第2話 誠一郎編

WOLFS RAIN(前編)

 1: 

「おい」

 星川昴は、目の前にいる男へ乱暴に呼びかけた。

 公園の一画、屋根が備わったベンチに座っている――知らない男を、恨みも無くも睨みつけて。

「金出しな」

 昴は手に持った折りたたみ式のナイフを、脅すようにちらつかせ、簡素に言った。

 強盗。

 昴がそんなことをする理由も、とても簡単な理由だった。

 ぐうぅ、と昴の腹が鳴る。

「ふむ」

 ベンチに座って本を読んでいた男が、本から目を離し、昴を見る。

 自分に刃物を突きつけられて金品を要求されているにもかかわらず、ため息のような声を出した。

「とっとと出せ」

 昴がさらに押すように脅しをかける。

 だが男は、まるで何かを観察しているかのように昴を見つめて、顎に手を当てただけだった。

「…………」

「…………」

 沈黙。

 十秒前後、そのままお互いに向き合ったままじっとしている。

 自分が強盗にあっていることすら、自覚しているのかすらもわからない男の、淡白な反応。

 昴はイラつきを覚えつつ、力が抜けて縮んでいくような感覚のする腹を片手で押さえた。

 さらに男へにじり寄る。

「聞こえてるのか?」

 もちろん聞こえていないはずなど無い。だが、あまりにも反応の無い男に、昴は本当に聞こえているのかどうか不安になってしまった。

「聞こえている」

 男は静かに返答した。

 簡素な黒髪。どちらかと言えば細い方かもしれないが、そう極端なほどでもない体格、そして色素の薄い肌。それらに見合った、まったくの無表情。そして清潔感を連想させるシルバーフレームの眼鏡。

 服装もいたって簡素。だが体格の為か、すらっとした着こなしをしていた。

 男が、ごく小さいため息を漏らしたかと思うと、本を閉じて立ち上がる。

「お」

 急に立ち上がった男に、昴は少しだけ後退し、

 その瞬間。

 昴の視界が、男から真上にある屋根へと移った。

 背中と後頭部にどすん! と衝撃が走り、すぐさま咳き込む。

 げほげほと数回咳を切ったところで、自分が男に投げられたのだということが分かる。

 投げ飛ばされたわけではない。腕を取って脚を払われ、気がついたらその場で回転するように宙を舞ったのだ。

 実際に視界の間近にはベンチと、男の履いているスニーカーがあった。投げ飛ばされて吹っ飛んだわけではない。

「これは預かっておく」

 地面に手をついて起き上がると、昴が持っていた折りたたみ式のナイフが男の手の中にあった。

 男がナイフの刃を指先でつまんで折りたたむと、そのまま上着のポケットにしまう。

「ちっ」

 昴が舌打ちをして立ち上がると、そのまま無作法にベンチへどっかりと座った。

「別に警察へ突き出したりはしない」

 男が昴の横の、ベンチの上に置いた本と、立てかけていた傘を手に取りながら、静かに言ってくる。

「ああそうかい」

 ふてくされて男の顔から目を背けるように、昴がそっぽを向く。

「もうすぐ、雨が降る……早めに帰れ」

「大きなお世話だ、そんなの勝手だろう?」

 反論する昴に、男はしばし黙考。

「……それもそうだな」

 と男が呟き、そしてそのまま男は昴へ背を向けると、すたすたと何の感傷も見えないまま去っていった。

 男がどんどん離れていく様子を見ながら、昴はもう一度舌打ちをする。

 昴が上を見上げると、空には梅雨時期なだけあって、胸が詰まるような鉛雲が広がっていた――


 2:

「いっきし!」

 昴が肌寒くなった中でくしゃみをした。気分が落ち着いてきて、雨音を聞きながら、両の二の腕をさする。

 男が言った通り、まるで入れ違いになったかのように雨がしとしと降って来た。

 気温が下がっているのを実感し、寒さでまた肌がぞくりとする。

 時間がゆっくりと流れる中、雨だけが加速するように強まって――

「う~……」

 昴は呻きながら、はぁとため息をこぼした。

 男の言う通りにさっさとここから去ればよかったと後悔する。

 いまだ空腹のまま、腹の中にいる虫も、訴えを諦めて鳴かなくなってしまった。

 空腹、寒さ、そしてこのベンチの屋根から出ればどしゃ降りの雨の中だ。

 ……さらに行くあてもない。

 膝頭とつま先が冷えてきて、昴はベンチの上で膝を抱えてうずくまる。

 しばらくの間、雨音を聞いていると――

 がさ……。

 すぐ隣で、荷物の入ったビニール袋の音がして顔を上げる。それは自分の横に置かれていた。

 音の通りに白いビニール袋で、雨しずくの付いた袋には、近くのハンバーガーショップ『マックスブラザーズ』のロゴがついている。

「一番近いところで、これしかなかった」

 昴が視線を移すと、先ほどの男の背中が……濡れた傘を折りたたんでいた。

「……」

 ぐぅ……

 昴の腹の虫が獲物を見つけて復活。

 空腹に呼ばれた昴ははっとなって、雨で濡れたビニール袋の中へ手を突っ込み、さらに中に仕分けされていた紙袋を引きちぎらんばかりにがさがさと広げて中の物を取り出す。

「わは……」

 昴がつい口元をほころばせた。

 ほんのりと温かい大き目のハンバーガーを眺めて、生唾を飲み込む。

 ハンバーガーを包んでいる紙を広げ、大口を開けてかぶりつこうとした時。

 がし

 ハンバーガーを持っていた腕を、男に掴まれた。

「あ……」

 口を大きく開けた昴が、ハンバーガーから目を移すと……シルバーフレームの眼鏡をはさんで、男が厳しい目つきを見せていた。

「んだよ? まさか、俺によこさない気か?」

 たしかにこの男は、ここへハンバーガーを持ってきただけで、

 さらには近くにこれしかなかったと言っただけであり、食べても良いとは言っていない。

 だが昴は、この男の食べている姿を空腹のまま見ているぐらいだったら、この男の脳天を割ってぶち殺す。と一秒も満たない時間で決意した。

 …………。

 数秒、睨み合ったところで。、男が小さく言った。

「……食べる前に『いただきます』じゃないのか?」

「いただきます!」

 勢いをつけて即答し、昴はハンバーガーにかぶりついた。

 昴の視界の端で、男が昴の食いっぷりを見てうんうんと頷く。

「ぐ……」

 焦って食べたせいで喉にハンバーガーが詰まる。どんどんと音を立てて昴が自分の胸を叩いた。

「ほら」

 それを見た男が素早くビニール袋の中から湯気の出ている飲み物を取り出して、それを昴に渡す。

 それを昴はぐいっと喉に流し込み。

 その直後に顔をめいっぱい引きつらせて硬直。さらに小刻みに震えだした。

 男が、ん? と疑問符を浮かべて昴を眺め、呟く。

「なかなか面白い動きをするな」

「ブラックじゃねえか馬鹿野郎!」

 口の中に広がる残虐な苦味ごとブラックコーヒーを喉へ押し込んで叫ぶ昴。

「砂糖とミルクっ!」

 昴が勢いそのままで男へコーヒーを差し出すと、男は無機質とも取れる静かな動作でコーヒーのカップを受け取り、言われたとおりにガムシロップとミルクを入れる。

 その間に昴は、ハンバーガーを口に運びながら袋から新たにポテトを取り出して鷲掴み、むしゃむしゃとほおばった。

「入れたぞ」

 今度はちゃんと砂糖とミルクの入ったコーヒーを受け取り、昴はぐいっと喉に流し込んむ。

 空腹感が収まるまで、昴は獲物にありついた獣のようにジャンクフードを貪った。

 

「ふぅ」

 満腹できつい腹をさすりながら、昴がベンチに背を預けて軽くのけぞる。

 ついでに座りながら両手と両足を伸ばして大きく一息。

「落ち着いたか?」

「おう、あんがと」

 何か話が出るのかと思えば、男はそれ以降何も聞いてくる事はおろか、口を開く事もなかった。

 ……弱まってきている雨を二人して眺め。

「昴(すばる)だ」

 昴がぽつりと自分の名前を言う。

「ん?」

「星川昴、俺の名前だ……男なのか女なのか、良く分からない名前だろ?」

 昴が苦笑して「これでも女だ」と付け足す。

 ボーイッシュな服装と短すぎる髪のせいで男と見えなくも無い。

「葉山誠一郎」

 男、誠一郎も簡単に言う。

 さらに付け足して。

「男だ」

「んなの見れば分かるっての」

 軽く吹き出して昴が笑う。

「変な奴だな、お前」

「よく言われる」

「言われてるのかよ、やっぱり」

「やっぱり、変か……?」

 誠一郎の額にしわがよって、難しい表情をする。……あくまで、露骨さの欠片もない薄い表情の変化だが。

「だってよ、ナイフ突きつけられてかつあげされた相手にさ、食い物持って戻って来るんだぜ? 普通やらねーよ」

「そうか……」

 誠一郎の声は、呟くぐらいに小さかった。

 それを見た昴が、苦笑して「本当に変な奴」と呟いた。

「でもま、おかげで助かったよ……ハンバーガーとポテト、ごちそうさまっと」

 最後の言葉で昴が跳ねるように、ベンチから立ち上がった。

「ん? ああ」

 誠一郎が生返事で顔を上げた。

「んじゃあ、俺は行くわ。あんがとな」

 昴がくるりと誠一郎へと向いて、にっと笑った。

 気がつけば雨はもう、やんでいる。

「帰るのか?」

「ん? あー……」

 昴が言葉に詰まった。

「んと、えと……」

 昴は言葉に詰まったことをしまったとばかりに後悔した。嘘でも帰る、と言えば良かったと――

「何か、わけありか?」

 誠一郎の言葉に昴が内心ぎくりとするが、誠一郎に悟られないよう平然を装う。

「ばーか、飯もらった相手とはいえ、初対面の奴にあれこれ言う義理はねーっての」

 襲った上、食べる物までもらった相手に、何も事情を話さないというのも失礼なのだが、誠一郎は分かったのか分かっていないのか「それもそうだな」とぽつりと言うだけだった。

 昴はその誠一郎の素っ気無い態度に、内心を痛める。

 自分にしてくれた事がありながら、事情も話せず、ありがとうの言葉しか返せない事に、心が痛んだ。

「これから友達の家にでも遊びに行くのか」

「え……?」

 誠一郎の勘違いの言葉に、昴の良心の呵責がすとんと落ちる。

「違うのか?」

「あ、うん……そうだ」

 特に否定しても、言いにくい事を説明しなければならなくなりそうだったので、昴はそのまま勘違いさせておくことにした。

「んじゃあ」

「ああ、車に気をつけるんだぞ」

 こんな大きな女の子へ車に気をつけてと言う誠一郎に、昴はくすりと笑いがこぼれてしまった。

「それはもっと小さい奴に言えよ」

「それもそうだったな」

「んじゃ、またなー」

 昴は軽く手を上げてから誠一郎に背を向けると、小走りでそそくさと立ち去った。


 3:

「よく見たら可愛いーじゃん」

「一人じゃつまんねぇだろ? 一緒に遊び行こうぜ」

「楽しくやろうじゃんよー」

 三方向から逃がさないように囲んで言う台詞かよ。と昴が内心毒づく。

「邪魔だ、どけよ」

 昴が威嚇するように正面の、顔面がピアスだらけ男を睨む。

 相変わらず、金も無く行くあても無く、公園でぶらついていると、夜中になってこの有様だった。

 公園で野宿くらいは出来るだろう、と簡単に考えていたが、タチの悪い先客がのさばっていたらしい。

 正面のピアス男を睨みつけながら、昴は前へ出て、脇を通り過ぎようとしたが。

「おっとー」

 昴の行く手をピアス男が腕を出して遮った。

「どけ」

 昴が気の張った声で簡潔に言う。

 さらに昴がピアス男の出した腕を迂回してこの場を離れようとすると。

「つっかまえたーっと」

 背後にいた男がいきなり昴を後ろから羽交い絞めにした。

「んだよ! 離せ!」

 昴が腕を振ってもがくが、軽く持ち上げられたせいで振り切れない。

「あっちで楽しいことしよーぜ」

 男達に囲まれながら、公園の茂みの方へと体ごと連れ込まれようとしたとき。

「何をしている」

 静かな、第三者の声が昴の耳に入った。

 羽交い絞めにされているため、顔だけを横に向けると。

「……誠一郎」

 夕方、雨の中で会った男。誠一郎が目の前にいた。

 頭の上からぐえ、という苦しむ声が聞こえてきて、頭を上げると。

 誠一郎は、昴の頭の上で羽交い絞めにしている男の首を片手で締め上げていた。

 首を締め上げられている男の苦しみようから、今にもぎりぎりと音が聞こえてきそうな握力だった。

 自分の両脇を持ち上げている腕から力が抜けて、昴がそれを振りほどいて離れる。

 誠一郎も、昴が離れたことで締め上げていた手を離し、昴へと向いた。

「大丈夫か?」

「あ、ああ……」

 何でいるんだよ? と昴は聞きたかったが、それよりも――

「うしろ!」

 昴は、誠一郎の背後でピアス男が誠一郎へ殴りかかってきてるのが見えた。

 だが誠一郎は。

 極めて静かな動きで、さらに後ろを振り向かないまま、後頭部へと襲い掛かるピアス男の拳を避けた。

「知っている」

 と簡潔に返すと同時に、ピアス男が拳を空振りしてつんのめったところを、誠一郎がバックハンド、裏拳でピアス男の顔面を殴りつけ、昏倒させた。

「え……?」

 後ろを見ないまま攻撃をかわした上に、一撃で倒した。

 ピアス男は地面に倒れ、昴を羽交い絞めにした男は、誠一郎に締め上げられた首を押さえて咳き込んでいる。さらに残りの一人はどうたらいいのかわからずおろおろとしていた。

「まだやるのか?」

 誠一郎が、静かだがはっきりとした口調で、男達へ言う。

「やらないなら俺達は行かせてもらう」

 誠一郎がそういって昴へ向き直り、「こい」と呟いて昴の腕を引っ張る。

 そのままずるずると、半ば引きずるようにして、

「こいって……どこ連れて行く気だよ! おい!」

 誠一郎という男に腕を引かれ、昴は公園を後にした――


「あれ?」

 駅の辺りまで昴は誠一郎と歩いていると、エプロンをつけた背の低い、金髪ぼさ髪の少年に声をかけられた。

「セーイチ、帰ったんじゃないの?」

 セーイチ。昴は誠一郎の呼び名だと気付いて、誠一郎と同じく立ち止まる。

「シュウジ、閉店時間か……」

 くしゃくしゃの金髪少年、シュウジが「そうだよ、知ってんだろ」と不機嫌そうに言った後で、誠一郎の背後で手を引かれているこちらを見てくる……「ふーん」と鼻を鳴らした。

「まー……いいんじゃねぇか? 入れば?」

「助かる」

 誠一郎は簡単に礼を言って、すぐそばの店のドアへ手をかけた。

「ひなた時計……?」

 ドアの上に乗っかっている看板を見て、昴は呟いた。

 からん、とドアの動きと一緒にカウベルが鳴り、カウンターの中で掃除をしていた男が

こちらに気付く。

「忘れ物でもしたのか?」

「でか!」

 中へ入り、昴がカウンターの中にいた人物を見て、つい声を上げてしまった。

 でかい、プロレスラーも畏縮してしまいそうなほどの大男が、こちらに向いている。

 巨体にさることながら、ワイシャツとエプロンからは、はち切れんばかりの筋肉が、服を通してよく分かる。

 そんな大男を目の前にしても、誠一郎は臆する様子も無かった。

「マスター、あまり物でもいい、何か出してやってくれないか?」

 この大男が店のマスターらしい。厳つい上に、なにやら威圧のある視線が昴に向いて、昴は特に何の理由も無いのに、つい反射的に身構えて睨み返す。

 じっと、睨み合いのような視線が交わり、マスターはあっさりと昴から目を離し手元へと移した。

「凉平に聞け」

 マスターが簡単に言い、それが承諾の意味だという事に昴は気付く。

「呼んだー?」

 さらに奥から、ひょっこりと長髪の男も現れた。

「よお、まだ帰ってなかったのか?」

 長い亜麻色の髪を後頭部でくくった、軽そうな表情をした男。

「凉平、あまり物で何か作ってやれ」

 マスターが手元から視線を話さず凉平に言うと、長髪の男が一度だけちらりと昴を見てから「ほいほいっと」と言って、また奥へ引っ込んでいった。

「そこに座れ」

 ようやく昴は誠一郎から手を離してもらったかと思うと、誠一郎はそう短く言って、われ先にカウンターへと座った。

「ああ……」

 つられて、昴も誠一郎の隣へと座る。

 カウンターを挟んで、マスターと呼ばれた大男がやってきた。

 誠一郎にはお茶を(喫茶店のはずなのに湯飲みで出てきた)、昴の目の前にはオレンジジュースが置かれた。

「なぁ誠一郎」

「なんだ?」

「何だここ?」

「喫茶店だ」

 見れば分かる。とつい言い返してしまいそうになったが……誠一郎がすまし顔で湯飲みに入った緑茶に口をつける仕種を見て、なんだか自分の方が妙なことを聞いてしまったような気分になってしまった。

「ここの奴らと知り合いなのか?」

「そうだ」

 昴も、オレンジジュースの入ったコップに口をつける。

 ……どうやら、『1』で話しかけると『同じ1』の分量しか返って来ないようだ。

「ふーん」

 辺りをキョロキョロと見回す。

 木材をふんだんに使った、ログハウスのような店内、天井には三枚羽の換気扇とスピーカーが備わっており、そのどちらも今は休まっていた。もちろん営業時間が過ぎているだけあって、客らしき人は見当たらない。

「…………」

 しんと休まっている店内では、マスターの手元を動かす音や、奥から先ほどの長髪男の調理する音だけが、遠目からやけに響いている。

 からん、とドアが開いて昴が振り向くと、表にいたくしゃくしゃした金髪をのっけた少年……シュウジが、箒とちり取りを持って入ってきた。

「掃除終わったぜ」

「わかった」

 シュウジとマスターの短いやり取り。

 そのままシュウジは奥へと引っ込んでいった。

 昴はそれを見送ってから誠一郎へ向き直ると。

「おい」

 そろそろいい加減にしろと言った空気で、誠一郎へ声を投げる。

「なんだ?」

「なんだ、ってお前……」

 誠一郎はいつの間にか本を手にとって読んでいた。ブックカバーから見て夕方にベンチで読んでいた物のようだ。

「俺をここに連れてきたと思ったら、そのままほったらかして読書かよ」

 昴はなんだか、誠一郎へむかっ腹が立って声を荒げた。

「相手をしてほしいのか?」

「う……」

 今度は逆に昴は言葉に詰まった。

「そうじゃねぇよ……」

 誠一郎の、無遠慮とも言える真っ直ぐな視線に、昴はつい目をそらしてそっぽを向いてしまう。

「本当は、行くあてなどなかったのだろう?」

 誠一郎がぽつりと言い、どきりとする。

 昴は答えられず、どうごまかそうか……と動揺していると。

「ここで食べていけ」

 そんなこと、即座に断ろうとして――

 ぐう。

「……ごちになります」

 自分よりも先に腹の虫が音を上げたので、昴は肩を落として降参した。


「よっと、へいお待ち~」

 奥から皿を載せた盆を二つ持って、凉平が現れた。

 さらに後ろからシュウジも同じように盆を持って現れる。

「俺様特製、まかない定食でござーい」

 そう言って、凉平はひょうひょうとした動作で、誠一郎と昴の目の前に、あまり物で作った料理を置く。

「あまり物で作ったのに定食とはおかしな料理だな」

 これはシュウジ、空いているカウンター席に盆を置いて座った。

「ご飯と味噌汁が付いていればなんでも定食だ」

「『言い訳』定食って名前にしたら納得してやるよ」

 長髪の男凉平と金髪少年シュウジのやり取り。

 マスターはいつの間に取りに言ったのか、カウンターの中で既に、自分の分の料理を用意している。

「いっただっきまーす」

 シュウジの合図で、皆が料理に箸をつけた。

 と――

「シュウジ、俺の分は?」

 凉平がシュウジに聞く。

「自分で取りに行けよ」

「この二人の分を運んだんだから気を使えよ、ったく」

「知るかお前に使う気なんてねぇし俺は食う」

 シュウジが早口でまくし立てると、凉平は半眼になって自分の分を取りに奥へ戻っていった。

「昴、お前も食べろ」

「あ、ああ……」

 昴も箸を手に取り、有り合わせで作った煮物を口に運ぶ。

「うまいな……」

 昴が素直に感想を漏らす。

「まーねー」

 自分の分を奥から持ってきた凉平が、のんきな声と共に昴の隣に座った。

「なあ」

 特に凉平に言ったわけではないが、凉平だけが反応してくれたので凉平に昴は顔を向け

「俺が誰なのか聞かないのか?」

「話すなら言えばー?」

 凉平の、ものすごくどうでもいいような返事。

「……」

 昴は口をつぐんでしまう。

「家出だろ?」

 凉平の、鋭い一言。

 昴は有無も言えずに、気まずそうに黙り込んだ。

 ――と、凉平はすぐさま席を降りてシュウジの所へ。

「俺の読みが当たったな、家出少女だとよ。約束通りにリンゴ一つな」

「うい、よ」

 シュウジが舌打ちして、デザート代わりのリンゴ一切れを凉平に渡した。

 凉平がそのリンゴをかじって、また席へ戻ろうとする、と。

 からん。

 突然、入り口のカウベルが鳴った。

「やっほー、凉平さん~」

 ろれつの回っていない声と共に、女性が入ってくる。

 ショートヘアーに、ふっくらとした頬が印象的な、まだ伸びきっていない大人の女性だった。

 そのままおぼつかない足取りで、丁度立っていた凉平にもたれかかる。

「酒臭っ!」

 凉平が露骨に顔を歪ませた。

「お花教室の人たちぐぁ……歓迎会開いてくりぇて、飲んじゃりまりた~へっへっへ~」

「またかよ!」

 飲んできたというよりも、吞まれてきたといった表現が正しいと思えるほどに、その女性はぐだぐだに酔っていた。

「だれだ?」

 昴のつぶやきに、誠一郎が答える。

「花屋の田名木柚紀さんだ、事情があって今は店を休んでいて、昔取った資格で花関係の仕事をして回っている」

 昴が眉をひそめ、

「……花屋のたぬき行き?」

「違う」

 誠一郎が即答。

「誰がたぬきじゃあああああ!」

「言ったの俺じゃねえええええ!」

 柚紀が凉平の背後に回って、両腕で凉平の首を絞め上げた(身長に差があるせいで、傍目からは柚紀が凉平の後ろでぶら下がっているようにしか見えない)

「シュウジ! 携帯のカメラをこっちに向けてないで助けろよ!」

 凉平がシュウジに助け舟を求めるが。

「ん? 頭につける笠と酒瓶をもってくればいいのか?」

「誰がたぬきの置物だああああああああああっ!」

「俺は言ってねぇええええええええ」

 柚紀が髪を逆立てんばかりに叫びながら、凉平の首をさらに締め上げる。

 その様子を、シュウジはニヤニヤとした笑みを浮かべ、携帯のカメラ機能で保存。

 昴は誠一郎へ向き直ると、誠一郎はすまし顔で、淡々と料理へ箸を伸ばしていた。

 マスターの方も、誠一郎と同じだった。

 酔っ払い女の乱入にも、まったく動じずに……。

「最近だといつものことだ」

 マスターがポツリと無感動に言い

「その通りだ」

 誠一郎もそれにうんうんと頷く。

「……そーなのか」

 とりあえず昴は、酔っ払い狸に首を絞められている凉平を眺めながら空腹を満たす事にした。この二人と同じく『どうしようもない』と瞬時に悟ったからだった。

「おっし、笠と酒瓶持って来るわ」

 シュウジの珍しく嬉々とした言葉に、柚紀はなぜか凉平の方へ「きしゃああああ」と吼えた。

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