Runaway・D (中編)
3:
『シンファシュウジ様観察日記』
今日もまた、決闘闘技で対戦相手の日本の拳法家。忍者と呼ばれているらしいのですが。彰吾と言う人にぼろぼろにされて、シンファ様は帰って来ました。シンファ様は、それでも「俺は負けていない」と不屈の精神で挑み続けています。
今はまだ、大怪我をなされていませんが、いつそうなってしまわれるかと思うと、やはり不安です。シンファ様の才覚を疑うつもりではありませんが。
最近の事は、シンファ様が所属なさっている所の情報が制限されているため、その事情で書き留められない事があります。
最近、シンファ様に新しいお友達が出来ました。
ちょっと『変わった』男の子です。緑の目が可愛い年下の男の子。
傷ついて落ち込んでいるその子を、シンファ様は応援なさり、くじけてしまった心と目標を取り戻させるために、毎日一緒に特訓なさっております。
私もお付き合いさせて頂かせているのですが。とても仲の良いお姿に、正直少しばかり妬いてしまいそうになります。
そうそう、シンファ様の最近のお仕事ぶりは。その子の相手ばかりで、ここ連日とお仕事を疎かしにしているため、また班長さんに叱られ、また私も――
ああ、まずい。
そう思ってシャオテンは書くのをやめて消しゴムに持ち替えた。
観察日記と銘打たれている祖国にいるシュウジの姉がそう名づけたとはいえ、これも報告書の一つだ。さすがに愚痴を書くわけにはいかない。
「うーん……」
どうまとめるかに困ってしまった。
部屋でうつ伏せに寝そべりつつ足をぱたぱた動かすが、うまくまとまらず、シャオテンはごろりと転がって仰向けになった。
最後はどうしても愚痴っぽくなってしまうのは、いつもいつもあのシュウジの傍若無人っぷりに振り回されているからだ。
あれやこれやと思い返して、はらわたが煮えくり返りそうなのをぐっとこらえる。
「……どーして、もっとしっかりしてくれないのでしょう?」
「悪かったな」
つい出てしまった呟きに、隣にいたシュウジがうめく。
実は、本人がいる目の前でこの観察日記を書いていたのだ。
この観察日記を書きながら悩んで、この言葉が出たのなら、当然誰がしっかりして欲しいのかは大体見当が付く。付けられて当たり前だった。
そんなシュウジは、寝そべっているシャオテンのそばで、静かに『型』の修練をしていた。
獣計十三掌の一つ、虎の拳。その構えから基本動作の、一言で言うなら基礎固めだ。
「自主的に基礎固めをなさるのなら、普段もそのように、しっかりとした日々を送っていただきたいものです。それこそ書く事に困らないくらいに」
虎の拳は、女性だけの拳法。
それを男性のシュウジが扱うのは、彼は生まれてから国を出るまで、女の子として過ごしていた。年端も行かないどころか生まれてからずっと、産みの母親に本人もその事実を隠されたまま。
信じられないことだが、最近シュウジからようやく聞く事が出来て、そう信じざるを得ない。今では国にいた頃と性格がまったく真逆で、やっぱり最初は本人だとは信じられなかった。
母親である青虎とシュウジは、最初から周囲を騙すつもりで性別を偽って、虎の拳を盗んでいったものと思っていたが、いくつかのすれ違いがあったようだ。
――未だ全容は教えてもらっていない。
「私まで加奈子様に叱られてしまったんでございますよ」
「はいはい」
ぴしゃりと言ったつもりだったが、あっさり受け流されてしまった。
「そもそもンな事、真面目にやるなよ」
この人は、ちょくちょく把握しづらい返し方をする。適当すぎるのだ。
それはこの『ひなた時計』の事なのか、この観察日記の事なのかは分からなかったが、どちらも同じだ。両方を含めて言ったのかもしれないが。
「これらは私に任せられたお仕事です。やらなければなりません」
「あー、そ」
人の気も知らないで。とシャオテンはお腹に力を入れてぐっとこらえた。
「ところでよ。おまえ、どんな事書いたんだ?」
ようやく興味を示した様子。
今まで何度も目の前で書き綴っていたのに、どうして今さら聞いてくるのか。
「見せません」
さっとシンファシュウジ観察日記を閉じて、うつ伏せのまま胸元で隠す。
「見せろ」
「嫌です」
「俺の事が書かれているなら関係してるだろ」
シュウジがこちらへ寄って来ると、隠した日記を奪おうと手を伸ばしてきた。
「駄目でございます!」
うつ伏せの体勢からごろりと転がって、仰向けになり、シュウジと距離を取るシャオテン。
「あ、この――」
さらにシュウジが迫ってきた。
「やめてください」
シュウジが半ば覆いかぶさるように来て、日記を掴む。
「だ、か、ら、これ、は……もう!」
後々に上司であるシュウジの姉――虎柱へ送るものであり、誰にも見せられないようなプライベートな内容は無かったが。それでも『日記』という物は出来る限り誰にも見られたくない。
日記をお互いに掴み合っている内に、もみくちゃな姿勢になっていった。
と――
すらっ
この部屋の引き戸が開いた。
「ただいまー」
帰って来たのは風呂上りのユーリ=マークスだった。
そしてなぜか、こちらを見て彼は、入り口で立ったまま呆けていた。
ユーリが呆けたまま棒立ちしているので、こちらもどう呼びかけようか考えていると、階段を上がってくる足音が。
足音が上りきって近づいてくると、それは凉平の足音だった。
凉平も、開けっ放しのこの部屋を見るなり、足を止め、ユーリと同じ呆けた表情をした。
ユーリと凉平が揃った表情で立ち尽くすのかと思えたが、
数秒を経て凉平が動き出し。
かたん
引き戸をまったく無駄の無い動作で、かつ素早く閉めた。
ユーリと凉平の姿は見えなくなり、薄っぺらい引き戸の奥で、凉平の声が聞こえてくる。
「さーて、ユーリ君。ちょっとお兄さんの部屋で暇を潰そうか」
おそらく、凉平がユーリの背中を押しているのだろうか、不規則な二人分の足音が遠ざかって行った。
「なんだったんだ?」
馬乗りになっているシュウジ。怒り気味で力んだ為か、頬が熱くなっている。
「さあ?」
こちらもムキになっていたため、顔が熱い。
と言うよりも、『密着』しすぎて苦しいぐらいだ――
「あ」「あ」
気づいた時の、間の抜けた声はほぼ同時。
自分の胸元方向、下側へ視線を移すと、もみくちゃになっていたため、シャツがはだけてお腹が出ている。さらに、寝巻き用のハーフパンツも斜めにずれて、ショーツも片面が見えてしまっていた。
対しているシュウジは、こんな格好の自分に馬乗りになって覆いかぶさっていて――
「きゃあああああああああ――」
鼓膜を突き破るような悲鳴がびりびりと響いて、ばちこんという破裂音が立て続けに鳴った。
「あら? シャオちゃん。どうしたの?そのほっぺた」
喫茶『ひなた時計』の常連、田名木柚紀が、入ってくるなり聞いてきた。
「いえ、何でもございません」
思い出しただけで、昨晩の悲鳴とあの一発を思い出してしまう。
「……ご心配なく」
すぐに冷やして腫れも引いたはずなのだが、いまだひりつく感覚がする。
「うう……」
「本当に大丈夫? シャオちゃん」
思わず出てしまった泣き声に、心配そうに頭を撫でてくる柚紀。
「納得できない現実を納得しなければならない現実に、なんだかもう……」
柚紀の手がぴたりと止まった。
「……よく分からないんだけど」
「いいんです。いいんでございます」
今のシュウジは傍若無人で、わがままし放題の不良にしか見えないが、あれでも生まれてずっと『女の子』として育っていた。
あのシュウジと、昔のシンファは同一人物である。にわかに信じられないことだが。
しかし、ある一点において、どうしても信じざる終えない事があった。
「アレでもまだ、『女の子』が根っこに残っておられるのです。だから仕方が無いのでございます」
いつの間にか半眼になって柚紀は頭から手を離していた。
「まったく分からないんだけど……」
「いいんです。本当に私は大丈夫でございます」
ただ、ぐっとこらえてシャオテンは、今は首を振るしかなかった――
4:
もう何日目になるのか、覚えてない。
夜が来た回数も、日が昇った回数も思い出す気力すらも無い。
そんなことよりも、眠り、体力、食べ物。体がきしむように疲れきっている。頭も回らない。正常な判断が出来ているのか? 俺は正常か?
……いや、異常だろう。
普通の、正常な人間がやっている事じゃない。
雨の冷たさも感じない。ばちばちと小石をぶつけられているような豪雨に晒されすぎて、もう感覚がない。寒さも感じない。
……ああ、雨はもう止んでいたのか。気づかなかった。
手の中にある『黒刀』――は、自分で作ったモノだ。
握り直して集中しても、もうこの刀が動かない。
能力を使いすぎて気力も集中力も使い果たしている。地面につけた膝が上がらない。地面に突き刺している刀を支えに立とうとしても、足腰が震えて立てない。
目の前には、自分と同じように膝を突きながら大きな銃を手にしている男がいた。
向こうも満身創痍で、頭を下げたまま荒い息を立てている。
呼吸するだけで精一杯の様子。
今仕掛ければ、倒せる。
だが、体は言うことを聞いてくれない。
目の前にいる男が、しゃべった。
初めてこちらに、言葉を投げてきた。
「お前、トドメ、刺すなら……今、だぜ……」
過呼吸になっているのではないか? と思えるほど肩を上下させて、目の前の男が大きく口を開けていた端を無理やり吊り上げた。
「お前は――」
自分の出した声は、自分でも思うほどに擦れている。泥の味しかしない口の中。
「死にたいのか?」
何とか、目の前の男に返す。
中途半端に伸びた亜麻色の髪が、雨でぐしゃぐしゃになっている男――が、数秒の間を置いてさらに返してくる。
「俺を、殺すんだろ?」
それはこっちの台詞だ。お前は俺を殺すつもりで、何日も何夜もこの無人島でやり合っていたんじゃないのか?
言い返す気力が、もう無い。
「……やれよ」
違う。
俺が殺したいのは……八つ裂きにしてやりたいのは、コイツじゃない。
コイツは――
「……死に、底無い……が」
最後にそれだけを何とか返して、俺はその場に崩れた。もう倒れたかった。
ぐしゃり。という泥を跳ねる音。
音は二重で聞こえてきた。目玉だけ動かして見ると、亜麻色の髪をした男も倒れていた。
顔を少し傾けると、向こうもこちらを見ている。泥だらけの顔。
同時に倒れたらしい。
どれくらい、倒れていただろうか?
時間も分からない。身じろぎして仰向けになっても、分厚い雨雲のせいで大まかな時間すらも計れない。
どれぐらいの時間がたったのかもわからないが、少しだけ、
ほんの少しだけ、声を出す体力が戻ってきた。
向こうの姿はもう視界に納まっていないが、多分いるのだろう。
「お前、名前は?」
なんとなく気づいていた。
あのフレイム=A=ブレイクという男は、この無人島でお前を殺すつもりでいる相手がいる、生き残れ。という言葉を告げて、使い方を覚えたばかりの能力一つで俺たちをここに放り込んだ。
おそらく――向こうも同じ事を言われたのだろう。
「凉平」
見えないが、あの亜麻色の髪の男の返事が聞こえていた。
「鳥羽、凉平だ」
聞こえてきた方向からして、俺と同じように泥と雨水でぐしゃぐしゃの地面に転がっているようだ。
「お前は? なんて言うんだよ?」
静かだった。
分厚い雨雲、ひどい湿気、雑木。泥、雨水、
空腹、寝不足、衰弱。
回らない頭、動かない体。
それと、感傷――痛み。
「洸真麻人、だ」
それだけ返して、後はずっと静かだった。
静かになって、
意識も遠のいていった。
「ふう」
ざばりと大きく湯船がのたうって、麻人は一息をついた。
街中の銭湯。建物自体がビルディング状なので風流的なものは一切無く、大理石を張り合わせたような床と壁に、透明なガラスで洗い場と湯船が区切られていた。
湯船の区画は麻人と智、それとティファニーしかいない。
智は一足先に湯船に入って、顎の先まで湯船に浸かって体をだらしなく伸ばしてぐったりとしている。
この湯船の周囲に、なぜ自分たちしかいないのかというと――
「まあ、あの人、背中ががっしりしててセクシーじゃない? ほらほら」
ティファニーのせいだった。
彼の周囲に自分たち以外、誰も近寄ろうとしていない。
「聞くな」
麻人は視線すらも動じさせないまま、きっぱりと言い放つ。
見方を変えれば、ティファニーのおかげで外部の人間と不用意な接触を取らずにすんでいるとも取れるが、
「んもう、奥さん以外には冷たい人って、ヤな感じに見られちゃうわよ」
「俺が冗談で受け取っている間にやめてくれ」
少々、自分でも根負けしそうになっていた。
浴槽の端で腰を下ろしているティファニー。ぷいとそっぽを向いた仕草に、体を硬直させるほどの殺意を押し込めてから、ぐったりしと湯と同化しているような智を見て、
「智、さっきの続きだ」
先ほどの訓練についての続きを述べようとする麻人。
しかし――
「こんな時までお勉強させんな、ったく」
弱った声音だったが、智が悪態をついて抗議してきた。
「…………」
ただ強くなりたいという漠然とした理由で訓練を受けている生徒に、麻人は大きくため息をつくしかなかった。
どうしたものか困っていた。
口で教えても覚えない、これ以上に無いほど噛み砕いて、詳しく説明しても理解されない。やり方を模擬戦で体に教えても、そもそも本人が教えた事を活用しようとしない。
半ばお手上げだった。
どこかで、何かしらのきっかけが訪れて……偶然のひらめきでもいい、教えたことの中から一つでもやるようになってくれれば、そこから伸び分が開けるかもしれないのだが。
その願いじみた事でも、この生徒はただの徒労だけで終わらせてくる。
本当に、お手上げだった。
もう黙ったまま、麻人は一度湯を両手ですくって顔にかけた。
と――
「あら、おかえりなさい」
気づいてはいたが、ティファニーの声でそちらを向いた。
この智とティファニー――ソーサリーメテオ部隊名『ジャベリン』の、まだ若いリーダー、ファル=シオンが現れた。
「どうも、失礼します」
やわらかい口調のファル。そう一声かけてきて、麻人とは少し離れた位置で湯船の中に入ってくる。
「報告はどうだったのかしら?」
ファルはこの部隊のリーダーとして、ソーサリーメテオ上層部へ報告のために一時離れていた。それが丁度、戻ってきた所だ。
ティファニーが合図のように指を鳴らして、模擬戦で張ってくれたように、風の能力で不可視の防音壁を張る。
「うん、クインはそのまま目標と同行しろって」
目標とは麻人のことだ。ファルは、麻人の名前を一度たりとも呼んだことは無い。
それはそれとして、
クイン――というと、アクア=Q(クイン)の事か、と麻人は胸中で思う。
同じ属性なだけに、アクア=Qがファルの上司なのだろうと予想を立てる。
(……あの女か)
一度だけ、アクア=Qと話をしたことがある。あまり思い出したくはないが。
ファル=シオンはまだ若い、十台半ばを過ぎた程度の少年だった。そして、彼自身、部隊のリーダーとはいえ、第二呪文セカンドスペルに覚醒したばかりだという。
段階だけで言うならば、自分と同じ位置にいるはず
なのに、ファル=シオンと自分とでは明らかに実力の差も、経験の差も自分が上だった。 慢心ではなく、明らかにファルは戦闘経験が浅かった。
能力的な位置では、自分と同じように第二呪文に目覚めたばかりだというのに……。
(このセカンドスペルが覚醒する理由……)
自分たちの持っているこの能力。そして次段階である第二呪文への覚醒の方法。
(自身の実力によるものでもないのか? 何がきっかけで、第二呪文へ覚醒するんだ?)
遠くにいる自身の元相棒は、自分と能力的実力、身体的能力も、自分とさほど変わらないまであった。しかし、彼はまだ第二呪文の気配すら出ていなかった。
(第二呪文が覚醒する要素……俺とアイツ、それからこのファル。その違いは何だ?)
能力の次段階覚醒でありながら、その覚醒は能力的な実力ではない。
実際に、明らかに実力の差があるファルと自分は、第二呪文の覚醒がされているのに、アイツは未だにその様子が無かった。今は分からないが。
(この力は――)
最近になってようやく、麻人は自分の能力についての、いくつかの疑問を考えるようになっていた。
「――それで、この任務はいったん保留にし、クインからの別件の任務を行います」
ずっとアクア=Qへの報告の事を話していたらしい。ようやく、麻人はそれだけが耳に入って、気がついた。
「この付近に、ラストクロスの研究支部があるそうです。そこを襲撃します」
「なに?」
麻人が聞き返し、部隊名『ジャベリン』たちの視線が集まった。
「あなたにはもう関係無いことです」
きっぱりと言ってきた、ファル。
「聞いてますよ、あそこを一度落としたのが、あなたたち『セイバー』たちだと」
ファル=シオンは、麻人に対してずっとこの調子だった。
壁を作っている。それは誰が見ても明らかなほど、露骨に。
「ですが、あなたはもうソーサリーメテオの人間ではない。口を挟まないでください」
そう言いながらも口調は挑発的だった。敵意とも取れるほどに。
「……そう、だな」
やや視線を下げて、麻人はきつくにらむようなファルの視線から、麻人は目を逸らした。
「でも、参考程度には聞きたいわね。その一戦」
ティファニーがこちらに聞いてきた。が――
「必要な情報はクインからもらっています」
張り詰めた気配を和ませるためののティファニーの一声だったが、ファルがそれを許さない。ティファニーが肩をすくめて諦めた。
部隊名『ジャベリン』の、コードネーム、アクア=J(ジャック)=メイルストロームこと、ファル=シオンが口を開いた。
「では、作戦を伝えます」
5:
ファルと智の背中を見送る。
「いってらっしゃ~い」
実咲隣にいるティファニー――は、ファルの指示で居残りだった。
風の能力をもつティファニーならば、麻人たちが自分から離れようとしても、機動性を持って追跡できるという理由からだった。
したがって、この近くにあるラストクロスの研究支部への襲撃は、ファルと智で行う事となった。
「…………」
この作戦は、どう考えても無理だ。
そう思いつつも麻人は止められず、見送るしかなかった。
あの二人がラストクロスの研究支部へ向かってから、夜の街を実咲とティファニーとでぶらつく。
先ほどの銭湯には宿泊施設も備わっていたため、宿はそこにするつもりだった。ただ単に散歩程度に歩いているだけ。
「何か言いたそうね」
「ん?」
こちらの顔をのぞいている実咲へ、視線だけを向ける。
不意に立ち止まってしまった。
実咲とティファニーは、本来は敵同士でありながらも仲が良い。したがって、実咲と同行しているのは、麻人自身への人質という目的ではない――これが演技だというのならば、別の道があるのではというくらいに演技が極まっているだろう。
「いったいどういう思い出があるのかしら?」
これはティファニーだった。銭湯でのあの一声は、空気を読もうとしただけでなく、ティファニー自身も気になることだったようだ。
「…………」
ため息をつきながら肩を落として、麻人が口を開いた。
「ここの近くの研究支部というと、天秤座の研究支部だ。俺たち『セイバー』は以前、そこを落としたことがある。今のライブラの師である、先代との決戦場だった」
ティファニーがそれを聞いて、簡単の声を漏らした。
実咲が聞いてくる。
「それで、あの不良生徒とへそ曲がり君で何とかなるの?」
「無理だろうな。たとえ一度落ちた場所で、さらに代が変わったという事を差し引いても、それ故に防衛体制は厳しくなっているはずだ。現場の兵たちも、過去の汚点から必死になって来るだろう」
実咲とティファニーをそれぞれ見て、麻人は断言した。
「それにこの任務には気になるところがある」
「つまりは、あの二人ではどうにもならないのね」
実咲がティファニーへ視線を移した。が、ティファニーは肩をすくめて。
「ファルが上司なんだから、私はそれを聞かなければならないわ。そうしなければ組織も作戦も回らない。それで返り討ちにされても、それはリーダーの不手際よ」
沈黙――になると思えば、
「は~ぁまったく、あんたたちは。特に麻人」
大きくため息をついてから、こちらに向いてきた。
「智は、生徒としてどうなの?」
いきなり、智の話題になった。
「麻人、あなたは覚えてる? こうなってしまう前、お父さんとお義母さんが生きてたとき、あなたは将来、何になりたかったんだっけ?」
「なぜそれをいきなり?」
「思い出しなさい」
それはもちろん、母と同じような警察、これは母と義父双方からだめだといわれていた。
そしてもう一つあった――
「初めての先生は、どうだったのかしら?」
教師として、人の教える立場としての、そうなった未来があったのかもしれなかった。
「あなたが本当に、学校の先生になったりして、きっと部活は剣道とか武道派の部活の顧問をして、生徒をたくさん持って教えていて……そんな話もしたわね、昔に」
「…………」
「初めて持った『生徒』は、どうだったのかしら?」
初めて持った生徒――あの、犬崎智。
「ぜんぜんだめだ、才能があるのかどうか以前に、基礎が十分に固まっていないどころか、本人が基礎固めでへばっているようでは」
「そうみたいね……だけど、本当に学校の先生になっていたとしたら、あんな子よりももっと大勢の生徒を、相手にしていく事になっていたんでしょうね」
自分が今、どんな顔をしているのかは分からない。だが、実咲は続けてきた。
「良い生徒はきっと自分で判断してやっていたり、小賢しいのは目をつけられないように悪知恵を働かせたりして、でも手のかかる生徒もいて」
「…………」
「実際にはそっちのほうが、手が掛かるんじゃないのかしら? 先生になったとしても」
昔に、期待を膨らませて見た未来。
「……そう、だな」
今ではもう手に入らない未来。
「あなたは、あの智にちゃんとしたものを教えたの? あなたが教えたいこと、教えるべきことを」
「いいや」
麻人は実咲の言葉を否定した。
「じゃあ、ここで死なれてしまうのは?」
「勘弁して欲しい。俺はまだ何も教えていなければ、智が教えたことをできるようにもなっていない」
「ならもうこんな所で、うじうじしている暇は無いはずよね」
「ああ……だが」
実咲の言いたいことは、じゅうぶんに伝わった。
自分の思う通りにしろとそう言ってくれている事が、自分を決意させるるほどに、伝わってきた。
だがしかし。
麻人は視線をティファニーへ、
すると、実咲が。
「今はどんな命令を、ファル君から受けてるの?」
「逃がさないように監視する。って命令かしら」
「じゃあ、可能ならば抹殺って言うのは言われていないから、そうするわけにも行かなくて、ティファは私と一緒にいるだけでいいのよね」
そう聞いたティファニーは大きく頷いて、実咲とお互いに指を向けて視線を合わせた。
「それで行きましょう」
「指揮官がダメダメだと、本当に抜け目だらけねぇ」
「ほんとねよねー、私の上司だけど」
「みんなが戻ってくるまで、夜のデートと行きましょうか」
「良いわねぇ、女二人だけの夜のデートも」
実咲とティファニーが、そろってこちらを向いた。
「あとは、あなたが決めて、そう動けばいいのよ」
「…………」
麻人が、自分の手を見る。
その手を、ゆっくり眺めてから――強く握り締めた。
まっすぐに、温かい目を向けている実咲へ、
「行ってくる」
「行ってらっしゃい」
実咲とティファに見送られ。麻人はきびすを返して走り出した。
6:
「ふむ」
いったいどこから現れたのか……いつのまにか気を失ってその間にやってきたのか
もしれない。
フレイム=A=ブレイク。
鳥羽凉平と名乗った男も、少し離れたところで大の字になっていた、頭だけ動かしてブレイクを見ている。
「……そうか、こうなったか」
この男はその言葉通りに、俺達を観察していた。
試験をしていた。
「ならば――」
ソーサリーメテオの男。フレイム=A=ブレイクの声音は、ひらめいたと思わせるような口ぶりではなく、落ち着いた声音で俺達に言ってきた。
「お前達、コンビを組め。両方とも俺の部下にしよう」
その後、鳥羽凉平という男は、自分から『2』となることを求め。
俺はセイバー1というコードネームを、もらうことになった。
爆発、爆風。
脇にそれた弾頭が地面に落ち、熱風と衝撃に体中が襲われた。
風に巻かれた紙くずのように転がる。
「く……そ」
まだ、即座に起き上がる気力だけは保った。
頭が割れるように痛い。割れているかもしれない……体が揺れる。立ってられない……それ以前に体中が痛い。耳の奥も肩腕膝脚も。
気が付けば脚が逃げていた。
転ぶ。地面を引っかくように這い回る。追ってくる。
「相手はソーサリーメテオだ! 」
「確実に仕留めろ!」
「多少の被害は覚悟しろ!」
ラストクロスの改造人間――いくつもの合成獣人たちの声が飛び交っていた。
走れ走れ――ここから逃げろ。
逃げる?
戦うんじゃないのか? 逃げろ。
早く逃げろ。
自分から建物の配置地図を元に、開けた部屋で一網打尽にしようと考えてたんじゃないのか?逃げろ逃げろ。
戦えよ!
立ち止まって振り返る。振り返ると視界が真っ赤に焼きついていた。
幾つもの爆発。
べしゃりべしゃりと、黒いコンバットスーツに炎の液体がまとわり付いた。
「ああああああっ!」
悲鳴。自分の悲鳴。
地面を転がって、まとわり付いた炎から逃げる。
地面――そうか!
俺は地を操る能力者だ。
だったら、こいつらが手の届かない場所へ逃げられるじゃないか。
「このぁ!」
地面を引っぺがすように破壊する。
むちゃくちゃな勢いで床に使われていた石材やら金属片やらがばら撒かれる。
とたんに、落下感が襲ってきた。
体中に衝撃が走る。
「はっは――」
肺が痙攣したように引きつって、空気を求めた。
あえぐように悶えて、ここが下の階――だとわかる。
逃げるつもりが、地面を引っぺがして下の階へ落ちた。そうだった、まだ下の階があったんだ。
「逃がすな!」
その声に、体が一度びくりと跳ねた。
逃げろ逃げろ、逃げろ!
早鐘のように頭に響く自分の声。
まるでおびえて逃げ回る犬のように、四つん這いのまま逃げ出した。
よく考えなくても、分かったことだ。
俺はここを襲撃しているのだから、その『敵』は、俺を必死に殺そうとしてくることぐらい、当たり前じゃないか。
ゲームみたいに、ボタン一つで幾つもの的がぶっ飛ばせるわけじゃない。俺一人が出てきて大勢をなぎ倒すことなんて、できるわけが無い。
向こうも必死なんだ。雑魚なんかじゃない。相手は人間の枠組みから大幅に外れた、改造人間たち。その全部が敵にまわるんじゃないか。
勝てるわけがなかったんだ。
――もう遅い。
「は、はっ」
荒い息が止まらない、肺が痛い、胸も肩も腰も脚も痛い。頭の中が泡立つように忙しなくて、まともに何も考えられない。顔が引きつって強張りすぎて痛い。
壁に背中を張り付つかせても、これ以上逃げられない。
目の前に、改造人間の群――まだ集まってくる。
各々に銃器を持って。
俺は、死ぬ。
きっかりと……そうはっきりと、頭の中が停止した。
ばさり
視界が暗転する。厚い布がはためく音が聞こえた。
黒い視界。倒れる。
……黒い脚が見える。
見上げると、黒く長い物を持った黒コートの男が。
黒コートの男が、手に持った長い――黒刀をラストクロスの群へ向けた。
「流れる星は――」
詠唱。能力者が使う指令呪文(コマンドスペル)。
「炎のごとく」
黒コートの男が詠唱し、黒刀がほどけた。
元が無数の糸の束だったかのように、刀の形から、数え切れないほどの糸の束に姿を変えていく。素早く、無音で、無駄が無く。
「流星斬(シューティングセイバー)!」
その名の通りに、刀の形から糸の束になり、
星が瞬いた。
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