BRACK RUNNERS (後編)

 7:

 裏社会貿易組織 MELL・K〈メル・ケー〉


 ラストクロスや大崑崙とは毛色の違う裏社会の組織……主に裏社会の中で組織間の『貿易』を重視した組織である。

 大から小へ、また逆も然り……物資や新商品、または『材料』などの売買のほかにも、普段は接点の無い、分野の違う裏組織とのパイプライン役にもなる、裏社会の脇役か、黒子役のような印象を持った組織とも見れる。

 組織の名前の由来は、ギリシャ神話のヘルメス……ローマ神話ではメルクリウスと呼ばれる、貿易の神から取ったらしい。

 また、この組織は特に『情報』の分野が長けていた。

 裏社会の世界で、「メル・ケーブランドの情報」「メル・ケーからの情報」と銘がつくだけで、その情報の価値が際立ったり、売買相手への信頼が勝ち取れるほどの名声を、既に浸透させているほどでもある。

 当時の部隊名〈セイバー〉は、このMELL・Kのトップの抹殺命令の任務を受けていた。

 だが、『セイバー』が実行に移すよりも早く、MELL・Kは、既にその情報をどこからか入手し――先手を打ってきた。

 どこから手に入れたのかは不明であるが、その手に入れた情報は、よほど手堅い場所から収集したのだろう……実際に、命令を受けてから先手を打たれるまでの……当時の〈セイバー〉が、ソーサリーメテオからその任務を受けてから襲撃される時間ですら、そう長いものではなかった。

 素早い情報収集能力と、その情報の確実さ……そして実行に移す行動力。

 おそらくこの一連の事を、どの組織が聞いたとしても、MELL・Kに対して、目を見張はざる終えないだろう……敵に回すと恐ろしく、また味方につければ百得を手に入れることとなるからだ。

 そして当時ソーサリーメテオ部隊名『〈セイバー〉――当時のセイバー2が、MELL.Kの襲撃を受けて、抹殺任務を実行することも無く死亡する。

 襲撃の際、共に居合わせていた現在のセイバー2と、一人の女性が巻き込まれ、その女性も若い命を失った。


 この、『MELL・Kの逆襲』事件において生き残ったのは……現在のセイバー2である鳥羽凉平。

 ただ一人――


 さすがに情報を手に入れたとて、今回は『逆襲』することはできなかったらしい。

 ソーサリーメテオの部隊が2つも固まっていて、全員が集まらずにそれぞれのメンバーが行き交い、その中にはソーサリーメテオのAZネーム持ちが二人も近くに居たのだ。

 さらに中には『大崑崙の御子息様』までいたのだから、周囲の一般人にですら手を出すこともできなかっただろう。

 ――あの時とは、何もかもが違っていた。

 かといって、MELL・Kは何もしなかったわけでもなかったらしい。

 目標は、お得意の『情報』で、舞台を整えた。

 黒塗りの車両が三種類。とりあえず普通の乗用車のように見えるものが三台。大型車両が2台。そして将棋の王将でも気取ったのか……明らかにその二種類とも取れない豪華さを持った三種類目が、一台――これがMELL・Kのトップが乗っている車両で間違いないだろう。

 MELL・Kのトップ――馬車文厚。

 たしか、資料には特別に関係の強い組織の幹部たちと、取引や接待ついでに将棋やチェスを差すという情報があった。

 布陣を組んで待ち構え、さらにはこの時間このタイミング――それは情報で手に入れたのか……本人が狙い定めていたのかは不明としても、それを正確に捉えていたのことは明白。

 この山に挟まれた、曲がりくねった長い道路。この先への街へはかなり遠く、襲撃するには適していた。

 相手も、この場所を通れば襲撃してくると読み、あえて準備万端に待ち構えてきた。

 無かった場合でもまったくかまわない。それだけのことだった。

 これはもう、暗殺ですらなかった……。

 敵が罠も布陣も展開し、相手が身構えているその中へ、単身で切り込むのだから、これは正面衝突の『討ち合い』という……そうとしか思えない状況。

 それでも、セイバー2……凉平は、CB1300のバイクを駆り、

 その中へ飛び込んで行った――


 8:

「そこのあなた、何しているの?」

 突然に背後から声。

 柚紀が肩をびくつかせて、飛び出そうになった声を、何とか手で当てて押さえ込んだ。

「あ……えと」

 振り向けば、その後ろから呼びかけた女性と男性、おそらくカップルであろう二人は、まったく見覚えの無い二人だった。

 夕方の、日が落ちる頃――

 思えば、知らない人に何しているのか? と問われても、当たり前なのかもしれなかった。

 ひなた時計の近くで、店の中からは死角になる位置に隠れて、店を覗き込んでいたのだから……。

「怪しい……ようにも見えないから、あの店に何か用があるのかしら?」

 唯一救いだったのは、自分の容姿が変質者か変人に見られなかったことだろう。

 突然に声をかけられ問われて、適当な言い逃れも思いつかず、柚紀は素直に言った。

「えっと、中の人と……喧嘩してしまって……」

 そのショートカットの、綺麗なのだがどこか凛とした雰囲気を持った女性は、それだけで察してくれたらしく……「そっか」と頷き。柚紀の手を取ってひなた時計へ引っ張り込むように、その腕を引いた。

「え、ちょっちょと!」

「いいから」

 女性の隣に居た物静かな男性も、女性の横について歩き出した。

「相手は凉平だろう? あいつなら今出かけている」

「え?」

「中で待っているといい」

 この、凉平と同じくらいの男性は、凉平の事を知ってるらしい。

「じゃあ、私たちは中に入ってるから」

「分かったよ実咲、行ってくる」

「気をつけてね」

 その男性は店の中に入らず、ひなた時計の裏手へ……ガレージへと入っていった。


 カランカラン

 柚紀をつれた実咲が店内の入ると、その中は凉平が居ないだけの、いつも通りの店内だった。

「いらっしゃいませ」

 加奈子が出迎えて――

「ちょっと失礼」

 実咲が加奈子を手で制して前を通ると、そのままカウンター内に居るマスターへ歩み寄った。

 柚紀と加奈子は、誰なのだろう? と顔を見合わせる。

「お久しぶりです」

「久しぶりなのは、君ではないな」

 マスターがやや反発気味に返し、それに対する実咲は、とどこか挑発的な笑みを向ける。

「そうですね……うちの人がお世話になっていました」

 最後の「いました」という言葉を、やや強調するように言い放つ実咲。

「妙な言い回しだが、適切だな」

 マスターがやや目を伏せて、頷く。

「しばらく場所をお借りしても?」

「かまわんよ」

「では、失礼」

 短いやり取り。だが、どこか……何かしらの駆け引きでもしているような、そんな空気が両者の中に流れていた。

「ああ、紅茶で。私は紅茶派なの」

「了解した」

 コーヒーを入れる作業をやめ、紅茶を淹れ始めるマスター。

 やや離れたところ……カウンターの隅では、誠一郎と昴。なんだなんだと(主に昴が)実咲をマスターに注目している。

 シュウジとシャオテンは、その様子をボックス席の側から、気になるように見ながらも、黙ったままテーブルの片付けと接客をしていた。

 店の出入り口にいる柚紀は、加奈子と一緒に、この特別な来客に戸惑う。

 と――

 実咲が唐突に口を開いた。

「そういえば、あの人からの伝言があったんだったわ……ひとっ走りするついでに『あのアホ』を拾ってくる。だそうよ」

「分かった」

 ――店内に、バイクのエンジン音が流れ込んできた。

 店のすぐ隣で、バイクのエンジンが回る音が、店内にいても十分に聞こえる位に響き渡る。

 実咲とマスター以外のメンバーが、きょろきょろとお互いの顔を見合わせながら辺りを見回し、それから一同が視線を外へと向けた時――

 そのまさに丁度、裏手のガレージから出てきた――メタリックブルーの大型バイクが、横切るように走り去って行った。


 それを見て、一番に驚いたのは加奈子。

 柚紀のすぐ隣にいた加奈子は、出入り口のドアに飛びつき、走り去っていったバイクを追うように店内を出る。

 走って行った方向――バイクの姿はもう既に消えていた。

「……麻人、さん」

 その呟きに、柚紀が目を丸くして、息を呑んだ。

 去っていった大型バイクには、ヘルメットを着けていて顔は分からなかったが、先ほどの男性であることには違いは無かった。

「あなたが、庭崎加奈子さんね」

 開けっ放しのひなた時計のドアの前に、実咲が立っていた。

 加奈子と向かい合って……なぜか、加奈子が気まずそうに目を逸らして小さく「そうです」と返事をした。

 それから、加奈子は意を決したかのように、

 実咲の顔を見て――

「……あなたが、実咲さん。ですか」

 どこか敵意でも含んでいるかのような、加奈子の視線と強張った声。

「ええ、そうよ」

 それに対し実咲は、その加奈子の視線すら簡単に受け流すように、あっさりと返して、

 両者の間で、糸が張り詰めていくような空気が流れ始めた。


 日が落ちて、暁の空に夕闇のカーテンが落ちてきたような空の下。

 セイバー2……凉平は、バイクのハンドルを切って、降り注いできた弾丸を避けた。

 アスファルトが砕ける音が後方へ流れて行く。

 今度は逆方向へハンドルを切って第二波、第三波を避けていく――

 一度、バイクの速度を落として後退し、左手を突き出して車両の一台へ向ける。

「光の螺旋、刃の軌跡――鋭光矢ッ!(シャープアロー)」

 凉平の手の平から放たれた、数多の光の帯が、車両に突き刺さり

 ――弾かれた。

 もう一度ハンドルを切って、サブマシンガンから放たれた弾雨をぎりぎりでかわす。

 車両の装甲が、どれも分厚い。

 簡単な『呪文(スペル)』では、凉平の光の能力があっさりと弾かれてしまう。

 走行中のこの状況では、複雑な呪文を放つにも、状況が悪い……放つまでのタイムラグも当然、隙が大きく、致命的になりかねない……。

 もし、凉平が光の能力者ではなく別の属性だったのなら、もう幾分かは善戦できたろう……。

 しかし、それは無いものねだりでしかなく、言い訳でしかなかった。

 両腿のホルスター、中に収まっている大型拳銃なら、今の状態よりもっとマシに対抗できるかもしれないが……この目標の応戦応酬では、銃とハンドルの持ち替えが、むしろ足を引っ張るだろう。

 結局は、打つ手無し――だった。

 せめて、喰らい付くように追走するくらいが関の山だったが……それも終わりの様子。

 凉平が乗っている、旧式年代のCB1300。エンジン音が急速に調子を崩し、エンジン部分から黒煙を吐きつつ、またがっている凉平の両腿に焼けるような熱が伝わってきた。

 目標の乗っている車両が、遠ざかっていく――

 凉平が、自分の乗っているバイクへ目を落とし。

「わりぃ……仇取らせてやれなかった」

 凉平が、静かにバイクへ向かって呟く。

 視線を戻してみると、それを見て凉平は肩を落とした。

「せめて、一緒に逝ってやる、か……」

 エンジンを焼き付けさせて失速した凉平へ向かって……使い捨てのロケットランチャーの弾頭が迫ってきた――

 諦めたように、もしくはあえて受けるかのように……あるいは相手への最後の抵抗のように、凉平は目を閉じてそれを待った。

  ――爆発。

  ロケットランチャーの弾は、凉平のバイクのやや手前の地面に着弾したが、爆風と爆炎、衝撃で包み込むには十分だった。

 もうもうと立ち上る煙――

 

 ――その中から。 

 新しいエンジン音と共に、

 メタリックブルーの大型バイクが、突き破るように姿を現した。


 大型バイクに乗っている人物の腕から、黒い光沢の質感を持った帯……黒いロープが伸びている。

 その先は、大型バイクの後方で凉平の体に巻きついていた。

 黒い帯がするすると静かに、音も無く素早く、凉平を引き戻して大型バイクの後部へ半ば落とすように座らせた。

 ――地の能力者。

 金属や石材を、まるで粘土の様に滑らかに操ることも、またどんな強度を持っていたとしてもそれをたやすく分断することもできる。

 黒曜石という石でできた帯が、凉平をロケット弾の爆発から引き上げ、またそれらから守ったのだった。

 乱雑にバイクの後ろへ座らされた衝撃で意識が戻ったのか、大きく咳き込んで、凉平が我に返る。

「っ! てめぇ!」

 凉平からでは背中しか見えないが、凉平にとっては、わざわざ確認しなくても分かる相手だった。

 袖の広いのが特徴の、黒い細身のコートを着込んだ男――

「てめぇ! 何しに来やがったっ!」

 ヘルメットに内蔵されている無線機から、麻人の声が聞こえてきた。

「任務中はコードネームで呼べ、セイバー2」

「何で戻ってきやがった!」

「戻ったつもりは無い」

 怒鳴りたてる凉平に、麻人は平然と淡々に告げる。

「借りを返しに来た」

「借り……?」

「ああ……お前は、あの日あの夜に、俺と戦わなかった」

「…………」

 麻人がソーサリーメテオを脱退するきっかけになった二ヶ月前。

「お前と、ブレイクが二人同時だったのなら、俺は勝てなかった……」

 あの時凉平は、取ってつけたような理由を作り、命令拒否と反抗をする麻人を抹殺することをしなかった。

 戦ったのは、ブレイクだけ。

「そうすることができたはすだ。なのに、お前はしなかった」

「…………」

「このままだとな、気持ちが悪いんだよ。このドあほう」

 一言も、反論すらない凉平に、麻人が一度、ため息をついた。

「借りは返す……お前をまた、死に損ないにしてやる事でな」

「…………」

 それだけのためにまた戻って来たのか? そう、黙することで問いかける凉平。

「何か言え。余計に持ち悪いだろ」

 重たいものを引きずるように、ようやく凉平は口を開いた。

「……俺を止めに来たのか」

 弱々しい凉平の声――に、麻人はふんと鼻を鳴らす。吐き捨てるように

「甘ったれるな」

 麻人の一蹴。

「お前がいなくなって、今喧嘩したままにしている相手を、自分と同じにするのか?」

 田名木柚紀。

 いの一番に自分の中で思い出したその名前に、凉平がはっとなる。

「まずは、誰を敵に回したのかを……思い知らせるぞ」

 凉平の前で、麻人が強く言い放った。


 ああ、そうか。

 ここは……ここまできても、この場所はまだ通過点なのだ。

 ――どう思おうと、何を引きずっていようと、何を晴らしたとしても

 まだここは、通過点(とおりみち)でしかない――まだ、終わっていない。

 麻人こと、セイバー1が無感動に告げる。

「チームセイバー、スタンバイ、レディ――」

 凉平が、大きく息を吸い込み――めいっぱいに叫ぶ。

「ゴオオオオオオオオオオーーーーーーォォォッ!」

「やかましい!」

 答えるように叫んだ麻人が、スロットルをひねり、メタリックブルーの大型バイクが一気に加速し始めた。


 9:

 ようやく加奈子が泣き止んだ頃には、もうすっかり日が落ち込んでいた。

 麻人のバイクを目撃した後で、加奈子は今まで秘めていた胸のうちを、今の麻人の恋人である実咲に話した後で、気持ちが爆ぜたのか、実咲に慰められるまま泣き続けた。

 まだ、麻人がこのひなた時計にいた頃、加奈子は密かに麻人に対して恋心を抱いていた。

 そして、後に問題になったのが、臨時休業明けの、加奈子がひなた時計にやってきた時。

 もう既に麻人の姿はなくなっていた。

 秘めていた思いが、秘められたまま、遂げることも本人に打ち明けることすらできずに……。 

 麻人が突然にひなた時計を去ってしまい、その過程の全てが、加奈子自身の知らない所で起こっていた。

 そして今、その麻人の相手が、突然に現れた――

 うずくまるように泣いている加奈子を、実咲は謝ることもなく、また逆に怒ることもなく、無言で頭を抱きかかえるようにして慰め続けた。

 彼女から麻人をあっという間に奪い去った実咲(加奈子の立場にしてみれば)は、本当は慰めたりする立場ではないのかもしれない……だが、実咲は加奈子を一心に優しく抱え込んだ。

 ――今はもう、泣き止んだ加奈子は、わずかに腫らした目がわずかに名残を示している程度。

 柚紀は、そんなどこか悲しくも優しい姿を、自分の状況を忘れるくらいに見入っていた。

 今は日曜日の真夜中……明日はもう平日になるからか、いつもの面子以外の客は奇跡的に居なかった。

 そんな中、ひなた時計の表でバイクのエンジン音が近づいてきて――目の前で停止した。

 店内での主役だったためか、実咲が一番に表へ出て、その他のメンバーが続くようにして表へ出る。

「お帰りなさい」

 実咲が出向かいの言葉を投げた。

 やはり、メタリックブルーの大型バイクに乗った、麻人と凉平だった。

「ただいま」

「……ういーっす」

 優しくも、はっきりとした口調の麻人。

 その後ろでひたすら疲れきって、くたくたの凉平が、まったく反対の調子で返事をした。

 

 一同が凉平と麻人から見えないように壁になっている裏側で、こそこそと柚紀がこの場を逃げるように、あるいは脱兎のごとく去ろうとして――

 誠一郎が、逃げようとした方向に立ち塞がった。

「ふぎゃ!」

 いきなり逃走経路を塞がれて、間抜けな悲鳴を上げた柚紀。そしてその場の全員からの注目を浴びてしまう。

「柚紀さん」

 突然に、誠一郎が頭を下げ――

「昨日は気まずくなることをしてしまって、すまなかった。ごめんなさい」

「「「前が謝るんかい!」」」

 シュウジ、シャオテン、そして昴が同時にツッコんだ。

「む……帰ってしまう様子だったから、言わなければと……」

 あちゃー、と言わんばかりにシュウジが額に手を当て、シャオテンがどうしたものかという顔をして方を落とし、そして口元をきつく結んだ、無表情の昴が、誠一郎の耳を引っつかんで退場させる。

 誠一郎が退場し、柚紀の正面に、気まずそうな凉平が現れた。

「えっと……」

 柚紀が言葉に詰まり、目を泳がせながら。

「あのバイクは、どうしたの?」

 凉平の古バイクが、どこにもなかった。

「う……」

 今度は凉平が言葉を詰まらせる。

「あれなら粉々になった」

 麻人が、割って入るように突然言い放った。

「こな、ごな……?」

 意味が分からず、柚紀が反芻した。

 麻人のなぜだか涼しげな、それでいてやや楽しそうな口調。

「コイツがいつまでも女々しく持ってる上に、走行中にエンジン燃やして壊れたから、もういっそ、粉々に破壊してやった」

「…………」

 麻人の言っている意味が良く飲み込めず、柚紀が表情を固めたまま静止。

「ああ……見事に粉々になったな」

 やや目を伏せながらも、落ち込んだ空気がまったく隠せずに、凉平がぼやいた。

「本当に?」

 柚紀が凉平に聞く。

「部品を思い出にする余裕の無いくらいに、粉々になった」

「マジで?」

「うん、マジで」

 青暗い顔のままの凉平が、頷く。

「…………」

「…………」

 二人だけではない、さらりと涼しい表情――むしろスッキリした気配さえ見える麻人以外、誰もが黙りこくった。

「まぁ――」

 この状況で、事も無げに続ける麻人。

「あのバイクはもう無い。だからもう、このドあほうを許してやってくれ」

「え?」

 柚紀が驚いた。

 悪いのは本当は――

「事情は大体、帰る途中で聞き出した。田名木さん、全部コイツが悪いんだ」

 違う、と柚紀は否定しようとして――

「女々しい事をしてたこいつが全部悪い」

 隣に居る凉平へ、麻人はきっぱりと言い切って指先を突きつけた。

 さらに、麻人は凉平の頭を掴み、前かがみになるように頭を下へ押し付ける。

「お前もなんか言え。静かに黙ってるお前が、一番不気味なんだよ」

「す、スイマセンでした……」

「あと五百回くらい言い続けてろ、復唱して脳みその隅々まで刻みつけておけ」

「あ、あの……もういいですから……」

 本当に復唱し始めようとした凉平を止める柚紀。

 それを聞いた麻人が、あっさり凉平の頭を離すと、凉平が頭を上げる間に、柚紀へ目配せを送った。

「あ」

 柚紀が気づく。

 これは彼なりの、仲直りをするための演技だったのだと――

「よかったな、一寸の虫にも五分の魂だそうだ」

「お前さっきから好き勝手しすぎだろ!」

 おとなしくしていた凉平が、とうとう我慢できなくなって麻人へ怒鳴り声を上げた。

 ――がしん!

 麻人が、即座に凉平の喉首を掴み、

「周りに、さんざん、迷惑、かけた、お前が、俺に、ものを、言える、立場か?」

 麻人が言葉を区切るごとに、ぎりぎりと凉平の首を絞めていく。

 凉平が、本当にかすれた声で「スイマセンでした」と言った後で、麻人が凉平の首から手を離す。

「ドSだ……」

 ヴァイオレンスなノリについていけずに、柚紀が呟く。

「田名木さん」

 麻人が柚紀に向き直り――柚紀がふと気づいた。

「あのぅ……たぬきって呼ばないんですね」

「……なぜ?」

 麻人の心底不思議そうな顔。

「いいえなんでもありませんなんでもありません」

 ふるふると振り払うように首を振る柚紀。

「それでは、あとはこいつの事、よろしくしてあげてください……気に入らなかったら燃えるごみの日にでも出してもいいんで」

 凉平と麻人。この二人は……こういう間柄なのか。と、柚紀がようやく思い知った。

 仲が悪いような、お互いが気に入らないようでいて、それでいてお互いの中にしっかりと入ってる。

 だからこそ、こういう形が出来上がっていて、そうできてるのだ……と。

 答えは聞かず、麻人は柚紀に背を向けた――


 麻人が実咲の隣に並ぶ。

「そろそろ行こうか」

「そうね」

 実咲はもう準備していたのか、ヘルメットを持っていた。一足先にバイクの後部に座って。

「麻人さん」

 バイクに乗り込もうとした麻人を、加奈子が呼び止める。

「……お元気で」

 麻人は加奈子を見て、優しく笑い、「ああ」と短く答えた。


 ――麻人と実咲を乗せたバイクが、去っていく。

 店の中へ戻っていく一同。

「またくるのでしょうか?」「さあ?」「来るときは来るのではないか? 今回みたいに」「お前はもうしばらく黙ってろ」などというシャオテン、シュウジ、誠一郎、昴の談話が日向時計の中へ入っていく。

 ――最後に、凉平と柚紀が入ろうとして、

 凉平の目の前で、ひなた時計のドアが閉められた。

「へ?」

 締めたのは加奈子だった。ついでに、ドア越しに一度、悪戯をした子供のように舌を出してから、鍵をかけて背中を向ける――

「…………」

「…………」


 ひなた時計の外で、二人っきりになった凉平と柚紀。

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