第3話  ナイス坂田、書く、語りき

坂田忍    ナイス坂田、書く、語りき



 『吝嗇家の薔薇  ナイス坂田』


 ウェブサイト上に散りばめられた複数の名前の中から自分のペンネームと作品名を見つけて、小さくガッツポーズをした。まあ、今年大賞を受賞するべき人物の名がそこにあるということは当然と言えば当然なことなのである。

 去年、応募作が一次選考で落選した時は、不運にも無能な下読みにあたってしまい、本来受賞すべきオレの作品が世に出なかったことは、出版社にとっても大きな損失だったに違いない。

 そう思っていたが、数か月後に改めて自分の作品を読み返した時に、あらためて駄作だと気づかされてしまった。しかし、今年は違う。入念に推敲を重ねられた作品はどこからどう切り取っても完璧としか言いようがない。一番の問題は一次選考だと思っていた。素人同然の人間の多い下読みでは、雑に読み飛ばして物語の真髄を読み切れない場合もあるかもしれないと不安ではあった。しかし、やはり完璧ともいえるオレの作品は、たとえどんな素人であろうが、面白いと思わないはずがなかった。もう、ここまでくれば受賞したと思って間違いない。

 


 ――桜咲く、春うららかな朝。まだ肌寒さをぬぐいきれない、冬と春とがまだ半分づつ分け合っている郊外の駅舎に、糊の利きすぎたリクルートスーツに身を包んだ若者たちが期待と不安とをちょうど半分づつあわせもって流れ込んでいく姿を、オレは駅前ロータリーのベンチに座っている。ベージュのカーディガンの下にはブルーのオックスフォードシャツ、それにデニムパンツというラフな格好で腕を組み、行きかう人々の表情の裏側にある日常と非日常とを想像しながら時間を過ごす。

そんなオレの目の前を、不自然に黒く染められた長い髪を一本に束ねたリクルートスーツの、それでいてひときわ目を引く女性が通り過ぎていく。そんな彼女の存在にオレは気づくが、当然声などかけない。ただじっと座っているだけだ。

 彼女はオレの目の前を通り過ぎるやいなや、いったん立ち止まり、まるでビデオを逆再生するかのように数歩後ずさり、オレの方に振り返ってこう言うのだ。

「もしかして坂田君?」

 ――誰だかわからない。

 まるでそんなことを言っているかのように顔を訝しげるが、少し間をおいて、

「松永さん?」

 と、尋ねる。彼女は黙ったまま一回だけ肯く。

「こんなところでなにしてるの? 仕事は……」と、言いかけ、しまった。余計なことを言ってしまったというような顔をする。

「ああ、気にしなくていいよ。別に就職できなかったとか、そういうわけでもないんだ。内定はいくつかもらったんだけど、その……担当編集が早く次回作を書け書けっていうもんだからさ、オレとしても今はそっちに集中するべきかなって思ったから内定は辞退したんだよ。それで今はこうして人間観察? まあ、どうしてもそういうことが必要な職業だから……」

「え……ちょっと待って、どういうこと? それってつまり……」

「あ、ああ、ごめん。そういや言ってなかったね。オレ、ちょっとした思い付きで小説書いて新人賞送ったらさ、なんかそれで受賞しちゃって…… あ、今書店でも受賞作が専用棚つくって大々的に販売してくれてるよ」

「え、そ、そうなの。すごいね、坂田君」

「い、いや、そうでもないさ。たまたま運が良かっただけだよ。あと、登場人物のモデルかな……あ……」

 オレはそこまで言いかけて、もう一度松永さんの方を見る。

「そう言えば、松永さんにもちゃんとお礼をしなきゃいけないのかな」

「お礼? アタシに? ……でもなんで? 別にアタシ、なにもしていないけど?」

「いや、あのさ…… こんなこと言うのも恥ずかしいんだけど、オレの書いた小説のヒロインのモデル。実は松永さんなんだ……」

「え、アタシ? ……え、でも、なんで?」

「なんでって…… 改めてそう言われると照れくさいけれど、あのころオレは松永さんのことが好きだったからね……」

「え…… そんな……」

「気づいてなかったんだ。それはそれでちょっとショックだけどね……」

「い、言ってくれればよかったのに…… そうすればお互い、あれからちがう未来があったはずなのに……」

「はは、まあ、でもこれはこれでよかったんだよ。おかげでオレは新人賞を受賞できたわけだし…… まあ、なんていうのかな。大事なのはこれからの未来であって、その…… 良ければ今度お礼に、いや、モデル料として食事をおごらせてもらえないかな?」

「うん、そういうことなら…… 断る理由もないわよね」

「ありがとう」

「いえいえ、こちらこそ。それじゃあアタシ、そろそろ仕事に行かないと。アタシは作家先生とは違って毎朝定時に出勤しないといけないから」

「ああ、じゃあまたあらためて」

「ええ、それじゃあまた」

 リクルートスーツの袖を少し引き、内側の手首につけられた時計を確認した松永さんは駆け足で駅舎に駆け込んでいく。オレはベンチに腰掛け、その後姿をずっと見つめている……



 そこで、妄想を終了し、明日に控えた就職の面接の準備を始める。

 本心から言えば、結局内定を辞退しなければならない結果になるとわかっているにもかかわらず、それでも面接に行かなければいけないというのが歯がゆい。まあ、現実として受賞が決定したというわけでなないし、親だって我が子が内定一つとらずに大学を卒業するとなるとやはり心配だろう。

 それに松永さんも今頃、やはりオレと同じくこの空の下のどこかで就職活動の準備をしている事であろう。

 松永由紀。彼女はオレの高校時代の同級生だ。クラスの中でもひときわ目を引く容姿端麗な彼女は少し派手で、いつも高校生にはふさわしくないと思えるようなブランド物を身につけていた。彼女の家柄はそれなりの良家で、そんな良家の娘にふさわしものを持たねばならないと両親が無理やりにも持たせているのだと彼女は言っていた。

 ――それは嘘だった。

 彼女はピアノのレッスンだの、お茶のお稽古だのと言っては友達との付き合いを断ることも多かったが、当時陰ながら彼女のことを見守っていたオレは真実を知っていた。

 彼女の家は良家どころか、どちらかと言えばガラの悪い、その筋の人たちとも付き合いのあるような家柄で、裕福どころかどちらかと言えば貧しい方の家柄だった。そんな彼女がピアノだお茶だの言って友達の目をくらましては細々とアルバイトをして、私生活も極限まで切り詰めながらブランド物を買いあさっていたのだ。オレはそんな彼女の真実を知った時、もっと好きになってしまったのだ。そしてその当時の彼女の姿を綴った小説。それが今回応募した『吝嗇家の薔薇』だった。

 オレ自身、現実世界の想い人を小説の中の登場人物にして、その中で自分と結ばれるしゃらくさい物語を書こうとするやつなんてクズだと思っている。にもかかわらず、気が付くといつもそんな物語ばかり書いてしまうのは、やはりそういった物語の方がキャラクターの考え方に親身になりやすく、リアリティーが生まれるからだろうと言い訳させていただく。


 翌日。夏真っ盛りだというにもかかわらず、黒くて重たいスーツに袖を通す。これのどこが夏用なんだと言いたくなる。世の中でクールビズという言葉が使われ出して久しいが、こうして真夏に就職活動をするオレ達にクールビズは許されない。中にはクールビズでの面接を許可している会社もあるが、実際どこまでやっていいのか、あるいはその言葉自体がこちらの態度を見るための罠なのではないかと勘繰ってしまい、やはりなるべくならリクルートスーツは手放せない。こんな嘘だらけに塗り固められて実質を顧みない日本の未来はやはり期待が持てそうにない。だからと言ってどうとなることではない。日本の社会では長いものには巻かれることが必須条件だ。

我慢して、待ち合わせの駅前に到着する。あたりを見まして、まだ来ていないと思い、近くの日陰を目指して歩く。

「おまたせ」

 うしろから声を掛けて、肩にぽんと手でたたかれる。振り返り、そこにいたのが友人の近藤渉だ。今日は二人でそろって同じ会社に面接に行く。見れば渉は長袖の白シャツ一枚、しかもノーネクタイでエリのボタンをひとつ開けている。

「おい、大丈夫なのかその恰好?」

「は? なに? これのこと?」

「そうだよ。お前、今日面接なのわかってる?」

「いや、別にかまわないだろ? 面接の説明書きにもクールビズOKって書いてあったぜ。クールビズってのは上着もネクタイもなしってことだぜ?」

「いや、だからってさ、それ真に受けてやるなんてどうなんだ?」

「気にしすぎだよ。それにさ、OKって書いてあるのにお前みたいにがっちりリクルートスーツ着こんでるなんてさ、かえって融通の利かないやつって思われないか?」

「そ、そうかな……」

「そうだよ」

 それだけ言って、渉はオレの前をすたすたと歩き始める。〝合理的〟がモットーの渉は時間を無駄にはしない。すぐさま面接会場の会社に向かって歩き始める。オレは黙って半歩後ろを歩く羽目になった。

「ところでさ、忍は内定、何個もらった?」

「え…… な、なんこって……」

「え? もしかしてまだひとつも?」

「わ、悪いかよ。それに……まだまだこれからだろ」

「そりゃさ、たしかにそうなんだけどな。とりあえず今のうちにひとつくらい確保しておかないとさ、あとになって切羽詰ってくるだろ。万が一に備えてとりあえず手堅いところを内定もらっといたほうが本命受けるときだってリラックスできるだろうさ」

「そう言うお前はどうなんだよ、内定」

「まあ、俺も言うほどでもないけどさ、とりあえずふたつほど確保はしている」

「なんだよ、余裕じゃねえかよ」

 呟いて、そのまま黙って歩く。

別に行きたくもない会社なんていくら内定もらったってしょうがない。本命とらなきゃ意味がないし、たとえ何社から内定もらっても働く会社は一社しかないんだ。なのに渉はそんな無駄で嘘の内定を取ったことで浮かれ気分になっている姿に対して、少しばかり哀れな気がしてくる。たいしてうらやましいなんて思わない。

いや、それは嘘だ。そもそもどの会社にだって就職したいなんてこれっぽっちも思っていない。本命は小説家になることだ。しかし、そのことを渉には言っていない。受賞してから報告して驚かせてやろうと思っている。だが、受賞作が発表される秋ごろには就職活動もひととおり落ち着いている頃だろう。それまで渉ひとりにいい顔されたのではたまったものではないし、親だって心配するだろう。そのためには無駄とはわかってはいても内定の一つや二つ、とっておく必要がある。


一次面接は地元にある支社のビルで行われる。東京に本社を構える一流企業、支社のビルと言えど立派なものだ。ちいさなビルながらも一棟すべてが関連会社のテナントで埋まっている。一階ロビーには地方ではなかなか出会えないレベルの美人OLが受付カウンターに座っている。大理石模様の床のタイルはピカピカで、まるで鏡のように通行人の姿を映している。思わずスカート姿の女性の足元を覗くが、さすがにそこまでの反射率ではないようだ。

面接会場となっている8階には、おそらく面接希望者であろう若者たちがひしめき合っていた。面接試験を受けるものは一目見ればわかる。夏にもかかわらず、皆、そろいもそろって暑苦しいリクルートスーツに身を包んでいる。

「ほら見ろ渉。お前みたいにクールビズで面接に来てるやつなんてほとんどいないぜ」

「いいんだよ。他人は他人、俺は俺だ」

 苦し紛れの言い訳にかけてやる言葉もない。

 グループでの面接、俺たちのグループ全員がリクルートスーツ着用だった。面接試験感は、

「暑いでしょう、上着は脱いでくださってけっこうですよ」

 と声を掛けてくれる。一同はそわそわとしながらそっと周りを見渡す。おそらく、誰かが脱ぐのなら自分も脱ごうと考えているのだろう。どいつもこいつも自分というものを持っていない。

「お気遣いありがとうございます。自分は、この格好のままで大丈夫です」

 オレのひと声が決め手となったようだ。そのグループで、もはや上着を脱ぐべきかどうかを迷っているやつはいなくなった。

 面接試験での常套句、志望動機を質問されたオレは「わたくしは……」から始まる常套句で、会社の概要から歴史、経営理念について語りながら完璧な応答をした。小説家を目指しているオレだ。資料を集め、読み漁り、データを整えるということに関しては身についた習慣だ。これでひとまず一次面接は通過したと考えて大丈夫だろう。

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