第5章

第1話 消去と後悔

 十二月十二日 午前二時三十五分


 望月のバーに来ている。


 カウンターの内側から、望月はクリスマスらしいラッピングが施されたギフトボックスを取り出した。深緑の包装紙に赤とゴールドのリボンがついたA4サイズの薄い箱だ。


「どうぞ」

「何これ?」

「クリスマスプレゼントだよ」

「わー! 嬉しい! ありがとうモッチー!」

「あはは、俺じゃないよ」

「えっ……誰からよ?」


 笑顔のまま何も答えない望月に促されて俺はラッピングを開けたが、箱に手紙が貼付してあった。それは洋封筒で、俺のフルネームが宛名として書いてある。


「あら、手紙があるんだね」

「ん……? この字、もしかして……」

「そうそう、笹倉さんだよ」

「えっ! 本当に!?」


 ――優衣ちゃんからのプレゼント! 嬉しい!


 俺は、クリスマスの朝に枕元のプレゼントを見つけた子供のようにはしゃぎながら箱を開けた。


「マフラー、かな?」

「マフラー! マフラー! 」

「あははっ! 松永さんってそういう顔するんだねー」


 俺はマフラーを取り出し、頬ずりをした。嬉しい。すごく嬉しい。


「あははっ! マジかよ!」

「だって! すっごい嬉しいもん!」


 マフラーを首に巻き、優衣香のぬくもりを感じながら手紙を読み始めると、望月はキッチンへ行った。



 ◇◇◇



 午前二時四十五分


 夜更け、葉梨は山野と捜査員用のマンションに戻るところだった。

 葉梨はポケットに手を入れ、指先に触れたものを取り出して山野に渡している。カイロを手渡された山野は葉梨を見上げ、笑顔で受け取った。その笑顔を見た葉梨は頬を緩めた。


 葉梨は隣にいる山野の肘にそっと触れると、山野は葉梨の方をちらっと見ただけで何も言わなかった。ただ黙って歩いているが、葉梨が口を開いた。


「まだ、松永さんのことが好きなの?」


 すると、それまで無言だった山野が足を止め、じっと葉梨の顔を見つめた。目をそらすことなく、ずっと。

 しばらくそうしていた山野だが、やがて首を横に振って、葉梨の顔を見上げて目を見て、『もう、忘れました』と、小さな声で言って、目を伏せた。

 再び歩き始めた山野の隣で葉梨は言う。


「じゃあ、俺にも、もう一度チャンスがあるかな」


 驚いた表情を見せる山野に葉梨は微笑んだ。

 怪しむような視線を向ける山野に向かって葉梨は口を開く。


「俺のことを好きになれそうもないのなら、言って欲しい」


 そう言って、葉梨は山野を見つめる。返事がないことから、また葉梨は言葉を続けた。


「山野。俺は松永さんみたいにイケメンじゃないし、無理かな?」

「そんなことありません……けど、あの時は……本当にすみませんでした」


 葉梨の話を聞いているうちに山野の目から涙が溢れ落ちた。


「えっ……いや、いいって。俺の方こそあの時は悪かった」


 葉梨は慌てて言った。

 しばらくして、ようやく落ち着いたらしい山野は、涙を拭きながら謝った。


「もう大丈夫?」


 葉梨の言葉に山野は小さく頷く。それから二人は黙ったまま歩き出した。

 少しして、ふと思い出したように山野が言う。


「聞きたいことがあるんですけど……」

「何?」

「どうして私のことを好きになったんですか? 私が葉梨さんに好かれる理由なんて思いつかないです」


 不思議そうな顔をしている山野に葉梨は微笑んだ。


「単純な理由だよ……山野は可愛いから。小さくて可愛いから。ダメかな、それじゃ」


 笑う葉梨の顔を見る山野の頬が緩んだ。

 それを見た葉梨は山野の腕を掴み、そのまま引き寄せると山野を抱きしめて、彼女の耳元で囁いた。


「俺じゃ、ダメかな……?」


 突然の葉梨の行動に驚いて、山野は彼の腕の中で身を固くしていたが、やがて身体の力を抜いていく。それを感じた葉梨は、さらに強く彼女を抱きしめた。


 葉梨がふと顔を上げると、十五メートル先に挙動不審な長身の男がいた。その男は自分たちに気づいたようで、目が合った。

 それは松永敬志だった。


 松永は二人を見ていたが、目を見開いて口元を両手で隠し、ゆっくり後退りしていった。

 その姿が見えなくなるまで、葉梨は山野を抱き寄せていた。



 ◇◇◇



 午前三時四分


 ――葉梨の女誑しっぷり、ヤバいな。熊なのに。


 チンパンジー須藤が言い出した、『ボクの考えた最強の作戦』を相澤と加藤と三人で聞かされた時、俺たちは膝から崩れ落ちそうになった。

 加藤は口を開けたものの、ぐっと堪えて何も言葉を発さなかった。多分、『バカなんですか』と言いかけたのだと思う。


 相澤は、『山野は松永さんがイケメンだから惚れたんですよね? 俺と葉梨じゃ無理ですよ、絶対に』と、そこにいなかった葉梨の悪口もついでに言っていた。

 須藤さんはそれに対して、『いいんだよ、自分に気がある男が二人いるって状態にして揺さぶれば』と言い、さらに『葉梨には加藤、お前から話しておけよ』と言ったから、俺は怖くて加藤を見られなかった。


 でも念のためちらっと加藤を見たが、表情を変えずに返事をしていた。俺はその時、ゴリラにも熊にも山野は靡かないだろうと、その時は思った。だがどうだ。さっき見た葉梨は山野を抱きしめていた。展開が早すぎてぼくはついていけない。


「あ、お疲れさまです、今戻りました」

「おかえりー」


 このタイミングでマンションに戻るのは葉梨と山野だと思ったが、本城が帰ってきた。ならあの二人は今何してるんだ。


 ――さすがにコトに及んでないよね、大丈夫だよね?


「あの山野の件ですけど、上手くいきますかね?」

「あー、あれな、大丈夫だよ、葉梨がやる。アイツは……葉梨は凄い、マジで」

「そうなんすか」


 そこに葉梨と山野の二人が戻ってきた。俺がバーの帰り道で小躍りしながら二人を見た場所と、このマンションの距離を考えると、ずいぶんと遅い戻りだ。まあ、いい。葉梨は与えられた任務をこなしたのだから。


 ――コトに及んだには早すぎるし。


 声を揃えて『戻りました』と言う二人に、俺と本城が応えると、葉梨は山野の肘に触れた。山野は葉梨を見上げ、思い出したように『コーヒーはお飲みになりますか』と聞いてきた。葉梨はちゃんと、そっちの教育も済ませたようだった。


 ――やだっ! そっちじゃない教育って何の教育よ!?


「ああ、ありがとう」

「俺もお願い、ありがとう」


 俺と本城がそう応えると、山野は口元を緩めて、葉梨を見上げた。山野を見る葉梨の笑顔が優しい。


 ――葉梨くん凄い! もう手懐けてる!


 二人を見ていた本城はそれを見て少しだけ眉根を寄せたが、それだけなのに、その顔はなかなかの迫力だった。さすが反社だなと思う。

 葉梨はコートを脱いだ山野に声をかけ、山野のコートを受け取り、そのコートをハンガーラックにかけた。だが自分のコートを脱いだ時にはすでに山野はキッチンに消えていて、それを見た葉梨は苦笑いしている。


 テーブルに座ろうとする葉梨に、俺も反社もほぼ同時に話しかけた。


「やべえな」

「すげえ……」

「はっ……?」


 俺らの言葉を聞いて、葉梨は困惑した顔をしていた。俺はそんな葉梨の様子を横目で見ながら、本城に話しかける。


「な、葉梨は凄えだろ?」

「んふっ……そうですね」

「……なんでしょうか?」


 そう言いながらも、葉梨はハンドサインを送ってきた。スマートフォンを取り出し、テキスト作成画面にすでに入力してあった文字を俺と本城に見せた。


「おっと……」

「えー」

「全部で……」


 そう言って言葉を止めた葉梨は、手のひらを見せてきた。


「あと、二?」


 そう言うと、葉梨は『イエス』のハンドサインをした。


 一気に組長メーターが上がる反社の本城と、頭を抱える俺、目を細める葉梨の三人は無言となった。

 ポットのお湯をカップに注ぐ音がする。

 それをトレーに乗せて、ミルクと砂糖も乗せて、キッチンから山野がこちらにやって来た。


 反社の前にコーヒーを置こうとする山野に、葉梨は順番が違う旨を窘めたが、俺は『いいよ、俺は女衒ぜげんだから末端だし』と言うと、きょとんとした顔をした山野に二人は笑った。


「いいよ、そのまま置きな。組長、構成員。で、女衒の俺の順でいいから」


 そう言うと、葉梨も反社も声を出して笑った。

 仕事を完璧にこなす葉梨は、本当に有能だと、心から関心した。



 ◇◇◇



 午後三時二十九分


 加藤奈緒は自宅にいた。

 須藤から『自宅で連続した睡眠を取れ』と命令され、三十六時間を与えられている。

 充分な睡眠を取った加藤は真夜中に目覚め、起き上がって常温のミネラルウォーターのペットボトルを取りにキッチンへ向かった。


 寝ている間にスマートフォンには様々な通知が来ていたが、メッセージアプリの通知を見て、アプリを開いた。

 新規メッセージは松永敬志と相澤裕典の二人からだった。


 松永からのメッセージがあることを見た加藤はそれを見ようとして人差し指を動かしたが、止めた。

 相澤のトーク画面を先に開いた。


『奈緒ちゃん、寝てる?』

『ちゃんと寝てね』


 それを見た加藤は口元を緩めた。

『ありがとう。ずっと寝てて、今起きた』

 そう、メッセージを返した。


 松永のメッセージを開くと、『ボイスレコーダーは全部で5個あると山野が葉梨に言った』とあった。

 思わず舌打ちした加藤は、松永に『了解です。殴っていいですか?』と送ると、すぐに返事があり、『暴力、ダメ、ゼッタイ!』の文字に加藤は吹き出した。


 またホーム画面に戻り、葉梨のトーク画面を見ると、加藤は画面から目線を外して、目を彷徨わせた。

 自分が送ったメッセージは既読がついているが、丸二日経った今でも葉梨から返事が来ていない。


 加藤はキーボードを画面に表示させたが、指が止まった。


 目を瞑り、小さく息を吐く。

 送ったメッセージを長押しし、送信取消しをタップしようとして、大きく溜め息を吐いた。

 アプリを閉じるとスマートフォンを傍らに置き、ミネラルウォーターを飲み始めた。


 口から溢れた水を手の甲で拭い、加藤は唇を噛み締めた。





 

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