第13話 マスターの嘘


笹木紗輝  マスターの嘘



 部活動なんてものをしていないにもかかわらず、わたしは夏休みに入ってからも、わざわざ学校近くまで出向くも、学校に行くわけでもなく例の喫茶店、リリスに立ち寄る日々を送っていた。その喫茶店が読書に適していたというのはひとつあるけれど、どちらかと言えばマスターに会いたいという気持ちの方が大きかった。寡黙で、大人の魅力を携えていると勝手な妄想を抱いては、一人で勝手に盛り上がっていた。


 その日も昼過ぎから夕方までリリスで読書をして過ごした。何人かのお客さんが入れ替わりで入ってきたが、夕方頃になるとお客さんはわたしを除いて誰もいなくなっていた。

 席を立ち、レジカウンターへと向かった。いつもはクールなはずのマスターがどことなくしおらしい。緊張しながら彼は言った。

「あ、あの…… 実は、お願いがあるんですが……」

「はい。なんでしょう、わたしでできることでしたら」

「じ、実はこれ…… なんですが……」

 マスターがレジカウンターの下から取り出したのはA4サイズの茶封筒だった。その中身におおよその察しが付くのは、わたしがそれと同じものを最近手にしたことがあるからだ。

「小説の原稿なのですが…… お客様はいつも読書をされているようなので…… その…… もし、よかったら、これの感想をもらえないだろうかと思いまして」

「小説の原稿……ですか。あの……もしかして、これ、マスターが書いたんですか?」

「い、いえ、そんな…… 実は、誰というのは言えませんが、私の知り合いの方が書いたものなんです。ライトノベル風に書かれているのですが、私は普段からライトノベルはあまり読んでいないのでどう判断していいかわからないんですよ。それにどうも、私からすると馴染みのない話がテーマなんですよね。青春もの、というか、学園ものというか…… それで、ぜひ、あなたのような歳の近い人に読んでもらった方がいいのではないかと思ったんですが……いかかでしょうか」

 マスターはなんだかんだと言い訳をしているが、その小説を書いたのがマスターだということぐらいはわたしにだってわかる。そして、出版されているわけでもない一、素人が書いた小説を誰かに読んでもらうということの恥ずかしさだってわかっているつもりだ。わたしだって過去に何作もの小説を書いたことがある。しかし、その話を読んだことがあるのはわたし自身と、数人の下読み以外には存在しない。

マスターが読書家であるということはすでに承知しているし、そのマスターが自ら執筆したということだって十分予想ができることだ。わたしは正直、その小説を読みたいと思った。マスターがどんなことを考え、どういう人間なのかが、そこには赤裸々に描かれている事だろう。その人物がどういう人間なのかということは、恋人として二人の世界をつくったり、家族として一つの生活をすることよりも、その人の書いた小説を読むことの方がよりわかるのではないだろうかとわたしは思っている。

「わたしでよければ……」

「あ、それと」マスターは付け加えるように言った。「あなたに感想を書いていただいても、それについてわたしは一切見ることなく作者の方に渡すようにします。そのほうが本音の感想が書きやすいでしょう? 厳しい批判でも甘んじて受けるつもりらしいですし、なるべく正直な感想を書いていただけると嬉しいです」

 マスターは目尻に皺をよせ、不器用にはにかんで封筒を渡してくれた。わたしは封筒を小脇に抱え、はねるようにして家路を急ぐ。


 正直。この話を読まされたわたしはどう反応していいのか複雑だった……

 その物語は一言でいえば学園ラブコメだった。学校近くの喫茶店で出会う、いつもひとりで寡黙に読書をしている少女がヒロインだ…… これは、どう考えてもわたしがモデルだとしか思えない……

 考え方のひとつとしては、ひそかに想いを寄せる喫茶店のマスターがひそかにわたしをモデルに小説を書いていた…… そう考えれば、まあ、それなりに色っぽい話ではあるかもしれない。それをわざわざわたしに読ませようとするくらいなのだから、これはある意味誘われていると考えてもよさそうなもではある。しかし、かといってそう簡単に喜んでいい話とも言い難い。

 そもそもこの小説、とても幼稚なのだ。とてもじゃないがあの渋い中年のマスターが書いたものとは思えないほどに考え方が幼稚で、文章も稚拙。まあ、それはそれで見方によれば力強く、直球的な表現だと思えば、見た目にそぐわないほどの若々しくエネルギッシュと言えなくもないかもしれない。しかし、やたらめったらにエロハプニングが起こる展開はライトノベルでは王道と言えば王道かもしれないが、そのハプニング自体がストーリー上なんの効果も生んでいないのであれば書く必要が無い。これをまだ、若い人が書いたというのなら将来性があると言えるかもしれないが、老成した中年の男性が書いたと思うと少々痛い。

正直、マスターに抱いていた密かな恋心は見事に砕け散ってしまった。わたしは原稿に赤ペンで添削を入れていく。そうすることでわたし自身の中にわずかにくすぶり続けようとする彼への想いを完全に消し去ることができた。翌日、わたしは再びリリスを訪れ、添削した原稿に感想を添えて封筒に収めたものをマスターに渡した。名残惜しいが、その日はコーヒーをいただくこともなく、すぐにリリスを立ち去った。そして、もう二度とこの店に来ることはないかもしれない。さすがにあそこまではっきりとした感想を書いたのではもう、マスターに合わせる顔がない。

家に帰り、ノートパソコンを開き、そこにメッセージが届いていることを確認した。わたしの送った小説新人賞の二次選考の結果が出たとの報告メールだった。こんなメールを送ってくれるくらいなら、いっそのことこのメールで選考結果を教えてくれればいいのに…… とは、全く思わない。ホームページにアクセスして、自らの目で自分のペンネームを捜すことこそが一つの楽しみでもあるのだ……

と、そんなことは言うまでもないことだが、自分の名前がそこにあると思っているからこそ言えることなのだ。

『坂浦峰子』の名前はなかった。

 今まで何度も一次選考を落選してきたわたしだったが、いままではいつも落選という結果を〝下読みとの相性が悪かった〟という言葉で自分自身を慰めてきた。しかし、二次選考落選という結果に対して、その言葉はもうつかえない。選考を勝ち抜くために必要なことは読者が面白いと思うとか、書店に並んで売れるかどうかとか、おそらくそういうことではない。むしろその方が気が楽なのかもしれない。書店に並ぶ本が売れるかどうかはその中身といよりも、タイトル名であったり、カバーイラストであったり、作者の知名度であったりだ。運がなかったという言葉で言い訳することだって出来ただろう。しかし、二次選考落選という事実は、おそらく途方もない数の作品を読み、より良い作品を見抜く目を養ったプロである編集者の目から見て、まっさきに落とされたということだ。この事実に対してもはやいいわけすることなどできない。

 今にして思えば、きのう書いたマスターの作品に対するものすごく辛口な批評。自分にあんなことを偉そうに言う資格なんてあっただろうかと考えると自己嫌悪に陥ってしまうが、まだ、言い訳する余地があるとすれば、わたしはまだ、十分すぎるほどに若いということだ。十五、六歳で新人賞をとってデビューする人だってたしかにいるが、しかしそれは極めてまれなケースだ。まだ十七歳になったばかりのわたしが、ましてやこんなに大きな賞を狙うなんておこがましいと言えばそうだともいえるだろう。

 しかし、出来るならばもっと上手に描けるようになりたい。では、どうすればいいのだろうか…… 考えるまでもない。自分にはまだ、いろいろと経験が足りないのだ。小説を書き、登場人物の心理描写や情景描写をするには自分はまだまだ、あまりにも経験不足だ。書を捨てよ、町に出よといったのは確か寺山修二だっただろうか。せっかくの青春時代、部屋にこもって読書ばかりしていたのでは、自らが小説を書くための経験を積めないのだ。幸いわたしには友達がいる。まったく書を読んでなどいないが、経験だけはわたしよりもはるかに積んでいるであろう友達が。

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