Dark & Flower(後編)

 5:

「マスター、お疲れ様でした」

「おう」

 ひなた時計のアルバイトを終えた加奈子が、私服姿で出入り口から出て行った。

 そしてマスターの防人は、ふと気付いて裏の厨房へと入っていく。

 そこには、腕を組んでよしよしと満足げに頷いている凉平がいた。

「何をしている?」

「仕事っすよ。ほら」

 そう言って凉平が脇に避けると、ステンレスのテーブルの上にはホールケーキがあった。

「お前はいつから菓子職人になった」

「いやー、俺様渾身の一品。桃のショートケーキ」

「…………」

 マスターは表情こそ無いものの、その無駄にきらびやかなケーキを見て、何ともいえない空気を出していた。

「加奈子ちゃんは?」

「たった今帰った所だ」

「あちゃー、食いっぱぐれちゃったんだ」

「だから誰が菓子職人になれといった」

「残念だなぁ」

「それよりもだな」

 マスターが提案をする。

「今度からみたらしとあんこ以外にも、ゴマときな粉団子も入れるべきだ」

「喫茶店で和菓子っすか?」

「御茶所だ、問題あるまい」

「…………お前ら本当に喫茶店をやる気があんのか?」

 そのやり取りを、厨房の入り口で見ていたシュウジがあきれ顔で呻く。

「おう、おつかれー」

「お前、途中からいなくなったと思ったら、裏でこんなもの作ってたのかよ……」

 シュウジがそう言いながら中へ入ってくると、その後ろから誠一郎も入ってきた。

「ああそうそう」

 シュウジが思い出したようにエプロンのポケットを探り出し、手に持ったものを凉平へ見せる。

「花屋が持ってきた鉢の中に入っていたんだ」

「何だこれ?」

 それは手のひらサイズの、古ぼけた丸い形の金属だった。

「懐中時計だ」

 誠一郎が答え、さらに付け足す。

「おそらくあの花屋のものだろう……中を開けてみろ」

「んっと」

 凉平は懐中時計をいじり、蓋をあけて中を開けた。

「……ああ、あいつのだな」

 凉平はそれを見て同意。

「届けたほうがいいんじゃね?」

 シュウジが凉平に聞く。

「だな」

 凉平は頷くと、ジーンズのポケットにその懐中時計をいれてエプロンを脱いだ。

「マスター、ちょっくら行ってきますわ」

「わかった」


「……で」

 凉平が半眼になって呻く。

「なーんでお前らまで来るかなぁ?」

 凉平は後ろを歩いている誠一郎とシュウジに問いかけた。

「間違いとは、予定されてやってくるものではないからな」

「お前をからかうなんて、滅多にできないことだからな」

「おまえら本当にいい性格だな!」

 凉平が叫ぶが、誠一郎は変な解釈をしたのか満足そうに頷き、シュウジはニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべていた。

「たしか、この道を真っ直ぐに行くと、左手方向にあったんだよな」

 柚紀の店は近かった、その道の途中で――

「うわ~」

 シュウジが露骨な声で驚いた。

「トラックが横転してやがる……」

「完全に道をふさいでいるな」

 シュウジと誠一郎が物珍しそうに眺めて、横転しているトラックを通り過ぎた。

 凉平は大して道をふさぐように転がっているトラックには気を向けず、むしろ手に持った、作ったばかりのケーキを揺らさないようにする事へ、気が向いていた。

 そして、目の前を二人組みの女学生とすれ違うとき、その女学生が持っている携帯電話の会話が耳に入った。

「マジ? あの田名木っていう花屋が、今火事で燃えてるの?」

 ――凉平達三人が驚きのあまり立ち止まる。

 それぞれの顔を見合わせ、凉平が真っ先に全力で走り出した。


 その花屋田名木の惨状を見て、凉平は目を見開いて呆けるしかなかった。

 二階建ての建物が、まるで火だるまのように燃えている。

 とさ、っと自分が落としたケーキ箱の音で凉平がはっとなった。

「……あいつはどこだ! あいつはッ!」

 集まっている人だかりへ走る。だがその中にはどこにも柚紀の姿は無かった。

 後ろから追いかけてきたシュウジと誠一郎。

 誠一郎が声を上げる。

「消防車はまだなのか!」

 人だかりの中にいる一人の中年男性が誠一郎の声に気付いて答えた。

「それが、この道路の両方でトラックが横転して道をふさいでいるんだ」

 横転して道をふさぐトラック。

 それが、自分たちがやってきた方向と、反対側のこの先でも、同じように道をふさいでいる――

「マジかよ……」

 シュウジが信じられないとばかりに呟く。

「柚紀……」

 凉平は柚紀の名を呼びながらも辺りを何度も見回すが、やはり柚紀の姿は無かった。

「あいつ……まだ中にいるのかよ!」

 ぎり、と歯軋りを立てて凉平が今も赤々と燃えている建物へ走り出そうとして。

「凉平落ち着け!」

 叫んだ誠一郎が、凉平を羽交い絞めにして止めた。

 シュウジも凉平の前へ出て押さえ込む。

「やめろ馬鹿!」

「うるせえ!」

 凉平が叫び、押さえ込む二人から力押しで抵抗する。

「俺の……俺のせいだっ!」

 凉平が叫び、体を振って羽交い絞めにしている誠一郎を振りほどくと、前にいるシュウジの髪を引っつかんで引き剥がす。

 そして、凉平は弾かれたように建物の前へ駆け寄り、下がっているシャッターへ手をかけた。

「馬鹿野郎!」

「凉平やめろ!」

 シュウジと誠一郎が呼び止めるが、凉平は耳を貸さず、手の火傷にも気にかけずシャッターを力いっぱいに持ち上げると、潜り込むように中へと入った。


 6:

「うっ」

 中は、目を傷めそうなほどの炎の色と、むせ返る煙で充満していた。

 凉平は服の袖で鼻を口を隠し、できるだけ腰を低くして奥へと走る。

 と、その途中で花と水の入ったバケツを二つ見つけ、それらを持ち上げて、水を頭から一気にかぶった。

(すまねえ、お前らの主人を助けるためだ……)

 心の中で、用兵は床に散らばった花たちに謝る。

(どこだ……)

 黒煙が目にしみて、ひどく視界が悪い。

 腕で口と鼻先を塞いで辺りを見回す。

 シャッターが閉まっていて建物を閉め切ってあったためか、ひどい煙と空気の薄さだった。

(俺の方も長くもたないな、くそっ)

 こんな中でうろうろと探し回る事はできないのは明らか。

 それと同時に、この中に自分よりも長くいる柚紀の事が、凉平は自分自身よりも気がかりで仕方が無かった。

(考えろ、長く探している暇も無く、さらに視界の悪さで見つけにくい)

 考える。数秒の時間も惜しい状況で、最大に頭を働かせて居場所を推測する。

(シャッターは閉まっていた……店はもう終わっていた……ここには見当たらない。だったら居間や寝室……それと入浴中だったのなら風呂場……いや、風呂場は無い。風呂場に窓があったのなら窓から脱出できたはずだ。水もある。ってことは――)

 半ばやけくそ気味に階段を探す。目指すは二階。外へ出られない状況だったのならば、二階にいた可能性が高い。

 階段を探す。ひどく視界が悪く、見落とさないように注意しながらあたりを見ると、廊下の先の右側に、斜めに傾いた手すりが見えた。

 脆くなった床を踏み抜かないように、なるべく勢いを殺して走る。

 手すりに手をかけて階段を見上げたとき――

 くの字に曲がっている階段の半ばで、倒れている柚紀がいた。

「柚紀!」

 凉平が叫んで一気に駆け上る。

 倒れている柚紀の顔を覗くと、気絶していた。

 おそらく外へ出ようとして、階段から落ちたのだろう。

 凉平が舌打ちする、寝巻きに着替えていた柚紀の服に、火が燃え移っていた。

 水で濡れた自分の服の袖で、燃え移った箇所をはたいて消す。

「柚紀! 起きろ! しっかりしろ!」

 燃え移った火を消して抱き起こすが、反応が無い。変わりに、こめかみの辺りから血の赤い線が、つっと頬を伝った。

「くそったれ!」

 凉平が柚紀を抱いて立ち上がる。そのまま踵を返して階段を下りた。

 自分の来た方向へ体を向けて進もうとすると――

「っ!」

 天井が崩れて、目の前に落ちてきた。凉平が反射的に後ろへ飛ぶ。

 舞い上がった火の粉と煙が、さらに視界を悪くさせる。

 戻れなくなった。

 苛立つ胸中を押さえながら振り向くと、目の前は壁だった。

 完璧な袋小路状態になっている。

 しかし、凉平の表情には絶望の色は無かった。

「…………」

 むしろ、意を決した――真剣な顔。

 凉平は、柚紀をまだ火の手が伸びていない床へとそっとおろす。

「柚紀……ごめんな」

 両手に残った、炎の熱とは違うわずかな温かみ――ぐっと強く握る。

「でも……お前は俺が、絶対に助けるから」

 顔にかかった柚紀の髪を凉平はそっと直し、気を失った柚紀の顔を見る。当分意識は戻りそうも無い。

 だがこれは、凉平にとってはありがたかった。

 今の自分の顔を、そしてこれからやることを、見られてはいけなったからだ。

 凉平は自分の右腕の袖をまくり、軽く手指を動かしてほぐす。

 そして右腕を、目の前の壁へ突き出し……唱える。

「光の螺旋」

 突き出した手のひらが、周囲の炎とは別の、白い光で輝き出す――

「刃の奇跡」

 手のひらの白い光が急速に強く輝き、一度手のひらの中心へ集まり、凝縮される――

「鋭光矢!(シャープアロー)」

 名と共にその力は開放され、放たれた幾条もの白い光の帯が、目の前の壁へ立て続けに突き刺さる。

 ――爆発。

 飛び散る破片と煙が上がり、目の前の壁に大穴が開いた。

 凉平は素早い動作で足元にいる柚紀を肩に担ぎ、一気に外へ躍り出る。目の前のブロック塀を、片腕と脚の蹴りで勢い良く飛び越え、着地。

 すると。

「ふむ、やっときたな」

「王子様のご帰還ってやつか」

 目の前に誠一郎とシュウジがいた。

「おまえら……」

 待ち構えていた二人に、凉平は驚く。

「オメーが入った後、シャッターが崩れて入り口が塞がったんだよ」

 シュウジの話を聞きながら。凉平は肩に担いでいた柚紀をそっと地面へ下ろす。

「だからお前がその『能力(ちから)』で脱出すると考えて、そうするとしたら裏から出てくると踏んで待っていた」

 誠一郎が眼鏡をかけ直しながら言う。

 凉平がさらに柚紀の肩と脚へ腕を回し、もう一度持ち上げた。

 ここは裏の民家の庭だった、家には明かりがついているが人気は見えない。おそらく避難したのだろう。

 開いている窓から中へ入り、柚紀を床へ寝かせた。

 燃えた寝巻きと、そこからのぞくやけどが痛々しい柚紀の姿――

「……治せるか?」

 凉平が誠一郎に聞く。

「まかせろ」

 凉平と入れ替わるように、無表情の誠一郎が柚紀へ近づいて屈むと、両手で柚紀の胸の中心へ、そっと触れた。

「以前に死に掛けたお前を完治させたんだ、この程度なら問題は無い……治癒(ヒール)」

 すると、誠一郎の手から淡い蛍光緑の光が生まれ、その発生した光が柚紀の全身を包むように広がる。

 柚紀の怪我、頭部から体の各所に出来た火傷にいたる全ての怪我が、元の健康的な肌へと戻っていく――

「……人が暮らすための基盤は住む場所だ、住む場所があってこそ生活が出来る。地上げ……土地を奪うということは、今の生活を奪われる事と同じだ、そして他人の生活を奪うということは、どんな人間にも恐怖を与えることが出来る行為。そして、生活を奪われる恐怖は、さらに周辺で暮らしている人々にも、脅威として知らしめることが出来る」 

 柚紀の傷を癒しながら、淡々とした口調で言う誠一郎。

 それを聞いたシュウジが、舌打ちをして「見せしめってことかよ」と呟く。

 柚紀の全身の傷が治った後、誠一郎の生み出した蛍光緑の光も薄れていくように消えて、誠一郎が手を離した。

「傷は全て治した、後遺症も残らない、しばらくすれば意識も戻る」

 無感動さを感じる口調で言う誠一郎。

「そうか、すまねえ」

 凉平が上着を脱ごうとして、全身がまだずぶ濡れである事に気付く。

「上着、かぶせておいてくれ」

「……分かった」

 誠一郎が上着を脱いで柚紀にそっと掛ける。

 柚紀は落ち着いたのか、すうすうと定期的な呼吸をしていた。

「すまねえ」

「何だかお前らしくないな」

 シュウジが言うが、凉平はシュウジの顔すら見ない。

「救急車、呼んどいてくれよ」

 そう言って、凉平が向きを変えて去ろうとする。

「……てめぇどこ行く気だ」

 シュウジの、強く厳しい声。

 誠一郎は、もう凉平がこれからどうするのか気付いているらしく、黙りこくったままでいた。

 凉平は一瞬立ち止まったものの、何も返事をすることなくまた歩き出した。


 ひなた時計へ戻った凉平。中へ入ると、カウンターのスツールに座る鈴音と、カウンターの内側に立つマスターがいた。

「ブレイク……」

 凉平は、ひなた時計のマスター、防人をブレイクと呼ぶ。

 だが返事をしたのは鈴音のほうだった。

「今回は私達〈アックス〉は出ないよ。誠一郎とシュウジは出さないからね」

 スツールに座る鈴音の声は、刃のように鋭い声だった。

「そもそもだ」

 マスター防人こと、ブレイクが口を開く。

「お前は目標の視察だけで良かったんだ。余計な事をして、目標の神経を逆なでしたことが原因だ」

 ブレイクの言葉、明らかに静かな怒りが込められた、重たい声で言う。

「ブレイクはこう言ってるけど、私はその事については咎めないよ」

 鈴音がこいつと一緒にするなとばかりに、仰ぐような仕草で手を振る。

「だけれどね、自分の撒いた種は、自分でやりなさい」

「……そういうことだ、セイバー2」

 ブレイクが、手に持っていた四角く平べったい物を、手首のスナップで凉平の顔へ投げた。

 それを凉平は手の指で受け取る。

 それは『組織』専用のデータディスク。この中には緑龍会の重要人物達……今回の目標と屋敷の見取り図のデータが入っていた。

 受け取った凉平の顔は、いつもの軽くヘラヘラとした表情は無く――

「ああ、わかっている」

 氷のように硬くなった表情と、深くそれでいて鋭い眼(まなこ)があった。


 7:

 緑龍会本屋敷――

 幹部会議に集まった緑龍会の幹部達は、既に中へ入った後で、今の門前は静けさを取り戻していた。

 門番のように両端に立っている二人の男……スーツを着こんで休めの姿勢で立っている男と、派手柄のシャツを着て気だるそうに立っている男。

 別段、話をしているわけでもなく、たまに聞こえる屋敷の話し声に聞き耳を立てながら、じっと立ち尽くしている。

 派手柄のシャツの男の方が、軽く咳払いをして胸ポケットから煙草とライターを取り出した。

「吸殻を地面に捨てるんじゃないぞ」

 スーツ男が、煙草を加えた派手柄シャツ男を横目に見て注意する。本来ならば吸う事すら咎めたいところだったが、既に会議は始まっていて、自分達のすることは、誰もやってこない門の前で立っている事だけだった。

「わかってるよ」

 煙草を加えてめんどくさそうに呻くと、ライターに火をつける。

 と――

「ん?」

 正面を見ていたスーツ男が疑問符を浮かべた声を出す。

 派手柄シャツの男も、その声に反応して煙草に火をつけずにその方向を向くと。

「?」

 派手柄シャツの男が目を細める。

 何かがいる。

 よく目を凝らさなければ見えないくらいに、薄ぼんやりと暗闇の中で、何かがいた。

「…………」

 二人がじっと目を凝らす。

 と、その人影はすっと消えた。

 なんだ? と声を出そうとしたが、二人は声を出せなかった。

 代わりに、水の吹き出る音がすぐ顔の真下から聞こえてきて。

 二人は喉に深々と刺さっているナイフのような金属片と、吹き出る自分の鮮血に気付くまで、また数秒の時間を要した。

 

「銀次よぉ」

 緑龍会総会長、御上龍三は、自分の左右に整列するように座っている幹部達の一人に目を向けながら、唸るような声でその名前を呼ぶ。

「おつかいはちゃんとしてきただろうな?」

 銀次は「へい」と、待ってましたとばかりに期待に答えるような返事をする。

「あの花屋を焼いてやりました。もう土地をよこす以外に手は無いでしょう。もちろん足はつかないように……」

 それを聞いた龍三はうむ、と呻いて次の幹部の名前を呼ぶ。

「弾司、おめぇは?」

「はい。例の生物兵器会社のラストクロスから、愛玩用クローン人間を三体、確保しました。来月末に取引予定です」

「寛四郎、おめぇは?」

「ういっす。大崑崙という会社から新しいアンダードラッグと新型銃器を二種類、取引成立しやした。すでにそれらはこっちの所に。そして、予約者の確保。取引場所も用意してあります」

「おめぇさんは相変わらず手際がええの」

「ありがとうごぜえます」

 龍三はうんうんと頷き、深い紺の着流しの胸元を整え、軽く喉を鳴らす。

 その呻くような喉の鳴らし方は機嫌が良い証拠だった。

「皆、今回は良くやってくれた。これでわしらも裏社会での旗揚げに十分だろう……わしらの新しい門出に杯を上げようじゃないか」

 それを聞いた幹部たちが、一同に返事をして頭を下げる。

 すると――

 幹部たちが頭を上げた時、それは既に居た。

 広い畳張りの部屋に、龍三を先頭に整列するように並んで座る幹部達のど真ん中に、それは今まで、ずっと居たかのように佇んでいた。

 黒い、人間の形。

 空気が固まった――

 幹部たちがあっけに取られてそれを凝視する。

 それは艶消しのレザースーツを、全身に張ったかのようにぴったりと着込み、左右の腿には大口径の銃が収まった黒いホルスター、そして頭部には、その表情がまったく見えないまでに黒い布で覆われていた。

 唯一分かるとすれば、後頭部でひとくくりにした、亜麻色の長い髪。

「何だ貴様は?」

 龍三の眼が釣りあがる。

 黒い男は返答せず、静かに佇んでいた。

「どこに雇われた殺し屋だ?」

 龍三がさらに聞く。

 その一言で幹部たちがはっとなって、おもむろにスーツの内側から腰の後ろからと、銃器刃物の類を取り出して構えた。

「答えろ」

 多くの武器に狙われながらも、その黒い男は軽く頭を上げただけだった。

 前髪で隠れた双眼が露になり、それに射抜かれた龍三が破顔する。

 ――刃物。それに触れれば、どんなものでも真っ二つに出来そうな、とてつもなく鋭く深い眼光が……

 龍三はその瞳に、幾度もの血をすすった鋭い刃物を連想し、背骨に氷柱をねじ込まれたような感覚に陥る。

 幸い、その鋭過ぎる眼光に射抜かれなかった幹部たちが、いまだ正気沙汰の中にいた。

「俺は、殺し屋じゃない」

 黒い男が、呟いた。

「ソーサリーメテオ……」

 静かに、まるで冷気が広がるような声で、黒い男は続ける。

「お前達の……死神だ」

 死神。その黒い男は言った。

 そしてその黒い男は、ようやくその両腕を動かし、開いた手を胸の前まで持ってきて構える。

 黒い男の胸と手の中で、目が眩むほどの光が生まれだした。

 その光から、小さい光の玉、数え切れない程の光球が、まるで水が溢れ出すように大量に流れ出て、黒い男の周囲に留まって浮遊する。

 そして男は唱えた。

「流れる星は」

 炎が灯り激しく燃え始めるように、数多の光球がその輝きの度合いを増し――

「炎の如く」

 最後の発動詠唱――

「流星斬!(シューティングセイバー)」

 その名で、光球群が一斉に吼えた。

 幹部達を、龍三を――光球から放たれる無数の光の刃によって、周囲の人間全員の眉間を、喉を、心臓を貫いていく。

 大気を燃やす高熱の光が、室内をその白い光で満たし始めた頃――光のエネルギーで満たされた周囲が、大爆発を起こした。

 その勢いは室内に留まらす、遠くまで遠吠えのように行き渡り……轟音が鳴り止む頃、緑龍会の本屋敷は跡形も無くなっていた。

 

 周囲には、原型も留まらぬ黒い瓦礫が、闇夜に広がっている。

 その真ん中で、セイバー2がふと空を見上げた。

 いつの頃からか見えなくなった星空。深い闇の中に、三日月でも半月でもない、中途半端に膨らんだ月が、一つ。浮かんでいた。

 セイバー2――凉平がそれを見て、自嘲気味に軽く吹き出して独り言を呟く。

「やっぱ俺、アホだよな……。アイツの事、言えねぇわ」


 8:

 柚紀の後姿を見つけた凉平が、彼女に近づく。

 柚紀がぽつんと立って見ているのは、元あった自分の花屋の前。しかし、そこにはもう何も残っていなかった。

 瓦礫のひとかけらも無く、皮肉が過ぎるほどに平坦な地面があるだけ。

 病院から退院してここに戻ってくれば、ひょっとしたら店が燃えたことは嘘で、まだ古ぼけた花屋が残っているかもしれないと……そう思っていたのだろうか。

 だが、これではまるで、花屋があったことの方が、夢や幻、嘘だったかのよう……。


 背後に気付いた柚紀が、ほんの少しだけ顔を、後ろにいる涼平へ動かす。が、すぐに前へと向き直った。

「柚紀」

 気まずそうに、後ろから凉平が呼びかけた。

「いつまでも突っ立ってると、風邪引くぞ」

 風邪は引かない、今はもう五月半ばの、昼間だ。夕方まで立っていたとしても、風邪は引かないだろう。

 凉平が優しくそっと、遠慮がちに、柚紀の頭に手を置く。

「…………」

 柚紀は返事も抵抗も無く、身動きすらしない。

 しばらくお互いに黙りこくっていると、柚紀が口を開いた。

「凉平さんのせいじゃありませんから」

 この火事が、凉平が緑龍会の幹部を追い払った事が火種になったのだと、そう凉平が思っているだろうと思って、柚紀は否定の言葉を言った。

「凉平さんは私を、助けてくれました」

 背後にいる凉平を傷つけないように、そして自分に言い聞かせるように。

 それが余計に、両方の心を、苦しくさせる言葉だったとしても――

 柚紀が鼻をすすった。

「すこしだけ……」

 柚紀の肩が震え始める。

「すこしだけ、このままでいさせてください」

 柚紀が嗚咽を漏らして泣き始める。


 凉平は柚紀の頭から手を離さず、静かに泣き止むのを待った。

 泣き崩れずに、本当は立っていられないほど泣きじゃくりたい気持ちを必死で耐えて、止められない涙が止むまでじっとこらえている彼女は、それだけでも強かったのかもしれない。

「…………」

 凉平は、その強さを見て、気持ちがこちらも押さえ切れそうにない衝動に駆られた。

 本当だったら、頭を抱えて泣き、その場に崩れてもかまわないくらいの事なのに、それでもあふれ出てくる涙をじっとこらえる彼女の姿が、不憫な我慢強さだった――

 ひとしきり涙を流した柚紀が、手の甲で涙を拭い「すみませんでしたと」上ずった声で呟く。

「強いな、お前」

「強くなんて無いわ……ただ、弱いままでいたくないだけよ」

 泣いて落ち着いたのだろう、小さくふぅとため息をつく柚紀。

「……しばらくどこかで、これからの事をゆっくり考えようと思います」

 それを聞いた凉平は、この言葉は自分が言うべきじゃないと思いながらも、自分が今から嘘をつくような気持ちで、心がちくりと痛みながらも、それでも言った。

「これから何をするって、お前のやることが決まっているだろ」

「え?」

 柚紀が振り向いて、泣きはらして赤くなった瞳を凉平へ向ける。

 ようやく振り向いた柚紀に、凉平はポケットから取り出したものを柚紀に見せた。

「うちに持ってきた鉢の中に入ってた」

 それは、懐中時計だった。

 あの夜、凉平たちがこれは柚紀のものだと気付いて送り届けるはずだった懐中時計。

「これ……」

 柚紀はそれを受け取り、蓋を開ける。

 そこには、柚紀が高校を入学した時に撮った写真が、蓋の内側に貼られていた。

 まだ幼さが残る、緊張した面持ちで制服を着た柚紀と、その後ろ左右に立って微笑んでいる柚紀の両親。

「きっと、あの夜にお前の両親が、お前の危機を俺たちに知らせたかったんだと、思う」

 そんなことは実際に起こりえるはずは無い……が、懐中時計があった事実に、凉平はそうであったのだと、思いたかった。

「お前は、死んだこの両親の跡を……遺志を継いで花屋を始めたんだよな。だったら、お前が花屋を諦めない限り、お前達の花屋はなくならないはずだ。……それなら、お前がやる事なんて、決まってるんじゃないか」

 柚紀は、唯一残った……父と母の微笑を見て、頬に悲しみとは違う涙が一筋、伝った。

「自分達の夢を実現させた店よりも、柚紀の事を大事にしたかったんだと思う」

 凉平はさらに「俺はそう、思う」と、優しい声で柚紀に言う。

 柚紀は写真の入った懐中時計を胸に抱いて、

「はい……」

 微笑んだ。

 その顔には、店をまたやるのだという、新しい決意をほのかに灯して――

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