第5話 お砂糖とミルク

 十二月十日 午前一時二十分


 深夜の中華街から外れた裏通りは人気もなくひっそりとしている。その中を歩いているのは葉梨将由と加藤奈緒だけ。時折通り過ぎる車のヘッドライトが二人の姿を浮かび上がらせる。


「加藤さん! 俺そんなの嫌ですよ!」

「仕方なくない?」

「もっと他に何かないんですか?」

「なら何がある? 対案出してよ」


 会議が終わり、須藤、松永、相澤、加藤の四人で外に出て、話しながら山野の件を話し合った結果、独身の葉梨と相澤を使い山野の気を引かせて加藤がそれをアシストする、という計画を立てた。


 その後、加藤と葉梨は、捜査員用のマンションがあるブロックを歩きながらその話を始めたが、二人は揉めている。


「対案出せないなら文句言わないでよ」

「すみません……」

「じゃあ、今日から早速始めてね」


 そう言って、加藤は先に歩いていった。

 葉梨はその姿に眉根を寄せて、小さく息を吐き、加藤の後を追いかけた。


「あの……加藤さん」

「なに?」

「加藤さんは嫌じゃないんですか?」


 そう葉梨に言われた加藤は立ち止まり、葉梨を見つめた。表情の変化は一切ないが、舌打ちをした。


「……あのさ、私に何を言わせたいの?」

「いや、あの……」

「私が可愛く甘えた声で、『私だって嫌だもん』とか言えばいいの? 言って欲しいの? ねえ」

「…………そうです」


 その言葉に眉根を寄せた加藤は右手を上げて、手の甲で葉梨の頬を叩こうとして、寸前のところで止めた。

 葉梨は叩かれそうになった瞬間に体勢を変えようとして、止めた。

 どちらが早かったのかはわからないが、葉梨は叩かれずに済んだ。


「バカなの?」


 不機嫌な顔になった加藤に葉梨は後退りしたが、加藤は無視して歩き始めた。引き結んだ唇は、微かに震えていた。



 ◇



 同時刻


 捜査員用のマンションにいるのは、松永敬志と相澤裕典と山野花緒里だが、山野はシャワーを浴びていて、その後は仮眠を取るためにリビングに入って来る予定はない。


 リビングにいる松永と相澤は、隣り合って座っているが、お互いに無言だった。

 松永が指や手、顔の向きでサインを相澤に送っているが、松永が眉根を寄せると相澤は肘で小突かれている。

 二人の手元にはスマートフォンがあり、メッセージアプリのトーク画面になっている。


『ちゃんと覚えてよ』


 松永がそうメッセージを送信すると、相澤は肘で小突かれた。

 その時、洗面所のドアが開く音がして、すぐに女性捜査員用の部屋のドアが開けられた。

 ドアが閉まると、玄関の鍵を開ける音がした。

 加藤と葉梨が帰ってきたようだ。

 リビングのドアを開けた二人は、松永と相澤の二人が逆の意味のハンドサインを送っていることに困惑した。

 それに気づいた松永は、相澤の頭を叩く。


「痛っ!」

「当たり前だ」


 松永は人差し指を唇にあて、スマートフォンを掲げ、加藤にメッセージアプリで用件を伝えた。


『ボイスレコーダーがある』


 それを見た加藤は、松永の目を見て、スマートフォンと葉梨を交互に指差した。


「うん、いいよ」


 松永の許可が出て、加藤はメッセージを葉梨に見せた。それを見た葉梨は頷いて、二人は席に着いた。

 対面で座る四人は、松永と加藤のスマートフォンでやり取りを始めた。


『とりあえず三個見つけた』

『動かしていない?』

『うん』

『仮眠室にはなかった。男の』

『どうしますか』

『どうしようかね』


 そこでメッセージのやり取りは中断し、それぞれが対応策を考え始めた。


『とりあえず一個テーブルに置いて、問い詰める?』

『それで他のを自分で申告させますか?』

『そうしよう』


「じゃ、そういうことで」


 松永がそう言うと、各々は『はい』と声に出した。



 ◇



 午前二時五十分


 葉梨は、ペットボトルの蓋を外しながら仮眠室に入った。寝ていると思っていた松永の姿はなく、ベッドの上には毛布だけが畳まれて置いてあった。


 ペットボトルを片手に持ちながら、もう片方の手でベッド脇に置いたバッグから、スマートフォンを取り出した。

 メッセージアプリのアイコンをタップして、加藤とのトーク画面を開いて、小さく息を吐いている。


 二人がデートした日、帰宅した加藤からメッセージが送られて葉梨はそれに返信したが、既読がついただけで返事はなかった。

 翌朝、葉梨は午前七時にメッセージを送ったが、それに既読がつかないまま葉梨が捜査員用のマンションに行くと、加藤は既にマンションにいた。

 それ以来、加藤からメッセージが届くこともなく、葉梨もメッセージを送っていない。


 葉梨は、スマートフォンを操作しながら、ペットボトルを飲んだ。


「なんだよ……」


 独り言を呟き、苦笑しながらペットボトルを床に置き、横になった。

 目を瞑ると、葉梨は眠りについた。


 そのスマートフォンに加藤からメッセージが届いたのは、葉梨が眠ってから一時間が経過した頃だった。



 ◇



 午前五時三十四分


 捜査員用のマンションのリビングには、松永と加藤がいた。テーブルにある、綺麗に折り畳まれたバスタオルを前にして、二人は話していた。

 葉梨と山野は仮眠中だが、山野がそろそろ身支度を終えてリビングに入って来る頃だ。


「女性はさ、メイクとか髪とか服とか、いろいろあって大変だよね」

「ふふふっ、そうですね」

「奈緒ちゃんさ、ゆっくり休んでよ」

「ありがとうございます……松永さんは大丈夫なんですか?」

「俺? ふふっ……大丈夫だよ」


 リビングのドアが開き、山野が挨拶をして入って来た。加藤は返事をし、山野を手招きして自分の隣に座らせた。

 松永は山野を見てから溜め息を吐き、椅子に浅く座り、椅子にもたれて右足を左足に乗せ、座った山野を睨みつけた。

 それを見た山野は怯え、横にいる加藤を見ると、加藤は優しく微笑んでいた。


「加藤、ほら」

「はい」


 加藤はテーブルに置かれたバスタオルを手に取った。バスタオルの下にあったものを見た山野は、下を向いてしまった。


「他にもあるんだろ? 全部出せよ」


 下を向いて、手を握りしめて震える山野に、加藤は優しく声をかけた。


「大丈夫だよ。ね、だから全部出して」


 山野の肩を抱き、優しく撫でながら加藤は言った。

 それを受け、山野は小さな声で返事をして、立ち上がろうとした時、葉梨がリビングのドアを開けた。

 大きな声で『寝坊しました! すみません!』と言って、葉梨は頭を下げた。


「いいよ、大丈夫だよ、問題ない」


 優しい声音の松永と、山野の背後からハンドサインを送る加藤をほとんど目を動かさずに見た葉梨は、『コーヒーを飲みますが、皆さんもいかがですか』と言った。

 加藤は山野にコーヒーを飲むか聞いて、加藤は葉梨に『全員お願いします』と言い、それを見た松永は眉根を寄せて、小さく息を吐いた。


「山野、お砂糖とミルクは入れる?」

「あ……はい。……一つづつで」

「ん、わかった」


 キッチンに行った葉梨を見ていた松永は、視線を動かして山野を睨んだ。


「葉梨がコーヒー淹れてる間に全部出せよ、俺と加藤だけの秘密にしといてやるから」


 加藤に促され、山野は席を立ち、松永と相澤がリビングで見つけた三個目のボイスレコーダーを手に取って席に戻った。


「二つ? これだけ?」

「山野、二つだけなのかな?」

「……はい」

「そうか。わかった。これは俺らだけの秘密にするから安心しろ」


 松永はそう言うと、ボイスレコーダー二つを並べて、またバスタオルを置いた。


 下を向いている山野の肩には、また加藤の腕が回され、優しく撫でながら、『大丈夫だからね』と優しく加藤は言うが、目は笑っていなかった。


 そこにコーヒーカップをトレーに乗せた葉梨がテーブルに来た。

 松永、加藤、山野の順にコーヒーと、各人が使う砂糖とミルクを置いていく。

 葉梨が席に着いたところで、松永は山野に声をかけた。


「山野、お前は野川里奈を知ってるだろ? アイツさ、俺がペットボトルの茶を飲んでるのに、『コーヒー入れますね!』って、よくわからないタイミングでコーヒー淹れるんだよ。で、砂糖も出してさ、『入れた方がいいです!』って言うのよ。十日経ってもみんなの好みの砂糖とミルクを覚えなくてさ、やっぱりアイツはポンコツだな、って思ったよ。ふふっ」

「んふふ……私もでしたね。『加藤さんはブラックが似合います!』って言って、ミルクだけで砂糖をくれませんでした」

「あー、俺もでしたね。『葉梨さんは大きいからお砂糖二本です!』って言われて、ミルクはくれませんでした」


 三人で山野の顔を見るが、表情に変化のない山野から目をそらし、コーヒーを飲み始めた。





 ― 第4章・了 ―

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