MIGRANT (後編)
6:
村の夜中は、より一層濃い闇が広がっていた。
電灯もまったく無く、あるとすれば古ぼけた木製の電柱がぽつんと、やっと見つかる程度のもの。
真っ直ぐ進んでいるのかと不安になるほどだ。
鬼怒川老夫婦は既に寝入っている深夜で、麻人と実咲はなるべく音を立てずに、付け直したばかりの真新しい引き戸を慎重に開ける。新品に近い引き戸は音も立つ事も無く。それが二人にとっては大助かりだった。
庭へ出てから、麻人は実咲へ「行こうか」と視線を送る。
前を歩き始めた麻人の背中を実咲は見た後で、一度だけ鬼怒川老夫婦の眠る母屋を振り向き、すぐに麻人の後を追う。
山の中では、川が流れる音がよく響いていた。
実咲が、荒れたアスファルトで出来た道――その曲がり角の電灯の真下まで行くと、静かに振り向いた。
「あなたのダーリンは何処へ行ったのかしら?」
目の前には、全身ぴったりとしたレザースーツに身を包み、クセ毛長髪、そしてなぜか赤い口紅をした筋肉男がいた。
「まぁいいけど……」
野太い女口調の、生理的にも気味が悪くなるような男は――地面から浮いていた。
「確認を取るわ……ああ、これは個人的に、なの」
「……どうぞ」
やたらと個性の強いオカマへ、実咲は促す。
「葉桐香澄美……でも本当は、あなたは洸真実咲という名前で、元セイバー1の義理の妹だった。元セイバー1の、生き別れた恋人でもある。あなたはセイバー1がソーサリーメテオへ入るきっかけになった飛行機ハイジャック事件の後、葉桐企業の御曹司である葉桐啓介により救助される。……妹を溺愛していた葉桐啓介は、飛行機墜落の報告と、愛する妹が見つからない精神的ショックから、あなたと本当の妹である香澄美との見分けが付かなくなっていて……同時にあなたは、家族と恋人を失ったショックから立ち直れないまま、香澄美となって過ごしていた。」
そして、自分の本当の名前を誰にも呼んでもらえないまま、死んだ人間の代わりとして、死んだ妹のマネをするように縛り付けられて生きながらに死んでいた。
「そして、あの日、五月の初め……葉桐啓介主催の社交パーティーで、セイバー1となっていた彼と再会して、そのまま逃亡。間違いは無くて?」
「その通りよ」
状況だけのご丁寧な説明に、実咲は内心で感服する。
と――
「妬けちゃうわあああああん」
全身黒皮タイツのオカマが、大声を上げて体をくねらせ出した。
「…………」
オカマが空中に浮いたまま、自身を抱きしめてくねくねと動いている。その姿を、実咲は我慢して眺めた。
「熱くて溶けちゃいそう! こんな二人が部隊名(チーム)〈ジャベリン〉編成初の任務なんて、なんてことなの! 私はむしろ、こっちじゃなくてあなたたちを応援したいくらいなのに!」
溶けるなら他人の恋愛事ではなくて、硫酸あたりでも浴びて溶けてしまえと、実咲は内心で心底思う。
「お互いに死んでいると思っていた両者! かたやそれがきっかけで暗殺者に! かたや自身をないがしろにされた囚われのお姫様! 再会した二人は、愛を語りながら、苦難を乗り越えていくのね!」
「そろそろいいかしら?」
無表情の実咲がポツリと。
「あら? ごめんなさいね、私は新しく編成された、部隊名ジャベリンのジャベリン1よ。
本名は秘密。属性は見ての通り『風』よ。それから――」
「気持ち悪い」
実咲の吐き捨てる一言で、オカマ――ジャベリン1が言葉を止めた。
そして実咲は、人差し指を出して、ジャベリン1へ向かって指先をひょいひょいと数度曲げる。
かかって来い、というジェスチャー。
ジャベリン1はそれを見て、今まで熱のこもった顔から、氷のように冷たい表情へと変え――
「無能力者(ノーマル)が、ぶち殺す」
唸るような声と共に、実咲へ殺気の視線を放った。
「ジャベリン2、属性は『地』だ」
現れてすぐさまに名乗りを上げたジャベリン2へ、麻人は無言の視線を送った。
今の麻人の姿は、袖の広く腰周りが細い、黒いコート姿。顔の下半分は布マスクで覆っていた。
「貴様と同じだ」
逆毛立った髪を、今は黒いバンダナで隠している、黒い艶消しのレザースーツにジャケットを着込んだ、目つきの悪いジャベリン2。
まさか、こんな夜闇の河原の真っ只中で、奇襲することなく堂々と現れて、さらに名乗りと手の内でもある属性種類を言い放つこの男に、麻人は少しばかり肩を落としてため息をついた。
どうやら暗殺をする気ではなく、この部隊名〈ジャベリン〉はあくまで堂々と戦って倒したらしい。
石材や金属までも操れる地の能力は、暗殺任務に特化できるというのに――
「お前は馬鹿か」
麻人がすっぱりと言い放つ。
「う、うるせえええ!」
ジャベリン2が叫ぶ。
「わかってるわ! そんくらい! 暗殺技能でも太刀打ちできないって事もなぁ!」
川を挟んで、対岸の大岩の上に立っているジャベリン2。だが、ただの馬鹿ではなく、姿を現し、わざわざ自己紹介のように名乗ったのは、理由があるらしい。
「同じ地の能力者でしかも第二呪文持ちで、さらにあのフレイム=A=ブレイクを退いたって……同じ属性の俺に、どんな勝ち目があるんだよ! くそったれがぁ!」
同じ属性で能力的実力でも明らかに勝てず、小細工や暗殺技能でも勝ち目がないと知った上での――平たく言えばやけくそ。と言う事らしい。
「……すまない」
「謝るな! 俺が余計に惨めだろうが!」
よくよく考えれば、ソーサリーメテオで最強の炎の能力者を倒した麻人に対して、同じ属性を持った能力者が……ブレイクと同じAZネームでも持っていない限りは、どんな奴でも噛ませ犬なのだろう。
当然でもあった。
「本当にすまない」
「だああああああっ! 〈ジャベリン〉の初任務がこんなのって、だから俺は嫌だったんだよ!」
麻人は額のしわ寄せ、しばし考え込む。
そしてぽつりと。
「……どうしたらいい?」
「知るかああっ! 俺を惨めにするのも大概にしやがれ! いくぞ!」
そしてジャベリン2の足元、何トンもありそうな大岩が微震し始める。
びしり、びしり、と破壊音が大岩から鳴り響き、そして、一度その大岩が砕けたかと思うと、その大岩の上に立っていたジャベリン2の右腕に破片が集まり、また形を成していく。
――その様子で、麻人が推測を立てる。
(属性成形がまだ未熟か。質量の多い石材だが、その石材を意識して支配するのにタイムラグがある。目立つ破砕音も……そして完成にも時間がかかる。さらには雑な成形過程)
ジャベリン2の右腕には、岩で出来た円柱と、円錐をくっつけた物体が完成されていた。
それを見て麻人。
「……一応聞くが、削岩機のつもりか?」
「その通りだよド畜生っ!」
どうやらそうらしい……だがしかし、アニメなどで見られるようなドリルとは違い、流線型の刃筋も無ければ、その表面全体は遠目からでも分かるくらいに荒々しく雑な表面だった。
「未熟者」
麻人の一蹴。
「分かってるから……罵倒するのもうやめろ」
せめて、意気込みと勢いぐらいは維持したかったのだろうジャベリン2。だが、麻人の先ほどからの容赦の無い言葉に、最後の砦もむなしかったようだ。
「なら、手本を見せてやろう……」
麻人が、黒いコートの左袖に手を入れ、それを引き抜く。
袖から引き抜いたのは、一本の、光沢のある黒い刀だった。
地の能力者麻人の、黒曜石でできた黒刀。
「地の能力を扱う上で、基盤となるのは属性成形の技術。ゆっくりやるぞ」
右手に持っていた黒刀が、溶けるように、または粘度を持った液体のように、刀の形が流れるように崩れていく。
そして持ち上げた左手へ、音も無く滑らかな動きで絡み付いて――
麻人の左腕で、ジャベリン2のものよりもはるかに小さいが、しっかりとした黒い削岩機が完成した。
とても自然な、不自然な現象とて違和感を感じさせない成形過程。
「これくらいはやってみろ。地の能力は、でかい質量の物体を操るだけじゃない」
「えぇー……」
麻人は一応、教え子に教える先生のつもりだったが、ジャベリン2にとっては、敵にこれ以上に無い実力差を見せ付けられたとしか、思えないようだった。
「では、実践だ――」
麻人がジャベリン2へ向かい駆ける。
「ち、っくっしょおおお――」
川の飛沫を飛ばして向かってくる麻人に対し、ジャベリン2は、右腕の不細工な削岩機を回転させ、麻人へと向ける。
麻人の削岩機と、ジャベリン2の削岩機の切っ先同士がぶつかる。
一瞬だけ、力が拮抗――したかと思えば、その次の一瞬で質量がはるかに大きい、ジャベリン2の削岩機が砕け、吹き飛んだ。
「くそ……」
勝てないと分かってはいるが、ジャベリン2は自分へ言い聞かせるように悪態をつく。
土煙が晴れると、膝を突いたジャベリン2の目の前に、黒刀を持った麻人が立っていた。
「今のはただ単に、材質硬化をさせていただけじゃない……お前の武器が回る方向へ、俺も同じ速度で回転させた……意味が分かるな」
物理法則でいう相対速度――同じ速度同じ方向へ移動するものは、お互いにお互いが静止したように見えるという現象。
麻人は一度、ジャベリン2の削岩機が回転する方向と鏡合わせになるように、自分の削岩機を同じ回転速度で回転させた……
そして、切っ先同士がお互いが停止した状態を作った上で、さらにジャベリン2の削岩機の回転速度を超える回転速度で、自分よりも質量の大きい相手を粉砕したという図式だった。
膝を突いて麻人を見上げていたジャベリン2は、「ちっ」と舌打ちをして、観念したかのように胡坐を欠き、麻人の目の前でどっかりと座り直す。
「しばらくは属性成形……より精密に、かつ短時間で無駄な音を立てずに、物質を練る練習だ。それと、物理法則を基礎から勉強し直す事だな」
「へいへい……」
「だが、実力差が分かっていても、それでも向かってくる根性は認める」
ジャベリン2は一度、はぁとため息をつく。
「んで、この後俺をどうするん――」
「ではさらばだ、死なないようにな」
「へ?」
その意味は、すぐさま現れた。
「爆砕」
麻人が掌を向けた場所――支配していた地面――ジャベリン2が胡坐をかいている真下の地面を、麻人は容赦なく爆砕。
ジャベリン2は、おそらく悲鳴でも上げただろうが……それすら爆発音にかき消されて吹き飛んでいった。
7:
「空圧弾!(エアブレッド)」
ジャベリン1の指令呪文(コマンドスペル)。視界を歪めるほどの高圧力の、空気の弾丸を連続で実咲へ撃ち放つ。
風、空気を操るのならば、相手の攻撃が透明で見えないだろうと思えたが……その不安はなかった。
ジャベリン1の風の能力は、武器化された風が発生する時に、圧縮された空気で光が屈折する……支配した空気を圧縮して扱う際に、その箇所が歪むのだった。
視界が歪む状態となるので非常に見難いのだが、集中して視界の中で歪んでいる場所と、自分へ向かってくる空気の凶暴な音を聞き分けていれば回避が可能だった。
相手の呪文の発声から打ち出されるまでのライムラグ――狙う箇所――さらにはジャベリン1が攻撃の意思を行動に起こすタイミングまで、実咲はエアブレッドを飛び回るように回避しながら状況を把握していた。
「……おかしいわね」
空中でふよふよと……実咲から距離をとってやや上方向にいるジャベリン1が呟いた。
ジャベリン1は一度、実咲から数秒だけ空圧弾で破壊してしまったアスファルトの穴や砕け散った木々を観察する。
そしてもう一度、エアブレッドを唱え、下方にいる実咲へ空気の弾丸を放つ。
実咲はそれを、真横へ転がるように横っ飛びで回避。
「…………」
ジャベリン1が放ったのは一発だけ……そして追撃をやめて、もう一度を実咲を観察するように見た。
ジャベリン1がぽつりと
「名演技……ね。私でも気付くのに遅くなっちゃったわ」
「そう……」
実咲がすっと立ち上がり、逃げ回るだけだった状態から、一転して悠然とジャベリン1を見上げる。腰に手を当てて
「もう少し位ならバレないと思ってたんだけど、馬鹿じゃないみたいね」
実咲はさらにもう一言。
「気持ち悪いって言ってしまってごめんなさい」
「いえいえ」
意外とジャベリン1は冷静に、と言うよりも、まったく気にしていないような、軽く流すような返事だった。
「外と中が別の性別だと、やっぱり常識っていう偏見が付きまとうのよね……かっとなってしまっても、実はうんざりするくらい慣れてるのよ。こちらこそ乱暴な事してごめんなさいね」
「大丈夫よ、それに私が気持ち悪いって言ったのは、アナタにじゃなくて、私たちの事を妄想された事だから……男でも女でも、オカマでもされたら関係ないわ」
「そう……」
ジャベリン1は、一度、ふう、となぜか思わせぶりなため息をつく。
「あなた、何故なのかは分からないけど、私の能力が効いていないわね」
実咲はあっさりと肯定。
「ええ、実はそうよ。避けていたのは、本当は効かないって事をなるべく隠しておきたかったから」
「今空圧弾を、あなたの足元へ弱めのを二発撃っていたのよ。足には確実に当てられた……はずだったのに途中で消えちゃったもの」
ジャベリン1が腕を組んで唇を尖らせる。あたかも「お姉さんへ正直に話しなさい」と言った仕草。
「秘密よ、当ててみて……って麻人には隠しておけといわれてたんだけど」
実咲はシャツの中に隠していた厚手の袋、それからさら中の物を取り出して見せた。
白く輝く、ガラスのように透明なペンダントだった。
「これにはね、麻人の第二呪文と同じ力があるのよ。麻人が自分の第二呪文を扱えるようにする上で出来た……おまけか派生みたいなものよ。これであなたの能力も……それ以外の能力者全ての能力が無効化できるのよ」
「へえ……デザインも、ロマンス感たっぷりの贈り物ね。うらやましいわ」
「ありがとう」
「でもどうして? 黙っていろと言われたんじゃなくて?」
それを聞かれ、実咲がくすりと……微笑みながらもしてやったりの顔をする。
「もしかしたらあなたと一緒にお買い物でもしたら、一日くらいは楽しく過ごせるんじゃないかなって思ったからよ」
そう言われたジャベリン1が、ぶっと吹き出した。
その時――遠く、山道の下にある河原からくぐもった爆発音が木霊してくる。
「……私も楽しく過ごせそうって本気で思っちゃったじゃない」
「今度行く?」
「それは是非行きたいわね……次があったら、ね」
――遠くで、さらにもう一度、爆発音がくぐもって聞こえてきた。
「じゃあ約束ね、お互い守りましょう」
「ええ」
そこで、白く輝いていたペンダントの光が急速に衰えて、消えた。
「……時間切れみたい。残念ね」
実咲が心底残念そうに。
「それ、充電式……いえ、使い捨ての物だったのね」
その通りに、輝きを失ったペンダントがサラサラと砂のように、実咲の胸の前から消えていった。
「手の内はもう無いみたいね」
「ええ」
「遠くからでもいいかしら?」
「お好きに」
「時間稼ぎも、ちょっと時間が少なかったのかしらね」
「……十分よ、お話できたから」
「そう」
一撃で終わらせる。とジャベリン1は空気を圧縮、さらに細く形を取って空気圧の刃を生み出した。実のところ、真空の刃と言うものは切れ味は良くても、剣やナイフのように殺傷性のある威力はなかなか出ない。
よって、極めて小さい、点や線ほどの極小面積へ高圧力をかけて撃ち放つ――包丁を扱うのと同じ要領だった。
空圧刃(エアブレイド)。細い空気圧の刃を作り出す――それを実咲へ向けて。
「最後に、言う事はあるかしら?」
それに対し実咲は――鼻で笑い捨てた。
「時間切れはあなたのほうよ。何を言っているのかしら?」
実咲はそう言って唇の端を吊り上げるも、目はまったく笑っていなかった。
「っ!」
ぞくり、とまったくの不意打ちを打ち込まれたような悪寒がジャベリン1に走り、体が硬直した。
次の瞬間、山道の深く茂った木々の中から、白い光が強く発光。
「まさか――」
向かってくる白光の塊。
一瞬だけ、ジャベリン1は視界一杯に現れた黒コートの男の姿を見て、ジャベリン1は目を焼くほどの、白光の衝撃に飲み込まれた――
8:
「ジャベリン1でも無理でしたか」
麻人と実咲が山道を降りて、河原に沿って上っていると、〈ジャベリン〉のリーダーはあっさりと姿を現して、そこに居た。
部隊名〈ジャベリン〉。ジャベリン1と2を指揮していた男は、手に持っていた小石を河原投げた。
小石は水面の上を跳ね、対岸まで到達してかつんと音を響かせる。
「先日は失礼しました……始めまして、〈ジャベリン〉のリーダー。アクア=J(ジャック)=メイルストロームの、ファル=シオンと言います」
先日、ショッピングプラザで麻人と対峙した男――自己紹介をした男は、どこかか細い印象のある、異国との混血(ハーフ)――麻人よりも若い青年だった。
おそらく、アックス2……シュウジと同じくらいの年頃だろう。
「暗殺に来るなら、名乗りをするのをやめたらどうだ?」
「ええ、知っています。分かっています」
暗殺任務のはずなのにも関わらず、敵である麻人へわざわざ姿と名を明かして目の前に現れる不自然な行動。部隊名〈ジャベリン〉は全員が無意味どころか、任務に支障をきたすくらいに自己主張でもしたかったのか、と思わせるようだった。
「自分達は、ソーサリーメテオではいわゆる、はみ出し物です」
〈ジャベリン〉のリーダー、このファル=シオンという男は、まるで戦う気すら無いといった雰囲気だった。
麻人はそれを観察しつつ、続けさせた。
「陸海空の万能部隊といわれましたけど、結局のところ、実力が不十分だったり、人として特殊だったり……まだ十分な経験も無いまま能力だけ高めてしまって、手持ち無沙汰になった自分達が、そういった建前で編成されました」
そこで初めてファルが麻人たちへ向いた。
実咲は既に後方へ動いていて距離をとっていたが、そこからでも分かるくらいに、線の細い、どこか儚い面持ちの……少年顔。
しばらく麻人と戦意のないファルが、にらみ合いともお世辞にはいえない視線を交し
ファルがまた口を開いた。
「さあ、もう行って下さい……今回は自分たちの負けです」
あっさりと、部隊名ジャベリンのリーダーは白旗を上げた。
「なぜだ」
麻人が問う。ジャベリン1と2ならまだしも、若いとはいえ第二呪文へ覚醒して、AZネームをもらうほどに能力的な実力があるはずなのにも関わらず。
「僕は、しばらくこの追跡劇をしていたいんです」
「なぜ?」
麻人が再び問う。全て説明しろと言う意味も含めて。
ファルが数秒ほど黙秘をするも、睨む麻人の目を見て観念したように口を開いた。
「僕達は、外国のスラムで生きていました……双子の姉がいるんです。本当はどちらが上なのか、分からないんですけどね。でも、僕は見ての通り頼りなくて、いつも姉さんに守ってもらっていた」
苦笑するように、はにかんだように言いながらも、ファルはすぐに真顔に表情を変えた。
「姉さんが、病気にかかってしまって……背骨の下半分以上が死んだように機能しなくなってしまった。治療法も無くて」
その事と、自分たちをなぜ見逃すのか……麻人は背後の実咲を気にしながら、続きを待つ。
「ソーサリーメテオへ……僕がこの力を手に入れてから、姉さんがソーサリーメテオの医療施設で、何とか命をつなぎとめているんです……僕が、ここで任務をやっていれば、姉さんがちゃんとした施設で、少しでも生きていられるんです」
「…………」
「だから、少しでも任務期間を延ばして、って……」
ファルが頼み込むように、申し訳なさそうに目を伏せる。あるいは、その辛さから目を伏せたかったのだろう。
「お願いします、このまま行って――」
ファルががとっさに、バックステップでそれを避けた。
「どうして……」
麻人が、ファルを狙って薙いだ黒刀。突然の麻人の攻撃に、ファルが戸惑った。
「あなただって、できれば戦いは避けて通りたいはずだ! なのになんで!」
「問答無用だ」
麻人がファルへ切りかかる――戦闘の開始。
「聞くだけ聞いておいてっ!」
ファルが麻人の刃を避けながら、支配していた河川の水を操る。
「水槍撃!(ウォーターランサー)」
蛇のように持ち上がった水の槍が、頭上から麻人へ降り注ぐ。
麻人が俊敏な動きで、頭上から狙ってくる水の槍を避けていく。
さらにファルがもう一度、同じ指令呪文を唱えて追撃。
頭上と、さらに旋回するように、麻人の左右から水の槍が襲い掛かる。
と、麻人は両手に持った黒刀を片手に持ち替え、空いた右手を自分の胸へ置いた。
――発光。
手を置いて胸の中心から白い光が生まれ、麻人はそれを一気に引き抜くと、そのまま迫りつつある水槍の群へ、その光を叩き付けた。
――水が破裂する音。
槍を形作っていた水が、突然に支配から開放される――弾けて雨のように、両者へ降り注いだ。
「それがあなたの第二呪文(セカンドスペル)ですか……」
麻人が自分の胸から引き抜いた白い光は、透明で硬質の――ガラスか結晶のような、白く発光する一振りの剣だった。
左手に黒い刀。右手に白い剣。
「こんな特殊な第二呪文、初めて見ました」
ファルが素直に感服する。一瞬で、撃ち放った呪文をかき消されたからだ。
「黒い刀は物を斬り、白い剣は能力を斬る剣、ですか……どんな名前を?」
「魔人剣、だ」
「魔人が扱う、魔人斬りの剣ですか……」
麻人の第二呪文、魔人剣。
能力者の放った能力を無効化……斬り裂く剣。
「すごく特殊な第二能力ですね。なら、次は僕です」
突然に河の水が飛沫を上げて立ち上り、そのままファルへと、津波のように降り注いだ。
そして再び、ファルが姿を現すと。
「これが、僕の第二呪文。ヴァリアブルです」
第二呪文ヴァリアブル。能力を纏った姿は――水で出来た西洋を思わせる甲冑に、幅の広い大きな翼の――竜を模した鎧姿だった。
「僕はこれを蒼き翼竜(ブルーワイバーン)と呼んでいます」
その名の通り、ファルの頭には、竜を思わせる、凶暴な爬虫類を模したフルフェイスの兜が備わっていた。
「同じように、守りたいものがあるあなたなら、分かってくれると思った」
「他人の同情に、期待をするな」
ファルの変身姿にかまわず、麻人が俊敏な動きで急接近。
変身したファルへ間合いをつめ、黒刀でなぎ払う麻人。
しかし黒刀は滑るように、水の鎧を撫でるように通り過ぎただけだった。
「無駄です。この鎧は、水流が激しく流れていて、刃物や銃弾は簡単に弾き返します。水圧を利用して、大体の物も素手で切り裂ける」
ファルが手刀で麻人へと襲い掛かる。その余波で周囲の地面が水飛と一緒に土砂が舞い上がった。
麻人は、それを白剣を盾のようにして防御。
同じ第二呪文レベルの力でも、麻人の魔人剣は無効化能力を発揮している。
「防ぐだけで勝てるんですか!」
蒼き翼竜となったファルが、距離が開いた麻人へ接近する。
「はぁ!」
己の間合いに入ってきたファルへ、今度は魔人剣を振るう麻人。
白い光が津波のように、あるいは衝撃波のように、気合の一声と共にファルへ襲い掛かった。
あっさりと、ファルの変身――水の鎧が、白光に飲まれて吹き飛ばされる。
「一度吹き飛ばしたくらいで!」
もう一度、変身をすればいい――
そうファルが判断した時。
「なっ!」
体が動かなくなっていた。みれば、一瞬で自身の体の首から下が岩石で拘束されている。
「こんなもの!」
ファルはかまわずに、第二呪文ヴァリアブルを発動させ、拘束していた岩石を粉々に砕き、蒼き翼竜の姿へ――
「せぁ!」
ファルが変身をしたとたん、麻人が魔人剣で水の鎧をまたも吹き飛ばす。
そしてまた、一瞬でファルを足元から土砂を巻き上げてファルを拘束――
「これは」
ファルが、岩石に包まれたまま歯噛みする。
ファルはもう一度変身する事はなかった。変身してこの拘束を解けばまた、魔人剣で発動したヴァリアブルを即座に吹き飛ばされると気付いたからだ。
「俺は魔人剣でお前の第二呪文を斬り、身動きを取れなくする、その拘束した岩を砕きつつ変身するは骨がいるだろう」
そしてさらに、麻人。
「俺は切り払って拘束するだけだが……お前は第二呪文をあと何回、発動させられる?」
「く……」
それは明らかだった。
もう既に発動している第二呪文魔人剣、それと単純に土砂を操って拘束するだけ。
毎回、第二呪文を発動させなければならない。拘束している岩石を砕くほどの威力も込めて――
そして、麻人の魔人剣で即座にかき消されてしまう。
確実に勝てる持久戦へ持ち込まれた……。
「お前の負けだ」
ファルの敗北、麻人の勝利だった。
「朝までそうしていろ、俺の前にまた現れれば、また同じようにする」
麻人は魔人剣を消しさらに黒刀をコートの左袖へ納めると、動けなくなったファルへ背を向けた。
「実咲、行こうか」
実咲は勝負は決したと既に判断して、麻人の近くへ寄っていた。
そのまま麻人と実咲が、ファルの前から遠ざかっていく。
と――
麻人達の目の前に、筋肉オカマ――ジャベリン1が立っていた。
ジャベリン1の片手には、首根っこをつかまれた……ボロボロになって気絶しているジャベリン2がいた。
「あなた」
ジャベリン1が呟くように口を開く。
かまわずに、麻人と実咲がジャベリン1の横を通り過ぎる――
「そんな顔して、甘い男なのね」
無視する麻人。さらにジャベリン1。
「甘いのは好きよ。惚れちゃいそう」
「惚れたらぶった斬る」
お互いにもう背を向けあった麻人とジャベリン1。
ジャベリン1の方が、鼻でふふんと含み笑いをした。「可愛いわね」と本人に聞こえない程度に呟く。
「くそう……」
ファルがもがく。
「あんたね、朝までそうしてろって言われたでしょ? おとなしくお仕置きされてなさい」
「あなたに言われるとすごく怖いです!」
ジャベリン1がファルの足元へジャベリン2を転がして、ファルを拘束している岩石へもたれかかるって座る。
そして背後にいるファルへ
「負けたことはちゃんと報告しておかないとね。新米リーダーさん」
「…………」
ファルはもがくのをやめ、力無く項垂れた。
もう少し歩けば、山を挟んで鬼怒川夫妻がいた村と反対側の地域へ出る。
河原の小石を踏み歩きながら、麻人の隣にいた実咲が、
「麻人がなんでファル君を戦ったのか、当ててみましょうか?」
麻人は別段、無視しているわけでも聞き流しているわけでもなく――耳を向けたままで、もしかしたらジャベリンたちの追撃が来るかもしれない……もしく他に別の部隊がいるか、と言う警戒で周囲に気を配っていた。
黙っている麻人に、実咲が続ける。
「組織で任務を受けたら必ず動かなければならない。能力を持っている以上は出なければならない……でも、成績不振が積み重なると、流石に第二呪文を持っていても任務から外されるようになる。いわゆる無能な有力者……一番扱いに困る人材ね。そういった立場にさせるために、あなたはあの子へ、負け印をつけなければならなかった」
麻人は黙ったままだった。
「成績不振で、任務を完遂できないけど、力だけはあるから……お払い箱に出来ない、完遂もできないから任務も回ってこない。あの子の場合は、そうなってしまえば何もしなくても、お姉さんが施設で治療をさせることが出来る。任務も回ってこなければ、お姉さんと一緒にいる時間も、長く手に入る」
さらに実咲は「元々、組織はこんな能力を外に出せないから、切り捨てる事もできないし、あの子の取り越し苦労ね」
と付け足した。
それは組織から抜けた自分達が、追われているという理由とも連なっている。
麻人が、一度ため息をついてぽつりと。
「実咲にはかなわないな」
「そーいうことは、もっと年を重ねてから言って欲しいわね。おじいちゃん臭いわよ」
「すまないね」
「それも年寄り臭い、口調でもうつったの?」
「……かもしれないな」
山の中の空気は澄んでいて、星空と月明かりで十分に歩く事ができた。
日が昇る前に、この山を越えられそうだ――
9:
「お前は一体何個食う気だ」
凉平がうんざりと呟く。
「まだ二皿目でしょー?」
二皿目、とは言っても、凉平が一皿目、二皿目と出来上がったフルーツタルトは、小皿型ではなく、扇形にカットするパイ状のフルーツタルトだった。
柚紀は先日、それを丸まる一つ平らげたばかり。
「あ、マスターさん。材料費は凉平さんのお給料でー」
「問題ない、既にそうしている」
マスターの返事は、用意していたかのような即答振りだった。
「…………今月の給料食いつぶす気か?」
「きこえませーん」
そのやり取りの中、おこぼれを預かりたいーズのシャオテン、シュウジ、昴、誠一郎が柚紀を取り囲んでせかしていた。
「早く切り分けてくれ」
「わたくしの分もお願いいたします」
「わは、うまそー」
誠一郎は無言で自分の小皿を見せていた。
先日の、田名木柚紀のタヌキ呼ばわり事件の地続きで、凉平は再度お詫びのフルーツタルトを(自費)で作らなければならなくなっていた。
柚紀は凉平にだけ仕返しをしていたため、その他のタヌキと呼んでいた全員へ被害が無かった。
――そしてそのまま、凉平が全部悪いという流れになっていた。
それもどうかと思われるが、特に凉平を弁護するものはいなかった。
ともあれ、タヌキ呼ばわり事件はこれで落ち着いた。と言うことになる。
からんからん
「やっほー。あら? タヌキちゃん」
はずだった。
愛息子の灯夜を抱えた鈴音が来店。
「たぬきさんこんにちわ」
鈴音に抱えられたまま、幼い灯夜がぺこりと頭を下げる。
「…………」
しん、とその場にいた全員に気まずい沈黙が流れて、慎重に一同の視線が柚紀へ集まる。
柚紀は、鈴音と灯夜に返事すらしないまま硬直していた。
「ちょっとタヌキちゃん」
まったく反応しない……無言のまま無視している柚紀へ、鈴音がつかつかと歩み寄り。
べしんっ!
「はうっ!」
スツールに座っている柚紀へ、鈴音が頭を思いっきり引っぱたいた。
突然の攻撃に柚紀が驚いて情けない悲鳴を上げる。
「私ならまだしも……うちの灯夜を無視するなんていい度胸ね」
ぎり、と鈴音がかみ締めた歯を鳴らす。
鈴音の表情は……なんというかぞっとする表情。
柚紀は、良い音を響かせた頭を抱えてぷるぷると震えだす。
「あら? 灯夜、良かったわね。今日のおやつはフルーツタルトみたいよ」
シュウジがぽつりと。
「鈴姉ぇ……」
凉平も、苦い顔をして
「姉御……」
一同が、どうしたものかと困り果てた顔になる。
流石に気付いたのか、鈴音は辺りを見回してきょとんとする。
「何よ?」
カウンターの中にいたマスターが、こほんと一度、咳払い。
「みんな……」
ぷるぷると、おびえきったような、小動物さながらの柚紀。
「みんなきらいだあああああああああ――」
目から、だばあっと涙を撒き散らし、柚紀がひなた時計から飛び出していった。
ばたばたばたうえええええん――……と、ドアを開けっ放しにしたまま、柚紀の鳴き声が遠ざかっていく。
「あーあー……」
昴が心の中で、飛び出していった柚紀へ心の中で手を合わせる。
「鈴音様、やってしまわれましたね……」
シャオテンの呟き。
凉平が肩を落としてはぁとため息。
「だからなんなのよ……」
鈴音へ事の有様を始めから説明しなければならなかったが、全員が説明する気力を失っていた。
「ふむ、みんな」
誠一郎の声に、全員がふときづく。
「田名木さん、タルトを持って行ってしまったぞ」
見れば、柚紀が座っていた席の前に置いてあった特大のフルーツタルドが、皿ごと無くなっていた。
「「えええええええ!」」
全員の、えの字に濁点が付きそうな叫び声。
凉平、昴、シュウジ、シャオテン(出遅れた)が、順々にひなた時計を飛び出して行く。
「タヌキィ!」「タヌキ女ぁ!」「クソダヌキッ!」「タヌキ様っ!」
ばたばたと慌しい足音が四つ、遠ざかっていく。
はぁ、とため息をつくマスターと、母子共々状況が分からずにきょとんとする鈴音灯夜。
そして、誠一郎は、すたすたと開けっ放しになっているドアまで歩き、今まで静かに、にこにこと、様子を見ていた加奈子へ
「俺も少し走ってくる」
「はい、いってらっしゃい」
「ああ」
「食べ尽くされる前に捕まるといいですね」
「そこは自信が無いな」
「ないんですか?」
緩んだ口元を手で押さえる加奈子。
「田名木さんも、良い根性になってくれて、良かった」
相変わらずの、誠一郎のピントがずれた感想だった。
「行ってくる」
「はい」
加奈子が誠一郎を送り出す。
そして誠一郎は律儀に外へ出てから、みんなのフルーツタルトを持って逃走したタヌキを追って、走り出した――
その姿を見送ってから、加奈子は一度背筋を伸ばし
「さって、みんなが帰ってくるまで私が頑張らないと」
加奈子は開けっ放しになったひなた時計のドアを、ぱたんと閉めた。
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