第5話  いい年をして、夢を持つということ

――夢。いい年をして夢を語る旧友を見て、一体いつまでなんだろうかと考えてみる。

いったいいつまで『夢を持っている』ことが褒められるのだろうか。若いころは一概に、夢を持ってそれに突き進んでいる方が美徳とされているのは言うまでもない。しかし、こうして四十を迎える今日この頃になって尚、「俺の将来の夢は」などと言い出せば、嘲笑の的でしかない。今現在がすでにその〝将来〟だということに気付いていない。まあ、まだ若かった頃でさえ、その将来の夢を自らの口から語れなかった僕に言えることではないのだが。


「どうせ夢をかなえた恭ちゃんにはわからんわ」

「夢をかなえた? 僕がかい?」

「自分の店を持った。好きな事を仕事にしてるんや。羨ましいで」

「こんなのは夢とは言わないよ。たしかに一つの夢はかなえたのかもしれない。でも、本当にやりたいことをやって店を経営できるほど簡単じゃないよ。時には信念にそぐわないことだってしなけりゃあならない」

「まあ、それをゆうてしまえば商業作家かてそうなんかもしれんけどな」

「たしかにね。特に純文学なんてまるで売れていないからな。芥川賞をとってもせいぜい一、二万部だそうだ。とてもじゃないが食っていけないな」

「そういや恭ちゃんは純文学派だったっけな。新人賞とるんも難しいくせにとったところでまるで生活できひん。小さな本屋じゃあ取り扱ってもないのがほとんどや」

「まあ、芸能人が書いたり話題性のある人が賞でもとらない限りね」

「最近じゃあ十代での受賞者ゆうのも珍しゅうのうなったからな」

「そんなこと言ってたら、四十を越えてしまった僕たちはどうすればいいんだよって話さ」

「まあ、その分おもろいはなし、あるいは売れる話を書けってことやな」

「〝おもしろい〟と〝売れる〟は〝あるいは〟でつなぐ言葉なのか?」

「〝あるいは〟でつなぐ言葉や。その二つが同じだとは限らん」

「でも、書かなきゃならないのはどちらでもないよ。おもしろくて、売れる話さ。その点、純文学はきついな。おもしろくても売れないのが現実だ」

「その売れない純文学を書いている偉い先生方はみんなこぞっていうてるで。ライトノベルなんて文学やない。漫画なんて文化やないってな。いくら大先生が立派な本を書いても売れへん世の中や。そんなんばっかり出版してたら出版社はすぐに潰れてまうからな」

「だからと言って純文学を無くしてしまってはいけないだろ」

「ああ、あれはまあ、いわゆる一つの学問やからな。赤字になるにもかかわらずああいった本を出版するために漫画やライトノベルが金を稼ぐんや。せやから純文学の先生方は漫画やライトノベルに感謝せなあかんはずや」

「悲しい話だな」

「まあ、純文学なんてゆうても一つのジャンルというより中身に対する大まかな目安にしか過ぎんからな。一般文芸とライトノベルの明確な区別なんてものだってないやん? それに最近はライト文芸なんてゆうさらに曖昧なものまで出てくる始末や。せやから別に純文学も偉そうにふんぞり返ってる必要なんてないねん。もっと気軽に下まで降りてきて、もっとみんなが読みやすくてわかりやすい純文学を書けんもんかいな」

「ライト純文学、的な?」

「ライト純文学? ええやん、それ。おもろい造語や。果たしてそんなんが可能かどうかはわからんけど」

「なんにせよ。新人賞をとってからの話だよ。とんだトラタヌだよ。それは」

「トラタヌ。なつかしいな、それ。昔恭ちゃんがよく使ってたな。とらぬ狸の皮算用のことやんな。後なんやったけ?」

「キツヨメとシュレネコ」

「そう、それや。狐の嫁入りとシュレディンガーの猫や。どの動物も人間を騙す生き物やん」

「なるほど、そういう分け方もあるのか。でも、嘘をつく生き物は人間だけだよ」

「『それはね、秘め事をすることだよ』ってやつか」

「太宰治だな。ところで、どうなんだ。新人賞を取る自信はあるのか?」

「どうやろな。何ていうか、張合いがないねん。昔は恭ちゃんと競い合って書いていた。お互いに見せ合いながら、影響を受けながら書いていた。恭ちゃんはいつでもわいよりワンランク上のものを書いていた。その恭ちゃんがある日、自分の力量じゃあ到底プロになんかなれないって言い出したんや。わいとしたってあきらめるしかなかったやろ」

「おいおい、僕のせいだって言うのか? 大体僕の方がうまかったなんて誰が言ったんだよ。学校で提出する作文コンクールだって、お前はいつも金賞や銀賞をとっていたけど、僕はいつも佳作だった」

「そうやったっけ。よくそんなん憶えてるなあ」

「負けたからね、悔しかったからこそよく覚えているんだよ」

「ははは。どっちもどっちやな。そんなことよりな、恭ちゃんも書いてみん? 小説。新人賞の締め切りは四月やから、まだあと三カ月近くある。今からでもまだ間に合うで」

「間に合わないさ。仕事が忙しい」

「暇そうに見えるけどな」

「余計なお世話だよ」

「……恭ちゃん、そろそろ決着をつけようや。二人で同じ新人賞に出せば、どちらがどこまで残るかではっきりと勝敗が付く」

「そんなことをして…… どうしたいんだよ」

「試したいんや。自分が小説家を目指していい人間かどうかを。ずっとライバルだと思っていた恭ちゃんがわいに勝つ様なら、わいかてきっぱり諦められるやろうし、恭ちゃんに勝つってことは自分もいまさらながら小説家を目指していいっていう許可が得られるような気がするんや。それに恭ちゃんに対する責任もできる。何としてもプロとしてデビューするまであきらめたらあかんていう覚悟だってできるやろうし」

「……」

「どうや?」

「……残念だけど」

「そうか」

「僕を買いかぶりすぎだよ。僕はそれほどたいしたやつじゃない」

「そんなことないて。少なくともわいにとっては……」


 福間に対して、小説は書かないと言ったのは嘘だった。

 本当は彼と話をしているうちに、心の奥底からじわじわと湧き出すものがあり、もう一度書きたいと思はじめていたのだ。なぜ、そのことを正直に福間に言わなかったのか、その理由は自分でもよくわからない。あるいは内心、どうせ福間には勝てないという自負があったからなのかもしれないし、福間自身、それを見抜いた上での発言だったのかもしれない。

 しかし、ともかく。一次選考通過者の中に自分の名前を発見した時、福間には感謝しなければならないと思った。そしていくら探しても、一選考通過者の名前の中に『福間隼人』の名前はどこにもなかった。

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