Chaser・D (後編)

 7:

 突っ込むような勢いで敷地内へ入り、砂埃を巻き上げて停車させる。

 運転席では子分がハンドルに持たれて息を切らせていた。

「とっとと出ろ」

 冷や汗なのか脂汗なのか分からない気持ち悪い汗に巻かれながら、銀次は運転席と助手席の子分勢に活を入れる。

 着いたのは、現在の自分たちの根城――というにはあまりにもお粗末な建物だ。

 作業が頓挫してしまった、未完成のマンション。

 緑龍会が建設していたこのマンションには明かりも無く、当然まともな設備も無い。

 組織を壊滅させられてから命からがら、ここに逃げ込むように隠れ住んでいたのだった。

「た、助かった……」

 子分おの一人がポツリと呟いたのが耳に入り、銀次が勢い強く振り向いてその子分を殴り飛ばした。

「黙ってろ」

 犬歯をむき出しにして、他の子分たちへも睨む。

 子分たちは、萎縮して黙り込む……というよりも、はっきりと表情から、もうついていけない、という空気がありありとしていた。

「ふん」

 それが余計に腹立たしくもあり、同時に落ち着きも呼んだ。

 何ヶ月もの潜伏生活。惨めな状況。一矢報いるような報復も失敗に――

「まだだ」

 銀次が、じくじくとした怒りを抑え、唸るように言う。

「まだの化け物がいる」

 そうだ、まだ手はあった。

 裏社会(アンダーグラウンド)で手に入れたライフラインを伝って、こっちも殺し屋を雇ったのだ。

 まだこの建物の中で待たせている。

 緑龍会を壊滅させたあの黒い殺し屋がまた現れたとき、その対策として依頼した『化け物』がまだ、布石として残っていた。

 銀次が未完成のマンションの中へ無言で入っていくと、意気消沈しきっている子分たちも、後ろからついてきていた。

 明らかに、もう嫌だという空気を出しているにもかかわらず……。

 こいつらも行く当てが無いのだ。

 薄暗い、ただの冷たい音しか出ない建物の階段を上がり、目的の場所へ向かう。

「先生」

 薄暗い中、月明かりだけで部屋の中見渡す。

 ――いた。

 積まれた資材の上に静かに座っている。あの化け物がいた。

「出番です、先生。俺たちの組織を潰した奴が現れやした」

 最後に「お願いしやす」と付け足すと、後ろからついてきていた子分たちも小声ばらばらに同じようにお願いやす、と言ってきた。

 もそり、とその化け物は胸の内側を探り――

 カチャ……シュボ

 ジッポライターの火を点ける音がした。

「だ、誰だ……おまえ」

 資材の上に鎮座していたのは雇ったはずの、あの『化け物』ではなかった。

 ジッポライターの明かりで見えるのは、スーツとワイシャツに……はち切れんばかりの筋肉が詰まった体躯……帽子……コート。

 全部が黒。ワイシャツ以外が全身真っ黒の――

 その姿に、一瞬あの黒い殺し屋の姿が重なった。

「すまんな」

 座り心地が悪かったのか、待ちくたびれていたのか、筋肉をほぐすように肩を回して、その黒い帽子の男が口を開いた。――低く重たい声。

「今ウチは人手不足でな。俺が出払うことになった」

 ぼやくような調子で言い、火のついた煙草を咥えて紫煙を吐く。

「じゃ、じゃあ……俺が雇ったあのばけ、じゃない先生は?」

 この黒帽子の男は、あの化け物の代わり……交代要員ってことか?

「知らん」

 黒帽子の男が一言で返してくる。

「どういうことだ!」

 わけが分からない。先ほどから抑えていたものも含めて、怒鳴る。

「てめぇらの依頼料にいくら出してやったと思ってんだ! ぐだぐだしてねぇでとっととあの黒いヤツぶっ殺してこい!」

 しかしこちらの怒鳴りにも、まったく意に介するわけでもなく。黒い帽子の男がまた紫煙をはいた。

 数秒の沈黙の後――黒い帽子の男は、ため息をついた。

 部屋の中がひどく蒸し暑く、また空気が冷い。

「せっかちなヤツだ……なあ?」

 自分たちしか居ないはずの室内で、黒い帽子の男が聞いた。天井へ向けて。

 途端、室内が真っ赤に染まった。

 網膜さえも焼き付けられそうな濃い暁色――炎が、あっという間に室内を満たす。

「なっだこれは!」

 壁が、床が、炎に変わっている。

 子分たちが熱い熱いと、服に引火した炎で転げまわっている。

「お前たちが雇ったヤツなど、知らんな」

「――は?」

 なら、こいつは誰……だ。

 何者――

「ソーサリーメテオだ」

 その組織の名前、ソーサリーメテオ……どこかで聞いたような名前は、

「ただし残業だがな」

 黒い帽子の男が小粋がちに付けたし、またも天井へ呼びかけて、

 銀次も天井を見た。

「――ッ!」

 天井の鉄骨に、炎の塊があった。

 オオオオオォォォォォオオオオォォォォオオオ――

 燃え盛る炎の音が泣き声のような、咆哮のようにも聞こえる。

 この部屋中に広がった炎の正体は、こいつの炎だったのか。

 天井でむき出しになった鉄骨に絡まってこちらを見下ろしている――暁色の大蛇……否、炎の龍――

「食らえ、火炎龍」

 黒い帽子の男の合図で、激しく燃え盛る龍が襲い掛かってきた。

「う、あああ――」

 この男が何なのか、ソーサリーメテオの名前がなんだったのかを思い出した時にはもう、火炎の龍が目の前で大口を開けていた――


 コードネーム、フレイム=A=ブレイク――五十嵐防人が、別のポケットから携帯灰皿を取り出し、煙草をもみ消した頃にはもう、周囲の炎は消え去っていた。

 目絵の前には、緑龍会の残党だったモノ――防人の第二呪文(セカンドスペル)『火炎龍』に食われた残骸。

 ――黒い炭でできたオブジェが出来上がっていた。

「やれやれ」

 防人が資材から腰を浮かし、立ち上がると、独り言のようにぽつりと。

「まったく……調子が出ないな」


 指定された廃ビルの中。砂埃を踏む靴音ですら、遠くまで反響していく。

 セイバー2……凉平は敵の気配を探りつつ、廃れた廊下を堂々と歩いた。

 敵にはあえて、探っている気配を見せないよう――自分が無防備に見える、この誘いに乗ってこれるように。

 気配を探るというのは、洞察力を働かせるという事だ。

 自分がこの廃ビルで砂埃を積もらせている廊下を歩けば当然、足跡が付く。

 簡単に言えば、この砂埃で付いた足跡が自分の『気配』だ。

 人は歩くだけでも靴跡、足音、衣擦れの音、影、人の臭い――さまざまな痕跡を残す。

 視覚、聴覚、嗅覚、触覚を用いてこの場に有る、生き物が出す痕跡を探す……。

 気配を探るとはそういうことだ。

「…………」

 立ち止まる。

 ……3、……2、 ……1、

 胸中で数え――

 膝のバネを使って後方へ飛ぶ。

 同時に、右方向にあった廊下の壁が吹き飛んだ。

 腿に張り付いているホルスターから銃を引き抜き、壁の破片と砂埃でできた煙へ向かって発砲。

 ――ただし、当てるつもりも、牽制ですらもない。

 警戒しすぎて焦ったような無駄弾……これも『誘い』だ。

 もうもうとした砂埃が落ち着いて、視界が晴れる。

 壁に人が楽に通れるほどの大穴が開いていた――誰もいない。

 だが、確かに聞こえたわずかな音……気配は確かに生き物が出す音だった。

 凉平が正面へ銃口を向けると、そのまま連続で引き金を引く。

 弾丸の軌跡が真っ直ぐ伸びたかと思うと、すぐさま直角に曲がり、光弾の奇跡が壁の大穴へ流れていく――

 命中した様子は無い。

 銃口から吐き出されたのは弾丸ではなく、光弾だ。

 銃という『ツール』は、凉平にとってはただ能力を行使するための、単なる補助器具でしかなく、能力を扱う上で、こういった補助器具を間に置くことで、呪文の構成を簡略化できる……それは同時に、自身への支えでもあった。

 もう一度、膝を使って後方へ飛ぶ。これは勘だ。

 今度は足元が爆発。

 再び舞い上がった砂埃と破片の中から、今度は巨大な腕が現れていた。

 巨大な腕が、すぐさま引っ込んでいく。

 わざと焦ったようにまた、床に開いた大穴めがけ光弾を打ち放つ。

 手ごたえは無い。

 ざり――

 背後から、ざらついたものを踏む音――足音。

 踵を返しつつ、壁に背中を当てる勢いで背後からの気配を避ける。

 相手は風のように自分が一瞬前まで居た場所を通り過ぎていくと、床に開いた大穴を飛び越えて――着地した。

 先ほど床から見えた巨大な腕とは違い、細くひょろ長い四肢、猫背になった四つん這いの姿勢で、こちらに振り返った。

 その二体目の生物は、人間のにやり笑みを見せると、最初に空いた壁の大穴の中へ、その敏捷性を見せつけるように逃げていった。

 ――なるほど。さすがに、。

 おそらく、もう不意打ちは来ない。

 ここまで見せ付けてきたのだ。

 凉平は、一度肩をやや落としてため息をつき、床と壁にあいた大穴を越えて、先を進んだ。


 本当にその後の強襲は無く、相手はあっさりとその相手は姿を見せた。

「あれを見て、良くここまで来ることができたな」

 相手が続けて口を開く。

「あの女が『悪戯』されたことに、そこまで腹が立ったか」

「…………」

 この男は、俺がわざと見せた『演技』で、静かに自身を抑えながらも怒りに身を任せてここに来たと、思っているのだろう。

「ソーサリーメテオのセイバーズも、軽くつついただけでこの程度……か」

 男が下卑た笑みを見せる。

「お前の首をもらうぞ、セイバーズ」

 男が身体に力を込め、膨れ上がった。

 見覚えのある、先ほど廊下の床から出てきた巨大な腕――

「これが! ラストクロスの最新技術! その賜物よ!」

 巨大に膨れ上がり、変身を遂げた男が、背後にある壁、天井。それから床を殴りつけ、爆発するような破砕音を立てる。

「力だけではない! さらに――」

 今度は、巨大な身体に変身した姿が収縮されていく。

 次の変身姿は、先ほど見せた四肢のひょろ長いあの姿だった。

「このスピード!」

 高らかに誇っただけあってか、突風のようにこの室内を、縦横無尽に駆け回る。

「鋭光矢(シャープアロー)……」

 凉平はつぶやき、手に持っていた銃を、下げたまま引き金を引く。

 銃口が二度、瞬いた。

「はっはっはっは! お前に勝ち目は――」

 突然、弾けるような音がして、男の声も途切れた。

 凉平の真横の壁に激突した男が、砂埃を巻き上げて床でうずくまっている。

「な……にぃ」

 見れば、男の左足と右腕――関節部分から先が無くなっていた。

 床には、あさっての位置に左足と右腕が転がっている。

「もう十分に、遊んでやっただろう。『量産型』」

 ゆっくりと、凉平が男へ向く。

「誰に喧嘩を売ったのか、まだわからないようだな」

 凉平――ソーサリーメテオ部隊名セイバーのセイバー2。

 ラストクロス幹部……天秤座を討った……ラストクロスの怨敵。

「うおおおおおおおおおお――」

 雄たけびを上げて、男が四肢を膨らます。

 誰を相手にしているのかを、ようやく理解して――

「……ああ、認めるよ」

 凉平が呟きをもらし、銃を素早く腿のホルスターへ戻すと、両手を巨大化変身する男へ向ける。

「俺は今……機嫌が、悪い!」

 突き出した凉平の両掌から、大量の光球があふれ出した。

「流れる星は炎のごとく――」

 凉平の周囲に浮かぶ、大量の光球が――強く輝きだす。

「流星斬(シューティングセイバー)!」

 凉平が大量に出した光球から、光の刃が無数に放たれ、

 男の眼、口内、喉、肩脇鳩尾関節、各急所を正確に射抜いた。


 8:

 ずん……巨大化変身をした男が絶命し、床に崩れた音。

 周囲が静まり返る。

 自分が倒した、名も知らないラストクロスの男……死体を見下ろして、凉平はため息をつく。

 ――風を切る音。

 突然現れた再びの強襲。だが、凉平は焦る事も無く、その一撃を半歩の動きで避けた。

 さらに追撃が来る。

 最小限の動きで、ステップを踏むようにかわし、強襲してきた相手の呼吸に合わせるように――背後を取った。

 銃はホルスターにしまってあったが、指で銃の形を作り、強襲してきた相手の後頭部に指先を当てていた。

「バーン」

 口で言う凉平。

 五秒もあったかどうかの攻防は、どこかじゃれ合いのようにも思える。

 ――相手の意図とは違って。

「ミリアル、お前では倒せん。やめておけ」

 声は、室内の入り口からだった。

 背後を取っている凉平からは、ミリアルの表情は伺えない、よほど苦々しい表情をしているのだろう……彼女は静かに、手首から生えた大鎌を収納して両手を上に上げた。

 入り口から飛んできた声の主は、ラストクロスの幹部――現天秤座の東条静哉。

 東条は静かに室内へ入ると、後ろに控えていた集団へ向けて、手振りだけで合図を出し、動かす。

 黒いアーミースーツを着込んだ集団はそのまま、凉平が今しがた倒した男の死体へ寄り集まり、回収作業を始めていく。

「今は争わないという取り決めだ」

 言ったのは東条の方だった。

「ああ、知っている」

 凉平も、ミリアルの背後で彼女と同じように両手を挙げて、後退した。

 ラストクロスのこの作業に干渉はしないという、凉平のジェスチャー。

 東条がこちらに寄ってくると、厳しい目つきをしたミリアルが東条の横に並ぶ。

「組織抜けか」

 肩をすくめて、先ほど倒した男を横目で見る。

「そうだ」

 びりびりと痺れそうな様相の中。東条が短く答えた。

 ラストクロスの中では、与えられた力に慢心し、組織を抜ける者が多かった。

 突然手に入った、人間の範囲を超えた能力。それに正常な精神が追いつかず、新しい身体とのバランスが保てなくなり、改造人間は大方二分する。

 精神的に落ちていく者と、盲目的に誇張する者。

 この凉平が倒した男は、その後者だ。

 おそらくラストクロスで手に入った力は、自身が選ばれた特別な人間だからだと解釈し、どこかしらの高みへ上るため、組織を抜けて単独行動に至った。

 という流れなのだろう。

 凉平……セイバー2を狙ったのは、それだけラストクロス側で名が通っているから。

 先代の天秤座を倒したソーサリーメテオの部隊名セイバーは、ラストクロス全体で最も危険視されている。

 それを倒したとすれば、相応の名声が手に入る。短絡的な行動。

 ――盲目さは行動と思考を単純にし、かつ過激にする。

 この症候群とも呼べる、ラストクロス特有の事情は、組織自身の『ふるい』として暗に活用していた。

 これを乗り越えた精神を持った者だけが、組織の正式な構成員となる……というように。

「幹部様も大変だな」

「貴様には何の関係も無い事だ」

「回収しやすいように、原形とどめてやっただろ」

「大きなお世話だ」

 東条は警戒心をむき出しにしつつ、凉平の方を向かずに強い語尾で言い返していた。

 取り付く島も無く、呆れたように肩でため息をつく凉平。

「――で、だ」

 凉平が話題を切り替える。

 東条はそれだけで察したらしく、眉をピクリとさせて視線だけをこちらに向けた。

「ジョーカーの足取りはつかめたのか?」

 凉平たちが保護しているユーリ=マークスを狙っている――その少年と同じ飛行可能改造人間の、もう一つの試作試験体(プロトタイプ)。

「……いいや」

 東条は小さく首を振る。

「研究班班長の台駄須郎も、まだだ」

 同じ声音で、東条はさらに付け足した。

 ジョーカーによる襲撃と共に消えた台駄須郎……どちらも見つからないとなると、両者は同じ場所に居る可能性が高い。

「そうか」

 さほど良い情報を期待していなかった凉平は、少し首をすくめただけだった。

 その凉平の様子を横目で睨むように見ていた、東条が口を開く。

「先日からの、その態度は何だ?」

「あん?」

 疑問を生返事で返す凉平。東条は軽視されたと思った様相できっぱりと言い放った。

「貴様との馴れ合いなど……やってられん!」

「…………」

「事情はあれど、上辺ですら馴れ合う気はないぞ」

 射抜かんばかりの東条の眼光。

 それに対し凉平は、

 ――少しばかり視線を落とした。

「……まぁ、そーだわな」

 凉平は、東条の師であり先代の天秤座を倒した一人だ。

 東条にとって、凉平を含む部隊名セイバーは苦渋そのもの――

「わりぃ……すまなかった」

「……は?」

 東条の今まで張っていた気が、警戒心と肩ごと、すとんと落ちた。

「たしかにそうだわな。調子に乗りすぎた」

 凉平の苦笑と、まいったと言わんばかりの……謝り。

「すまね」

 凉平の毒気を抜かれた様子に、東条がはっとなった。

「……貴様」

 東条が、力を込めた拳を振るわせる。

「馬鹿にしているのか!」

 東条と凉平が同時に動いた。

「…………」

 東条の手刀が凉平の喉に。

「…………」

 凉平の銃が、東条の鼻先に。

 両者が凍りついたように、静止している。

「馬鹿になんてしてねぇよ」

 凉平が静かに言う。

「今は俺らの摩擦で、どっちの側にも困る奴らがいるんだ」

「…………」

「上辺だけでも、相手をしてくれ……頼むわ」

 凉平の方が先に、銃口を下ろした。

 喉に突きつけられた東条の手刀を一瞥すると、凉平は一歩引いて東条へ背を向ける。

 東条に見せる凉平の後姿は、あたかも今なら殺せるといわんばかりの無防備さだった。

 だが、東条はその背中に、厳しい視線を投げつけるだけだった。

「……落ちたな、セイバーズ」

「とっくの昔にな……むしろ、呆れてもらった方が助かるわ」

 凉平はふと、あさっての方向へ向いたまま、東条に言う。

「そうさな……たとえば、あの馬鹿を見つけ出して、倒したのなら、とりあえずは、お前とやり合う理由ぐらいは出来るだろうよ」

「我が身可愛さに、身内を売るか?」

「やれるものならやってみなって事さ」

 凉平は、自嘲気味に肩をすくめた。

「……迎えが着たわ。んじゃな」

 空いていた窓から、荒々しい風と共に黒衣が入ってきた。

 凉平は身を任せるように、黒い布に包まれていく。

「貴様……そんなでは、近いうちに死ぬぞ」

「心配してくれんのか? 甘いな」

「ふざけるな」

 凉平を包んだ黒衣が、瞬時にかつ、流れるようにまた窓から出て行った――


「やらかしてくれたわね、まったく……」

「すまね、姉御」

 本来なら、情報の交換だけで済ませばよかった……そうするべきだったと、凉平。 

 自身も分かっていた事。

 黒い布を体に巻きつけたような姿に、普段の長い黒髪をアップさせ、額を黒い圧布で覆っているのは、コードネーム『エア=M(マスター)=ダークサイズ』

 ソーサリーメテオ部隊名アックスのリーダー、村雲鈴音だ。

 鈴音は憤ることにも疲れたような面持ちで、腕を組んだまま溜め息をついた。

「あんたたちの事情なんて、報告書程度の範囲でしか知らない……だからそう責めたりはしないわ。ブレイクはどうだか知らないけどね」

 おそらく仏頂面で一言「そうか」で終わらすだろうと思われるが、本来なら敵同士の相手に見せた……言わば醜態だ。

 間違いなく、他のメンバーには見せられない光景だった。

 俯いて目を伏せている凉平を、冷たいまなざしで眺めていると、その視線に耐えられなくなったのか、凉平が背を向けた。

「調子悪いな、最近」

 そんな凉平の言葉が耳に入り、鈴音は首の力が抜けたように脱力して、息を吐いた。

「……いったい何を勘違いしているのかしら……何も言わないでいるつもりだったけれど――」

 凉平の後姿が、わずかに強張る。

「いい? 確かに、セイバーは強い……強かった。でもね、あんた自身の……たった一人分の力なんて、もともとこの程度だったのよ」

 鈴音が「わかる?」と返事を期待しないそぶりで言う。

「抱え込み過ぎのよあんたは……誰もそんなこと、頼んでなんかいないのよ」

「…………」

「あんたは実力実績、評価共に、あの子達の中で一番上にいるんでしょうね。だけどね、あんたに裏でちょこちょこ、縁の下の力持ちなんてしてもらいたいとは、誰も思っていないわよ」

 今回の飛行可能改造人間の事、ラストクロス幹部東条との事、新しいメンバーでの編成事情。脱退した同僚の事。そして田名木柚紀……彼女との事――

「あんたに頼っている奴なんて、最初っからいないのよ、あのたぬきちゃんですらね……先輩風吹かせて、何を勝手な事をしているのかしら、まったく」

 鈴音の辛辣な言葉を、凉平の背中が受けている。

「あんた一人分の出来る事なんて、たかが知れているのよ……みんな知ってるし、分かっているわ」

「…………」

 鈴音の説教が終わり、夏の夜に冷たい風が流れた。

「……そっか」

 凉平が、やっとの様子で言葉を漏らす。

「そうだよな……そうだった」

 あくまでも、鈴音に向き直らないままで、凉平が頭を掻いた。

「姉御……」

 妙に照れくさそうな、すっきりしたような凉平の声音。ただし、鈴音からは凉平の表情は見えなかった。

「ありがと」

 凉平の一言を聞いて鈴音は、やれやれといった調子で肩をすくめた。


 9:

 夢だ……またいつもの夢。

 兄貴と親った人と、親友だった少女。

 二人がこちらに向いている。

 そして自分がこの夢の中で、この後どうなるかなんて分かっていた。

 何度も見た夢。何度も見る悪夢。

 だが、

 背後から飛ぶように突き立ててきた黒い刃を――振り向いて掴み取った。

 夢の中の相棒が繰り出してきた黒い刃を素手でつかむ。

 血も出なければ痛みも無い――自身の中なのだから……。

「いずれ答えは出してやる」

 兄貴とサヤカ、そして麻人。そして自分自身へ向けて、念じるように言い放つ。

「自分の生涯も、それこそ命かけてでも答えてやる」

 自分を見る三者が揺らいでいく。

 揺らいでいるのは自分かもしれないが……。

「だから騒ぐな……今はもう少しだけ、静かにしていろ」

 

「う、むぅ……」

 柚紀が目を覚ますと、自室の天井が見えた。

「あれ?」

 頭の中がぼうっとして、少しばかりくらくらする。

 なんとか起き上がり、周囲を見渡す。

 ここは自分の部屋で……毛布がかけられていて……すぐ横には何かが書いてある紙きれ……少しはなれたところで寝転がっている……凉平の長い髪。

 こちこちという時計の秒針の音。聞き入りながら黙考し――思い出した。

 あの後で、何があったのか――

「あ」

 気を失っていた自分の脇にあった紙……手に取ると、それは書置きだった。

 

『公園であんたたちと緑龍会のやつらを見つけて、すぐさま騒ぎ立てて追い払ったわ。警察に知り合いがいて、そっちにも連絡を入れたから、もう大丈夫。私に任せておきなさい。

                                    鈴音』

 

 そうか、あの後そんなことがあったのか。

 書置きの一番下にもう一文付いていたのを見つける。


『追伸:そのまま護衛させておくけど、変な事されたらすぐに報告してネ』


 その一文と、こちらに背を向けて寝転がっている無防備な凉平を見て、つい吹き出してしまった。

 起こしてしまわないよう口を手で押さえ、笑いをこらえる。

「入れるつもり無かったんだけどなー」

 そろそろと、なるべく音を立てずに這いながら凉平へ近づく。

 頭の右側を上にして寝そべっている凉平の顔を、覗き込む……頭の右側に保冷財を置いているのはおそらく――

 凉平の寝顔。その頬を指先で突きながら、

「変な事するなよー」

 反応が無いので、今度は指先で凉平の頬を強く押し込む。

「うー……ん」

 凉平のうめくような寝言。そして眉根が不機嫌に皺が寄った。

「まったく」

 ため息を漏らしながら、心底呆れる。

 だからこそ、

 凉平に聞こえるか聞こえないかぐらいに小さく……言ってやる。

「このあほうめ」

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