Icarous Sky (後編)

 6:

「なにいいいい!」

 ひなた時計のアルバイト、庭崎加奈子がやってくるなり、凉平に渡されたその紙を見て大声を上げた。

「朝飯食って、準備している間に、これを置いていなくなってたんだ」

 置き手紙に書いてあった内容は一言。


『さぼりまーす    シュウジ

                 ごめんなさい シャオテン&ユーリ』

 

 シャオテンが付け足したであろう一文のほうは、彼女らしく隅っこに慎ましく……本当に申し訳なさ差が伝わるようだった。

「あの二人はっ! ……あ、でもシャオちゃんのことだからきっと……あのボンクラめえっ!」

 ユーリの姿もどこにも居なかった。

 おそらく、ユーリがいなくなってしまい、探すために跡を追った分けではない様子。

 勝手にいなくなってしまったのならば、自分達にも言うはずだ。

 それだけは安心できるが――

「昴に救援入れておくから」

「……はい」

 凉平がなだめるよりも早く、加奈子はがっくりとうなだれた。

「まぁ昨日の子、ユーリ君? 元気なかったからなぁ……」

 そう諦めつつも、少しばかり愚痴をこぼして消化する加奈子に、凉平は苦笑するしかなかった。


 

「ここは、どこなの?」

「シュウジさん、どうしてここに……?」

 ちゃっかりと朝食を取ってからサボタージュをしたシュウジは、シャオテンと共にユーリを連れて浦佐田技研へ来ていた。

 浦佐田技研――ここの屋上で、シュウジと大崑崙からの刺客との、決闘闘技が行われている建物である。

 まだ午前中であるが、昼間に学生ほどの未成年者がオフィス街を歩き通ることに、あまり浮いた様子は無かった。

 夏休みに入ったばかりのこの頃である。

 もうすでに熱気が充満して陽炎を作りかかっている中で、シュウジを先頭にシャオテンとユーリがそその建物の前に立っていた。

「さっさと入るぞ、ユーリもついて来い」

 言うなり、シュウジはビルの中へ、正面玄関から入っていく。

 だがしかし、入った途端にやはりとあってか、玄関で立正していた警備員に呼び止められた。

「君達、ここにどんな用なんだい?」

 警備員に呼び止められるのは、当たり前だ。社員でもなく、他社からの来客にも見えな三人の子供たちでは、一体どのような用件があって現れたのか思いつきにくいものだ。

「あん?」

「すまないね、君達はまだ子供だろう? ここがどういった所か分かるよね? もし何かしらの用件があって来たのなら、あっちの受付口でアポイントの確認をしてくれないかい?」

 警備員は丁寧な言葉使いながらも、口調はどこか高圧的。

「俺が今日、ここに来ることを知らないのか?」

「では、どちらの会社からの訪問で、どこの誰なのですか」

 警備員から目を逸らして舌打ちするシュウジ。

 その態度が、警備員の不信感をさらに強めてしまう。

「ここは遊びに来るところじゃない、さっさと出て行き――」

「これはこれは御子息様。よくここまで来てくださいました」

 警備員の背後から、親しみを持ったやわらかい声。

「これは、クジン様」

 警備員がクジンを見るなり、姿勢を正す。

 決闘闘技を取り仕切っているクジンが、いつの間にと思えるほど突然に現れた。

「やはり、お迎えに上がったほうがよろしかったのでは?」

「いらん」

 警備員の丁寧な高圧さと比べ、クジンは優しい親戚のようにシュウジに言ってくるが、シュウジは不機嫌に一蹴する。

「あなた」

 クジンが警備員に向き直る。

「このお方がどなたか、警備員でありながらご存じないのですか?」

「え……」

 ここでのクジンは、浦佐田技研の筆頭株主という立場だった。

 本当は大崑崙が持つ表向きの会社の一つであり、大崑崙の幹部であるならば、クジンも受け持っている表向きの会社があったはずだった。

 しかし、クジンは……大崑崙の中でもクジンだけは、唯一受け持つ会社を持たず、こういった回りくどい立ち回りを持っていた。

「このお方は、この浦佐田技研を含む崑崙グループの総取締役、羅青虎(ロウ=チャンフゥ)の一人息子、羅星花(シンファ)様ですよ」

「――ッ!」

 グループの総取締役。この浦佐田技研の社長のさらに上、という意味で……その一人息子であるならば、自然と将来的な雲の上の人間。ということでもある。

「警備のものであるのにも関わらず、あなたはここを通れる方達の顔も、事前に把握していなかったのですか?」

 まさかと思える相手を追い返そうとしてしまったことに、警備員が青ざめて言葉も出なくなった。

「あなたはクビです。筆頭株主という立場ではありますが、このことを青虎様へ報告すれば、どちらにしろ解雇は免れません。先に宣告させていただきます」

「――やめろ」

 青白い顔で、生気でも奪われたようになってしまった警備員。助け舟を出したのは、シュウジだった。

「その辺にしておけ、急にここに来るといったのは俺だ……今の解雇の件は無しにしてやれ」

 背の高いクジンを見上げつつ、揺るがない目を向けるシュウジ。

 対するクジンは、そのようなシュウジの睨みを見て――クスリと笑みをこぼした。

「承知いたしました。では、今回限りクビは見送りましょう」

 ついでに一礼つけて、うやうやしく聞き入れるクジン。

 見た目だけは、敬意を払うクジンの態度であったが……。

「それでは御子息様。参りましょう。シャオテン様も御子息の日々のお世話、ありがたく思います……こちらはお聞きしていた御子息のご友人様でございますね。気兼ねなくお入りくださいませ。どうぞどうぞ」

 クジンがシュウジ達を促しつつ、自身はしっかりとシュウジの斜め後ろへ立った。

「お前ら、行くぞ」

 始終のやり取りを、ぽかんとした顔で眺めていたシャオテンとユーリ。シュウジの声ではっとなる。

「は、はい」

 歩き出したシュウジとクジンの後を、シャオテンとユーリが追っていく。


 一昨日に、ユーリはシュウジとシャオテンに出会ったばかり。

 シュウジがソーサリーメテオの人間だと知っていても、なぜ別の組織の大崑崙の中へやってきたのか、わからないでいた。

「シュウジって人は、本当はすごい人だったの? 崑崙グループって、大崑崙の表向きの名前なんだよね? その御子息って……」

 シュウジとクジンの後ろを追いつつ、ユーリがシャオテンへ訪ねる。

 先ほどまで自分の事で意気消沈をしていたユーリだったが、さすがの事にわけを聞かずに入られなかった。

 こそこそと口元を手で追いつつ、シャオテン。

「私もここまで見たのは初めてでございますが、シュウジさんが大崑崙の跡取りなのは確かでございます」

「なのになんで、ソーサリーメテオに?」

「それには、私も知らない部分もありますが、深い事情がありまして――」

「聞こえてるぞお前ら」

 不機嫌顔で振り返ったシュウジ、シャオテンとユーリがどきりと硬直。

「ふん」

 シュウジが立ち止まり、目の前にエレベーターの扉があった。

 ちょうど、エレベーターの扉が開く。

 誰も入っていないエレベータの中へ、四人が入っていく。


「余計なことをさせやがって」

 エレベータに入って、周囲の音がなくなったとたん、シュウジはいの一番にクジンへ言い放った。

「何のことでしょうか?」

 すっとぼけた顔のクジン。

「わざとここへ来ることを言わずにいて、あの警備員に呼び止めさせて追い返されそうになったのは、お前の余計な演出だろうが」

「インパクト。というものも大事でございましょう」

「それが余計だと言っているんだ」

 つまり、先の警備員とのやり取りは、クジンの仕組んだ小芝居だった。ということだ。

「わざと警備員に無礼な振る舞いをさせて厳しく罰しようとし、それを御子息が慈悲で救いの手を差し伸べる……よく察してくれました、さすが御子息です。周囲にいた表向きの社員達も、きっと良き印象を強く持たれたと思われます」

「あざといんだよ、二度とやらせるな」

 奥歯をかみ締めるほどに不機嫌なシュウジに、クジンはそれでも肩をすくめただけだった。

 一向に反省の色も、やめる気すらないクジンに、シュウジは舌打ちをした。


 結局のところ、一番の災難を受けたのはあの警備員だった。

「……黒いです」

 眺めるしかないユーリの隣で、シャオテンがどうしたものかと思いながら呟いた。


 7:

 エレベーターは最上階のさらに上、本来は決闘闘技のとき以外はたどり着くことのできない、建物の屋上へ到着した。

「先に一人だけおりますが、お気になさらずに」

「誰かいるのか?」

「彰吾クンでございます」

「あいつか……」

 

 浦佐田技研の屋上は、内側に折れたフェンスに囲まれた――闘技場だった。

 フェンスに囲まれて入るものの、天井付近は開いた状態で、白と空色が一面に広がっている。

 その決闘闘技の場の隅で、黒い覆面をした人物が胡坐をかいて何かしらを広げていた。 

 その中の一つにあったのが、特殊な形状のナイフ……くないだった。

 ショウゴ――一昨日の決闘闘技で、シュウジをぼろ負けにした忍者だ。

 彼だけは、シュウジたちが急遽やってくることを知っていたのか、わざわざ広い闘技場の隅っこで、さらに黒い覆面と黒装束を着たまま、広げていた忍具の手入れをしている。

 最低限、自分の素顔だけは隠している。

 彰吾がシュウジ達へ視線だけを向けると、声をかけることも無く手元へ視線を戻した。

 シュウジも彰吾と目が一度だけ合うと、そのまま視界から外す。

 そして、シャオテンとユーリを闘技場の真ん中ほどまで連れてくると、シュウジが突然に言った。

「さて、少し天井が低いかもしれんが、ここならユーリも羽を伸ばして飛ぶ訓練ができるだろ」

「え?」「え?」

 シャオテンとユーリが、シュウジのここに来た意図をようやく知り、驚いた。

「時間は限られているが、ここなら誰にも見られねえよ……アレはいないものと思ってくれて大丈夫だ」

 そう言いながら、シュウジが彰吾をあごをしゃくって指した。

 何気なく彰吾の隣に座っていたクジンも、まるで保護者監督のつもりか、にこやかに手を振って「ごゆっくり~」のジェスチャー。


「何をおっしゃられているんですか! ユーリ君の翼はもう――」

 シャオテンは言ってはいけないことを言いそうになり、はっとなって言葉を切ったが、もう遅かった。

 見れば、もう飛べなくなったのだと痛いほど知っているユーリが、俯いてしまっている。

「無理だよ……もう」

 苦しむ顔をして、ユーリが呟く。

「そうですよシュウジさん、あなたは今、どれだけ酷いことをなさっておられるのか、分かっておられるのですか」

 もうできなくなったと言う相手に、これ見よがしに自由な環境を与えて、好きなだけやれと言ったのだ。

「こんなんじゃ……飛べるわけ無いよ」

 左に方を抑えるユーリ。そちら側の背中には、半分ほどにかけてしまった方翼がある。

「まだ、試すらしてもいないだろ」

「試さなくてもわかるよ!」

 気持ちが抑えられなくなったユーリが、とうとう叫ぶ。

「もうできなくなったんだ! 飛びたくても! できないんだ!」

「うじうじしてんじゃねぇよ!」

 シュウジも、ユーリに叫び返した。

「体に翼つけてまでやりたかったことじゃないのか! さっきまでもう死んだようなツラしてたぐらいだろ!」

「ああそうだよ! 僕のすべてがこの翼だ! でももうできなくなったんだよ! 不可能だ!」

「そこまで言うなら、簡単に諦めてんじゃねぇ!」

 シュウジがユーリの間近にまで迫り、人差し指でユーリの胸を突いた。

「諦めるのも、決めるのも簡単だ!」

 シュウジの声が、強く響き渡る。

「だけどな! これが自分のすべてだっていうのは! それができなくなったら、何もかも失ってしまうって事じゃないだろ! ……地べた這い蹲ってでも! 絶対に諦めないって事だろ!」

「――ッ!」

 胸を突かれたユーリが、はっとなって目を見開く。

 ユーリの正面には、シュウジの顔――

「どこの誰かも分からんやつに一方的に奪われて、それでやめちまうほどの……その程度の事だったのかよ……テメェの全てってのは、たったそれだけのものだったか? これで諦めちまったら、それこそ……そんな奴に大事なものを奪われちまったって事に、なっちまうじゃねぇか」

「…………」

「決めるのは自分だが、自分のすべてだって言うなのら、どうあがいてでも諦めんなよ」


 シュウジと、ユーリをみるシャオテン。

「シンファ様……」

 おそらく、彼なりの励ましなのだろう。

 強引で、荒っぽくて、無理やりに無茶をさせようとする。

 だが、これしかないのかもしれない。

 ユーリがこのまま死んだような顔をし続けるのは……それをどうにかできるのだとしたら、こうやるより他が無かったのだろう。

 最悪、もっとユーリを傷つけてしまいかねない……。

 これがシュウジの、今のシンファの姿。

 ――あなたが、自分から人を傷つけてしまうかもしれないのですよ。


 ユーリからシュウジが離れる。

「…………」

 奥歯をかみ締めて、頭を深く下げたユーリが、強く握っていたこぶしを震わせて――手の平を解いた。

 トレーナを脱ぎ捨てて、さらに翼を収納するための特殊インナーを脱いで、

 無事な右翼と、半分かけてしまった左翼を露にする。

 伸縮する白い翼を広げても、左右の大きさが明らかに違っていた。

 飛べるわけが無いと、誰が見ても思うだろう……。

 それでも、ユーリは左右の翼をばたつかせる。

「うっ」

 ユーリが足元をよろめかせた。

 アンバランスな左右の翼のせいで、たたらを踏む。

「っと」

 シュウジが肩を貸して、倒れそうになったユーリを支える。

「右は風を掴めるけど、やっぱり左がうまく掴めない……飛び上がるときが、一番重要なんだ」

「しゃーねーなぁ」

 シュウジがユーリの背後へまわると、

「わわっ」

 シュウジがユーリを肩車で持ち上げた。

「足元は俺が支えてやる。これでどうだ?」

「……うん」

 シュウジの上で、さらにユーリが左右で大きさの違う翼を広げる。

「それでは、ユーリ君が倒れそうになったとき、落ちてしまわれます」

 寄ってきたシャオテンが、仕方ない人達だとあきれ気味な顔をして、シュウジの隣についた。

「倒れそうになったら、私が支えます」

「おう、しっかりやれよ」

「アナタに申しておりません……続けてみましょう」

 ユーリが下にいるシュウジの頭と、シャオテンの顔を見て、大きく頷いた。


「いやはや、お若いですねぇ」

 三人を見ていたクジンがのん気に呟いた。

 隣で忍具の手入れをしている彰吾を横目で見て、クジン。

「あなたも御子息と同じ年でしたね。一緒に混じってみてはいかがですか?」

 忍具を手入れしていた手を止めて、決闘闘技のシュウジの対戦者――忍者の彰吾が、ぎゃあぎゃあわぁわぁと言い始めだしたシュウジシャオテンユーリへ視線を向ける。

 やはりバランスを崩して倒れこんだユーリ。シャオテンが支えきれずに一緒になって倒れ、シュウジから理不尽に「何してんだ!」と怒鳴られて、シャオテンもまた怒り返していた。

「……ふん」

 彰吾が切り捨てるように鼻を鳴らして、忍具の手入れに戻る。

「やれやれ、ですね」

 騒がしい三人と彰吾を交互に見て、クジンが肩をすくめた。

 この様子では、昼を過ぎて日が暮れようとしても、彼らはきっと諦める気配を見せないだろう。

「まずは昼食の用意が必要ですか」


 地べたから少し離れたビルの屋上。

 ――空はまだ、少しばかり高い場所にあった。

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