BLUEblue (中編)

 4:

 深夜2300時の手前。

『お二人とも、配置につきましたか?』

 ソーサリーメテオのバックアップとフォローに位置するコードネーム〈フェアリィ〉から通信が入った。

〈フェアリィ〉の声は変換されて電子的な声をしているが、口調とトーンで分かる。女性の声だ。

『ああ、よく聞こえるぜ』

 セイバー2こと凉平が軽口で返す。

「こちらもスタンバイしている」

『お二人にとっては愚問でしたか』

『いいや、お前さんも元気で何よりだ』

『ありがとうございます』

 任務(ミッション)のスタート時刻までまだ少し時間があった。

 普通ならば無駄口の交信など控えるべきだったが、今回は注意するものは誰もいなかった。

『AZネームを持っている方々は緊急招集されていますから、及ばずながら私が指揮を取らせていただきます』

『ああ、頼むぜ』

「よろしく頼む」

『そういえば、ソーサリーメテオの情報部がハッキングされたんだってな』

 セイバー2凉平が〈フェアリィ〉と話す。

『ええ、正直焦りました。ですが誰がハッキングしてきたのかはすぐさま予想がついたので、リークされたポイントは早々に撤退させることが出来ました』

『……やっぱりハッキングしてきたのは』

『ええ、台駄須郎です。意図までは計りかねますが、おそらく彼しか出来ないでしょう』

 やはりか。

 そしてこの任務が入ってきた。

 ソーサリーメテオの情報が漏れ、それを即座に入手したMELL・K、その支部のマザーレコードボックスの奪取、そして壊滅。

『りょうへ、いえセイバー2さん。何か心当たりでも?』

『あるっちゃあ、あるな』

『聞いても大丈夫ですか? もしかすれば私たち情報部に対しても有力かもしれませんゆえ』

『いや、ただ一度壊滅させた天秤座への再襲撃のせいでその幹部のライブラがしばらく動けなくなって、ユーリ=マークスの引渡しが延びてしまった。情報部に使える情報ではないな』

『例のラストクロスが完成させた飛行可能人間ですか……』

〈フェアリィ〉の声が小さく響く。

『このままトンズラすれば良かったのによ……やっこさんとジョーカーはまだ何か企んでいるようだな。俺たちに喧嘩売るっつーことはそれなりに、な』

『大丈夫なんですか?』

『いつもどおりに、何とかするしかないさ』

『……そうですね』

『今はもう気にするな』

『はい』

 談義もそろそろ終わりだろう。

「アックス1より〈フェアリィ〉へ、そろそろ気を引き締めようか」

『そうですね。ではいきます。もうすでにこの建物の防犯機能は掌握してあります。セイバー2はBルートから進入。目標であるメル・ケーのマザーレコードを奪取して、さらに支部長の中瀬和一の抹殺(デリート)をしてください』

『セイバー2了解』

『アックス1はAルートへ、こちらは陽動です。正面から入るので敵を全てを引き受けてもらうことになります、よろしいですか?』

「アックス1了解」

『なお、目標達成時刻は2330時とします』

 最後に大きくひと息を吐き出し、それから気配を殺す。

 静かになった中。緊張の糸だけが引き絞られる。

『それではミッションスタート。御武運を』

 

 5:

 陽動。まったくその通りに堂々と建物の正面から入る。

 自動ドアが開いたのは、防犯機能を全て手中に収めている〈フェアリィ〉が開けたのだった。Aルートはこのまま〈フェアリィ〉が誘導してくれる。

 一階正面。真ん中に誰も居ない受付口、その左右にエレベーター。さらに外側に弧を描いた階段が左右に備わっている。

 〈フェアリィ〉からの通信。

『セイバー2無事進入。アックス1へ、防犯カメラより確認、左右の階段、向かって右に六人、左側に五人。合わせて十一名潜んでいます』

 〈フェアリィ〉からの伝達は無視し、小さく呟く。

『体内調整(キュア)』

 指令呪文(コマンドスペル)を唱えると、黒いコンバットスーツに収まった自分の筋肉組織が膨張し始めた。

 そして、ゆっくりと数歩。歩く。

 コツ……コツ……コツ……

 十分に気配をたたせた後で、後は狙ってくるのを待つ。

 ――来る!

 その直感の後、筋力を最大限にまで増強させた足腰で高く飛び上がる。

 一瞬前まで居た場所には三点バーストの弾丸が飛び跳ねた。

 二階分の高さの天井まで飛び上がり、体を半回転させて天井に着地。さらに跳躍。

 壁、階段の手すり、受付口の机。強化された足腰でフロア全体を飛び回る。

 焦った何人かがめったやたらに発砲するが、こちらのスピードに追いつけず、かする事もなかった。

「ふっ」

 そして正面右側の階段。六人一塊になっている敵の集団の背後に降り立つ。

 六人全員が持っていた銃器ごと振り向くがもう遅い。

 手に持っていた大崑崙製の強化サブマシンガンでひと薙ぎに撃ち込む。

 自分の装備は大型のナイフに類するククリナイフ以外全て大崑崙製の銃器を使っている。やはり兵器武器の研究を行っているだけに、表社会で使われる銃器とはひと味もふた味も違った。この強化サブマシンガンも、一般的なサブマシンガンより弾倉が70%ほど増量しており、射撃音とその大きな反動さえ克服できれば大きな攻撃力となる。

 大崑崙製の武器はたまに試作品なども、シュウジのツテ……クジンという男から受け取ることもある。おかげで手に持っている銃器は全て大崑崙製の高級な武器で備えることが出来た。

「う、うぅ……」

 幾人かがまだ生きており、倒れたまま苦悶の声を上げている。

 すぐさまハンドガンを取り出し、その数人の頭部に弾丸を撃ち込む。

 六人全員が絶命した様子を確認し、また高く跳躍する。

 今度は対面の階段に潜んでいる五人に向かって一直線に飛び込む。すばやくサブマシンガンから後ろ腰にマウントしていた短銃身のショットガンを持ち替え、

 ドンドンドンッ!

 ショットガンの三点バーストを五人の集団に向かってばら撒いた。

 これも大崑崙製であり、殺傷能力としては致命傷をはるかに超えるダメージを与えられる。しかしこの場合は中距離に位置する相手へ広範囲に、二百発近くの小さい弾丸をばら撒く……弾幕として使用できた。当然、それ相応の反動が腕に返ってくるが、体内調整(キュア)で強化された肉体ならば何の問題もなかった。

 誠一郎のような超人的な肉体を持つからこそ扱える銃器の数々。

 階段に降り立つと、サブマシンガンで慌てふためいている五人に向かって弾丸をばら撒いた。そして先ほどと同じように、虫の息すら許さぬ躊躇のなさで全員が絶命するまでハンドガンの弾丸を叩き込んだ。

「アックス1より〈フェアリィ〉へ、敵を全て殲滅」

『防犯カメラより殲滅を確認。次は左側のエレベーターを使って建物の中腹階層へ向かってください、そこに次の敵が配置されています』

「アックス1了解」

 

 階段から降りると、エレベーターの入り口はすでに開いていた。

『アックス1へ、そのエレベーターは建物の下半分しか行けません。そしてこのエレベーターの最上部から、さらに最上階までいけるエレベーターに乗り換えてください。ただしそこには敵が一人と、さらにラストクロス製かと思われる生物兵器、中型のハイドッグスが5体、配置されています』

「アックス1了解した」

『なお、セイバー2は無事にBルートを通り先に最上階へ向かっています』

「わかった」

 エレベーターの中に入ると、自動的に扉が閉まり、静かな駆動音を立てて上昇し始めた。

 ハイドッグス――ラストクロスがそのバイオ技術で作り出した犬型の生物兵器。犬種と呼べばいいのか、その種類も多く、小型犬にカモフラージュしたものもあれば、大型犬を熊ほどまでに巨大化させたものもある。

 それが一気に5体。

 先ほどの銃器を持った十一人の敵に比べれば、ハイドッグスのほうがはるかに強い。

 この装備でいけるか。

 発射数と火力が一般より向上しているサブマシンガン。攻撃力がはるかにオーバーキルの領域にあるショットガン。それとハンドガン2丁にククリナイフ。

 それから自身の治癒能力と筋力増強状態。

 頭の中で戦闘パターンをいくつか考えてみるが、結局は裏社会の戦いの中。常識的な手段など通じない。

 とどのつまりはやり直しの聞かない出たとこ勝負。

 とりあえず三連射できるショットガンを持って、エレベーターの扉に向けて腰だめに構えた。

 チン、と音が鳴ってエレベータが止まる。

 そして扉がゆっくりと開いた。

 ガウウウウウウウ! ドンドンドン!

 エレベータの扉が開いた瞬間に飛び込んできたハイドックスの一体。

 飛び込んできたと同時にショットガンの三連射を浴びせる。ハイドッグスは至近距離から強力なショットガンを浴びせられ、一瞬で頭から上半身までを粉々にされる。

 ドンドンドン! リロード ドンドンドン! リロード ドンドンドン! 

 ひたすらに大崑崙製のショットガンの弾をばら撒く。その全ての弾を撃ち尽くして。

 目の前にいる四体のハイドッグスが立ち上がった。

 黒い猟犬の姿だが、異常なまでに筋肉が盛り上がった体格をしているハイドッグス。

 そして何より、浴びせられた散弾銃が肉体からぽろぽろと落ちていた。ハイドッグスには限らない、ラストクロスのバイオ技術の一つ、高速再生による回復。

 そのハイドッグスを操っている男は正面、一番奥で次の上階へ向かうエレベーターの扉の前にいた。

 右腕につけている手甲のような電子機械はハイドッグスを操る操作機。

「…………」

 結局一番強力なショットガン一丁で倒せたのは一体だけ。

 残りはサブマシンガンとハンドガン二丁とククリナイフ。

 無理だな。

 ハイドッグスの殲滅はすっぱりと諦めた。任務目的は陽動だが、全ての相手を駆逐しなければならないということではない。

 銃器ではもう戦えない、増強された筋肉でも倒せないだろう。逃げる事もできない。

 ならば残された手段は一つ。

 エレベーターの床に両手をついて、腰を上げる。陸上競技で使われるクラウチングスタートの姿勢だった。

 残るは――スピード!

 筋肉増強された足腰へ眼いっぱい力を溜め込んでから、低い姿勢を維持して飛び出す。

 目の前にいるハイドッグスの2体が大口を開けて飛び掛ってきた。

 狙っているのはおそらく右肩と左腕。

 急速に接近してくる2体のハイドッグスに対し、体をひねって回転させる。

 ハイドッグス2体は狙った箇所、その牙を空ぶらせた。

 そしてそのまま二体のハイドッグスとすれ違う。

 さらに半回転して両手両足を地面に、這い蹲るようにして着地。

 まだだ!

 瞬時に体中の筋肉に力を込め、左右からちょうど真ん中にいる自分の首を狙って二体のハイドッグスが飛び掛ってきていた。

「ふっ!」

 力を込めた息を吹いて、二体のハイドッグスの間にある隙間、今もスローモーションで扉が閉まるかのように狭くなっていく隙間を狙って自分の体を投げ出す。

 両側にハイドッグスの毛並みと体温を感じながら、着地。

 合計四体のハイドッグスの攻撃をかわして歩を進めた。

 次はハイドッグスを操っている男。低い姿勢を維持したまま、男に向かって肉薄する。「はっ!」

 左足にくくりつけられていたククリナイフを抜き出し、そのまま男の右肘を一撃で両断する。

「あああああああ! 腕がああああああっ!」

 悲鳴を上げる男を無視し、宙へ舞い上がった腕を飛び上がってつかみ取る。同時に、チンと鳴って上階へ向かうエレベータが開いた。

 男から腕ごと奪い取ったハイドッグスを操る操作機を持ったまま扉の開いたエレベーターへ転がるように入る。

 この操作機は、ハイドッグスへ敵と味方を仕分ける機能のほかに、この手甲状の操作機

 を持つものには攻撃を仕掛けない指令を発する周波数が発生している、言わば犬笛のような機能。

 つまりこれをもっている以上ハイドッグスに襲われることは無い。

 逆に――

「あああ、くるな! くるなあああ! あっちへ行け!」

 エレベーターのドアがゆっくりとしまっていく。

 グアアアアアアアアアア!

 がちぼきぐちゃぐちゃがりがりぐちゃりごりがり

 エレベーターが完全に閉まって、耳障りな音が遠くなった。

 ふう。とため息をつく。

 すると、〈フェアリィ〉から通信が入った。

『フェアリィよりアックス1へ、セイバー2がマザーレコードの奪取に苦戦しています。ここの支部長、中瀬和一がマザーレコードを機材から抜き取り、そのまま逃走しました。なのでこのまま最上階まで向かうことになります、セイバー2と合流してください』

「アックス1、了解した」

 エレベーターが動き出した。

 座り込んだままで、手に持っていたハイドッグスを操っていた男の腕を床へ放り投げた。

 任務ももう架橋である。

「…………」

 静かなエレベーターの駆動音の中で、ふとある少女の声が聞こえた気がした。


優しいんだな。誠一郎は。


「優しい……」

 ポツリと呟く。

「この俺が……、優しい……か」

 ふう、とため息をついて、顔を覆っている幾何学模様の彫りが装飾されている仮面をはめ直した。


 6:

 屋上に到着すると、とても奇妙な光景が起こっていた。

 こちらに気づいたここの支部長、中瀬和一が必死な怒鳴り声を上げる。

「お前も来るな! 動くな! このマザーレコードが目当てなんだろ! 近づけばこれを壊すぞ!」

 セイバー2こと凉平は、銃口を中瀬へ向けたまま、硬直したかのように動かないでいた。

 まず一番初めに思った事は、


 何をしている? 何故早くやらないのか、セイバー2。


 だった。

 傍目ではただの目標の奪い合いであったが、それは見た目だけ。

 セイバー2凉平は銃口を中瀬に向けつつも、実は光の能力で中瀬の後頭部の後ろ付近に小さな光弾を浮かばせていた。

 光源はぎりぎり見えるか見えないかぐらいに抑えてあるため、中瀬はまったく気がついていない。後はセイバー2の凉平が、その中瀬の背後にある光弾で後頭部を打ち抜けば終わりだ。

 なのに――

 セイバー2凉平はこう着状態を維持したまま何のアクションも起こさなかった。

 何故だ?

 中瀬ではなく凉平を凝視するほど今の状態を観察する。

 ――殺気が無い。

 相手を倒す、相手を仕留めるという意気が、彼の気配からまったく見られない。

 何をしているんだ?

 理解ができない。この場この状況で、何故彼はこんな状態を維持しているのか。

 この中瀬を殺したくない、または殺せない理由があるのか?

 いや違う。そんな理由はどこにも無い。

 ならば何故、この男に何が起こっているのだろうか。

 ――まさか。

 ありえないひらめきが、頭の中で浮かんだ。

 凉平は能力を使うことを躊躇している。発動させた呪文で中瀬を殺せて、さらにマザーレコードに命中して破壊してしまうかもしれない。

 今の自分の能力、その扱いに戸惑いを胸のうちに潜めている。

 ソーサリーメテオの最強の炎の能力者、フレイム=A(エース)=ブレイクの直属の部下。部隊名(チーム)セイバーのセイバー2、鳥羽凉平。

 そんな男が、自分の能力の扱いに戸惑いを持っている。

 ありえない事だが、この状況で一番納得できる理由はそれしかなかった。

 そういえば、セイバー2はこちらの陽動で手薄になっているルートを通ってマザーレコードを奪取する手はずだった。なのに何の力も無い中瀬を相手にしてマザーレコードの奪取に失敗し今この状況下にある。

 おかしい。

 こちらの陽動の裏で一体何があった?

 何故彼は失敗したのか?

 それはこちらの知る由も無い、だがセイバー2凉平は明らかに不調、というべきか様子がおかしかった。

 彼の中で、一体何が起こっているというのか?

「来るなよ! 絶対に近づくな! 壊すぞ!」

 必死に訴えかける中瀬和一。

 何をしているセイバー2.早く撃て。

 焦れる心を収めていると、

 

 ばさり……ばさり……ばさり……


 そんな羽音がして、上空から茜色が降ってきた。

 べちゃりべちゃりべちゃべちゃり

「うががががががああああああ!」

 訂正、羽音と共に火炎弾が中瀬和一を狙って降りかかり、粘液のような音を立てて中瀬和一と、マザーレコードを炎で包んだ。

 可燃性の粘液。それを弾として吐き出す技術。これはラストクロスの――

 セイバー2と共に火炎弾が飛んできた方向を見る。

 そこには、黒いカラスが一匹、給水タンクの上に留まっていた。

 漆黒の巨大な翼。異常に長い両腕。

 足は完璧に鳥の骨格をしていた。

 黒い雑草のようにはやした髪に、顔の前面は巨大なくちばしを模した仮面を付けた。

 ――これが、ジョーカー!

 一匹の、巨大なカラス。

 それが大きくのけぞり、そしてくちばしの仮面から一気に吠えた。

 カアアアアアアアアアアアアアアアア――

 バチッ! バチバチッ! バチッ!

 炎の中で、さらにマザーレコードが火花を散らす。

 これは、マイクロウェーブ!

 電子レンジなどで使われる電磁波。こんなものまで内蔵しているのか。

 ラストクロスのファイアマンという、クラスチェンジ系統の構成員が両腕に内蔵して使う粘液状の火炎弾に、マイクロウェーブと言う電磁波。

 そして飛行能力。

 間違いない。ユーリ=マークスという飛行可能人間の完成形の裏で、台駄須郎が作っていたもう一体の飛行可能人間試験体。

 こいつが、ジョーカーだ。

 中瀬和一は原形もとどめないほど丸焦げになって絶命し、マザーレコードも破壊された。

 それを満足そうに眺めたジョーカーは、今度はこちらに顔を向ける。

 カァ! カアアアアアアアアアッ!

 マイクロウェーブが来ると一瞬身構えたが、ただの威嚇の声のようだった。

 そして巨大なカラス人間ジョーカーは、ビルの屋上から跳躍し、黒い翼を広げて飛び去って行った。

 唖然。

 突然の襲来に、そうするしかなかった。


「セイバー2より〈フェアリィ〉へ、中瀬和一は死亡。そしてマザーレコードは破壊された。横槍に例の飛行可能人間ジョーカーと思わしき生物兵器の乱入によって任務は失敗」

『〈フェアリィ〉よりセイバー2、アックス1へ。了解しました。しかし壊れたマザーレコードにはまだ取り出せるデータがあるかもしれません。念のため回収して持ち帰ってください』

「セイバー2了解。俺が持って帰るわ」

『よろしくお願いします』

「…………」

 まず、整理しなければならない。

 セイバー2の不調。これは自身も自覚していた。わかっていなければ発動に戸惑うことすらもなかったはずだ。これは凉平自身も分かっている。ならば追求は野暮だろう。話し合って解決できるようなことではない。彼の中で何かしらの精神に問題を抱えている。そんなことをここで話すような事ではない。

 おそらく、フレイム=A(エース)=ブレイクも承知の範囲だろう。

 ならば次は。

「あれがジョーカーか」

 セイバー2凉平に問いかけると、あっさりと返答してきた。

「だろうな、ってあっちいあちあち熱いあっつい!」

 人間の子供ほどもある大きさのマザーレコード。持ち上げた凉平が慌ててマザーレコードをごとんと落とす。

「何故、やつは現れたと思う?」

「あん? そりゃあこのマザーレコードに、台駄須郎とジョーカー、さらにはユーリマークス……それらの件の情報が一緒に入っていたからだろうな」

 憶測としては妥当な所か。

「ならば、もうこれでやつらは姿をくらまして消えるか……」

 その自分の呟きに、凉平が否定してきた。

「いいや。たぶんだが、俺たちへの宣戦布告も兼ねてるんだと思うぜ」

 なに?

「ヤツがまた俺たちの前に現れるのか?」

「たぶんだがな、正確にはユーリの完全排除だ」

「ユーリ=マークスはもう二度と飛べなくなった。ここで完全撤退をして足跡を消すのが定石だろう?」

 何故そこまでする必要がある? 飛行可能人間は完成し、ラストクロスで今後量産されるであろう。ユーリ=マークス一人を殺した所でなんになると言うのだ?

「うーん……」

 凉平がどう言ったらいいのか、覆面の上から頭を掻いて言葉を選ぶ。

「……私怨。なんだろうよ」

「私怨? 恨みだと?」

「ああ、そうだ」

 理解できない。

 自分たちが周囲から姿を消すのに十分かつ必要最低限の行動をしたというのに、まだ飽き足らず、自分たちは去らずにリスクを犯すと言うのか? しかも私怨? 非合理にも程がある。

「ありえない」

 きっぱりと言ったが、凉平はこっちの声を軽く受け流して言い返してきた。

「そもそも、ユーリを初めて襲撃した所からおかしいんだ。何故もう一つの完成した飛行可能人間を襲撃する必要がある? そんなものほったらかして、さっさとトンズラこいてりゃ良かったわけだ。いくら成功試験体のユーリを潰したところで、その実験結果と生産能力が全て無くなるわけじゃない。十分にデータも実験も取れた成功試験体が一人死ぬだけだ。今後、空を飛ぶラストクロスの構成員が現れるのは絶対に揺るがない」

「…………」

「だからこの状況で一番筋が通りそうな推論は私怨なんだ。考えても見ろ、自分と同じように作られ成功し、さらに改良も加えられた姿になって……だが脚光を帯びるのはユーリのほう、ジョーカーはこのまま廃棄されるのを待つだけ。……どれだけの絶望感だったんだろうな? だから……憎いんだ。ユーリの存在そのものが許せないくらいに、完全に消滅させたいんだ、ジョーカーの、自身の中から」

「ならば何故こんな非合理的な事を台駄須郎は野放しにしている? 開発者ならば自分の逃げ足も危うい事を野放しには出来ないはずだ」

「実験だろ? たぶん、あのジョーカーのほうはまだ実験中なんだろうよ」

「なに?」

「ユーリには出来なかった戦闘用飛行可能人間の戦闘能力実験、ってとこか。俺たちはその実験相手に選ばれた。ヤツは、ジョーカーは必ずユーリを狙ってやってくる。そして俺たちと戦わせて、台駄須郎はジョーカーを使い捨てるんだ。使い捨てるわけだから必要な情報を影で探って、十分に得られたら、自分だけ完全に行方をくらますんだろうな」

「…………」

 ひょっとしてこの男、初めからこうなる場合の事も考えに入れていたのか? そんな的確な推論と眼力を持ちながら、なぜ能力を使う事を惑ったのか……。

 いや、より広い視野と深い推論を持てるのならば、自分の能力不全を加味して戸惑うのも当たり前かもしれない。

「どちらが正しくて悪くて、どちらがより可哀想かどうかなんて関係ないんだよな……俺たちはもうユーリの側についていて、あのジョーカーに狙われてしまった。だから戦うしかない」

「…………そうか」

 もうこれ以上、何も聞く事も話すことも無い。絶え間ない風が吹く屋上で、セイバー2凉平は十分に冷めたマザーレコードの残骸を両手で抱え持った。

 自分の中にあるわだかまりは少々残っているが、

 それだけは完全に納得できた。

 どうやら自分はこのセイバー2、凉平の相棒役は務まらない。

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