第五話 麻人&凉平編
BRACK RUNNERS (前編)
1:
「こんにちわー」
「いらっしゃいませ。たぬき様」
「きしゃあああああああああ!」
ショートの髪を逆立てんばかりに叫ぶ柚紀に、迎えたシャオテンがしまったとばかりに口元を押さえた。
「失礼いたしました。……発音って難しいでございます」
「田名木の『な』を強調して! もっと強調してっ!」
先日の事からひなた時計に居候をすることになったシャオテン。店の手伝いをしていた。
今まで、加奈子が(ほぼ)メインでウェイトレスをしていたひなた時計も、シャオテンが加わったことで、華やかさがひと回り増した雰囲気となっている。
「あれ?」
柚紀がふと気づいて、辺りを見回す。
「凉平さんは?」
「あいつなら今日明日と、休みを取らせた」
いつどんな時でも、カウンターに居座っているひなた時計のマスター、防人が、相も変わらずカウンター内から静かに言ってきた。
一見、低く静かな声音でも、十分に良く届く声。
「じゃあ、この土日のお休みが、一緒になったのねー」
この昼前にやってきた田名木柚紀。
花屋再建のために、花関係のさまざまな仕事をこなしており、その中、この土日と休みを取っていた。
しかし、忙しくなってきた中でいざオフになると、とたんに手持ち無沙汰になってしまい、そしていつものごとく、このひなた時計へ足を運んだのだった。
「ご存知になられてなかったのですか?」
「うん」
柚紀と凉平は、普段は毎日のように顔を合わせてはいるが、お互いに同じ日が休みになった事は、今まで一度も無かった。
「あいつは今、ガレージの方にいる。アホ面を見るのなら、裏手に回って行くといい」
マスターの言葉に、柚紀は「はーい」と返事をして、いったん店の外へ出て行った。
「マスター、どうなさったのですか?」
シャオテンは、長く知った間柄でもないが、凝視していてもさほど何の変わりようも見えないマスターの微妙な空気……の変化を感じ取った。
「いや……」
「?」
シャオテンは少女でありながらも『武人』たる気質がある。シャオテンがマスターから読み取ったのは、仕種や雰囲気からではなく、『気配の流れ』という、曖昧で説明しづらいモノを、反射的に鋭く感じ取ったからだった。
この大岩のようなマスターが濁した言葉を聞いて、シャオテンは眉根を寄せる。
「田名木柚紀。か……」
マスターは小さくつぶやいて、手元のコーヒー豆を引く作業に没頭し始めた。
シャオテンの問いかけは、流されたようになってしまい。シャオテンも、新しい来客を出迎えたため、うやむやになってしまった――
店の裏手に回ったのは初めてだったが、柚紀は凉平がいるはずの、目的のガレージを難なく見つけることができた。
「店の庭って意外と広いのね」
柚紀が見つけた、年季の入っている……それでいてしっかりしとした作りの車庫……さらに半開きになっているガレージのシャッターを見つけ、下側の開いている部分から、カチャカチャと金属が細かく打ち合う音が聞こえてくるのに気づく。
体を屈ませて中を覗き込むと、強めのライト光が差す中で、何かしらの作業をしている凉平の後姿を見つけた。
凉平の後姿を見ると、柚紀は遠慮がちに「こんちわー」と呼びかける。
「うん?」
ガレージのシャッターから、覗き込んでいる柚紀に気づいた凉平が、振り向いて立ち上がった。
「よう、いらっしゃーい」
店の中ではないのに、反射的に返した凉平。柚紀がくすりと口元をほころばせた。
「入れよ」
「うん」
そんな凉平の軽い口調に、柚紀も遠慮をすることなくシャッターを潜った。
「バイク?」
「ああ」
凉平がはめていた油黒い軍手をはずし、体を反って背中のコリをほぐしながら。
「CB1300、年式はもう数十年前のものだ」
「へー、『羽』みたいな形ね」
その凉平がいじっていたバイク、CB1300は、最近見る丸っこい金属の塊のようなバイクとは違い、いかにも古臭そうな『型遅れ』なバイクだった。
個人的な塗装やカスタマイズでもしてあるのか、あるいは今している途中だったのか……バイクの部品が広げた布の上に散らばっている
凉平が少しばかり自慢げに言ってくる。
「どうよ?」
「バイクなんてわかんない」
「……ああ、そう」
柚紀のあっさりとした返答に、やや肩を落とす凉平。
「かなり古そうだけど、走るの?」
「一応な」
柚紀がちらりと、凉平を横目で見る。
少しばかり悪戯心が出たのか、柚紀が試しとばかりに言う。
「じゃあ、このバイクでドライブにも出てみる?」
バイクの分解されている場所を覗き込んでいた姿勢から、柚紀は気持ち程度で挑発的に、凉平の顔を下から覗き込む。
「まだ整備に時間がかかるから、すぐには出れねーよ」
「……ああ、そう」
今度は柚紀が、がっかりといわんばかりに肩を落とした。
「それと、バイクじゃない、『マシン』って言うんだ」
「…………」
さらに、柚紀は半眼になって『バイク』を『マシン』という呼び方をする凉平に、どーしたものかと思案に困った。
とりあえず、前かがみから姿勢を戻して、柚紀は軽い誘惑気味な挑発を流されたことについてを、ぐっとこらえながら言ってみる。
「もしかして、凉平さんって昔、『ヤンチャ』さんだったの?」
「んや、俺じゃなくてさ――」
「?」
「学生の頃、ちょっとした『ツテ』で、バイクについての整備方法やらを叩き込まれてたことがあってな、整備士の資格は無いんだが、いまでもこうやってやってるのさ」
「ほー」
「本当は整備士の資格を取ってそこで、『兄貴』のマシンをって……そう思っていた頃だ」
「兄貴?」
「ああ……マシン屋の人達もそうだが、兄貴は俺を拾ってくれた人で……もう一人、俺と年が同じくらいの女と三人で、いつも一緒だった」
ぴくり、と凉平から出た『女』という言葉に反応する柚紀。眺めていたCB1300というバイクから目を離して凉平を見る。
遠くを懐かしむ眼差しをしていた――
「へー、『オンナ』ねぇ~」
女という単語に反応した柚紀が、頭を傾けてニヤニヤと意地悪な笑みを凉平へ向ける。
そんな悪い笑みを浮かべられ、凉平がはっとなって、気まずそうに目を逸らし。
「まぁ……これでドライブは、この通り無理だ。また今度、な」
柚紀へそう告げると、凉平はきびすを返し、肩を回しながらガレージの外へ向かった。
「なんか作ってやるよ、店に戻ろうぜ」
「うん」
未だに意地の悪い視線を向ける柚紀が、ここを出る前にガレージ内を見渡す。
と――
「こっちのバイクじゃダメなの?」
柚紀が指したそれは、ガレージの隅っこにある、シートのかぶさった大きなバイクだった――
「そっちはダメだ、そもそも俺のじゃないんだしな」
「?」
隅にある、シートのかぶさったままのバイク。よく見ると、もうだいぶ放置されているのか、シートの上に砂埃が、わずかに溜まっていた。
「…………」
一体、誰のものなのだろうか……?
シートの中のバイク。そして、凉平がいじり途中のバイク。
それらを見比べて、柚紀の中で何なのか良くわからない、疼くような、曇ったようなものが胸の内に広がり――
ガシャンッ!
突然の音にびくりとする柚紀。とっさに振り向けば、凉平がシャッターを潜った拍子に頭をぶつけたのか、しゃがんだ姿勢で頭を抑えていた。
「あたたた……」
「もう、ばかね……」
シャッター越しから見える、遠ざかっていく凉平の脚を追うように、柚紀もガレージのシャッターを潜り出た。
「ねーねー」
「なんだよ?」
「『オンナ』って言うのは、ひょっとして『昔の』が頭に付いたりする~」
ニヤニヤ顔の柚紀。
「…………」
ニヤリとした凉平。
「だったらどーするんだ~?」
「…………こうする」
ゲシンッ!
「いってぇ……」
片足のスネをさすりながら、ひょこひょことした足取りでひなた時計のドアに手を開ける凉平。
「ざまあみろ。ふんっ」
柚紀が、唇を尖らせ、さらに頬を膨らませて(怒ったときに頻繁に出る癖)ふん、とそっぽを向いた。
「今のは綺麗に入ったぞ……ったく」
手を載せていたひなた時計のドアを回して中に入る。その凉平に続いて柚紀も店内に入って行くと――
「シュウジさんっ! またですかああああっ!」
入ったとたんの、シャオテンの怒鳴り声に、凉平と柚紀が同時にビクリとして、声のした方を向く。
「接客をする気が無いなら店内でうろうろしないでください!」
「俺がどこにいようと勝手だろうに!」
「勝手じゃありませんっ! 掃除と皿洗いくらいしかしたくないのなら、それらしく隅っこに居てくださいませっ!」
「んだと、てめぇ! 忙しいみてーだから食器下げてやったんだろうが!」
シャオテンが、気の立っている猫のような様子でがなりたてる……シュウジがさらに大きな怒声で言い返す。
「……またか」
「みたいですね……」
凉平柚紀が、二人そろって同じように半眼になって、とりあえずその様子を眺める。
ここ最近ではもう、この調子の二人だった。
お互いに仕事上で干渉しあわなければ問題ないのだが、そうと分かりつつもお互いに言い合わなければ気がすまないのは、この二人にとってはある種、喧嘩するほど仲が良いのかも知れない……。
何はともあれ、こう喧嘩しあいつつも、この二人はいつもワンセットで居ることが多くなっていた。傍目からでも、もう当たり前のように思える二人。
凉平が一度だけ、はぁとため息をついてから、シュウジとシャオテンの間に入った。
「お前ら、せめてもっとトーンを下げろ。お客さんの前だろうに」
「「だってコイツ(この人)がっ!」」
突然、凉平の後ろから突然にやってきた昴が――
「やかましいわぁ!」
ガツンッ!
叫びつつシュウジとシャオテンの頭を引っつかんで打ち合わせた。
あまりの唐突さに、凉平も「うおっ」と驚きの声を上げる。
「おい昴……さん?」
シュウジとシャオテンが、二人そろって頭上で星を回しているのを尻目に、やりすぎではないかと凉平が昴へ強めに言おうとして……語尾が恐る恐るになった。
今の昴は、目の下にクマを作って不機嫌さ全開の顔をしている。
「………………寝る」
「は?」
たっぷりに間を空けてから、昴が凉平を無視してきびすを返すと、すたすたと元のカウンター席へと戻っていった。
「何なんだ……」
「凉平さん」
そこへ、加奈子が凉平のすぐ隣へやってくるなり、凉平へ耳打ちをする。
「なんだか、テストで散々な結果だったみたいで、今日も朝から再テスト三昧だったみたいですよ」
「……なるほど」
昴がカウンター席で突っ伏している。
そのすぐ隣に居た誠一郎が、寝付きやすいようにと配慮したのか、手を伸ばして頭をなで始めた。
昴の頭をなでつつ、凉平の方をちらり見た誠一郎が、目配せと小さい頷きで「静かにしてやってくれ」とアイコンタクト。
誠一郎は、昴が落ち着いて寝入ったのを確認をしてから、手元の本へと視線を戻す。
「…………」
頭の上で回っている星が無くなって、頭を抑えてしゃがみこんでいるシュウジシャオテンコンビを見つつ……はぁ、とため息をつく凉平。
「せっかくお休みを取ったのに、なんかすいません。凉平さん」
加奈子が代表して、凉平に謝る。
「んや、気にするな。しっかりやってくれよん」
「はい」
「ちょっと厨房にいるわ」
「わかりました」
そう、加奈子に告げると、凉平はその通りにまっすぐに奥の厨房へと入っていった。
「凉平さんがいないと、実はすごく大変なのね」
「ええ、まぁ……」
加奈子に案内されつつ、カウンター席に座りながら、柚紀。
「意外とリーダー性があるとか?」
「そうですよ、マスターを除いたら、一番の古株で年長なのが凉平さんですから」
「あ、そういえば……」
いまさらながらに気づく。
この店で『成人』しているのは、マスターと、あの凉平だけだった。と……
「実は私たちを一番にまとめているのは、凉平さんなんです」
「…………」
そんな言葉を聞いて、また柚紀は胸の内で微妙な引っ掛かりを覚えた。
「こんな時――」
加奈子の言葉で、ふっと我に返る柚紀。
「麻人さんが居てくれたら……」
「? 麻人、さん?」
新しく出てきた名前に、柚紀が眉根を寄せて聞き返す。
「ええ、麻人さん。二ヶ月くらい前まで、ここで働いてた人です」
「男の、人……?」
「そうですよ、麻人さんは凉平さんと同じくらいの男の方です、けど……?」
名前からしてそうなのにもかかわらず、性別を聞いてきた柚紀に、今度は加奈子が眉を寄せた。
「どうかしたんですか?」
「え? っと……」
柚紀がようやく、自分が妙なことを聞いたのだと気づき、返答に迷って視線を宙にさまよわせた。
「んと、どんな人なのかなーって、あはははは」
最後の笑いは苦し紛れだった。
そして、どうしてこんなにも、柚紀は自分が動揺しているのかすら、分からないでいた。
「麻人さんは、前にここで働いていた人の一人で、その頃は私もまだ入ったばかりで、その頃はマスターも海外に出ていて……私と凉平さんと、麻人さんの三人で切り盛りしていたんです」
それは確実に、自分がここへ来るようになった頃より以前の、たった二ヶ月前以前の、柚紀の知る由も無い、遠い昔の頃だった――。
「あの頃はー……といってもまだそんな経ってないんですが」
その頃の事を思い出したのだろうか、照れ隠し気味に苦笑する加奈子。
「その頃は、今みたいに賑やかなお店じゃなくて……静かで穏やかで、眠たくなってしまいそうなくらいに落ち着く場所だったんです」
「…………」
柚紀と加奈子が、一緒になって店内を見回す。
仕事の合間に来ているサラリーマン。談笑しながらお茶をする主婦。今時の若者から、この喫茶店でおのおのがそれぞれに、お茶を楽しんでいるというだけなのに、どこか賑やかで、楽しげで、明るい空気が流れる店内――。
ふと、柚紀が自分お席の横で立って眺めている加奈子の顔を横目で見てみる。
普段明るくしっかり者の加奈子の今の表情は、どこか遠い思い出を懐かしむよう……きっと、自分とは違うものを見ているのかもしれない。
そう、柚紀は思った。
そしてそれは、自分の知らないもの――
しかし柚紀が加奈子を見ていて、かすかに彼女にとっては『昔の仕事仲間の先輩』というだけではなさそうだ。と漠然と感じだ。
「五年くらい前の飛行機事故知ってます?」
突然に違う話を切り出した加奈子。
「ええ」
まだ自分が高校へ入学したかしなかったか辺りの、ぼんやりと覚えていることを思い出しつつ、柚紀は答えた。
「麻人さんは、その飛行機事故に生き残った人で、このひなた時計をやめる直前に、その事故でなくなったと思っていた妹さん……義理の妹さんだったらしく、その人が見つかって、一緒に暮らすために辞めて――」
カランカラン
入り口のカウベルが来客を告げた。
「いらっしゃいませー」
加奈子が話を切り、訪れてきた来客を出迎えに行く。
さすがに加奈子も仕事中で、話の続きを離させるわけにもならず、柚紀はそのまま加奈子を見送る。
その姿を見てから、柚紀は流れるような面持ちで奥の厨房へと続く方を見た――
「…………」
その、少し前に凉平が入っていった奥の厨房へと続く場所――ほんの少し歩けば届くその距離が――見つめる時間が経つにつれて遠くなっていく。
柚紀の中でそんな感覚がした。
「…………」
柚紀は自分が、そう思っているほど――鳥羽凉平という男の事を知らないのだと、胸の内でじんわりと染み込んでくるように……。
今更ながら、気づいた。
2:
「あまり長くないだろうけど、古巣に戻ってきた気分はどう? やっぱり懐かしいのかしら?」
「全然」
悪戯か、軽い挑発のよう口調を一言で一蹴する。
「嘘ね、顔に書いてある」
「む……」
図星を突かれて、言葉を詰まらせた。どこか小さな咳払いにも聞こえる声。
「麻人」
相手を麻人と呼んだ女性は、彼の顔を下から覗き込むように、尋ねた。
「それでひなた時計って、どこにあるの?」
女性がほんのわずかに小首をかしげ、まっすぐに伸びたセミロングの髪がわずかに揺れる。
「いや、まだ行かないよ。実咲、少しブラつこう」
「そうなの?」
実咲と呼ばれた女性が、麻人の顔を覗き込むのをやめ、麻人の隣に並んだ。
「しばらくはゆっくりしよう。追っ手も振り払ったしね……ブレイクの管轄に入れば、ジャベリンたちが追ってきたとしても、ブレイクの判断を仰ぐことになって、時間を稼いでくれるだろう」
「これがその、あなたの元上司の罠じゃなければ……ね」
「ブレイクは冷徹であっても、卑怯じゃない」
「そう……」
不満そうな実咲の声。
だが残念がる様子ではなく。どこか『不機嫌』になったような不満だった。
「敵になった元上司を褒めるのは嫌か?」
「別に……」
つんとした表情で、あさってを見る実咲。それを見て、麻人が苦笑した。
「確かに狙われてるけど、卑怯な手段を使う事はない……そもそも、小手先を繰り出して追い込むタイプでもなければ。ブレイクの場合、そうする必要も無いからね」
「はいはい。分かりました分かりましたー」
もういいとばかりに、やや大きめの声で話題の終了を宣言する実咲。
「んで」
この話は終わり、と遠まわしに言ったばかりなのに、自分から即座に切り出す実咲。
ただ単に、話題の主導権が欲しかっただけらしい。
「借りを返す相手は、あなたの相棒君だったっけ?」
「相棒じゃない」
「?」
麻人が、即座にきっぱりと否定した。
「……ただの阿呆だ」
心底嫌そうな麻人の調子。
それは実咲の前では滅多にしない、冷たい視線と態度だった。
その様子が珍しいのか、実咲が悪戯をするような顔で、
「あなたと同じくらいに馬鹿なのね」
特に、話題に勝敗を作っていたわけではなかったが、さらに実咲はにんまりと勝ち誇るような笑みを麻人へ向けた。
「あいつは俺以上に阿呆だよ」
「そっかそっか、あなたと同じくらいに馬鹿なんだ」
「…………」
おそらくは、この後どれだけ否定しても、実咲の中ではそうなのだと思うのだろう……。麻人はそうと分かっている以上、それ以上の強い否定はしなかった。
そしてぽつりと、麻人。
「あの阿呆をまた、死に損ないにするだけで返せるのなら、万々歳だ」
「ブレイクさんも、しばらくはこの地域に隠れてても良いって条件をもらったしね」
「そうだな」
麻人と実咲の二人はとりあえず、手近にあったファミリーレストランへ足を運ぶことにした。
3:
いつものごとく、カウンターの隅でコーヒーを片手に本を呼んでいる誠一郎。
「誠一郎さん」
「ふむ」
柚紀が誠一郎の隣に座る。凉平の友人、葉山誠一郎。
「何か?」
相変わらずの淡白な表情と、すまし顔に似合ったシルバーフレームの眼鏡。こざっぱりとした容姿も相まって、落ち着いた物腰というよりも、冷静沈着といった印象が伺える。
「麻人さん、って方知ってます?」
誠一郎を挟んで柚紀が座った反対側には、星川昴が聞こえるか聞こえないかぐらいの寝言を呟きながら、ぐぅすかと眠っていた。
そのためか、柚紀もやや声の量に気を使って尋ねる。
「また彼か……」
「また?」
「なんでもない」
少し言葉を濁した誠一郎が、読みふけっていた小さめの本を閉じて、思い出すかのように顎に手を置いた。
「知っているんですか?」
やはり、凉平の友人であるならば、彼にも麻人という男性とも友人であってもおかしくは無い。そう踏んで柚紀は誠一郎に聞いたのだった。
「実は、俺も彼についてはあまり知らないんだ」
「そうなんですか……」
「おそらく、凉平が話していなければ、シュウジも彼のことを知らないだろう」
「う……」
次に聞こうとした相手もダメだったらしい。
柚紀が肩を落とす。
「凉平本人に聞いてみたらどうだろうか?」
「あ、っと……」
誠一郎の提案に、柚紀が言葉を濁して視線をさまよわせる。人差し指をくるくると回しながら、
「ほら、今厨房に居るし」
「ふむ、それもそうか」
しどろもどろに誤魔化した返事だったが、誠一郎は納得した。
「あまり詳しくはないんだ。すまない」
「いえ、ありがとうございます」
軽く誠一郎に会釈をする柚紀。なぜか、柚紀は誠一郎の前では他人行儀な態度を取ってしまう。
誠一郎の隣でいつも屈託無く、むしろ傍若無人な振る舞いをしている昴が、柚紀にとってはとてもマネできない事だった。
「だが、俺の見ていた範囲でなら、少しくらいは話せるかもしれない」
「本当ですか」
つい声を上げてしまいそうになったが、誠一郎の奥で寝ている昴が視界に入ったため、ぎりぎりのところで柚紀は声を抑える。
「ああ、本当のところは分からないが――」
誠一郎の言葉に、身を乗り出すように顔を気持ち近づけるようにして、聞き入る柚紀。
「彼はいつも、凉平を真っ青にするほどいじめていた」
「へ?」
いきなりの発言に、柚紀は間抜けな声を上げてしまった。
「どんなことを?」
とりあえず柚紀は聞いてみる。
誠一郎は声マネもしてくれたのか、やや冷まった口調で淡々と言う。
「はしゃいでいたいのなら、その軽そうな両脚をぶち折ってやる……それでもふざけるならやらせてやろう」
「…………」
「他にも……冗談で済まされるなら、俺も冗談でお前の寝起きに熱湯をかけてやる……などを聞いたことがある」
「…………」
「本当かどうかは分からない」
「ああ、うん……そうなんだ」
誠一郎の、見ていた範囲で~本当のところはどうなのか分からない。というのは、それを本当にやったかどうか。ということだったらしい……。
とりあえず、誠一郎からようやく柚紀が知ることができたのは。
麻人という人物は『ドS』なのかもしれない。ということだった――
「で、その相棒君は、どんな人なの?」
ファミリーレストランのボックス席で向かい合っている麻人へ、実咲は特に何の脈絡も無く聞いてきた。
「相棒じゃない」
即座に不機嫌になる麻人。実咲にとってはこの変わり様が面白いらしい。
「どんな人?」
もう一度聞く実咲。
麻人が、諦めたとばかりにため息をついて、コーヒーカップに指を回して一口してから、不機嫌な顔を変えないまま答えた。
「本当に、聞いたら呆れる位にアホな奴だ。自分よりもまず相手を……他人を優先する。自分をほったらかすくらいにな」
「…………へぇ」
生返事の相槌をしながらも、実咲は目元をほんの少しだけ吊り上げた。
「そして冗談がしつこくて、ふざけた事ばかりする。しょっちゅうどころか、多すぎて毎回うんざりしていたよ」
「ふーん」
「真面目にふざけるものだから、余計にたちが悪くてな……」
「そーなんだ」
麻人を諦めがちに言わせたのにもかかわらず、実咲はずっと適当な生返事しかしなかった。
「最後には、といっても毎度なんだが……いつも脅しつけてやめさせて……本当にやってやろうかと、もう何度数え切れないくらいに、踏みとどまったことか……」
実咲が、先ほどからフォークの刃先で弄んでいたショートケーキのイチゴ。
フォークの刃先をイチゴへ、ぶすりと突き刺して、
「良く知ってるじゃない」
フォークに刺さったイチゴを……その半分を齧って口の中に入れた。
「腐れ縁だよ、本当に……」
その、まだそう遠くもない事を思い出したのか、麻人の言葉はどこか疲れ切った口調。
実咲は租借していたイチゴを飲み込み、もう残りのイチゴを口に放り込んで、また租借。
その間に、コーヒーカップの中身を眺めている麻人の表情を見て――
「会うの、本当は気まずいんだ」
実咲は核心を突いてみた。
また、反射的に否定の言葉が出るのかと思ったが、意外にも麻人は「そうかもしれないな」と、聞こえるか聞こえないかの呟きををもらして、肯定した。
「…………」
実咲が、無言でショートケーキの先端を、持っていたフォークで強めに切り分ける。
「どうした?」
その微妙な変化に、麻人が気づく。
「別に」
実咲の即答。
麻人も、それ以上は追求せず。また量産のコーヒーを口につけて、カップを皿へ戻した。
――そんな二人の席の横で、兄と妹らしい子供がパタパタと通り過ぎて、その後を母親らしき人物が、その子供たちの名前を呼びながら通り過ぎて行く。
「「…………」」
話している最中に、麻人と実咲の間で、言葉ではうまく伝えられない、微妙な空気が生まれて、流れていた。
「実咲、何を怒って」
「うるさい」
「…………」
沈黙。
――レジの方から、先ほどの子供二人が、脇にあるおもちゃを見て、母親にねだっている声が聞こえてきた。
「…………」
「…………」
やや不機嫌気味に、小さく切り分けたショートケーキを口に運びながら外を眺める実咲。
どうして不機嫌になったのか分からず、びくついたような、または緊張した面持ちで、言われた通りに黙する麻人。
それから分を刻んだかどうかほどの間を挟んで、実咲が口を開いた。
「それで、その相棒君はどれくらい強いの?」
ちらりと、実咲は眺めていた景色から、横目で正面に居る麻人へ、視線だけを向ける。
「どうなの?」
実咲の念押しで、麻人が口を開く。
「お互いに『勝負がつくまで』本気でやったのなら、多分わからない……少なくとも、勝てたとしても運で勝つ事になるだろうな」
正直に言う麻人。
「…………」
またも、いや……さらに実咲が不機嫌になるのかと思えば――
「やっぱり、あなたとそう対して変わらないんじゃない」
ほんの少しだけ、諦めたのか開き直ったかのような仕種をして、実咲はまたショートケーキを切り分けて口に運んだ。
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