第10話 友人
木目模様の重い扉を開けて店内に入ると、右手のカウンターの向こうでマスターが相変わらずヒマそうにしている。左手に目を向けると、右奥のボックス席には眼鏡をかけた地味な女が一人で本を読んでいる。左手前の席には見るだけで暑苦しいリクルートスーツに身を包んだ渉がアイスコーヒー片手にストローですすりながらも、もう片手をあげてオレにあいさつをする。
「なんだ、お前、今日も面接帰りか?」
「まあ、お前こそよくもそんなラフな格好で…… 就活戦線真っ只中のこの時期によくもまあそんな余裕かましてくれるじゃねえか」
「余裕なんてねえよ。それより渉、今日はクールビズじゃねえのか? この間失敗してクールビズには懲りたってか」
オレは渉を半分バカにしたように笑いながら向かいの椅子に腰かける。
「失敗?」
いったい何のことを言っているのかわからないといった風に、眉間にしわを寄せて、少しだけ顔をかしげる。
「この間一緒に一次面接行ったとき、お前ひとりだけクールビズで失敗しだだろう?」
「ああ」と、無表情で嘆息し、「別にあれは失敗っていうわけでもないだろ? 現に一次面接は通ったわけだし」
「え?」
それは、少し意外な答えだった。かなり条件のいい会社だったわけだし、それなりにレベルの高い一次だったはずだ。完璧な受け答えをしたはずのオレだって落ちたのだ。ましてや渉など、どんな教科でさえもオレよりもいい評定をもらったためしのない、どちらかと言えば落ちこぼれと言われる類の学生だ。内定をいくつかもらっているとは言っていたが、どうせろくでもない会社の内定だろうとタカをくくっていた。まさかあの一流企業の一次を通過するとは思っていなかった。
「そう言うお前こそどうだったんだ? 一次面接、通ったのか?」
「あ……」
――正直。悔しさのあまりオレも通過したとうそぶこうかとも思った。しかし、そんなことを言って二次面接に一緒に行こうなどと言われると面倒になる。まあ、一緒に行くだけ行って、渉が面接中にどこか別の場所に行って面接を終わらせたと言えばどうにかならないこともないだろうが、そんなオレにとって何の得にもならない嘘をついてまで一日を無駄に過ごす意味なんてない。
「落ちたよ。オレは……」
悔しいが、正直にそう答えた。
「まあ、知ってたけどな」
「は?」
「は? じゃねえよ。お前、今俺に嘘ついて一次通ってたって嘘つこうかと迷っただろ?」
「し、しらねーよ」
「て、言うかさ、俺、今日そこの二次面接行ってきた帰りなんだわ。お前、そこにいなかったわけだし、しかも家でダラダラ過ごしていた様子だから一次で落ちてたんだってことは一目瞭然なわけだけどな。ほんとは昨日お前に連絡とって、もし通ってたんなら今日、一緒にこうって言おうと思ってたんだけど、もし落ちてたら気まずいかなって思って連絡取るのやめたんだわ。それ、まあ正解だったわけだけど……」
「渉こそ、ホント性格わるいよな。そうやって今日、こうやって二次面接の後にオレのところに訪ねてくるってんだから、気まずいもクソもないだろうよ」
「まあ、そういうなよ。俺としてもホントは今日の面接、別に行かなくってもよかったぐらいだし、そんな気が進まない面接をまじめに受けてたらなんかおかしくなってどっか遊びに行きたくなって、こうして訪ねてきたんだからよ」
「って、ちょっと待てよ。今日の二次面接、別に行かなくてもよかったっていったいどういうことだよ?」
「んあ? ああ、実はさ、昨日本命の内定もらっちゃってさ、だから俺の就活はこれで終了。だけどさ、一応二次面接来いって言われてんのに勝手にいかないなんて失礼だろ。だからさ、とりあえず今日のところは行ったけどさ、それってものすごくつまらないわけだよ。わかる?」
鼻を膨らませ、目を見開いて喋る渉のその顔は、完全に勝ち誇り、オレをバカにしているかのように見えた。
それにしても、一流企業と言っていいはずの二次面接に興味を無くすほど内定をくれたというその企業とはいったいどこのことなのか。聞きたくもないという気持ちがある反面、やはり聞きたい気持ちはおさえられなかった。
「出版社のK社の編集部だよ。どうだ? すごいだろ。東京の本社勤務だぜ」
――まさか。一流なんてレベルじゃない。なんで渉ごときがそんな内定がもらえるのか、まるで信じられない。どう考えたって渉が嘘を言っているようにしか聞こえない。
しかもよりによってオレが狙っている新人賞の出版社の編集部だと? それではオレが新人賞をとったとしても、相変わらず渉に気を遣いつづけなければならないではないか。
「嘘だろ?」
「ホントだよ。あ、そういえばお前ってたしか、けっこうな読書家だったよな。まさか友達が出版社の編集者様になるなんて思ってもいなかった? まあ、好きな作家の先生のサインくらいなら友達のよしみとしてもらってやらんでもないぜ」
「いいよ。別にそんなの……」
「っていうかさ、お前はどうなの? どっか内定もらえたのか」
「え、あ、ああ。まあ、一個二個くらいならな」
「へー。で、どこ?」
「え? えー、と、そのー」
「な、マジ? いまだゼロ? おいおい、いくらなんでもお前、高望みした会社ばかり狙いすぎなんじゃねえの? 少しは身の程わきまえた会社を受けろよな」
まるでその言い方では、オレがたいした人間ではないと言ってるみたいではないか。自分はK社の編集部を受けておいて、オレにはもっとレベルの低い会社を面接しろと言っているようなものだ。まあ事実、そう言いたいのだろうが、そこまで言われればオレだって腹ぐらい立つ。と、言うか、ずっと前から立ちっぱなしなわけなのだが。
大体にして、オレが面接を受けている会社のレベルが自分に合っていないということくらいは理解しているつもりだ。こちとら地方の無名な大学で、特別たいした成績でもないと来れば、就職に何ら有利に働くでもない。かといって親の金で大学に四年間も通わせていただいて、就職先が高卒と同じような職場というわけにもいかないだろう。どこかの偉い先生が『置かれた場所で咲きなさい』と言っているそうだが、底辺の人間が底辺でいつづけることを認めるのならば、いつかこの日本という国は何も生み出さず、腐敗と怠惰に満ちた国になるだろう。だからオレはいつでも上を目指す……と、意気込みだけは充分。しかしながら成果の一つ上がらない現状に、目の前の友人は底辺の人間にもかかわらず、オレより高い場所で花を咲かせてしまった。そして崖下の荒れた大地の上で至極の種子を無残に腐らせようとしているオレに憐みの言葉を投げかける。
「ああ、出来るもんなら俺のもらった内定、六つほどあるからどれか分けてやりたいよ」
さすがにその言葉にはキレそうになった……がキレたところでやはり負けを認める以外の何物でもない。だからオレは、せめてもの反撃として、あのことを口走ってしまった。
「それにしても、渉がK社の編集者とはな。これもなんかの因果かもしれない。実はオレさ、今年K社の小説新人賞に応募しているんだよ」
そんなことを言い出せば渉も少しは驚くかとも思ったが、彼は眉一つ動かしはしなかった。かわりに冷淡な口調で言った。
「ははん。お前の言いたいことはわかったよ。要するにあれだろ。編集部のコネでお前の作品を拾い上げて欲しいってことだろ?」
あきれたものだ。なにがなんでもおれより上に立たなければ気が済まないとでもい言うのだろうか。しかしそれにしても友人が編集部に配属されるってことはそういった拾い上げの可能性もあるのかと感心した。いや、しかしまさか新人編集者にそこまでの力があるとは思えない。それにあいにくオレはそこまでしてもらう必要もない。
「そんなこと誰が頼んだよ。それにオレの作品は今、順当に勝ち残ってるんだよ。たぶんこのまま受賞することになるだろうな」
「順当って、まだ一次選考終っただけだろ?」
――よく知っているな。さすがは編集者の卵だ。
「でもさ、オレが受賞した場合、渉はオレのことを〝先生〟って呼ぶんだぜ」
「……なるほど」そう言いながらも、渉はまだ少しオレのことをバカにしているように思えた。「じゃあ俺はK社の編集部でお前が来るのを待っていてやるよ」
「なに言ってんだよ。言っておくけど、今年の受賞作が書店に並ぶのが来年の2月なんだぜ。編集部で待っているのはオレの方だよ」
「ははははは。まあ、楽しみにしているよ。なんにせよあれだ。俺の内定と、お前の受賞を祝って、今日のところは派手に盛り上がろうぜ。今まで色々と我慢してきたことだしな、今日あたり発散するために一緒に風俗でも行こうぜ!」
静かな店内、突然前触れもなく渉が大きな声で口にした言葉〝風俗〟という言葉が静かな店内に響き渡る。驚いてあたりを見回すと、マスターにせよ、眼鏡の地味な女子高生にせよ、そのふたりともがオレたちの方を見つめている。
「おい渉」
オレのささやきに渉もようやく周りの視線に気づき、少しだけ声を潜めた。
「今夜あたり、一緒にどうだ?」
「……あいにくだけど、実はオレ、そういうのはちょっとな」
「はあ? なにお前童貞みたいなこと言ってんだよ。あ、もしかして本当に童貞なのか? そういやお前の浮いた話、聞いたことないよな?」
「ちがうよ、別にそういうわけじゃ……」
「じゃあ、どんな子なんだよ。お前の童貞をささげた相手って」
――まるで、ついさっきなじような会話をしたような記憶があるのは気のせいか? だが、同じ轍を踏むほどオレだって愚かではない。黙ってスマホを取り出し、フォトアルバムの中から一枚の画像データを呼び出す。放課後の教室。出身高校の制服を着た、まだ表情にあどけなさの残る、屈託のない笑顔の彼女と、少し無愛想なオレ。二人肩を並べて寄り添うように並んで立っている。何度見ても彼女に飽きることなど無いと思えるほどにきれいな顔立ちをしている。黒くて艶のある長い髪の毛が育ちの良さを表しているよう……に見える。
「ま、マジか。ありえないだろ。めっちゃかわいいじゃねえか! お前、マジでこんなかわいいことヤッたのか?」
写真を見た渉は少し興奮気味に言った。せっかくさっきまで声を殺していたというのに、再び大きな声を出したせいで隣の眼鏡女子高生に睨まれた。オレは黙ったまま、勝ち誇った表情をしていた。今日、はじめて渉に勝ったような気がした。
――嘘だった。オレは未だ童貞だった。キスどころか誰かと手をつないだことすらない。中学校の頃のフォークダンスでさえ、なぜか女子はオレと手をつなぐのを嫌がった。たぶん照れていたのだろう。
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