ、いこ」
わたしは武本君に視線をおくり、隣の寝室へと移動する。うしろから武本君が追って寝室へと入ってくる。
「ゴメン、武本君、わたすい、ちょっとお、休ませもらうね」
ベッドの方へ向かう途中、足元がふらついてしまった。ただでさえ今日一日、慣れない厚底サンダルで歩かされてへとへとだった。バランスをくずして後ろ向きに倒れそうになった時、後ろから駆け寄ってきた武本君がうしろから抱きかかえるように体を支えてくれた。
「だいじょうぶ?」
「うん。だいじょーぶ。ありがと……」
頼りないと思っていた武本君だったが、後ろからわたしを支えるその体はやはり男の物だった。華奢に見えてもそれなりに大きい。ごつごつした体に支えられるとなぜだか少し安心して、なぜだか胸の奥がキュッとした。
「少し休んだ方がいいよ」
「うん」
ベッドの上に寝転がり、おおきめの枕に頭を乗せる。その枕からは武本君の匂いがする。安心して、そっと目を閉じた。
唇に触れる、温かい感触。武本君の唇が、わたしのそれに押し当てられた。次の瞬間、口の中になにかが入ってくる。生暖かくてぬめりとした、それでいて少しざらついたもの。背筋に悪寒が走り、奥歯で砂をかみしめたような不快感が起きる。抵抗しようとは思うものの、全身にまったく力が入らない。嫌だとは思いながらも、心の奥のどこかでその続きを望むわたしがいるようだ。よりによって、わたしの身につけている衣服は今日に限って面積の少ないものばかりで、簡単にはぎ取られてしまったわたしの全身を武本君の舌が這いずり回る。そしてそれは上半身から次第に下半身へと…… い、いけない。そこから先は……
と、そこでふと目が覚めた。
まったく。何ということだろう。俗言う淫夢というものだろうか。あまりにも生々しく鮮明な記憶を残したその夢が、やけにリアリティーがあったと感じるも、実際にそういった経験のないわたしにとってそれがいかほどにリアルであったのかどうかは判断できない。
薄暗がりの中で寝返りをうち、いつもとは違うブランケットの匂いにここが自分の部屋でないことに気付く。少しだけ頭がズキズキする。そうだ、少しお酒を飲んでしまって…… 少し眠ってしまったようだ。
上半身を起し、部屋の中を見渡してみる。べッドと小さめのテレビがある以外とくになにもないちいさな寝室だ。ベッドの脇で膝を抱え、壁を背にした武本君が眠っている。いつの間にか部屋の電気が消されてある。おそらく武本君が気を利かせて消してくれたのだろう。
そうだ。たしか三十分寝室へ、という命令を受けたわたしは武本君と一緒に寝室に入った。慌ててポケットからスマホを取り出し、時間を確認してみる。
〝21:39〟
三十分どころか、二時間近くもの間眠っていたことになる。おかげで酔いを醒ますことはできたし疲れもだいぶ和らいだ。だけども明日香たちは今頃怒っているだろうか。あるいは先に帰ってしまったかもしれない。
息をひそめて、寝室のドアの向こう側に耳をそばだてる。
かすかにささやきあうような声が聞こえてくる。どうやらまだ帰ってはいないようだ。言い訳をと考えを巡らせるが、いいアイディアは何も思い浮かばない。正直に寝入ってしまったことを詫びるのが一番だろう。心を決めて、そうっと寝室のドアを少しだけ開き、リビングの様子をうかがってみる……が、一目では誰の姿も見られない。が、こちらに背を向けたソファーの向こうから声が聞こえてくる。とぎれとぎれに息を漏らす女性の声。
ソファーの背もたれの上端から時折小堀君とブロンドの髪、エレナの髪の毛が覗く。「なにをしているんだろう」、一歩足を前に出してソファーへ近づこうとした時、わたしは悟った。ソファーの上で、息を途切れさせながら二人が抱きしめあっていることを、互いのその衣服が半分以上はぎとられエレナの真っ白い肌があらわになっている事を、そしてもう子供ではないわたしには、それが何を意味しているのかということだってわかる。
瞬間的に思考回路が沸騰して、全身が熱く火照る。体が硬直し、身動きが取れなくなってしまう。その直後、わたしは何者かに後ろから襲われ、手で口をふさがれた。突然握られた左手を引っ張られ、言葉を発することもできないままに、引きずられるように寝室へと引き戻される。
ドアはぴたりと閉じられ、再び視界が暗くなる。寝室のドアには鍵をかけられる。ドアを背にしたわたしはそのまま座り込む。わたしの口を左手で覆ったままの武本君が上にのしかかるように顏を近づけてくる。
「しーっ」
彼は空いている右手の食指を立て、わたしに静かにするように促す。わたしはそれに対し、静かにうなずく。それを確認するなり、武本君はわたしの口をふさいでいた手をそっとどかす。元より、恐怖のあまり声も出ない状態だ。
武本君は一歩後ずさり、後ろに倒れるように座り込み、「はあーっ」っと、大きくため息をつき、それから顔を伏せたきり、微動だにしなくなった。
背中のドアの向こうでは、相変わらずエレナの声が聞こえてくる。初めはとぎれとぎれだった息遣いがだんだん荒くなり、ついには羞恥心さえも完全に失った大きな声で喘ぐ。そこで行われている行為を想像したくはないと思いつつ、それでも想像しないわけにもいかない。
しばらくしてエレナの声も収まり、静かになった部屋の向こうから声が響いてくる。
「ねえ、紗輝たちはどうしてるのかなあ。寝てるんだったら起した方がよくない?」
「いや、ほっとけよ。そんなの」
さっきまでの二人からはまるで考えられないような冷静な会話。二人の足音は次第に寝室へと近づいてくる。わたしはさっきまでの二人の声を思い出し、再び赤面する。どんな顔で二人と顔を合わせたらいいかわからない。
その時、ずっと顔を伏せていた武本君がすっと顔を上げ、足元にあったテレビのリモコンにスイッチを入れると同時に、プレイヤーにセットされているDVDが再生された。寝室のテレビからは、おそらく先程までリビングのソファーで行われていたことと同じことをしているのであろう映像が映し出される。武本君はリモコンで少しずつボリュームを上げていく。
いったい何のつもりだというのだ。わたしに対する嫌がらせ、あるいはセクハラ的行為? テレビの画面上に映し出される女性の大きな喘ぎ声が寝室内に響く。映像を見ないように目を瞑り、耳をふさごうとしたその時、背中のドアのすぐ向こうでエレナたちの声が聞こえた。
「あ、やってる、やってる」
「おい、やめてやれよ。趣味悪いぜ」
「そうね、せっかくお楽しみの途中なんだから、邪魔しちゃ悪いわよね」
二人はこのドアの向こうで聞き耳を立てていたらしい。少しして、玄関のドアが開く音がして、リビングは静かになった。武本君はリモコンでテレビを消して立ち上がった。
「もうだいじょうぶだ。あっちいこうぜ」
リビングに移動したわたし達は散らかしほうだいに散らかされたままの部屋を二人で片づけて、つい、さっきまでエレナたちがなにかをしていたソファーに座った。武本君がインスタントのコーヒーを淹れて持って来てくれた。
「さっきはありがとう。おかげで、顔を合わせずに済んだ……」
武本君は何も言わず、マグカップを手にコーヒーをすする。気まずいわたしも同じようにマグカップを手にコーヒーをすする……
「あっつ!」
「――やっぱり、猫舌だったんだ……」
武本君はちょっとだけ笑った。やっぱりって、どういうことだろう。わたしってそんなに猫舌に見えるのだろうか。まあ、たしかに猫好きではあるし、ペンネームにもひっそりと〝ネコ〟を潜ませてはいるのだけれど……
「そう言えば、明日香は?」
「たぶん、須藤君と一緒に先に帰った」
「そう……」
「……」
「ねえ……」
「うん?」
「ううん、何でもない……」
「……」
武本君とは全く会話が続かない。二人きりになると、何を話していいのかわからない。
「ねえ、なにかはなしてよ」
「――あ……。うん、友達は…… 少し選んだ方がいいと思う……たぶん」
――それだけ?
たしかに、そう言われればそうなのかもしれないけれど、そう、あからさまに言われれば少し頭にも来る。あれでも、わたしにとっては初めてできた大切な友達だ。初対面のよく知らない人にそんなことを言われる筋合いはない。大体それを言うなら、武本君だって友達を選んだ方がいい。
「わたし……。そろそろ帰るね」
荷物をまとめて、武本君の部屋を出る。部屋を出る際、つい、悔しさのあまり言ってしまった。
「わたし、武本君とは友達になれそうにないな…… じゃあ」
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