第三話 シュウジ編

LIGHTNING CAT(前編)

 1:

「やっと見つけましたわ!」

 夜。いよいよと季節柄特有の蒸し暑さが本格化してきた夜。

「シンファ(星花)……いえ、今はシュウジ、という名前だったかしら?」

 ザッ……ザッ……

「お姉様達に、最も可愛がられていたアナタが、こーんな寂れた御茶所でみーすぼらしく掃き掃除してるなんて、誰が信じられましょうか? お姉様方が知ったら、さぞ涙を流して三日三晩悲しみに明け暮れてしまうでしょう」

 ガタッ……ガタガタザザッ……ザッザッ……

「ですが、もうご安心下さい。店前の小汚い塵芥のゴミを、箒とちり取りでちまちま集める作業は、もうなさらなくてもよろしくてよ?」

 ガタリ……

「裏切り者。逃亡生活も終わりですわ。このシャオテン(小天)が、アナタの重ねた罪を裁き、アナタの命をもって、その罪を終わらせてあげますわ。さあ、かかってきなさい」

 ガチャ、カランカラン……

「外掃除終わったぜ、腹減ったー」

 バタン

「…………」

 しいん。

 シャオテンは目標を見失った指先を無言で、そっと下ろした。


「お前、今外で誰かと話してなかったか?」

 布巾を片手に、店内の後片付けをしていた凉平が、外掃除から戻ってきたシュウジへ尋ねる。

「知らねぇな」

 ぼさぼさくしゃくしゃの金髪と、同年齢の女の子よりも低い背が特徴の少年、シュウジがぶっきらぼうに答えた。

 それに対し、亜麻色の長髪を後頭部でくくった、成人男性よりもやや背が高い方の凉平が、外を見ながら。

「じゃあアレは何だ?」

 つられてシュウジも、ブラインドが中途半端にかかって見える、下側の景色に目を向けた。

 濡れたように艶やかな黒髪を綺麗にまとめた女の子が、窓ガラスに顔を張り付かせてこちらを(シュウジを)凝視している。

 顔面が窓ガラスにべったりと張り付いて(鼻息でガラスが一部曇って)いるため、どんな相貌なのかはイマイチつかめなかった。

「…………」

「…………」

 妙な空気が流れてから、無言無表情でシュウジが窓ガラスに寄ると、

「ブラインドはしっかり下ろしとけよ」

 紐でブラインドを一回引き上げてから、今度はしっかりとシュウジは一番下までブラインドを下ろした。

「いや、今外に誰かがへばりついてなかったか……?」

「知らねぇな」

 再度、先ほどと同じトーンでシュウジが返答。無味無表情、まっさらな口調だ。

「……まー、そう言い張るなら追求しないが」

 凉平は腑に落ちない表情で頬を掻く。

 ガタンッガタンガタンッ

「シュウジ、何で入り口に鍵をかけたんだ?」

「なんとなくだ」

 喫茶ひなた時計の入り口が、頑なに外からの訪問者を拒み続けて格闘していた。

「誰か来ているみたいだよな?」

 凉平がそろそろ怪しく思い、半眼になってシュウジを横目で見る。

「きっと妖怪の類だな、全国の鍵のかかったドアと戦う妖怪だ」

「どんだけ迷惑な妖怪だ……」

 凉平が呻くも、シュウジは相変わらず素っ気無い態度を崩さない。

「ドアが壊れる、近所迷惑だ」

 カウンターの中に居た、極めて大柄な体躯、ウェーブヘアーのマスターが呟く。

 そう呟くも、視線はがたがたばたんばたんと暴れるドアではなく、磨ききってぴかぴかに輝くグラス達を満足げに眺めていた。

「それに、時間が時間だ」

 マスターの低く渋い声は、もう夜も晩いと言う意味合いではなかった。もうしばし待てば、一人来客が来る予定でもあった。

「まー、そうだな」

 凉平が、がたがたと忙しいドアへ近寄り、手をかけた。

 シュウジがうんざり声で凉平を止めようとする。

「おい……」

「相手はお前がしろよ」

 凉平は鍵を開けた。

 ガラばちぃんッ!

 微妙にずれて交じり合った音。

 前者は来客を告げるカウベルの乱暴な音。後者は弾けるように開かれたドアと凉平が正面衝突した音。

「このわたくしを無視するなんて――」

「おぉぉぉらあっ!」

 ぶすっ

 ドアを勢いよく開けた人物へ、シュウジが全力で目潰し。

「ぎゃああああああああ――」

 さらにシュウジはその人物の胸倉を掴むと、そのまま外へ躍り出て野球投手よろしくその人物を投球した。

「――あああああぁぁぁぁ……」

 その人物の悲鳴が遠ざかっていき、やや遠くのゴミ捨て場に突っ込む、ぼすんという音が小さく聞こえてきた。

 そして、何事も無かったかのようにシュウジは店内へ戻ってくる。

 何事も無かったようなすまし顔で、ぱたん、とドアを閉めると。

「やっぱり真夜中にゴミを捨てるのは感心しないよな」

「それはお前だ」

 マスターがぽつりと呟いた。

「いってぇ……」

 鼻を押さえて凉平がむくりと起き上がる。

「何が起こった」

「妖怪に襲われたんだ。妖怪ドアアケターイに襲われたんだ。俺が投げたからもういない」

「…………そうか」

 色々と何かを問いただしたい面持ちの凉平だったが、そもそも何から聞けばいいのかわからないうえに、シュウジの頑なにそれを認めない態度と相まってか、凉平はめんどくさそうに流した。

 と――

 カランカラン

 今度はちゃんとしたカウベルの音で、来客が現れる。

「こんばんわー」

 現れたのは、ショートカットの、ふんわりとした印象の女性。

 田名木柚紀だった。

「今日もおそかったな」

 鼻声で凉平が歓迎する。押さえていた鼻から手をどけると、鼻の周囲が赤くなっていたが、出血は無かった。

 やってきた田名木柚紀は、事情あって家業の花屋を休業し、その代わりに始めた花関係の仕事が好調になり、ここ最近では閉店後のひなた時計で、特別にシュウジと涼平とマスターで夕食を共にする仲になっていた。

「なんか今、女の子をゴミ捨て場へ全力剛速球したシュウジ君が見えたんですけど……」

「気のせいだ妖怪だもういない」

 シュウジは簡潔に素早く答えて、奥の厨房へ姿を消した。

「?」

「?」

 何なのか分からない柚紀と、鼻を赤くした凉平が、似たような疑問符を頭に浮かべてお互いを見合わせた。


 2:

 風呂がせまい。

 シュウジが風呂に入っている時によく思うことだ。

 こんなに圧迫感を感じるほどにせまいと、体を洗う事がただの作業に思えて仕方が無い。

 バスタオルを頭にかぶって、ガシガシと乱暴に引っ掻き回しながら自室に戻る。

 鍵のついていない、この国特有の襖と呼ばれるドア。それを引き開いて中へ入る。

「先ほどはどうも、お邪魔しております」

 入る前から気配で分かっていたが、部屋の中心にある、玩具みたいなテーブルに頬杖をついて、シャオテンが居た。

 シュウジは無言で、後ろ手で襖を閉めてから、その手で人差し指と中指をV字に突き出す。

「ごめんなさい潰さないでください投げないでください」

 つい先ほどのことを思い出したのか、シャオテンが早口で言い、両目を手で覆い隠した。

 シュウジはため息をついて、濡れた髪をタオルで乾かす作業へ戻る。

 乱暴に頭をガシガシと引っ掻き回す。

 シュウジの姿を、シャオテンは無感動に見つめていた。

「…………」

「…………」

 先ほどの意気を見せないで、何も言ってこないシャオテンに、シュウジがふと気付く。

「なんだよ?」

 シュウジがバスタオルを、頭から肩へかけなおして、シャオテンへ向かい合うようにテーブルの前に座った。

「アナタが本当に、あの『星虎』と呼ばれたシンファ様とは、到底思えなくなってきましたわ」

 シャオテンの声は、どこか落胆にも似た調子。

 今のシュウジの姿は、よりぼさぼさ感が進行したくしゃ髪に、肩にかかったバスタオルとトランクス姿だった。

「まぁ無理も無いな」

 素直にシュウジが肯定。

 シャオテンはおもむろに、横にあったヒップバックを取り出すと、中から一枚の写真を取り出した。

「…………」

 無言で、テーブルの上にその四角い写真を置いて、交互にシュウジと写真を見比べるシャオテン。

「お、懐かしー」

「…………」

 その写真に写っているのは、輝く金の川のように流れる美しい髪。その髪をさらに際立たせるしかない脇役にまわった、豪華な装飾品。そして民族衣装のドレスに身を包んだ、あどけない少女の、横顔が写っていた。

 星、花、姫。そんな単語を上げたとしても誰もが納得する可憐な少女――

「信じられない……」

 シャオテンが乾いたように呻く。

「これ、秋の耕霊祭の時のだよな。この衣装を選ぶのに姉ちゃん達がめちゃくちゃ悩んだんだよ」

「…………」

 世の中には、認めたくない事実と言うものがあり、それを認めなければならない時、それはきっと大きくて苦いものを飲み下す事と似ているんだと、シャオテンは悟った。

 この写真の写っているシンファと、目の前にいるシュウジと今は名乗っている少年。それが同一人物であるという事実。

 この金の糸を束ねて川を作ったような髪が、今はくしゃくしゃの嵐のような髪型に。

 少し力をこめただけで、植物の茎が折れるかのように壊れてしまいそうな可憐さが、今は街中の悪ガキ糞ガキと言っても、そのまんまにしか見えない容姿に。

 純粋無垢どころか白金が輝いて後光が差したようなあどけない顔が、今は仏頂面の男顔に。

「……『全滅』ですわ」

「それを言うなら『幻滅』だろ?」

「全滅です」

「壊滅したものを全て列挙してみろ」

「多すぎて言い尽くせません」

「いい度胸だぶっとばす」

 シャオテンが肩で息をつき、嘆息する。

「では、確認としておうかがいします」

 シャオテンが仕切り直す。

「羅 星花(ロウ=シンファ)今は羅 シュウジと名乗っている。我らが祖国、王家直属であり国の主力でもある獣計十三掌、その十三もある流派が一門、私達『虎』の流派で、生を受けてから十年以上、男性でありながら性別を偽り、同じく十年以上にもわたってそれを周囲より欺きながら、その才覚を発揮。……そのまだ幼いながらも、可憐かつその才覚から『星虎』という愛称も周囲より認められる」

 暗記した文章でも読み上げるように、つらつらとシャオテンが続ける。

「だが、本来は女性しか学び知ってはならない流派であるにもかかわらず、男でありながらも女と欺き、私達の拳法技術を十分に盗んだ挙句、次期虎柱…流派の長を決める試合前日に、母親と共に国外へ逃亡をした」

 シャオテンは、シュウジを威嚇するかのように視線を向け、

「それがアナタ、シュウジ……本名シンファ」

 シャオテンが張り詰めた視線をシュウジへ……シャオテンの中では同年代で憧れの的であった天才少女(正体は男)シンファへ投げる。

 が、

「おう、そうだ」

 そんな視線すら、さらっと受け流してシュウジがあっさり答えた。

「あーりーえーなーいいいいい!」

 シャオテンが頭を抱えて絶叫した。

 すらっ

「うるさい」

 突然に襖が開いて、シャオテンは絶叫を止めてしまうほどにびくついて硬直した。

 でかい、近くに寄られただけでも圧倒される大男が、そこに居た。

「あまり遅くまで話し込むんじゃないぞ」

「おう」

 シュウジがすっと立ち上がり、マスターが持っていた盆を受け取る。

 盆の上には、煎餅と湯飲みと急須が乗っていた。

 マスターがシャオテンを見つけ、目が合う。

 なぜか、シャオテンに冷や汗が浮かんだ。まるで蛇に睨まれた蛙どころか、大型猛獣によって袋小路へ追い込まれた小動物のような心境がわいてくる。

 そのまま無言でマスターが襖を閉め、見えなくなった。

 シャオテンはなんだかよく分からないが、助かったとほっと息をつく。

「で?」

 シュウジにとっては、話を続けろ、と言う意味だったが、シャオテンには『それがどうした?』という意味合いに取れたらしく、むっとした顔になる。

「で? ではありませんわ。男が学び知ってはならない我ら虎の拳を盗んだ。それはアナタ自身が、決して捨てる事も手放す事もできない私達の国の宝であり力でもある。それを取り返す。その意味がお分かりになられて?」

「はっきり言えよ」

 がさがさと、テーブルに乗せた茶菓子に手を伸ばして、煎餅を取り出す。さらにひと齧りして咀嚼するシュウジ。それだけの時間があったのも、その間ずっとシャオテンはシュウジを睨みつけていたからだ。

「アナタを、殺します」

 取り返すことの出来ない、国の宝である『技術』を取り返す。長年体に染み付いたそれを取り返すということは、つまりそういうことだった――

「姉ちゃんたちが言ったの?」

 シュウジが素朴に聞く。

「遠まわしに……。流石に自分たちが愛情を注いで可愛がった妹を、ストレートに殺せ。なんて申されませんでした……ですが、そういうことで私がその命を仰せつかったのでございますわ」

 姉、といっても血はつながっていない。シュウジの母親の子供はシュウジ一子のみ。

 ただ、その国の主戦力となる一門で学ぶものは、修行の中で生活を共にし、年齢と実力差があればまた、兄弟姉妹と言う絆(つながり)になっても不思議は無く。むしろシュウジとシャオテンにとっては、血の繋がった者同士で家庭と言う小さい集落を作り、いつまでもそれだけを守りながら日々を生きることの方が、実感のつかない内容だった。

「深い悲しみをした瞳で、虎柱様はわたくしめに『あの子をお願い……』と申されました」

 その時の、長であり敬愛する姉の顔を思い出したのか、シャオテンは視線を下へ泳がせた。

「だから、これ以上虎柱様を悲しませないために……あなたを殺します」

 シャオテンは膝に置いた手のひらをぐっと握りこむ。苦しい覚悟を決意し、かみ締めるように……。

「やだ」

 シュウジはそれを日本語二文字で却下した。

 沈黙。

「え?」

 ゆっくり間をおいて、シャオテンが聞き返す。

「やーだよ」

 目の前の煎餅をもう一枚手にとって、シュウジが答える。さらに無造作に煎餅を口に運んでばりばりと音を立てて咀嚼。

「今の話、聞いておりました?」

「おう、やだ」

「…………っ!」

 その瞬間、あまりにも軽いシュウジの態度に、シャオテンの頭の中でぷつんと糸が切れる音がした。

 玩具のようなテーブルへ両手を叩きつけながら、シャオテンはシュウジへ身を乗り出す。

「アナタは! わたくしたちお姉様たちどころか、祖国を裏切っただけでなく! さらには国の宝を好きなだけ貪って逃げた! そして今ここでお菓子を食べながら何の罪も受けることなくのほほんと暮らしている! 決して許される事ではありませんわ! どうして……あなたはみんなの裏切られた悲しみを知ってて分かっていて! なんでそんな態度が出来るのですか! アナタは!」

 最後のはほとんど叫び声に近かった。一気にまくし立ててぜぇはぁとシャオテンの息がシュウジにかかる。

 シャオテンは精一杯シュウジを睨みつけて。それから顔を離して元の位置へ戻った。

「アナタの母親『青虎』は、今どこに?」

「しらん」

 この期になってまで、あっけらかんとするシュウジの顔。シャオテンは再び沸き起こってくる怒りを何とか堪えた。

「ま、いいですわ。わたくしの目標はまず第一に、アナタですから」

 シャオテンはテーブルに置いていたシュウジ……シンファだった頃のシュウジの写真を手に取り、脇にあったヒップバックへ押し込む。

 さらに立ち上がって、ヒップバックを腰につけて踵を返した。

「また後日に、訪問させていただきます。今晩は興がそれましたわ。次の時までには錬心を天へ向けておきなさい……この国では首を洗って待っていろ、と言うそうですね。ごきげんよう」

 何も答えない……背中越しでは表情すら見えないシュウジへ簡潔に言い、入ってきた窓に手をかける。

 次に会えば、その命を頂く。そういう意味合いを相手と自分へ言い聞かせ、シャオテンは窓を開けて外へ足を伸ばそうとし――止まった。

「…………」

「…………」

 お互いが何も言わず。時間が止まったように沈黙が広がり、

 シャオテンがぽつりと。

「……今晩、宿泊ところがございません」

「国へ帰れ」

 シュウジはきっぱりと言い切った。

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