BRACK RUNNERS (中編)
4:
「ほいよ」
柚紀の前に凉平が出したのは、ホールケーキだった。
「材料が余ってたから、適当に作ったぞ」
ただしこのホールケーキは、かなり小さめのミニホールケーキ。量で言うなら、カットされたケーキよりやや大きいくらいの、丸ケーキだった。
「材料費はお前の給料から引いておく」
カウンターの中に居たマスターがぽつり、と。
「……へいへい」
すっぱりと横から言ってきたマスターに、凉平が苦々しく答えた。
いわゆるカップケーキ……のようなものでもあるが、出来栄えが、通常サイズのホールケーキの姿をミニチュア化したようになっている。これではもう、カップケーキに見えなくも呼べない、そんな出来上がりでもあった。
「器用だな」
これは誠一郎。柚紀の隣でそのミニケーキを見て、簡素な感想を漏らした。
「クリームが出る口をちょいちょいっと小さくしてな。イチゴの変わりにブルーベリーで飾ってみたんだ。ピンセットで」
「だから誰が菓子職人になれと言った」
マスターがあきれ気味に小さなため息を漏らした。
それに対して、してやったりと満足気な凉平。
「…………」
そんな、自分だけに用意してくれたのにもかかわらず、柚紀は浮かない顔だった。
小さいながらも、こんな器用に、綺麗に作った、透明な手袋をはめた凉平――先ほどまでバイクをいじっていて、その将来を描いていた姿はおろか、たった二ヶ月前の姿ですら自分は何も知らない……。
いつもと変わらずの姿を見せる彼が、
すぐ隣に居る凉平が――今は遠い。
まるで、同じ凉平でも『赤の他人』と感じてしまうほどに。
柚紀の胸の内では、それほどまでに遠かった。
どうして、バイクに思い入れがあるのか? なぜそれにも関わらず、バイクいじりとはまったく違う菓子作りが上手いのか? そもそも、そんなに色んな事に腕があるのなら、このような小さな喫茶店で、なぜ従業員の一人として収まっているのか……。
まったく知らなかった。
「…………」
「どうかしたのか?」
浮かない様子の柚紀に、凉平から自慢げな顔が消えた。
「柚紀さんは――」
突然に口を開いた誠一郎。柚紀がはっとなって顔を上げた。
「お前から麻人の事を知りたいそうだ」
柚紀の心臓が跳ねた。
普段から、わずかに的が外れたような、どこかピントのずれた事ばかり言う誠一郎。だがその実、的を捕らえた誠一郎の言葉は……とても鋭い。
おそらく、誠一郎なりの察し方だったのだろう。
本人に聞いてみたらどうだろうか?
本当にその通りだ。こんなこそこそと、彼の見えない影で嗅ぎ回るなんて――
「はぁ? なんであの馬鹿のことを?」
柚紀の頭の上で、凉平と誠一郎の視線が交わされていた。
「…………」
柚紀の横で立っている凉平の表情は、今は頭の上なのでうかがえないが、隣で座っている誠一郎の表情は、どこか張り詰めたような……そんな視線を凉平に投げていた。
数秒、金縛りにあったような柚紀の頭上で、凉平と誠一郎のにらみ合いにも似た空白が流れた。
最初に動いたのは凉平の方。肩をすくめて、
「しらねーよ。あいつのことについては……やめとけ」
さらに、両手を広げて、興味は無いというジェスチャー。
「どこでどーしてるんだかわかんねーし。連絡ひとつもよこさない、根っからの薄情な奴だ……聞いたところで、面白くも無いさ」
どちらが薄情なのか……。柚紀は顔を上げて、凉平の表情を下側から覗くように見る。
その表情は、いつもと変わらないやや呆れ気味の、いつものゆるい表情だった。
だけど。
――この顔は作っている。
何かを我慢していて、誤魔化していて、それを周囲に悟られないように……。
どこか意識して自然体でいようとして、逆に『ちぐはぐになっている』ような、そんな雰囲気が、彼の映る柚紀の目には、そう見えた。
「ほんっと、あいつがいなくなって清々してたんだ。もう二度とくるなって思いたいね」
「なんで――」
どうして……
「なんで昔の仲間に、そんなことが言えるんですか?」
柚紀は、出てしまったその言葉に、言ってしまった自分自身ですら、どうしてこんなことを言ってしまったのか分からなかった。
「え?」
キョトンとする凉平。
「どうしてそんな酷いことが言えるんですか」
「は?」
「……そんな言葉を凉平さんから聞くことになるなんて、思わなかった……」
「い、いや……あの、えと」
「人をからかったりするのは……本当はダメだけど、それでも凉平さんは人を本気で馬鹿にするような人だったなんて……思わなかった!」
「…………」
そんな人だとは思わなかった。そんな、勝手に決め付けた台詞が……今の自分に、どうして言えたのだろうか……。
柚紀の中で、口に出している事と胸の中が、まったくの真逆だった。
「…………」
表情を失った凉平が……きびすを返して柚紀に背を向けた。
「片付けしてなかった。やってくるわ」
凉平が去り際に。
「あいつのことは……もう、そっとしといてやってくやれ」
「――ッ!」
その凉平の言葉に、柚紀の頭の中が真っ白になった。
それこそ、いつの間に彼が奥の厨房へ戻っていったのか分からなかったほどに。
……何も事情は知らない、本当に何も知らない自分から出た身勝手な言葉。
ならばいっそ、お前は何も知らないだろう! と逆に怒ってきても……むしろ、その言葉が彼から出たのなら、どんなに自分がありがたかったのだろうか?
それはやっぱり、彼からは出なかった。
少なくとも柚紀が知っている凉平は、そんな反発するような怒り方はしない。
凉平はきっと、今しがたの柚紀と同じ、だったのかもしれない……。
マスターの咳払いで、柚紀が我に変える。
誠一郎はもうすでに、多少の気まずさを引きずったまま、元の席に戻っていた。
そして、マスターが呟くように、
「今後のことを考えるなら、それは少なくとも食べておくと良い」
柚紀の前に置いてある……凉平が柚紀のために作った、ブルーベリーのミニケーキ。
とうとう凉平は、最後まで奥に入ったまま戻ってはこなかったが――
十分な時間をかけて、柚紀はその小さなケーキを、フォークで切り分ける勇気だけは取り戻すことができた。
5:
「今回の件、私たち〈アックス〉がやったほうがいいんじゃないの?」
その鈴音の申し出を、ひなた時計のマスター防人こと、フレイム=A(エース)=ブレイクは即座に却下した。
「それでは今後、あの『あほう』にお前たちが恨まれるか、最低でも良くない見られ方をするだろうな」
さらにブレイクは付け足し、
「これからのコンビネーションにも関わる」
「あいつが死んだら、コンビネーションも無いと思うけど?」
傍目からは分からないが、麻人の脱退以来、ブレイクは変わっていた。
何が変わったのかは、明白に言葉に表せないものの……少なくとも、ほんの少し前のブレイクなら、とっくにこの件に凉平は関わらせずに、相互補佐をしている部隊名〈アックス〉へ、遂行までの全てを任せていただろう。
鈴音の中では少なくともそう思っていた。
この男に変化が、本当に起こったのだとしたら……あの麻人が脱退した事からか、あるいは、麻人がいなくなったこの『二ヶ月間』のうちに、なのか……。
ふと、そんな物思いに少しだけふけっていると、ブレイクがまた口を開いた。
「あの『あほう』には、昔から適任がいる。そしてもう根回しはしてある」
適任……今の凉平の危うい状態に、的確に対処できる相手。
「まさか」
自分が今しがた思い出した人物が、またも頭をよぎった。
「麻人を、あの子を呼んだのね」
「借りを返してもらうだけだ、凉平が麻人に貸した借りをな」
「今になっても、あの子を一体どうする気なの?」
鈴音は、自分が麻人に対して優遇意識を持っていることを自覚している。自分の中で理解し、そう整理していた。
「そういうのを、卑怯。って言うんじゃないのかしら?」
脱退してもなお麻人を手駒にしようとするブレイクへ、鈴音は悪態をつく。
「恩着せがましいわね。最低」
「俺はどう思われてもかまわん」
本当に、このブレイクという男はこの短い間に、危篤な人間へと変わってしまったようだ。
鈴音は、まだ悪態をつき足りないのか。皮肉と侮蔑を込め、はき捨てた。
「あんたの方が長くなさそうね。私が後悔するべきだったわ」
「もう一度言う。俺はどう思われてもかまわん」
「…………」
――それなら、『変わってしまった』ブレイクにあわせて、鈴音は調子を変えた。
「そうまでして、あいつに、凉平に仇を取らせてやりたいたいわけ? 麻人を呼んでまで」
ブレイクは答えない。
「任務に私情や私怨を、あえて挟むなんて、あなたがそれをするなんて思わなかったわ」
弁解も謝罪も、何も答えないブレイク。
「何か答えたらどう? 黙ったままなら、こっちの方から願い下げにするしか……ないわよ」
鈴音の念押し。
無言無表情で、姿形だけは相も変わらない様子だったが、
火をつけたタバコから一度、紫煙を吐いてからブレイクは重たく口を開いた。
「田名木柚紀」
「?」
なぜ? ここであの花たぬきの名前が出たのか……その答えはすぐに返ってきた。
「まだ、麻人の代わりにはなれないようだと踏んだ」
「…………」
凉平の相棒、麻人。
彼と一緒に戦いに出ることも、そもそもそーサリーメテオのメンバーですらない一般人の彼女だが……ブレイクは、彼女が凉平の『支え』になるのだろうと、そう思っていたのらしい。
だが――
「赤の他人へ勝手に期待をして、無理だと思ったら勝手に見限る。それこそ傲慢の限りね」
これは、誰かが言わなければならないのだと鈴音は直感し……言える立場ではないが、あえて言うことにした。
確かに、鈴音もあの田名木柚紀という女性が、短い間ながらも凉平の近くに居た事で、危うい姿の凉平が緩和されていく気配がしなかったわけでもない。
そして、それがいまだ不十分であることも。心の中では承知していた。
だけれでも、まだ見限ったわけでもない。まだこれからだと、そう思っていた。
鈴音がブレイクの姿を見ながら、ふとこんな風に思う。
ひょっとしたら、ブレイクは、変わったのではなく『誰かしらに似てきた』のかもしれない――
「それで、その事と、この件と、何が関係してるわけ?」
「………」
答えないブレイク。
これはおそらく、言わないのではなく言いにくいのでは? と数秒時間をかけて、思いつく。
「乗り越えさせたいの? あの凉平にも」
「…………」
凉平にも――
やはり、ブレイクは答えず。ただ黙して、今回の凉平に課せられた、任務の概要を映し出しているディスプレイを眺め、タバコの紫煙を吐いた。
「…………」
いよいよと末期なのかもしれないと、鈴音はブレイクに対して後悔の念を本気で持つべきか、真剣に迷うことになった。
それから外に出た鈴音。
鈴音の風の能力で、世闇の中を泳ぐように飛び回る。
そして――
「急いで探しに出たとはいえ、さすがにこんなあっさり見つかるとは思わなかったわ」
「いえ、そろそろ来るんじゃないかと、そう思っていたので。お久しぶりです」
「私を?」
「はい、おそらくは今しがた、この事をブレイクから聞いたのですね?」
顔も頭部も、体中を黒布で巻いた姿――エア=M=ダークサイズの姿をした鈴音が、風の能力で宙に浮かせていた体を降下させ、麻人の前に下りる。
麻人の隣には実咲もいた。
彼女は鈴音と目が合うと、遠慮がちに頭を傾け、目線だけで会釈。
さほど高くも無いビル郡の一角。その屋上で、麻人と実咲は身を隠すわけでもなく、そこで鈴音を待っていた。
確かに、ここを古巣にしていた元セイバー1ならば、ここがブレイクの管轄であり領域である事も理解していて、そのブレイク自身が呼んだのなら、身を隠す考えは必要なかったのだろう。
理由も理由である。
――ブレイクの部下であった麻人にとっては、『罠』なのではないかという考えすらも無かったのかもしれない。
「そう……じゃあ、この件にのるって事なのね……ここにいるって事は」
「ええ」
あっさりと答える麻人。
これだけならば、はきはきとした物腰の好青年にしか見えないのだが――
「未だに、ブレイクのいいようされてて、なんとも思わないの?」
鈴音は、これだけが聞きたかった。麻人への確認である。
「されてるなんて思っていません。ただ――」
「?」
「あのドあほうが、調子に乗り切っていそうな気がしていて、そろそろ鼻をへし折っておきたいと、そう思っていたところでもあります」
「?」
鈴音にとっては、余計に分からなくなる答えだった。……理解に苦しむ。とも取れる。
それに何より、当時の麻人からでは、今のような冗談めかした言葉が聞けるとも、まさかと言えるほどに、思っていなかった。
「麻人、説明になってないと思うわよ」
上手く飲み込めない鈴音の様子を察したのか、実咲が麻人の隣で彼の横腹を肘で突いた。
「それしか、言いようが無いんだよ」
麻人が一度、苦笑交じりのため息をつき、
「それだけです。本当に」
そしてようやく、鈴音が気づいた。――自分が『空回り』しているだけだということに。
そして、この二人はもう、心配する必要はもう無いのだということも……。
彼はもう、救われている。
家族を失い、恋人を失ったと、ソーサリーメテオで暗殺部隊にいた頃の彼の姿は、もうどこにも無かった。
張りに張り詰めた空気も、固い感触がしそうな雰囲気も、いつ狂ってもおかしくないほどに追い詰められた表情も――どこにもなかった。
これが……今のこの麻人が、真に彼本来の姿なのだろう。
だったのなら、この二人に負けて、二人を見送ったブレイクが変わったことも、なんとなく納得できる。
そして、凉平も――
「わかったわ、好きになさい」
自分も勘定に入れた上で、半ば呆れ果てて、苦笑交じりに言う鈴音。
「この件は、〈セイバー〉だけの任務になるから。私たち〈アックス〉は補助しない。それは頭に入れておくこと」
「わかりました」
そして、簡単な挨拶を告げた後で、鈴音は麻人の前から去る。
――その去り際に、実咲の小さなくしゃみが、鈴音の耳にわずかに入った。
6:
柚紀はとっくに灯が落ちたひなた時計の前に立っていた。
あの後、一度も凉平は顔を合わせなかった。
そしてそのまま自分のアパートに戻っても、ざわついたような、焦るような、慌しい胸の内の衝動が抑えきれずに、ここに行き着いてしまった。
もう真夜中も十分に深まっている。
肌寒さを感じるひなた時計の前で、トレーナーとジャージの、部屋着に薄手のカーディガンを肩に乗せて、立っていた。
呼びかければ、凉平たちが現れるだろう。
だが、それを声に出す勇気が、まだ無かった。
昼間の事が、それを邪魔していた。
あの凉平のことだ、今この場で呼びかけても、きっと彼は自分を拒否しないだろう……。
大事なことは暗に隠し、自分よりも他人を優先する凉平。
だが、ここで彼の名前を呼んで、謝って仲直りを求めたとしても、それはきっと自然に見せる彼の優しさを期待した、甘えなのかもしれない――
そうと分かっていて、ただ単に謝るだけで許してもらえるであろう彼に、甘えるのかと、葛藤する。
そんな堂々巡りを頭の中で回したまま、ここでじっとしているしかなかった……。
と――昼間に聞いた、あの金属が細かくぶつかり合う音が、かすかに聞こえてくる。
まさかと、柚紀は店の裏にあるガレージへ、自分でも気づかぬうちに歩き出していた。
ガレージのシャッターが半開きになっていて、そこからオレンジ色の光が漏れている。
中から、金属のかちゃかちゃと言う音に混じって、たまに凉平の息遣いが――気が付けば、柚紀はそこまで足を運んでいた。
「あん?」
凉平の声。
ガレージの中から、砂を踏む足音が近づいてくる。
不意に柚紀が後退るも、もう遅かった。
「よお、どうした?」
シャッターの下から、しゃがんでいる凉平の姿。
「あ、うん……」
しどろもどろに柚紀が答えた。
「昼間はすまなかったな」
「え?」
ぎくりとする柚紀。
「あの後、厨房の掃除に夢中になっちまってさ」
「あ……」
凉平の謝りの言葉は、その事だったようだ。
「意外と気づかないところで汚れが溜まっててさー、普段は見えないもんだよな」
「う、うん……そうだよね」
「入れ、寒いだろ?」
「うん……」
昼間と変わらない、いつもと変わらない凉平だった。
「適当に座っとけ。服汚さないようにな」
「ありがと」
適当な木箱の上を手で簡単に埃を払いのけてから、柚紀が腰を乗せる。
強めのライト光は、光源を見なければ平気で、あたりは明るい部分と影の部分が、その差をはっきりとさせていた。
凉平はもう、……たしかCB1300という昔のバイクを、昼間の続きの通りに工具で整備けている。
「直るの?」
柚紀が、ポツリと凉平へ。
「壊れてなんか無いさ……ただ、もうかなり古いから、整備だけでも一苦労なんだよっと」
「そう……」
それから、柚紀は静かに凉平の背中を見続けた。
かちゃかちゃと打ち合い擦れ合う金属の音。たまに聞こえる息遣い。一度立ち上がって、背筋を伸ばす凉平の姿。
――いつの間にか、柚紀の胸の中のざわつきは、どこかへ行ってしまっていた。
何を思うわけでもなく、何を話すわけでもなく、凉平の背中を見ているだけのこの時間が……理由も分からずに……ずっと続けばいいと、純粋にそんな思いがしていた。
ただただ落ち着いた気持ちで、ゆっくりとした時間を実感し、その中に浸っているこの時が、ずっと続いたのなら……。
どれくらいの時間が過ぎただろうか、時間も忘れていた頃、凉平が、
「沙耶香、だ」
いきなりに、凉平は女性の名前を口に出した。
「へ?」
「女の名前。俺がまだ『兄貴』と一緒にいた頃に、いつも三人でつるんでいた『女』の名前だよ」
昼間の話の続き。なのだろう。
「うん」
柚紀は、凉平の話を待った。
「別に、恋愛感情で「好き」ってわけじゃなかったんだが、ダチとしては好きだった。ってだけさ……あいつも、俺が~なんて、顔を歪めるくらいに嫌がるだろうしな……ただ単に、いつも一緒にいたダチ。ってだけだ。それ以上もそれ以下も無い」
「そうなんだ」
「ああ、そんだけだよ」
ひょっとしたら凉平は、自分がその事で昼間に癇癪を起こしたのかと、そう思って話し出したのかもしれない。その事からかもしれないと、柚紀の頭の中でよぎった。
別段、自分たちも付き合っているどころか、そんな気配を思わせるような事すらしていないのに……。
そんな彼の……もしかしたらしているのかもしれない、やや発展させたような考えに、本人の見えないところで柚紀は苦笑した。
「俺が、兄貴にバイクいじりを教えてもらいながら、お前がちょうど座っているそこらへんに、いつも何するわけでもなく座っていた」
「…………」
不意に、ひらめいたような、あるいは降ってきたような悪い予感が……柚紀の中で現れ、次第に渦巻き始めた。
まさかと思い、否定されることを願いながら、聞いてみる。
「その人は、今どこに?」
凉平は背中を向けたままで、
「もう、亡くなった。兄貴もな」
「――――ッ!」
望んだ否定が来なかった返事に、柚紀は血の気を引かせ、胸に当てていた両手を膝の上に落とした。
「じゃあ、そのバイクは?」
「バイクじゃない。マシンだ……このマシンは、兄貴が使っていたもので、俺が今もこうして整備して……」
ふと、今の柚紀の声がやけに近かったことに気づき、凉平が手元を止めて振り返る。
やはりすぐ目の前に、柚紀が立っていた。
「?」
どうした? と言おうとして、凉平が立ち上がると――
「……そつき」
「ん?」
「……嘘つき」
突然、弾ける様な勢いで、柚紀が凉平の胸倉を両手で掴んだ。
「お、おい――」
「この嘘つきめ!」
「なにを――」
凉平の顔のすぐ近くに、柚紀の顔があった。瞳に涙を浮かべて――
「あの時! ……家もお店も失った私に、もう一度花屋をやるしかないだろって言ったのは……あれは、ただの言葉だけだったのか……」
「…………」
泣きじゃくる柚紀。もう夜も深く、外まで響いてしまう事などお構いなしに、叫ぶ。
「結局あんたも悲しんでるんじゃないかっ! 悲しむ余地は無いってくらいに励ましておいて……本当は、あんたが一番それに浸かりきってたんじゃないか! この嘘つきめ!」
ぽろぽろと、柚紀の瞳から大粒の涙しずくがあふれ出る。
「…………」
「そんな……そんなアンタに励まされた私って、元気もらってた私って……本当に馬鹿みたいじゃない!」
「…………」
「自分が一番しっかりして無いくせに、自分すらもどうにかできてないくせに……他人ばっかりにやってるんじゃないわよ。そんなアンタにされた私が……本当に……本当に馬鹿じゃないか……」
涙声が力を失い、掴んでいた凉平の胸倉を半ば突き飛ばすように離して、柚紀はガレージを出て行った――
残された凉平。
中途半端に組みあがったバイクに寄りかかったまま、頭を掻こうとして――
「…………」
軍手をつけたままだったことに気づき、軍手を取った手のひらを……目を伏せたままじっと眺めた。
最低だ……本当に最低だ……自分は本当に最低だ。
少し考えれば、分かる事だった。
――彼も、自分と同じように、いくつもの大事なものを失くしているのだということに。
だから、今まで……自分にあんなにも優しかったのだ。
その辛さを、悲しみを知っているからこそ……
なのにもかかわらず、あんなことを言ってしまった――
いまさら気づく、
私はただ単に、焦っていたのだ。
私は彼のことを何も知らない。だから、知ろうとして……彼の見えないところで聞きまわろうとして……言いたくないことを無理に聞こうとして、言わせて――傷つけた。
そして私は、優しくしてもらった相手を、あんな言い方で突き放してしまった。
あんなに辛そうな、苦しそうな、今にも泣きそうな顔をさせてしまった。
本当に、最低だ――
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