Icarous Sky (中編)

 4:

「なんだったんだあいつは……」

「やはりお前でも、初見で食われたか」

 しかも、キャンサーをダシにして、情報の収集と、条件まで持ち出された。

 東条は、組んだ両手の上に額を置き、うなだれる。

「ソーサリーメテオの……とりわけセイバーズは、ただ単に凶刃なだけではない、一癖も二癖もある……煮ても焼いても食えん奴らだ」

 そう、完璧にやられた。

 ユーリ=マークスがソーサリーメテオの手に渡ったとなれば、それを口実にセイバー達と戦う口実が――師である先代の天秤座の、仇を討つ機会が手に入ったはずだった。

 基本、組織同士で争う場合は、あくまで『任務上』でなければならないという、この裏社会での暗黙のルールがある。

 個人だけの行動で他組織の者を……ましてや私怨で殺しに行くなど、それは自分の所属組織に対する裏切りに等しい。

 組織の『力』は『財産』でもある。

 その力を個人の目的で使うことは許されない。

 当たり前なのだが、組織は個人に対して……下々に対して展開されていない。逆である。

 組織は組織のために、属するものはその発展と成功拡大のために―― 

 そして暗黙のルールは裏を返せば、交流のある組織同士でも、任務上または自社を阻害する場合は、倒し倒されても遺恨は残すものではない。という事でもある。

 任務という形でありその上ならば、存分に私怨も無情もこめて戦うことができた――

「…………」

 東条は、もう何度も悩まされるセイバー達に、またも悩まされる。

 先ほどの情報交換で、初めて知った東条――怨敵であるソーサリーメテオの部隊名〈セイバー〉……凉平の相棒であるセイバー1こと、洸真麻人が組織抜けをしていたとは――

 それゆえ、凉平はユーリ=マークスを手にしたことで、こちらに対し先手を打ってきた。

 こちらの行動――凉平は東条がユーリ=マークスを取り戻す口実で、自分達へ攻めの行動を取るだろうと予測し……大胆にも先に現れた。

 相棒であるセイバー1が抜けた状態での戦闘は不利だと、戦況の差をいち早く問題にし、凉平はユーリ=マークスを『人質』と『条件』にしたのだ。

 ユーリを保護し、無駄な戦闘を相互に行わないという取り決めを作り、自分達の安全を保障させた上で、さらに今後も情報を開示する羽目になってしまった。

 ――こちらの出鼻をくじきながら自分達の不利を補い、さらに高みから眺められる余裕まで広げて、情報までも持っていかれたのだ――これほど憤ることは無い。

「食えんみたいだが、意外と親切な……いや、甘い奴なんだな」

「――は?」

 キャンサーの言葉に、東条は口を半開きにしてしまう。

「こっちの揉め事で巻き添えを受けたのにもかかわらず、俺らの事に目処が立つまで、ユーリを保護してくれるって事だろう? これはあいつらからの援助って奴じゃねぇか」

「お前は奴らを甘く見すぎている。先ほど足元をすくわれたばかりではないか」

「……ああー、はいはい。そうだったな」

 東条の顔を見て、肩をすくめたキャンサー。

 セイバー2凉平を初見したキャンサーの言葉は、東条にとってはそんな楽観的に思うことができなかった。

 


「ふう」

 凉平がラストクロスのビル(表面はただの高層ビルにしか見えない)から出てくると、一度息をついて背筋を伸ばした。ついでに肩も揉み解す。

 久しぶりに『作った』。

 ひょうきんで、お調子者、軽い表情を崩さないように――

 大胆に出つつも、観察と思考をめぐらし、隙あらば鋭く突き刺す。

 この自分自身の『作り』を最後にやったのはいつだったのかと考えてみて、実際はそう昔ほどでもないことに気づく。

 少なくとも、田名木柚紀と出会ってからは、自覚してやったことは無い。

 ……のだが、なんでか柚紀からは軽薄そうな人間に見られている気がする。

(にしても、たぬきには見せられねーな)

 頭の中で柚紀のやや軽蔑しかかった顔を思い浮かべて、凉平は嘆息。

 普段からそう思われているとしたら、わざわざ作っている姿を見せてしまえばきっと、その姿を二度とはがれないくらいに定着されてしまうだろう。

 それはそれとして、

 ――取引と十分な情報は得られた。

 なおかつ今後の流れに対する目測と指針……もう一人の試作試験体、ジョーカーに対しての防衛は雄自分たちでやらなければならないが……今現在で考えうる対策は立てられそうだ。

 ……不思議とこんな自分の『作り』に対して、今回ばかりは冷たいものが無かった。

 久しぶりにやったからだろうか? それとも、依然までとは何かが違うのか?

 少しばかり余計に思いつつ、凉平は今後の事を練り直した。

 今回の事は、おそらく根が深い。

 こう思ったのは自分自身の勘……とは呼べないだろう、シュウジが目撃したモノ。当事者達であるユーリをはじめ、上司であるあの蟹座と天秤座の話を聞いて、見渡してみれば、そう感じずにはいられなかった。

 

「それはおそらく、その研究班班長の台駄須郎は、失踪ではなくてLCを裏切って逃亡した。って事じゃないかしら?」

 ソーサリーメテオ部隊名〈アックス〉のリーダーエア=M(マスター)=ダークサイズ、村雲鈴音がやはり鳥羽凉平と同じ推測を立てた。

「だろうな」

 続けて、ひなた時計のマスター、五十嵐防人こと部隊名〈セイバー〉のリーダー、フレイム=A(エース)=ブレイクも。

「ふむ」

 アックス1である葉山誠一郎が、カウンターに座りながらため息に似た相槌を打ちながら思案顔をする。

 羅シュウジはただ黙りこくって、シャオテンの隣で難しい顔をしていた。

 今は夜のひなた時計。

 喫茶ひなた時計は、表向きはただの喫茶店であるが、その実態は裏社会の組織ソーサリーメテオのベースの一つであった。

 鈴音と誠一郎は常連客であり、庭崎加奈子や星川昴などの一般人アルバイトも雇いつつも、マスター防人と凉平は部隊名『セイバー』のAと2――

 そして鈴音をリーダーに、誠一郎とシュウジはアックス1とアックス2である。

 ただしシャオテンに関しては、彼らがそういった裏社会の住人だということを知っているが、彼らの組織の人間ではない。

 どちらかというと無関係ではあるが、強いてあげるならシュウジの個人問題、別組織の大崑崙の跡取り問題の側に立っていた。

「本当に、そうなんですか……」

 翼を持った少年……ユーリ=マークスにとっては、上司に裏切られた事になる。

 ショックは大きいだろう、さらに自分の翼を奪われてしまったのだから、さらに輪をかけて、だ。

「もう一人の試験体、呼称名『ジョーカー』……彼の君に対する襲撃と、研究班とその護衛をしていた改造人間、ほぼ全員の殺害。そして研究班班長の台駄須郎の失踪」

 呟くことで、内容を租借するように受け止める誠一郎。無感動にも聴こえる彼の声が、裏の顔になったひなた時計の店内に淡く広がった。

「班長である台駄須郎は、『横領』をしていた……自分の組織へ、表向きの研究成果を提出し、裏ではその資金と設備を使って私的な研究を行っていた」

 状況と、起こった事実を整理し、誠一郎が的確な推測を立てる。

 普段から的外れなことが多い誠一郎だが、的を得た彼の発言は、その差から誰もが納得してしまえるほどの言葉が出る。

「それがLCにも、君にも明かしていないもう一人の試験体『ジョーカー』……おそらく、君とそのジョーカーで相互に研究を行い、お互いに反映をさせていた。そして十分な搾取ができたところで、横領が明るみになる前に、自分も含め何者かに襲撃をされたという事故を装い、逃亡を図った……偶然が重なってうまくいかなかったようだが、そのまま隠し続けて過ごすよりも、意外性を差し引いても切りのいい行動だ」

 本当ならば、この真相は明らかになるはずは無かっただろう……しかし奇跡的にも、研究班の一人が、試験用移動式ベースから離れていたため、助かった者が一人だけいたのだった。

 その生き残った研究者も、シュウジシャオテンと同じく、黒い翼を持った改造人間を目撃していた。

 その正体不明の改造人間を、証言からの姿からラストクロスの幹部は、一時的に突然現れた悪魔……『ジョーカー』と呼称した。

 LC幹部である東条とキャンサーは、生き残った研究者からの証言から、隠されていたもう一人の試作試験体『ジョーカー』の存在を知り、そしてその日は台駄須郎が試験に参加していなかった事、そのまま行方をくらませてしまったことを続けて知る。さらに台駄須郎の横領も発見した。

 凉平が東条の前に現れたタイミングは、それらを知った直後……この事態を話し合っていたまさにその時であったのだ。


 完成しようとしていた飛行可能人間研究班への襲撃。

 現れたのは当人達も知らない、もう一つの飛行試験体『ジョーカー』。

 襲撃にまぎれて失踪した研究班班長台駄須郎と、明るみになった横領と私的研究の跡。

 ……これらを一本につなぐとしたら、これが一番の妥当な流れになる。


「もし研究班の研究を、内部外部の人間に関わらず盗み出して、先に飛行人間を完成させ、なおかつ本家を襲撃したとしても……」

 凉平の別の推測に、誠一郎が否定を述べた。

「本家の研究班より先に完成させることはまずできないだろう。出遅れている上に、LCはバイオテクノロジーにおいてはトップ、追い越すことのできる別組織など聞いたことが無い。研究班もほぼ完成とはいえまだ試験段階だ。本家の先を取って完成させるには時間が合わない。バイオ技術はより時間がかかる」

 凉平が、誠一郎にうなずく。

 さらに凉平が続けた。

「百歩譲って台駄須郎は研究成果を盗み取った奴らに、襲撃と同時に誘拐されたとしても……あくまでも筋が通りそうなのはたったそれだけで、他は納得するには難しい……どこの誰が盗み取っていたのかも、痕跡も見つかっちゃいない……一人だけ参加していなかった台駄須郎を誘拐したにしても、どこの誰かも分からない奴らにとって、あまりにも状況が都合が良すぎる」

 やはり、一本の筋道を模索すれば、台駄須郎の裏切りでしか、納得に足る要素が無かった。

「そのジョーカーが、また襲撃に来る可能性は、おそらく低いかもしれないわね」

 鈴音が今後の方針に切り替えた。

「だろうな」

 マスター防人……ブレイクが同意する。

「それはなぜでございますか?」

 今までシュウジと一緒に聞いていたシャオテンが疑問を投げかける。

 凉平が答えた。

「このままどこかへ逃げてしまえば……むしろ、もうばれていることへの証拠隠滅なんて無意味な行動に出れば、LCに足を掴まれかねない。このまま逃げ切って、あわよくば別の組織かスポンサーを見つけて、研究と引き換えに保護を要求すれば、そちらのほうがより安全だ。……このまま身を潜めて消えるんだろうな。襲撃……奇襲っていうのは一度だけするものだ。二度目はない」

 ついでに凉平が「徹底的に叩き潰したいんでなければな」と付け足す。

「じゃあ、このまま……終わりになるという事、なのですか」

「かもしれないな」

 凉平が認めるように肯定する。苦々しい顔をしながら。

 ――あまりにも、後味が悪すぎだ。

 自然に、一同の視線が、青い顔をするユーリへと集中する。

 もう『用済み』といわれたのとほぼ同じ――のユーリは、

 半分をもがれてしまった左翼を胸に抱きながら、うつむいて唇をかみ締めていた……。


 5:

「こんなことが許されていいのですか!」

 部屋に戻ったシュウジとシャオテン、シャオテンに明け渡されたスペースは未だシュウジの部屋の押入れの二段目だったが、そこから足を出して座りつつ、シャオテンは時間差で怒り心頭だった。

「うるせえ、黙ってろ」

 広げた敷布団の上で、立て肘を突いてごろ寝しているシュウジが、静かながらもぴしゃりと言い放った。

「ですけど! あれじゃあユーリ君が!」

「俺達は関係ねぇだろうがっ!」

 やはり、シュウジも苛立ちが抑え切れなかったのだろう、シャオテンに触発されてとうとう怒鳴る。

「関係ないってなんですか! 冷たすぎますっ!」

「俺達はラストクロスの人間じゃないだろ! この事はそっちの問題だ! 俺達は手出しできないんだよ! 向こうにとっては部外者なんだよ!」

「部外者をきどって、しょうがないで終わりにするのですか!」

「本当に俺達ができることが無いんだよ!」

「できることなんて探せばきっと――」

「そうじゃない! 『やっていい事』が無いって意味だ!」

 シュウジが起き上がって、シャオテンへ向いた。

「俺達はな、本来はラストクロスとは敵同士なんだよ。当然、奴らの改造人間と戦ったこともある……敵である俺達が、かわいそうの一言で……そんな一存でしゃしゃり出てきて良いことじゃねえ!」

 シュウジが立ち上がり、押入れの二段目から、行儀悪く足を出して座っているシャオテンへ近づくと、

 シャオテンの足をつかんで、勢いをつけてひっくり返した。

「ふぎゃん!」

 押入れの中で逆さになったシャオテン。

「とっとと寝ろ!」

 苛立ちをこめて、シュウジは押入れのふすまを八つ当たり気味に閉めた。


 さすがに部屋の外の廊下まで、二人の言い合いが聴こえていた。

 盗み聞きするつもりは無かったが、耳に入ってしまってはしょうがない。

「ったく……」

 凉平が、ため息混じりに呟く。

 ここ最近、こんなことばかりだ。

 厄介ごとではなく、こういった気の使い方や、気苦労である。

 そろそろと足音を殺して、ようやく静かになったシュウジとシャオテンの部屋から離れていく。

 後味の悪さと苛立ちは、何も彼らだけが感じているわけではない。

 凉平もその一人。

 裏社会では、こういったことが頻繁ではないにしろ、ありがちな話だった。

 慣れてしまえは他人の目線でいられるが、シュウジとシャオテンにはまだ慣れが無く、その怒りももっともでもある。

 だがしかし、彼らがそうしているからこそ、自分まで一緒になって苛立ちを表に出すわけには行かない。

 そしてこいつらもそうだが、あのユーリについても、様子柄から気を使わなければならないだろう。

 ――お兄さんは大変ね。

 突然に降ってきた、たぬきのあの言葉。

「うっせーよ」

 凉平はようやく意味を理解して、一人で悪態をついた。


「いたたた……」

 シュウジにひっくり返されて、後頭部にこぶができていた。痛くて寝心地が悪い。

 本当に乱暴な人だ……シュウジ――シンファは。

 彼は自分が知っていた、シンファだった頃とはまったくの違う人になってしまったのだろうか。

 可憐で、優しくて、美しかった頃――シュウジが女の子シンファとして過ごしていた頃を思い出すシャオテン。

 変わってしまったのか、あるいはこの姿が本性だったのか……いまだに煮え切らないように判断がつかない。

 どうして、こんな風になってしまったのか……。

 押入れのふすまを、ほんの少しだけ開けて、外を除き見る。

 今のシンファ――シュウジの寝ている姿があるはずだった。

 こっそりと確認するように、ふすまの隙間から彼の布団を見ると――

「あら?」

 シャオテンがふすまをさっと開けた。

 薄い掛け布団が二つ折りになっていて、シュウジの姿が無かった。

「お手洗いでございますか?」

 暗がりだが、そう呟くも室内にシュウジはいなかった。

 シャオテンは押入れから降りると、そのまま部屋を出てシュウジの姿を探す。

 なぜか、彼が気になったシャオテン。

 

 階段を下りてみると、シュウジはすぐに見つかった。

 廊下で彼が立ち尽くしている。

「?」

 眉をひそめて、ゆっくりとシュウジに近づくと、シュウジもシャオテンに気づいた。

 シュウジは、シャオテンが声をかけるよりも早く口元へ人差し指を当てて、静かにと目配せ。

 シュウジが居た場所は、ユーリの寝ているはずの部屋の前だった。

 シャオテンがシュウジの傍まで寄ると、彼と同じように聞き耳を立てる。

 耳を澄まして、わずかに聞こえる声に気づいた。

 ――泣いている。

 部屋の奥で、ユーリが声を殺してすすり泣いていた。

 ……わずかに聞こえる分、よけいに痛々しさが伝わってくる。

 ひょっとしたら、さっきのシュウジとの言い合いが、ここまで聞こえていたのかもしれない。

 しばしの間、シャオテンは隣に居るシュウジと聞き耳を立てていたが、一向に泣き声がやむ気配は無かった。

 ――一体どれだけの間、泣き続けているのだろうか。

 シャオテンが、ユーリの部屋のドアに手をかけようとして、シュウジが手で制した。

 やめておけ。

 暗がりで表情は見えないものの、シュウジはシャオテンへそう言っているようだった。

 確かにここでドアを開けて慰めに行ったとしても、どの程度の事ができるのだろうか?

 ユーリのこの状況と、負ってしまった傷に、無関係の自分がどれだけの事ができるのだろうか……。

 ――おそらく、ほとんど何もできないのかもしれない。

 慰めるにしても、言葉が思いつかない。

 そしてシャオテンは気づいた。

 つまりは……先ほどのシュウジの言葉は、こういうことなのでもあるのだろう。

 ――したくても、できないのだ。

 ここでそうしたら、それはあくまで同情からの『自分達がそうしたい』という――ただの押し付けになるかもしれない。

 受け取る側のユーリは、どう思うのだろうか?

 自分がしたいだけの慰めは、ひょっとしたら自己満足なだけなのかもしれない……。

 ――彼は、そうと分かって、ああ言ったのだろうか?

 暗がりの中で、表情が見えないシュウジを見る。

 ただの体面による冷たい言いわけだったのか、それとも彼に対する配慮だったのか……。

 答えは分からぬまま、シュウジはシャオテンを残してユーリの部屋の前から去っていく。

 シャオテンは一度だけユーリの部屋のドアを見てから、

「…………」

 シュウジの後を追った。

 彼の言動は少なくとも、シャオテンは後者であって欲しいと思い、願った故に、この場を後にした――


 部屋に戻ると、シュウジは布団の傍にあった携帯電話を取り出して、また部屋を出ようとする。

「どうしたんですか?」

 出て行こうとするシュウジに、シャオテンが小声で聞く。

 どこへ電話をかけるのだろうか?

「そのまま寝てろ」

 シュウジは「来るなよ」と最後に杖下、そのまままた部屋を後にする。

 今回ばかりは素直に、シャオテンは押入れの二段目に入って、静かに待っていると、

 ほどなくしてシュウジが戻り、そのまま布団へ潜り込む音を聞いてから、いつしかシャオテンは眠りについた。

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