第7話 友達の始まり
武本誠人 友達の始まり
「この子でよかったのかな」
友人の鎌野良太が自慢のデジタル一眼レフのカメラを取り出し、手際よく操作をしながら一枚の画像を表示する。喫茶店リリスの近所の道路でぼくとあの、眼鏡の文学乙女とが肩を並べて歩いている姿だ。
「うん、これでいい」
「OK、まいどあり。後でまーちゃんのPCへデータを送っておくよ」
良太の趣味は言うまでもなく写真を撮ること。去年までは写真部として活動していたが、先輩写真部員は全員去年で卒業し、同好会に格下げとなった。まあ、同好会と言っても残った部員は良太ただ一人で、もはや同好会というよりただの趣味でやっているだけとしか言いようがない。しかし、我が校の写真部は伝統があり、自分の代でなくなってしまうことを良太はくやしい気持ちで耐え忍んでいるらしい。それというのも先輩から受け継がれる秘技〝嘘カップル写真〟のテクニックを継承させる相手がいないということだ。
〝カップル写真〟というのは、それほどもったいぶって言うほどのものでもない。赤の他人同士が通り過ぎる瞬間を激写し、その瞬間の写真だけで見ればまるで恋人同士に見えるというものだ。良太曰く、これがとても単純なことのようで難しいらしい。いろいろ説明をしてくれたこともあったが、カメラに疎いぼくには何のことだがさっぱり理解できなかった。
「まあ、とにかくその実力のほどを見せてくれ」
ぼくの提案を良太は二つ返事でOKしてくれた。本来ならそれなりの報酬をもらうところだが、友達わりということで半額で引き受けてくれるらしい。そんなことを言いながらも、本当は全員に半額で引き受けているのかもしれない。大体友達でもなければとても依頼しにくい内容だ。
先日計画通り、喫茶店リリスで眼鏡の文学乙女と出会った時、すぐさま良太に連絡を入れた。
文学乙女が先に会計を済ませてリリスを出た後、ぼくは追いかけるように会計を済ませ、駅へ
と向かって歩いていく彼女を良太と予定していたポジションあたりで後ろから速足で追い抜い
た。
写真は見事な出来栄えだった。たしかにこの写真を誰かにぼくの恋人だと言って見せれば、信じてしまうかもしれない。絶妙に肩を並べた瞬間の写真は仲睦まじそうに、ずっと前からそうして歩いてきたかのように見える。ぼくだけが妙に笑顔で、文学乙女が無愛想なことには文句は言えまい。そもそも彼女が笑顔でいる姿など、ぼくだって一度も見たことがない。
「それにしてもまーちゃん、変わった趣味してるね」
「そうか?」
「そうだよ。おれ、相手を間違ったのかと思ったよ。どうせ偽カップル写真を撮るんだよ。別にとびっきりの美人を相手に撮ることだって出来るのに、わざわざこんな地味な子なんて」
「そんなに地味かな」
「地味だよ」
反論したい気持ちがなきにしもあらずだ。彼女は眼鏡をとるととびきりの美人に変身する。そこに気付いていない良太は哀れだが、気付いていないというのなら教えてやらない方がいいだろう。ライバルは少ない方がいい。
「あとさ、まーちゃん」
「なんだ?」
「こんな写真も撮ったんだけど、」良太は再びカメラを操作してその他の写真を見せてくれた。「あの後、しばらく追跡調査をして撮っておいたんだ」
「マ、マジか、これ」
良太の撮った写真というのは、文学乙女のいくつかのスナップショット。隠し撮りとは思えないほどのクオリティーだ。中にはきわどいセクシーショットもあるが、ぼくがひときわ目を引いたのは、駅のホームでひとり電車を待つ彼女の姿。駅舎に忍び込んだのであろう子猫を抱きかかえる文学乙女は夏のそよ風にその黒髪をなびかせている。信じられないことに、彼女は猫に向かって微笑みかけているのだ。ぼくでさえいままで一度も見たことのない彼女の笑顔。
「今回はサービスだよ。どうだい? 少しはおれの実力を認める気になったかい?」
「ああ、たしかにな。良太、お前ってすごいよ。あ、でもごめん、今日は持ち合わせがないんだ。なあ、よかったら今日、うちに遊びに来ないか? ぼくの家、学校のすぐ近くなんだ」
ぼくはまだ、誰にも教えていない一人暮らしのアパートに良太を案内した。生まれて初めてできた友達だ。
「この部屋、ないもないけど、アダルトビデオだけは充実してるね」
「うるさいよ。高校生のひとり暮らしなんだ。そんなの当然だろ」
さすがは写真部員といったところか。部屋に入るなり鋭い観察眼で部屋を見て回る。
「どうでもいいけどさ、まーちゃん。アダルトビデオなんて所詮嘘の世界だよ。そんなのばっかり見てたらその世界で満足しちゃって、現実世界で恋愛が出来なくなっちゃうよ。そんなだとまーちゃん、いつまでたっても童貞のままだよ」
「うるさいよ。大体ぼくは童貞じゃない」
「嘘だね」
「嘘じゃないよ」
――嘘だった。童貞どころかキスだってしたことないし、手をつないだことだってない。
「ふーん」
「そう言う良太こそどうなんだよ。お前は童貞じゃないのかよ」
「童貞だよ。でも、まーちゃんとはちょっと具合が違う」
「どういうことだよ」
「だっておれはゲイだからね。女には興味がないんだ」
その言葉を聞いたとたん、背筋がゾッとした。ぼくの唯一の友達がゲイであり、その友達は今、この部屋にぼくと二人きりだ……
「う、うそだろ……」
「うん、うそだよ」
ケロリとした顔で嘘だと語り、ケラケラと笑う。まったく。とんでもない友達を持ったものだ。
それから数日後のある日。
「あれ? 武本君じゃね?」
学校帰りの道端の自動販売機の前でジュースを買おうとポケットから財布を取り出した時、後ろからぼくに声を掛けてきたのは同じクラスの佐伯君たち三人組。佐伯君は夏服の前のボタンを全開にして、品のない真っ赤なTシャツをあらわにした格好、さらに茶髪、ピアス、踵の踏みつぶされたスニーカーという教科書どおりの感じの悪い生徒だった。できるだけかかわりあいたくないと思うのは誰だって同じだろう。なるべくトラブルを避けるためぼくはすぐさま自販機の前から脇によけ、「あ、おさきにどうぞ」といった。「はは、わりいな」とつぶやいた佐伯君が自販機の前に立ち、ズボンのポケットに手を突っ込む。わざとらしくその手をポケットの中でもぞもぞと動かしながら言った。
「あー、やべーな。財布無くしちまったわー。でも、のどかわいたよなー」
一度空を見上げ、その視線をぼくの頭上からまっすぐおろしてくるように見てくる。周りの連れ合い二人も同じようにぼくを見る。
「あ、あ、で、でも、ぼ、ぼくもお金、持ってないんで……」
「なに? かねもってねーの?」
「え、あ、はい……」
「なんでかねもってねーやつが自販機の前に立ってたんだよ」
佐伯君はワントーン落とした声で言う。ぼくはそれに対してこう言ってやった。
「そういうアンタだって財布もってねーのに自販機の前に立ってただろうが!」
と、言うのは嘘で、事実は、
「あ、こ、これだけなら……」
と、財布の中から五百円硬貨を取り出し、それ以上は一円も持っていないとアピールするために財布を上下ひっくり返して見せる。佐伯君はぼくの手から五百円硬貨をすっと抜き取り、缶ジュースを三本買った。そして返って来たおつりを自分のポケットにいれた。
「いやあ、わりいな。また今度返してやるからな」
それだけ言って佐伯君たちは立ち去って行った。ジュースさえも買いそびれたぼくはひとりでトボトボと家路に向かう。こんなことは初めてでも何でもない。危険があるからこそ学校へは最低限の小銭しか持って行かないようにしているからこそ今回だって被害は最小限に抑えることができたと言っていい。
ぼくの住むアパートは実に学校から歩いて七、八分のところにある。だから帰り道には危険がいっぱいだ。家のすぐ近くまで帰って来たところでレスリング部の部員達がユニフォーム着用姿で校外のランニングを行っている。レスリングのユニフォームは露出が多く、しかも股間のあたりが若干、もっこりと膨らんでしまう仕様になっている。こんな格好で校外をランニングさせる部長はきっと変態に違いない…… と、いうのは単なる言い訳に過ぎない。先頭に立ってランニングをする部長、三年生の須藤大地先輩は、言うまでもなく運動神経は抜群で、県の大会でも表彰台に上るほどの実力者だ。にもかかわらず、そのルックスは中性的で美形だというのだから神様というものも不公平だ。校内にいるわずかな女子生徒のおよそ半数は彼のファンだというし、噂では他校にまでもそのファンは多いという。
『強くてイケメン』ただ、それだけですでにぼくの敵であると言って構わないだろう。しかもその周りにはレスリング部員という、腕っ節の強い連中がわんさかといる。決してかかわりあいになりたくはない。しかし、厄介なことにそのランニングの団体は声を張り上げながらぼくの住むアパートの前へと曲がっていく。もし、こんな奴らに自分の家の場所が知られたら、たまったものではないだろう。ぼくはわざと道を反対方向へと曲がる。そして行きつけの喫茶店リリスの前に到着する。
これも何かの導きと、コーヒーを飲みながら読書をするが、その日はあの、眼鏡の文学乙女は現れることはなかった。そして会計の時、財布を開いたぼくは頭が真っ白になった。財布の中には一円だって残ってやいないというのに、贅沢にも喫茶店にはいって¥400のコーヒーを飲んでしまうという始末だ。幸い、ぼくはこの店の常連で、マスターもぼくの顔を覚えてくれていたわけで、「また次回で構わない」と、事なきを得ることになった。
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