第六話 シュウジ編2

Icarous Sky (前編)

 1:

 突然に横殴りの突風に襲われ、大きくぐらつく。

 即座に対応して体制を整えた。ただし、風の流れに逆らうのではなく、一度流れに流されるまま体を預けた後で、体勢を持ち直した。

(鳥のように……風のように……)

 心の中で、そうおまじないのように言い聞かせ、何度も訓練をして慣れきった突風を潜り抜ける。

 ――耳につけていた小型無線機から声。

 今の突風で通過ルートを大きくずらしてしまったらしい。

 一言、突風です問題ありませんと告げて、暗視スコープ越しの夜景から指定ルートを探して、元のコースへ戻る。

 未だ折り返しですらないが、街中の夜景のせいか時間がかかってしまっていた。

 初めての夜間飛行……。

 今日の飛行試験は、まだまだ時間がかかる。

(今日は長い時間飛んでいられそうだ)

 試験結果が悪くなることは確実だったが、その分長く飛んでいられることに、ついマスク越しで口元がほころんでしまう。


 はぁ……はぁ……と肩で息をして、呼吸を整え――る暇もなかった。

 シュウジの顔、真正面へ突き入れてきた刃物を回避。

 正面の相手から半身になって、さらに後ろへ飛んで距離を取る。

 胴体を横一文字に切り裂くような蹴りが放たれてきた。

 しかしうまく働いた勘で後退しただけあって、その蹴りは自分の胴を横凪にすることはなく、すれすれで空を切った。

 相手は追ってこない。

 お互いに距離をとったまま静止。

 着地した後の屈んだ姿勢から、最大限の警戒を保ちつつ立ち上がり、構える。

 相手は既に構えていた。静かに――

 

 シュウジと今回の対戦者の闘技を見つつ、クジンはあくびをかみ殺した。

 浦佐田技研……というビルの屋上。その場所に設けられた闘技場では、シュウジと大崑崙からの刺客との、決闘闘技が行われている。

 この決闘闘技の審判者でもあり、その闘技の一切の仕切りを任されているのがクジンだった。

「暇ですねぇ……」

 ぽつりと呟くクジン。

 シュウジと今回の対戦者は初見同士。当人同士にとっては、必死に出方を探り合う攻防であったが、審判側であるクジンにとっては、長丁場の小競り合いを眺め続けるのは退屈だった。

 特に、クジンにとってレベルの低い者同士の小競り合いは……だ。

 闘技場のフェンスの上、一角に座って見下ろすように両者を眺め、また出そうになったあくびを手で押さえて口を揉み解すクジン。

 裏社会、武器兵器会社『大崑崙』

 その首領……青虎は、目の前で刺客と戦っているシュウジの実の母親だった。

 同じ色をした金髪の髪と相貌が重なる顔……もっとも、今の彼は手入れをしていないぼさぼさ頭に、傷だらけも相まって、いっそう凶悪な顔つきになっているが……。

 なせ大崑崙の首領が、自分の息子に刺客を送って決闘闘技をさせているのか?

 それは、大崑崙の次期首領にシュウジが選ばれていたが、ただ単に一人息子というだけで、その席に就かせるとこに幹部達は不満をもったからだった。

 だからこそ新しきリーダーに、彼が相応しき力があることを証明するため、幹部たちが用意した刺客と彼を戦わせ、次期首領としての力を証明させるのが、この決闘闘技だった。

 本人の意思に関係無く――


 相手は、自分を超えるほど……さほど強いというわけではないものの、やはり強かった。

 強いて言うならば、『強力』ではなく、『達者』という意味で強い相手。

 一度だけ、肺の中の空気を落とすような深呼吸をして、構えを持ち直すシュウジ。

 自分は未だ本気全力を出しているわけではなかった。体がぼろぼろでありながらも。

 ――それは相手が、こちらに本気を出させない戦い方をしてきたからだった。

 単純な腕力や技だけが力とは限らない。

 知略を巡らし、戦略を組み立てること。対戦相手に全力を出させない戦い方、相手を優位に立たせないように動くこともまた、力である。

 周囲にはまきびしと言われる、小石程度のとげの塊が、そこかしこにばら撒かれている――移動能力を制限されていた。

 少し離れた所には、煤で汚れた地面。先ほど、大きく距離を取ろうとし、即座に爆弾で牽制をされた。

 本来は銃器毒物など、自分の実力に関係ない殺傷武器は禁止されているものの、この丸い爆薬は小規模で、殺傷能力は決定的なところではまったく無く、真に牽制や追撃程度の攻撃力しか持っていない、故にこの闘技では有効だった(あくまで、仕切っているクジンの判断だが)

 そして、正面にいる今回の対戦者。

 くないと呼ばれる、日本の暗殺者の扱う刃物を二刀に持ち、右肩を前へ出した半身の構えで相対している。

 その『忍者』は、まるで闇と同調しているかのように静寂をまとって、こちらに向いていた。

 顔面に食らった爆弾のせいで、口の中で気持ち悪い味がする。つばを一度地面へ吐き捨ててから、シュウジは意を決してその忍者へ向かった――


 もうすぐ折り返しの地点だった。

 ここのあたりから、方向転換をして戻ってくる。

 夜闇の中で手探りにここまで来たが、帰りは道筋を覚えている分、余裕を持って楽に戻れそうだ。

 小型無線機から折り返し地点に到着し、報告。文字通り空を切るように翻って岐路に就く。

 と――

 ばさり、ばさり

 自分しかいない世界に、別の羽ばたきの音が聞こえてきた。

 頭を上げ、さらに背後を向くと――

「ッ!」

 自分しかいないはずの翼の世界に。

 夜よりも深い、闇の翼を持った『悪魔』が自分の頭上に、

 居た――


「お帰りなさいませ……」

 浦佐田技研ビルの真下で出迎えたシャオテン。

 迎えながらも、もごもごと歯切れの悪い言葉で。

 未だ、こういう時にシュウジを『シュウジ』と呼ぶか、本当の名前『シンンファ』と呼ぶかに戸惑っている様子。

「来るなと言っただろ」

 ぼろぼろ煤だらけな姿のシュウジが、いつもよりひと際不機嫌に、シャオテンから目を逸らして脇を通り過ぎた。

「ですが、そんなぼろぼろのお姿で、せめて誰か付いていないと……」

「手の内は把握した、次は問題無い」

 さらにシュウジがぶつぶつと「至近距離でばら撒きやがって」と呟いて、燃えた火薬の臭いがべっとりと付いた髪を、がりがりと掻いた。

 それ以上何も言えないのか、シャオテンは一人歩くシュウジの後ろについてビルを去った。

 特に何かを話すわけでもなく……といっても、元々シャオテンには言及することの出来ない決闘闘技であり、シュウジにとってはボロ負けしただけあって、殊更お互いに口をつぐんでいた。

 背後にいるシャオテンは、いろいろ聞きたそうな顔をしているが、生憎シュウジからはシャオテンの様子は視界に入っていない。

「あの……」

 シャオテンが、気まずそうにシュウジを呼ぶ。

「あん?」

 しかしシュウジの視線はシャオテンへではなく、真上に向いていた。

 自分達が寝泊りしている『ひなた時計』へ向いていた二人の足が止まり、シャオテンも同じように目線を上空へ向ける。

 と――

 夜目が効かず、よく目を凝らして夜空を見上げる二人が見えたのは、

 落ちてくる人間だった――

「「え?」」

 二人して間抜けな声を上げた。

 どこかのビルからの身投げ……? 自殺?

 一瞬だけ、そんなことを同時に思いつつ、それは違うとすぐに分かった。

 人の形をして落下しているものは、明らかにもがいていた。さらに――

「!」

 いきなり猛スピードで飛来してきた黒いものが、まるで猛禽類が獲物へ飛び掛るように、人型へ追撃。

 落下していた人物――目視で確認できるほど堕ちてきた人物は、黒い物体にはじかれ、近間のビルの壁面に激突……バウンドした形でこちら側へ落ちてくる。

 自殺ではない、襲われて墜落しているのだ。

「シャオテンッ!」

「はいっ!」

 シュウジがシャオテンを呼び、シャオテンも答えた。

 決闘闘技のダメージもそっちのけでシュウジが先行し、シャオテンがその後へ続き、二人が落下してくる人間へ向かった。

 相手はかなり高いところから落ちてくる、二人がかりでも、あのように高いところから落ちてくる物体を受け止めるのは……むしろ激突に近い。

 先行していたシュウジが、大まかな落下地点を予測。その場所にたどり着くと、踵を返して両手を組み、その場にしゃがんだ。

「行け!」

「はいっ!」

 シュウジに追いついてきたシャオテンが、シュウジの組んだ両手に、走ってきた勢いそのままで足を乗せ、タイミングに合わせてシュウジがシャオテンを上空へ投げ飛ばす。

 シャオテンも、投げ飛ばされると同時に跳躍し、落ちてきた人物へした斜め方向から……ぶつかる勢いで上空で受け止める。

 これで多少は、落下の勢いを減らすことが出来た。

 さらに、シャオテンの着地地点にシュウジが移動している。

 シュウジがまた、今度は両腕を組んで構えていた。

 その場所へ、シャオテンがシュウジの両腕の上に着地し、もう一度跳躍。今度は地面に両足を到着させた。

「ふう……」

 落下速度――勢いをなるべく段階的に減らしつつ、何とか救出に成功。

「あー、ってて……」

 決闘闘技でのダメージを思い出したのか、苦悶の顔を浮かべ、痛む手を振りながらシュウジがシャオテンへ歩み寄る。

「生きてるか?」

「ええ、なんとかですの」

「おまえじゃない」

 即興のコンビネーションで成功したことに安堵したのか、ほっと息をつくシャオテンだったが、シュウジが気になったのはシャオテンではなかった。

 シャオテンが抱えている人物――落下してきたのは、意外と大きな体格の人物ではなかった。

 大雑把に見て、シャオテンと同じくらいの、黒い制服に身を包んだ、小柄な――少年。

「シンファ様っ!」

 シュウジの本当の名前、シンファの名前をシャオテンが呼び、その抱えている少年をシュウジに見せた。

「……これは」

 その少年は、ぼろぼろの黒い制服に、体中から血を流していた、

 その背中に生やしている、闇色に染めた『白い翼』からも――


 だだだだだだだだだだ――

「ん?」

 閉店したひなた時計の店内で片づけをしていた凉平が、忙しない足音に気付いて外を向く。後頭部から垂れた、ひょろりとした長髪が揺れた。

 がらばんっ!

「セーイチ!」

 やはり戻ってきたのはシュウジだった。

「おまえら、もっと静かに戻ってこれねぇのか、あいつなら少し前に――」

「誠一郎様!」

 後に続いて戻ってきたシャオテンも、シュウジと同じような勢いで誠一郎の名を呼ぶ。

「すぐに呼べ!」「呼んで下さい!」

 二人の誠一郎コールが重なる。

 ……普段からケンカばかりのくせして、やっぱ息がいいなぁと凉平は思いつつ――

「何だそれ?」

 シャオテンが背負っている、黒い制服を着た少年――シュウジの上着をかぶせてはあるが、異様に背中が膨らんでいた。まるで背中に何かをしょっていて、それを隠しているかのように――

 と、すぐに分かった。シュウジの薄手の上着から、じんわりと血がにじんでいたからだ。

「とにかく呼べぇ!」

 叫んだ勢いそのままで、なぜか凉平はシュウジに殴られた。

「――イテェだろ落ち着け!」

 凉平が片手で携帯電話を取り出しつつ、シュウジの頭にゲンコツを入れる。


「……もう大丈夫だ」

 未だじんわりと重く痛む腹をさすりながら、誠一郎が翼を生やした少年の胸から手を離す。

 まだひなた時計の近くにいた誠一郎。そして、重苦しく痛む腹は、シュウジからの以下略である。

 今は店内ではなく、その奥の一室に全員がそろっていた……ひなた時計のマスター、防人は居ないが。

「よかった……」

 シャオテンがほっと息をつく。シュウジも言葉にしないものの、同じようにわずかに息をついた。

 凉平といえば、その背中に翼を生やした少年よりも、むしろその少年が着ていた制服が気になるらしく、壁にもたれながら制服を広げてじっと見ていた。

「この少年は誰なんだ?」

 誠一郎は自身の持つ治癒の能力で、少年を回復させた手前だったが、まったく事情を聞かされないままだった。

「えっと……」

 とんでもなく焦っていたシュウジが落ち着きを取り戻し、経緯を説明しようとして返答に困っていると、その代わりにシャオテンが答えた。

「空から降ってきたんです」

「ふってわいて来たと?」

「違います本当に落ちてきました」

 微妙に論点がずれそうになったところを、シャオテンがぴしゃりと真面目に言い放つ。

「……ふむ」

 人間が空から降ってきた。と言われたらまるでどこかの映画か物語かとも思うが、事実、背中に鳥のような羽を生やしている人間ならば、振ってきてもおかしくは無い。――と誠一郎は思い直し。

「すごいラブストーリーだ」

「前々から思っておりましたが、いつもいつもズレたところで納得なさらないでください」

「む……」

 どう返答したら良いのか分からず、言葉を詰まらせる誠一郎だった。


「この制服――」

 ふと、一人離れた壁際で、制服を広げていた凉平が口を開く。

「やっぱラストクロスのデザインに似ているな」

 LC――ラストクロス。

 裏社会に数多くある組織の一つであり、生物兵器生物改造……裏社会のバイオテクノロジーの頂点に君臨する裏社会の大組織の一角。

「それならば、納得が出来る」

 誠一郎が、敷布団で眠っている少年を見る。もっとも、彼が見ているのは少年ではなく、布団の中に隠れた翼の方であったが。

 この少年は間違いなく、LCの改造人間だ。

「ただよぉ……」

 凉平が話を続ける。

「LCは、まだ単体で空を飛べる改造人間なんて、成功した事例が無いらしいぞ」

「え?」

 聞き返したのはシャオテン。

 それに誠一郎が口を開いた。

「一般的な人間の体重でも、単体で空を飛ぶには、方翼でも十メートル近く必要なはず、……この少年は小柄だが、どう見ても羽が小さすぎる……」

「それもそうなんだが……そこじゃねーんだ」

 凉平が誠一郎の言葉を切る。

「大方コイツは、LCの試験体なんだろうな……試験飛行中に墜落でもしたんだろ。近くにLCの人間はいなかったのか?」

 凉平がシュウジ達に聞く。

 シュウジとシャオテンが顔を見合わせ。

「おりませんでしたね」

「だな」

 飛行試験ならば、もっと慎重に人里離れた範囲で行うものだが、シュウジ達が出会ったのは、決闘闘技の帰り道、オフィス街であった。

「ならば、試験が成功していた……のか?」

 誠一郎が頭の中で考えながらぽつりと。

「実験、試験に成功し、今度は市街地での夜間飛行中に、なんらかの事故が起きて墜落……」

 そして、それをシュウジらが発見。という流れだったのだろう。

「攻撃されていたようだった」

 ふと思い出したシュウジ。

「攻撃? 狙撃されたのか?」

 誠一郎が眉根をひそめ、部屋の隅にいた凉平も似たように顔つきを固めていた。

「いや、コイツよりも大きなやつが……速すぎて見えなかったが、鳥みたいに飛んできて、落ちてくるこいつを攻撃して、すぐに消えた」

「ふむ……別の試験体か?」

「飛行中に喧嘩でもなさったのでしょうか?」

「君たちでもあるまい」

「……今なんておっしゃいましたか?」

「いや、なんでもない」

 ジト目で睨んでくるシャオテンから、誠一郎はそっぽを向いて目を逸らす。


 シュウジにはぐさりときたらしく、反発したシャオテンに隠れて、気まずそうに視線だけをを逸らし――目を逸らした先の凉平が、畳に置いた制服を見ながら、何か深い考え事をしている表情が目に留まった。

 ……何か思い当たる節か、思う所があるような。そんな気配。

 シュウジの視線に気付いた凉平が、一度ため息をつく。

「とりあえず、起きてから聞ける範囲だけ聞いておこうぜ、LCの機密事項なのは確実だからな。大部分は聞けないだろうが……無駄に敵に回さないように、連絡取らせられるようにしないとならんだろうな」

 凉平が、会話をまとめるように指針を促した。シュウジシャオテン、誠一郎もそれに同意。

 一同が、布団の中で眠る、翼を持った少年へ視線が集中した。

「まったく……厄介なもの拾ってきやがって」

 凉平が、邪険そうではないものの、やや疲れたようにもう一度ため息をつく。


 全員の視線が少年に向けられた中、凉平だけがラストクロスの制服をもう一度だけちらり見た。


「う……」

 少年が呻き声を呟き、うっすらと目を開いた。

「目が覚めたようだな」

 目覚めた直後で頭がぼんやりしているのか、横目で誠一郎、シャオテンシュウジと、反対側に居る凉平を順々に見て――

「わわっ!」

 いきなり飛び上がるような驚きを見せて布団の中へ潜り込んだ。

 布団の中で丸くなる少年。

 不思議そうに、シュウジとシャオテンが顔を見合わせる。

 もごもごと、布団の中から、少年の気まずそうな、くぐもった声が

「見た?」

 シュウジが返答する。

「ああ、落ちてくるのをな……」

「……見た?」

 もう一度聞き返してくる布団の中の少年。

「背中の羽の事か?」

「わーわーわーわーわー!」

 聞いた手前なのにも関わらず、答えを知りたくなかったのか、布団の中で叫ぶ少年。

「見ちまったもんはしょうがねぇだろうに。顔ぐらい出せよ」

 呆れ気味に、凉平。

「どうしよう……」

「どうもこうもないだろ」

「うう……」

 観念したのか、十数秒の間を置いてから、もぞもぞと布団から少年が這い出そうとして、

「安心しろ、俺たちは同じアンダーグラウンド、ソーサリーメテオの人間だ」

 誠一郎の声で布団の中で少年がビクリと跳ねて、

「ひぃぃぃっ!」

 また布団の防護壁を頑なにした。

「馬鹿おまえ、警戒させてどーすんだよ……」

 凉平がとうとう肩を落とす。

「そ! ソーサリーメテオって、狙われた奴は死ぬしかないっていう、あの残虐無情無慈悲冷酷暗殺集団のっ! ソーサリーメテオ!」

 布団の中で震えた声を出す少年。おそらく中でも震え上がっているのだろう。

「みなさん、そんな恐ろしい方たちだったんですか……」

 引き顔のシャオテン。

「これがそう見えるか?」

 凉平が誠一郎へ人差し指を向ける。

「…………」

 凉平の指先に促されるまま、誠一郎の無表情の顔と、先ほどからの言動を照合し、

「見えませんね」

 あっさりと納得した。

 微妙に傷ついたのか、誠一郎が目を伏せて、指先で頬を掻く。

「まぁ、任務だから、実績はまんまだがな」

 凉平が苦笑交じりに付け足す。

「や、やっぱりぃぃぃぃい」

 がたがたと、布団越しでも分かるほどに震えている少年。

「あくまでも任務で、だ。別に誰彼かまわず殺しまくってるわけじゃねーよ。少なくとも、お前さんを抹殺するよう言われてたのなら、手当てしたりも、そもそもここへ運んだりもしていない。そこは安心しろ」

 幾分かは恐怖が緩和されたのか、少年が「本当に?」と聞き返す。

 凉平も落ち着き払って、さらに柔らかく「ああ、お前を助けたのがウチの奴らだ」と肯定。

 ようやく、少年が布団から顔を出した。

 凉平が聞く。

「んで、お前さんの名前は?」


 2:

「この子は、どちらの子なんですか?」

「あー、凉平の隠し子だ」

 がらぴしゃぁぁーん!

 あっけらかんとしたシュウジの答えに、田名木柚紀は頭の中で雷鳴を轟かせて硬直した。


「まてまてまてぇい!」

 明らかなシュウジの嘘を真に受け、割れた表情をする柚紀にそのやり取りを聞き逃さなかった凉平がツッコむ。

「そんな……まさか……」

 信じられないとばかりに弱々しく首を振りながら、後退して凉平から離れる柚紀。

 隅っこで聞いていたアルバイトの庭崎加奈子が「騙されるんだ……」とこっそり苦い笑みを浮かべている。

「おいこら」

「軽そうな人なのは前々から思ってたけど、そんな……」

「……お前、さり気にそんな風に俺を見ていたわけか」

「子供はちゃんと親が守ってあげないといけないんですよ!」

「落ち着け!」

 べちんっ!

「あうっ!」

 凉平のチョップが柚紀の脳天へ落とされた。

「だいたい、俺がこんな大きなガキを作ったんだったら、そん時俺はいくつなんだよ……それよか、似てる似てない以前に白人顔じゃねーか」

「……あ」

 頭を抑えながら、柚紀がようやく気付く。

「……ユーリ=東条です。初めまして」

「あ、どうも。田名木柚紀です」

 柚紀がぺこりと会釈をしても。昨夜の翼を持った少年、ユーリは目を伏せたままで陰気な空気を持っていた。

 そして、ふらふらとした足取りで「少し休ませてください」と、聞き取れたかどうかも分からない小さな声を呟いて、そのまま奥へと消えていく。

「……暗い子?」

 ユーリの背中……やや大きめのトレーナを見送って、柚紀が呟く。

 ユーリは、大き目のトレーナーを着つつも、背中にあるはずの翼の輪郭が一切見えなかった。

「あの子の父親は、凉平の古い友人でな――」

 カウンターの中に居たマスターが事情を説明しようと口を開いた。

「国外からこっちにきていたんだが、疲れからか妻と二人そろって入院してしまってな。しばらく引き取ることになった」

「じゃあ、ユーリ君。お父さんお母さんが心配なんですね」

「ああ、だからまだしばらくは、そっとしておいてやって欲しい」

「わかりました」

 マスターのフォローに、柚紀の見えないところで、ほっと凉平が胸をなでおろした。


「あー面白かった」

「お前……」

 ニヤつき顔をしたまま、シュウジは睨む凉平を無視し、背を向けて去っていった。

「あの野郎は、ったく……」

 忌々しくシュウジの後頭部へ視線を突き刺している凉平を横目で見ながら、柚紀が何の気もなしに凉平へ。

「お兄さんは大変ね」

「あんなのが弟だとか絶対いらんわー」

 未だ苦々しい顔をしている凉平。

「…………」

 柚紀がくすりと口元を綻ばせた。

「それもあるんだけどね~」

 今のはシュウジに対する発言ではなかったのか、柚紀はクエスチョンマークを浮かべた凉平を尻目に、

「まー、がんばってね~」

 柚紀はカウンターのスツールへ向かいつつ、一見投げやりな言葉を背後にいる凉平へ投げ、ユーリが入っていった奥を一度だけちらり見みた。、


 テーブル席の食器を片付けつつ、シュウジは気付いたようにその手を止める。

「…………」

 ユーリが引っ込んでいった方向、そこへ目を向け……先ほどのニヤ付いた顔も失せた表情のまま、止めていた手を再度動かした。


 ユーリ=マークス。それが翼を持った少年の名前。

 名字を東条にしておけ、と『設定』したのは、なぜか凉平だった。

 やはり、ラストクロスの特別試験体であり、昔からラストクロスでの課題であった、飛行可能改造人間の成功者だった。

 ユーリ自体も、緊急事態の中、ラストクロスの機密事項を、援助してもらえるとはいえ他者へどこまで話せばいいのか判断が付かず、とりあえず聞くことはそこまでにしておいた。

 それに何より、彼にとってはそれすらも判断できないほどの、衝撃を知る事となってしまっていたからだった。


「…………」

 緑に澄んだ眼を見開いて、表情を失うユーリ。

 気まずい空気の中、それでも話さなければと察したのか、誠一郎が口を開く。

「俺の治癒の能力で、君は助かった……体中が骨折だらけで、どこもかしこも酷い損傷だった」

「…………」

 ちゃんと耳に入っているかどうか、不安なところであったが、誠一郎は続ける。

「おそらく、その場に君の仲間たちが居たとしても、命が助からなかっただろう……」

 唇と指先を震わせているユーリを目視できず、シュウジもシャオテンも凉平ですら、そこへ目を置いて良いのか判らず、視線を宙に漂わせていた。

「俺は、確かに瀕死の重傷ですら即座に直すことも出来るが――」

 それはまるで、ユーリが目の当たりにしても受け入れられない事実を、さらに明確にしてしまう言葉でもあった。

「肉体の『大きく欠落した部分』を再生させることは、出来ない」

「…………」

「裂傷部分、または切断された箇所を繋げて直すことは出来るが……君の命を救うには、即座に完全回復させる以外の救命方法が無かった……当然、君を発見した場所へ行って探す時間すらも無かった」


「…………」

 ユーリが無言のまま、誰もいない今の中で静かにトレーナを脱いだ。

 翼は元々いくつかの生物遺伝子を組み合わせたものであり、特に軟体動物の遺伝子を組み合わせたおかげで、服の上から十分に大きさを隠せるほどにまで収縮することが出来ていた。

 トレーナーを脱いで、上半身に力をこめると、翼がまた元の大きさへと膨らんでいく。

 が――

「…………っ」

 何度広げてみても、動かしてみても、左の翼は右の翼の半分ほどの大きさにしかならなかった。

 ユーリの白い翼……血で薄く赤いまだら模様が残っている翼は、

 左の翼だけ、全体の半分近くが失われていた――



「んじゃあ俺、抜けますわー」

「うむ」

「行ってらっしゃいませー」

「行ってらっしゃい」

 マスター、シャオテン、加奈子へぶっきらぼうに告げて、エプロンをカウンターの隅に置いた凉平に、マスターが了解と短く返事をした。

「どこか行くの?」

 昼食のエビピラフを食べ終えた柚紀が、凉平に聞く。

「ん、『お見舞い』だ」

 肩をほぐして、さらに軽く回す凉平が答えた。

「余計なことをしてくるんじゃないぞ」

「わーってるよ」

 マスターに釘を刺され、ぶうたれた顔をする凉平。さらにぶつぶつと「俺だって本当は行きたくねーっつの」と小さく呟いた。

「相手は入院してるんだから、はしゃいだりしないようにね」

 ついでに柚紀も、凉平に釘を刺す。

「…………」

 先日の一軒で、実は凉平は仲の良い『友達』ほど、悪態をついたり、さらに悪い冗談で接するということを知った柚紀。

 つまりは、そこまでできるほど気を許している相手。になるらしい。

「お見舞い品はいいの?」

「途中で適当にメロンでも買っていくかなぁ……」

 と――

 からんからん

「やっほー」

 気軽な挨拶で来店してきたのは鈴音だった。

「鈴音さんこんにちわー」

 柚紀に続いて、凉平も「どもっす」と短く答える。

「あら? アンタどこか行くの?」

 エプロンを取っている凉平を見て、鈴音が素朴に聞いた。

「ええ、そうっす」

「ふーん」

 鈴音はただ単に聞いただけだったらしい。さっさと柚紀の隣の席へ座った。

「たぬちゃん最近仕事はどう?」

「ぼちぼちですね」

 最近、たぬきと呼ばれることに抵抗を失いつつある柚紀。

 まだ微妙な表情が残るあたり、正確には諦めた。という方が近いかもしれない。

「んじゃあ行ってきますわー」

 軽い足取りで、柚紀と鈴音の背後にいた凉平が外へ出ようとする。

「いってらっしゃーい」

 柚紀がそう言葉を投げたところで、

「あ」

 出入り口に手をかけた凉平がはたと気付く。

「? どうかしたの?」

「しまった。今俺バイクねーんじゃん……」

 先日の一件で、凉平は長年持っていたバイクがお亡くなりになっていたのだった。

「ばーか」

 頭を掻きながら外へ出て行く凉平を見つつ、柚紀がニヤニヤと笑いながら見送った。


 3:

 裏社会――アンダーグラウンド

 一般の世界、通常の社会の、その水面下に存在する裏の世界。

 その裏の世界では、当たり前の法律、規律、道徳、ルールなどは存在せず、純粋な力と金、大小の多数規模の組織が名を連ね、純粋に歪んだ世界が広がっていた。

 純粋に歪むとは、聞こえは矛盾しているかもしれないが、実際にはその通りだった。


 人を殺めてはいけない。人を傷つけてはいけない。他人の生活を脅かしてはいけない、財産を奪ってはいけない。


 そうしなければ、人の社会というものは成り立たない。

 人があっての人間社会であり、己と他者があってこそ成り立つ世界は、そもそもがその当事者たちが守られていなければ、あってないような物である。

 そういうルール……決まりごとがあるゆえに、社会というモノが成り立つ。と言われている。

 が、しかし――


 皮肉なことにルールが無くても、人間は社会を成り立たせることが出来た。

 それが、裏社会……アンダーグラウンド。

 道徳精神によるルールが無くとも、社会というモノは出来るのだった。


 裏社会に生きる人間はごく当然のように、組織と、それに属さない無所属とに分かれる。

 そして、この裏社会では強大な組織が世界のルールとなる仕組みになっていた。 

 裏社会の歴史の中でも、弱肉強食の仕組みがあり、そして勝ち続けたものが組織を作り、いつしか単純な勝ち負けなど問題にならなくなるほど強大になったとき、ごく自然にその組織が、裏社会のルールを広げる形となっていた。

 ――それはきっと、今の表社会でも、同じ事なのかもしれない。

 勝者は勝利を持って歴史と世界を作る――

 その基盤だけは、表であろうと裏であろうと変わらないのだろう……

 

 ラストクロス、通称『LC』

 裏社会でのバイオテクノロジー系の頂点に君臨する組織。

 他生物複合改造、人体改造、クローン技術。また研究だけでなく、その成果を商品として販売もしている。

 生物研究のそのほとんどを網羅し、現在も研究と追求、進化し続ける巨大組織。

 他にもバイオテクノロジー研究の組織は多数あるが、LCという組織は今現在でも特出し、君臨し続けている。


 LCは、計十二名の幹部がおり、各々にバイオテクノロジーの分類を分けて受け持ち、成り立っている。単純なピラミッド構造で出来上がっていた。

 LC幹部の一人、天秤座(ライブラ)。

 主に全身形態変化、人体強化などのバイオクラスチェンジ技術を受け持つ。


 秘書室の自動ドアが微細な音を立てて開く。

 把握している時間とは関係なく開いたことに気付き、主任秘書のミリアル=アーシェは、パソコン画面から視線を移したとたん――目を見開いた。

「よぉミリー、元気してた?」

 自動ドアが閉まる。入ってきた男は、ミリアルを愛称で呼び、親しみのある口調。

 しかし、ミリアルにとっては、そう呼ばれる筋合いの無い相手だった。

 カシュンとドアがロックされる。

 今しがた男が入ってきたドアを、デスクに備わっている操作パネルでロックした後、ミリアルはスーツを着た女性秘書とは思えない動作――わずかな予備動作だけで天井すれすれまで高く飛ぶと、この先にある上司の部屋の前に着地した。

「……セイバー2、鳥羽凉平っ!」

 何の脈絡も無く現れた男。凉平。

 何度も相対した戦闘服ではなく、今はラフな服装……まるで近くに来たから挨拶に寄ったというような様相。それに相応した緩んだ顔つき。

 ……手にはなぜかリボンでラッピングされたメロンを持っていた。

 だが、彼は間違いなく、自分の上司の怨敵でしかない。

 ミリアルは赤いスーツのまま、戦闘態勢に移る。

 広げた両腕――手首からスーツの袖を引き裂いて、大きな鎌が現れた。

「やめとけ、今日はそうじゃない」

 やっぱそうなるか……と胸中で呟いたように嘆息を付く凉平だったが、さらにミリアルは碧眼の色を網目模様の銀色に変化させ、迅速にクラスチェンジ……変身機能を開放していく。

 ミリアルはカマキリの遺伝子と強化を施された改造人間。

 だが変身が完了する前に、それは止められた――

『そいつを通せ』

 デスクにある受話器のスピーカーから、上司の声が響いた。

「ですが――」

『かまわん』

「…………」

『通せ』

 スピーカー越しの、上司からの念押し。渋々とミリアルは変身途中の体を元の容姿へと戻し、「かしこまりました、お通しします」と告げて、凉平へ背後にある扉へ道を明けた。

 凉平がライブラへの扉を通る際、「ほらな」と、片目でウインクをする。

 ミリアルは、それを全力で睨み返して見送った。


「よう、東条。仕事は順調か?」

 まるで昇進している友人を労うような声音で、無防備に入ってきた凉平。

 だが、LC幹部……天秤座の東条静哉は、最大の敵が大胆にもたった一人でこちらの陣地に現れたとしか思えなかった。

 事実にその通りでもある。

 鳥羽凉平――ソーサリーメテオ暗殺部隊、部隊名『セイバー』の一人は、もう一人のセイバー洸真麻人と共に、先代の天秤座でもあり自分の師を打ち倒した怨敵だったからだ。

 私怨なら十分にある。

 しかし不気味なほど奇妙に、その怨敵がまったくの無防備で目の前に現れた。

 デスクに座る東条は、LC幹部である証の銀色特殊制服に、襟元にはLCのマークの付いたバッチ。背中の半ばまでを覆うマント。長髪をすべて後ろへ流したオールバックの男だった。

 元々細めの目元がさらにきつく引き絞られ、針を突き刺すような視線と、威嚇をするような声を、凉平へ投げる。

「何の用だ、セイバー2」

 東条は自分で通したのにもかかわらず、警戒心に満ちた声で用件を聞く。

 お互いに、真に敵同士である。

 なのにも関わらず何の装備も無く、戦闘の気配も見せず、ただ単に顔を出しただけのような容姿。

 だからこそ、その奇妙さに、輪をかけて警戒心が働いた

 それを見た凉平が、やれやれとばかりに肩をすくめ。

「ちょっとばかり困ったことになってね、LCで知り合いといえば、お前くらいしかいなかったんだ……」

 凉平が、手に持っていたメロンを東条に見せる。

「それは何の冗談だ」

「食べるか?」

 凉平の、わけの分からない登場とそのくだけた仕種に、早くも東条は苛立ちを見せ始めていた。

「お見舞いって事になってるんだよ」

「貴様は私を馬鹿にしにきたのか」

「落ち着け、ライブラ」

 東条が声を荒げたところで、隅にある来客用のソファーで腰掛けていた男が、東条をなだめる様にとめた。

 東条と同じデザインの服――赤いというよりも、紅色をした幹部服に身を包み、また服と同じ紅色で、メタリックな質感を備えた兜をつけた男。

「……ほお」

 凉平が、ソファーに座っていた男を見て、素直に感嘆を漏らす。

「蟹座(キャンサー)か、初めましてかい?」

「そうなるな。……セイバー2っていうと、ソーサリーメテオの人間か。ならお前が、前のライブラを倒した野郎の一人か?」

「ああ、そうだ。……東条はいらねえらしいから、お近づきのしるしに、これやるよ」

 凉平がソファーに座っているキャンサーへ、手に持っていたメロンを放り投げた。

 ざくん

 キャンサーは凉平が投げたメロンを見事に受け取る。

 赤い甲殻類の鎧を身に着けた姿の蟹座――

 彼の右腕は、人間の当たり前の腕ではなく……蟹座の名の通りに、長い腕と巨大な蟹の大鋏になっていた。

 赤い大鋏の切っ先で、放り投げられたメロンが串刺しになっている。

「あ、蟹ってメロン食べるのか?」

「安心しろ、俺は好物だ」

 ぎらぎらとした光を放つような表情のキャンサーとは裏腹に、メロンが突き刺さっている大鋏はひょいひょいと身軽な動作をしていた。

 そのまま無作法に、キャンサーは串刺しにしたメロンから滴る汁蜜を舌で舐め取る。

「ご立派な服がベタついても知らないぜ?」

 凉平が軽い口調で肩をすくめた後、また東条へ向き直る。

「まぁ、アポ取るのが常識だったんだが、おおっぴらに連絡入れると大事になりかねねぇから、こっそり来たわけよ。とりあえず聞いてくれないか?」

「帰れ」

 東条の即答。

「まぁそういうなよライブラ。聞いてやれよ」

「キャンサー」

 メロンの礼か、もしくは面白いものを見つけたと思っているのか、上機嫌気味に東条をなだめるキャンサー。

「お前は黙っていろ」

 それでも譲らぬとばかりに東条が語尾を強めた。

 凉平がキャンサーへ。

「天秤座と蟹座って、相性が最悪らしいが、ここでもそうなのか?」

 「知ってると思うが、コイツは頭のユルイやつが嫌い。俺も頭の固いヤツとノリの悪いのは勘弁だ」

「ドンピシャ」

 あっはっはっはと、二人して似たように笑う凉平とキャンサー。

「……ならば用件を聞こう。そしてそのまま消えうせろ」

 からかわれた事にさらに苛立つも、東条が尚更ぐっとこらえて腹からうめく。

「おう、ユーリ=マークスを保護した」

 凉平のあっさりとした言葉とは逆に、東条がピクリと体を硬直させた。

 ソファーに座るキャンサーも、笑みが残る表情が静止する。

「忙しそうなのは分かるが、早急に受け取りに来い」

 今までの緩みに緩みきった表情と声音から一変して、本題に入れた凉平は、厳しい顔つきになっていた。

「……仕組んだのは貴様か?」

 東条が返答しつつ、凉平と視線を交差させた。

「んや、俺の仲間……セイバー1じゃないんだが、そいつがズタボロになったユーリを連れてきたんだ……俺たちが任務でやったって言うなら、保護して受け取りに来いなんて言わないだろう?」

 ふむ、とキャンサーがソファーの上で、嘆息気味に息をついて足を組み直す。

 その姿を一度視界に捉え、凉平が続けた。

「こっちも後輩が厄介事を持って来てくれたおかげで、ここまで話を持ってくるハメになった。つまりはそういうことさ」

 最後に、凉平はユーリ=マークスには手を出さないしする気もないと付け足した。

 しばしの沈黙の後、東条は口を重たく開く。

 動揺を落ち着けるための沈黙というよりも、深い黙考をした上で開いた口。

「だとしたら、それにはまだ時間がかかる……」

 東条の返答に、凉平が眉をひそめた。

「…………」

「…………」

 疑問の混じる重苦しい沈黙が続くも、今度は凉平が口を開く。

「もう一つの試作試験体(プロトタイプ)……の足取りがつかめていないのか」

「――ッ!」

 いきなりの言葉に、東条が目を見開く。

 叫んだのはキャンサーだった。

「お前、どうしてそれをっ!」

「キャンサー!」

 一喝されたキャンサーが、一拍遅れてはっとなった。

 凉平が、してやったりとばかりにニヤリとする。

「やっぱり、あの羽小僧をあんなにしたのはソイツか」

 先の発言は、凉平の推測による、半ばハッタリだった。

「俺んとこの後輩がな、空中で襲われているのを目撃していた」

 凉平が、さらに続ける。

「ソーサリーメテオでも空の飛べる奴はいるが、発見場所はセイバーのリーダーであるブレイクの縄張り……ソーサリーメテオの別部隊が動いていたのならば、ブレイクへ連絡が行くが、それは無い。無かった……それに後輩が、ユーリを襲った奴は同じように翼の生えたヤツと言っていた……」

 さらに間を置かずに、凉平は続けた。

「いるんだろう? 成功試験体であるユーリ以外にも、本人が知らない、別の成功試験体が」

「…………」

 すらすらと推測を言い連ねる凉平に、東条は無言で肯定をした。

 凉平は、今度はキャンサーへ向き。

「蟹座はおそらく……というか見れば分かるが、天秤座が変身能力(クラスチェンジ)の管轄なのと同様に、蟹座のアンタは延長能力(エクステンション)あたりで、実はアンタがユーリの居た研究班の上司。ってことなんだろ? 蟹座さんよ。昨日の今日で天秤座の管轄内の、ここにいるって事はそういう事なんだろ」

 ユーリの背中に生えた翼は、素体へ人工的に作った他生物の部分『キメラパーツ』を移植する技術――明らかにエクステンション技術だった。

 蟹座が何故その技術の管轄なのかと思うと、その彼についている右腕……巨大な大鋏をみれば一目瞭然。納得がいく。

「他人のお家事情に首突っ込みたくは無いが、すぐに来れないっつーなら、こっちもこっちで考えないとならねぇ、今LCで起こっている事、話してもらうぜ」

 一長一短なまでの凉平の変わりざまに、あっけに取られるキャンサー。

 大鋏の先に刺さったメロンがゆっくりと滑り落ちて、床で割れた。

 東条はというと、こうなることが自然と分かっていたらしく、小さく肩でため息をついていた。

 凉平の良く回る推測が終わり、またも沈黙が流れると――

 参りましたとばかりにキャンサーが、人間の左腕と大鋏になっている右腕を広げて、降参のジェスチャーをした。

「んじゃあとりあえずはー、何故すぐに回収できないのか、出来るとしたら、それはいつの予定になるのか、それとそれまでの段取り、情報交換と行こうかね~」

 凉平が、厳しい顔つきからまたユルイ顔へと戻り、LCの幹部二人を前にして、堂々と仕切り直した――

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