幕間 エレベーター

 十一月十二日 午後一時七分


 笹倉ささくら優衣香ゆいかは町沢署へ向けて神奈川県相模原市内の国道十六号線を運転しているが、信号待ちで着信に気づき、イヤホンのボタンを押して応答した。


「もしもし。笹倉ささくらです……ああ、こんにちは」


「……お気にならさずに」


「今、町沢署に向かってる所なんですよ。もうすぐ着きます」


間宮まみやさんも署に今いらっしゃるんですか?」


「……はい。今日は交通捜査課で送致そうち……検番けんばんを聞くだけなんですけど、それが終わったらでよろしければ」


「そうですね、わかりました。そうしましょう」


 電話を終えた笹倉優衣香は少し眉根を寄せて、小さく息を吐いた。



 ◇



 町沢署に着いた笹倉優衣香は五階にある交通捜査課へ行こうとして、一階エレベーターホールで呼出ボタンを押して待っている。

 そのエレベーターの横には廊下があり、その廊下から出てきた相澤あいざわ裕典ゆうすけが笹倉優衣香に気づいた。


 相澤裕典は笹倉優衣香に近寄り話しかけようとしたが、エレベーターに乗り込んだ笹倉優衣香は相澤裕典に気づかずエレベーターの扉は閉じられた。



 ◇◇◇



 久しぶりに見た笹倉さんは元気そうだったなと思いながら、俺はエレベーターの所在階数のランプを眺めていた。


 ――五階、か。交通捜査課かな。


 五階で用事が終わるのを待って話しかければいいかと考えて、俺もエレベーターの呼出ボタンを押す。

 エレベーターの階数表示を見上げていると、このタイミングでは聞きたくない声が耳に入った。


「相澤、なにやってんの。階段で行くよ」


 ――やだよ。松永さんじゃあるまいし。


 声の主に振り向くと、そこには派手な服装のギャルメイクの加藤かとう奈緒なおがいた。

 加藤は階段を指差していて、俺は顔をしかめたが、有無を言わせない顔の加藤に腕を叩かれ、階段で上がって行くハメになった。


「奈緒ちゃんさ、上下二階は階段でって言われてるけど、四階ならエレベーター使っていいんだよ?」

「四階なんて大した階数じゃないんだから階段で十分だよ」

「もー!」

「んふふ……」


 階段を上りながら会話をするが、体力のある加藤はさっさと駆け上がり、俺は息が上がる。

 加藤が四階に着き、廊下に出ようとした所で俺は呼び止めた。


「奈緒ちゃん、俺は刑事課に用があるから先に行っててよ」

「五階に行こうとしてたの?」

「そうだよ」

「ならエレベーター乗ればよかったのに」

「もー!!」

「んふふ……」


 俺は加藤が四階の会議室に入ったことを確認してから五階に向かった。

 五階に着いてそっと廊下を覗くと、交通捜査課の課員が廊下にあるベンチに笹倉さんと並んで座っていた。課員が台帳を膝に乗せてそれを指差している姿が見える。笹倉さんはそれを手帳に書き写していた。


 手帳を閉じた笹倉さんは手帳をカバンにしまい、課員も台帳を閉じて二人は立ち上がった。笹倉さんがお辞儀して一歩踏み出した所で俺は廊下に出る。

 何食わぬ顔ですれ違う交通捜査課員に挨拶をし、エレベーターホールに向かう笹倉さんに声をかけようとしたが、笹倉さんはエレベーターホールにいた誰かと話していることに気づいた。


 エレベーターホールをそっと覗くと、笹倉さんが話しているその男を見て、驚いた。

 二人は到着したエレベーターに一緒に乗り込んで行った。


 ――間宮さん、また笹倉さんと話してた。


 なぜ刑事課の間宮さんと笹倉さんは親しげに話しているのか。そんな疑問を抱きながら俺は、階段で急いで下りて行った。



 ◇



 笹倉さんの仕事は、保険の調査をしていると言っていた。病院や警察、検察や裁判所にも行くらしい。

 警察署には交通事故以外にも盗難事件に関わる調査もあって刑事課に行くこともあると言っていた。だから刑事課の間宮さんと懇意になることもあり得る。でも、捜査状況は絶対に話せないし、逆に刑事課は笹倉さんみたいな人を煙たがる。入室すら許さないはず。


 ――松永まつながさんは笹倉さんと間宮さんのことを知っているのかな。


 笹倉さんのマンションの近くに迎えに行った時の、松永さんの喜びに満ち溢れていた姿と昨夜の松永さんの電話の内容を考えると、笹倉さんはやっと松永さんの気持ちに応えたのだと思う。だから笹倉さんは大丈夫だと思うけど……おそらく、間宮さんは笹倉さんのことを狙ってる。間宮さんは合コンで好みのタイプど真ん中がいた時と同じ顔してるから。


 ――松永さんに教えた方がいいのかな。


 前に笹倉さんと間宮さんを署の駐車場で見かけた時、笹倉さんはパンフレットのようなものを間宮さんに見せていて、間宮さんはスマートフォンを持って、二人は楽しげに話していた。


 笹倉さんは、間宮さんが担当する事件の被害者なのかも知れない。でも、笹倉さんが被害者になったら松永さんが大騒ぎする。それで俺も知ることになるから違うと思う。

 ただ笹倉さんは仕事で間宮さんと関わっているだけなのかも知れない。でも警察から情報を得たいのなら、まず松永さんに言うだろうし、松永さんはそれを受けたら俺を使うと思う。でも俺は何も言われていないし、そもそも松永さんはいくら笹倉さんがそれを要求しても絶対に拒否する。

 松永さんの秘密保持は徹底しているし、逆に笹倉さんがそういう要求をしたら、それこそ百年の恋も冷めると思う。それくらい冷酷な時が、松永さんにはある。


 松永さんは女にモテるけど、特定の恋人がいたことがない。笹倉さんに恋人が出来ると自暴自棄になって他の女と関係を持つけど、それは体の関係だし。たまにトラブルになってるけど……。でも笹倉さんに恋人がいない間は、絶対に他の女に見向きもしない。絶対に。


 ――どうしよう。


 ここ数日の松永さんを見ていると、多分、伝えたら大変なことになると思う。

 てっきり俺は松永さんと笹倉さんは恋人関係で、何かしらの事情で結婚しないだけだと思っていた。でも、抱きしめたことはあってもそれ以上のことはしてないと聞いた時、驚いた。

 夜遅くに女性の部屋を訪れるのに、何もしたことがないなんて信じられなかった。


 十四歳の時に笹倉さんを好きになってから、ずっと想い続けていると聞かされた時は、ただただ驚いた。

 昨夜の電話を切った松永さんのあの喜びようは、その二十年を超える想いが伝わったのだろう。そうでないなら何なのか、逆に聞きたい。

 だから間宮さんのことを伝えたらどんな状況になるのか、そんなの想像したくない。


 ――見なかったことにしよう。


 俺は、何も見なかった。何も見ていない。

 俺は、笹倉さんと間宮さんの秘密を守る。それでいい。



 ◇



 一階に着くと、外に出た笹倉さんの後ろ姿が見えた。間宮さんはいない。一人で警察署を出て右へ歩き出した。駐車場は左なのに……コンビニに行くのかな。そう考えながら笹倉さんの後を追った。


 ――あ、信号が変わっちゃった。


 足止めされた俺は笹倉さんの後ろ姿を見ていると、署の裏手から現れた男に駆け寄っていた。間宮さんだった。間宮さんはデレた笑顔を笹倉さんに向けている。


「笹倉さん……なんで間宮さんと……」


 コンビニへ入って行く二人を眺めている俺は二人の追跡を止めて署に戻った。





 

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