Dark & Flower(中編)

「ふあ……ここが『ひなた時計』か~」

 用意した花を積んだ車から降りて、あくびまじりに柚紀が喫茶店の前に立つ。

 まだ時間は七時半少し過ぎたあたり。だが開店前に準備したいという事なので、早朝配達は仕方が無い。

 五月といえど、まだ朝は薄着するには肌寒かったが、雀のチュンチュン鳴き声と朝日が気持ちが良く、柚紀は両腕を上に伸ばしていったん体を伸ばすと、「よしっ!」と気合の声を入れて喫茶ひなた時計のドアを開いた。

 カランッと、ドアに備わっているカウベルが鳴り、元気良くおはようございまーす! と言おうとすると――

「くぉらあ! シュウジっ!」

 出そうとした声よりもさらに大きな怒鳴り声が両耳を貫き、驚きと共に第一声を飲み込んでしまった。

 柚紀の耳がキーンと軽く痛む。

 声のした方向、左方向へ顔を向けると、先ほど怒鳴り声を上げたであろう女の子が、金髪でぼさぼさの髪をした背の低い女の子の首根っこを掴んで引きずっていた。

「てめ! 離せっ!」

 訂正、金髪ボサ髪の方は女の子のような顔立ちをした男の子だった。口調と雰囲気で分かる。

「今日こそは接客の方もやってもらうからねっ! ピークの時には私だけで毎回大変なのよ! アンタも掃除皿洗いばかりしてないでこっちもやんなさいよ!」

 まるでイタズラをしたネコを摘み上げるように、背の低い金髪男子の後ろ襟を片手で持ち上げ、女の子が一気にまくし立てていた。

 それに対し金髪の男の子は。

「……めんどい」

 本当にやる気の欠片も見えない表情でぼそりとつぶやいた。

「めんどくさくても、やーりーなーさーいいいい!」

 女の子が叫びつつ、金髪の男の子にヘッドロックをキメてぐいぐいと締め上げる、

 と、そこまで見たところで、柚紀は自分にかかる視線に気付づいて正面を向く。

「…………」

 岩石人(ゴーレム)がいた。

「…………」

 でかい、ひたすらに巨大な体格に、ワイシャツエプロンからは、はち切れんばかりの筋肉が見て取れ、肩まで伸ばしたウェーブ髪の大男が、カウンター越しにこちらを見ていた。

「…………」

 見ている――見られている。さらに何も言ってこない。

 某フライドチキン屋よろしく的な像か何かかと思ったが、手元ではキュッキュと音を立てて、グラスを磨いていた。

 うん、コレはちゃんとした生き物である。

 と柚紀はぐっと飲み込むように言い聞かせた。

 今さっきに出鼻をくじかれた挨拶を言い出そうとして口を開くと。

「すまないが、まだ開店時間ではないんだ」

 ゴーレムにまた出鼻をくじかれた。

「あ、そうですか……」

 とても言い伝えられない雰囲気に、つい押されてしまった。

 この状況を、どう突破したら良いのだろうか……? とドアを開けたまま中へ一歩も入れずに考えあぐねいていると。

「あれ?」

 金髪の男の子にヘッドロックを決めて振り回している女の子が柚紀に気付いた。

「いらっしゃませー」

 たった今さっきの怒りの表情から、一瞬でそれらを払拭し切った、接客きらきら☆スマイルを投げかけてきた。

 ――明らかにプロの技!

「どうも、おはようございます~」

 こちらも笑顔を負けじと投げ返す。

「すいません、まだ開店準備中なんですよ」

 未だにヘッドロックを決めている金髪の男の子、シュウジが「ていうかおろせ」とつぶやいているが、女の子はそれもまったくの無視。

「いえ、私は花屋の田名木と申します」

「へ?」

 それを聞いた女の子がきょとんとした表情をし、ついでに金髪の男の子シュウジが、すとんと腕から落ちた。

 シュウジはそのまま、まるで遊び飽きて去っていく猫のような、緩慢な動作と表情で奥へと消えて行く。

「……はなやのたぬき?」

 がくんっ!

 柚紀が前のめりにつんのめった、なんとかドアにつかまって転倒を防ぐ。

「た、な、ぎ、です……」

 一文字づつ力を入れて言い返す。まさかこんな年下の女の子にまで言われてしまうとは、柚紀は亡くなった両親へ密かな恨みを胸の内に込めた。

「加奈子」

「はい、マスター」

 この特大岩石みたいな男性は、この店のマスターだったのか。

 そして、この天真爛漫活発な女の子の名前は加奈子と言うらしい。

「凉平のやつが注文した花の事だろう」

 マスターにそう言われ、加奈子が「あー」っと声を上げて思い出す。

「おーい」

 先ほどの金髪少年、シュウジが戻ってきた。

「アホをつれてきたぞ」

 気だるそうなシュウジの後ろから、大あくびをして凉平が姿を現した。

「よお」

 凉平が手を軽く振って柚紀に挨拶をする。

「おはようございます、注文の花と鉢を持ってきました」

 やっと話を進められる人物を見つけることができて、柚紀はようやく安堵する。

「おう、たぬきさんごくろう」

 柚紀はつかつかと早足で凉平に近づき――

「おはようございま……っすぅ!」

 凉平の弁慶の泣き所(スネ)を、柚紀は振り上げたブーツで思いっきり蹴飛ばした。

 

 3:

「ふう」

 大して汗をかいてもいないが、柚紀は手の甲で額を拭う仕草をする。

「こんなもんかな、っと」

 そう言いつつも、満足げな声でにんまりとした表情。

 元々、木をふんだんに使った内装だったので、花や観葉植物の配置に困ることが無く、文字通り華やかな店内へとひなた時計は変貌していた。

「なかなかやるねー」

 隣にいた凉平が素直に褒めつつ、親指を立ててGOODと付け足す。

「私にとっては朝飯前ってもんだ、はっはっはー」

 柚紀は腰に手を当てて、いかにもどうだーと言わんばかりに声に出して笑う。

「……ふむ、配置具合から花の香りまで、非の打ち所がまったく無い」

「でしょー」

「素晴らしいな」

 凉平とは反対側から声が聞こえて、くるりと回って柚紀が返事をする。

 が――

「お前誰だああっ!」

 突然現れた男に、柚紀が髪を逆立てをそうなほどに驚く。

「…………」

「…………」

 叫んだ後、無言で柚紀とその男が視線を交わす。

 色素の薄い肌に、短くもなく長くもない、こざっぱりとした黒髪。シルバーフレームのメガネをかけた……無表情の男。

 じ~っと数秒、時間が止まったのかと錯覚しそうな沈黙のあと、

「また気付いてもらえなかった……」

 男が額に手を当ててしょんぼりとした。

「え、あ……ごめんなさい」

 思いのほか深く落ち込まれたため、柚紀はしどろもどろに謝る。

「誠一郎さん、また気付いてもらえなかったんですねー」

 寄ってきた加奈子がそう言って、誠一郎と呼ばれた男の頭をよしよしと撫でた。

「また?」

 柚紀の呟いた言葉を聞いて、加奈子がああと思い出したように言う。

「この人、影が薄いんです」

 柚紀が、「影が薄いってそんなレベル?」 と言うが、加奈子はそれを黙殺し、

「ちゃんと最初からいましたよね」

「うむ」

 誠一郎が小さく頷く。

「うそ……」

 全然気付かなかった。と驚きを通り過ぎて呆けてしまう柚紀。

「まぁいつものことだ、加奈子ちゃんも、最初の頃は居ても気付かなかったもんな」

 柚紀の後ろにいた凉平がフォローを入れた。

「コイツは誠一郎って言って、俺のダチで常連なんだわ。今日は開店前に人手がいるから、狩り出てもらった」

 凉平が誠一郎を指差して柚紀に説明する。

 柚紀がはっと気付いて凉平の出した指を手のひらではたいた。

「人を指でさしたらいけません!」

 そして柚紀は誠一郎に会釈をして本当にごめんなさいともう一度謝る。

「あまり気にしちゃいけませんよ、誠一郎さん」

 加奈子と柚紀が、まるでひどい目にあって落ち込む子犬のように誠一郎を慰める。

 凉平の「やっぱ変な哀愁があるやつだな」と言う呟きは誰からも黙殺されて消え去った。

「まぁー、下を向かないと姿が見えないくらいの、どッかのチビよりかはマシだがな」

「そういえば、シュウジはどこいったの?」

 加奈子が辺りを見回して背の低い金髪の少年、シュウジを探す。

「外の掃除してるぞ」

 親指で外の方向を指すと、大して汚れてもいない入り口をめんどくさそうに、そして物凄くテキトーに掃いているシュウジがいた。

「あの野郎ぅ!」

 加奈子がものすごい剣幕で勢い良く外へ飛び出して行った。

 近所を不安にさせてしまいそうなほどの怒声が、店内にもすぐさま響き渡る。

「あの二人は」

 柚紀が、外でぎゃあぎゃあ叫んでいる加奈子とシュウジを眺めながら、

「いつもあんな感じなんですか?」

「まーね」

 凉平がやれやれと言った感じで、軽く肩を落として苦笑。

「なんか……楽しそう」

 柚紀は笑いながら、しかしどこか寂しげな眼差しをする。

「そーかぁ?」

 凉平はまるで、うるさい小動物を見るような視線を加奈子とシュウジに投げつつ、相槌を打った。

「私、高校の時お父さんとお母さんを亡くして、学校を中退して花屋を継いだんです」

「…………」

 柚紀の突然の言葉に、凉平が言葉を失う。

「初めは学校の友達が様子を見に来てくれたりしたけど、受験とかで忙しくなって、来てくれなくなって……それからここ何年か、ずっと一人だったから」

「…………」

「だから、仕事仲間とか友達とか、こうやって騒げる雰囲気っていうか、そういう中っいうか……」

 話しながら、柚紀はだんだん俯いていき、声が聞き取れないほどに小さくなっていく。

 ようやく、はっとなって気付いた柚紀がぱっと頭を上げ、

「まぁあれです、ちょーっとうらやましいなーって」

 あはははははーっと笑いながら誤魔化す。

 それを見た凉平が、やれやれと言った感じで肩をすくめた。

 凉平が柚紀の頭に手を置く。

「え?」

 柚紀がぽんと置かれた頭を見て、いきなりの事にはっと驚く。

「また花を頼んでやるから、お前も暇なときにここに来ればいいさ」

「あ、はい……」

 柚紀の頬が、ほのかに赤みを帯びる。

「ところで」

 凉平が手をどけて柚紀に言う。

「なんですか?」

「何かに変身してみて」

「え?」

 かさり、と頭に妙な音がしたので、柚紀が自分の頭に乗っかっているものを手に取ると。 

 それは観葉植物の葉っぱだった。

「できるかああああああああああああぁ!」

 さっきとは別の意味で顔を赤くして、柚紀が凉平のスネをブーツで蹴り飛ばそうとすると、凉平がそれを軽いステップで回避。

「逃げるなぁ!」

「はっはっはっはー」

 今度は凉平のつま先を踏もうと柚紀が追いかけるが、凉平はひょいひょいと逃げていく。


「…………」

 それを極めて静かに見ていた誠一郎は、外の加奈子とシュウジ、それと目の前の二人を見て。

 ただ一人ぽつんとしていた。

「またおいてかれたか……」

 と呟いた。

「いつものことだろう?」

 カウンターの中にいたマスター(開店作業をしながら)の声が、中でも外でもぎゃあぎゃあと騒がしいくも、誠一郎に耳にしっかりと入ってきた。


 4:

 開店後。なんだかんだで開店時間まで居座ってしまった柚紀が聞いた第一声は

「おはよーサッキー」

 だった。

 ひなた時計のマスターの本名は防人(さきもり)。

 そしてやってきたその朝一番の客は女性だった。

「おう」

 低い、悪く言うと呻くような返事と共に、マスターまだ注文すら取っていないのに朝食メニューをカウンターに置いた。

 しかし女性は「あら、今日は朝から焼き鮭なのね」と言ってカウンターに座るなり焼き鮭定食をぱくつき始める。

「…………」

 柚紀が何故にあっけに取られたかと言うと。

 このゴーレムのようなマスターに、ノリの良い挨拶を愛称付きでして、さらにマスターの方はすでに予測済みでメニューを用意して即座に出した事だった。

 柚紀は自分の隣で、わかめと油揚げのスタンダードな味噌汁をすすっている女性を見ていると、女性はこちらに気付いて――

「人の食事を眺めるのは結構失礼だと思うわよ」

「あっ、ごめんなさい」

 反射的に謝って、柚紀は顔を背ける。

 すると女性がふふっと笑った。

「花屋の田名木さんだ、今日は花を届けてもらった」

 マスターが女性に説明する。

「へー。そういえば、今日は花の香りがするわね」

「そう思うなら鮭だけ見ていないで回りも見ろ」

 マスターにツッコまれた女性は店内を見回し、ほー、へー、と言っただけでまた鮭へ向き直り、箸でまた身をほぐし始めた。

「花より団子か」

 マスターがポツリと言う。

「違うわ、これ鮭よ」

「国語辞典が必要だな」

「冗談よ~」

 柚紀はそのやり取りを見て。

「あの、マスターさん」

「なんだ?」

 カウンターの中で女性としゃべりながらも、マスターが柚紀に向く。

「奥さんですか?」

 味噌汁を飲んでいた女性が咳き込んだ。

「嫌よこんな大巨人」

 お絞りで自分の周りのカウンターを拭きながら、女性が心底嫌そうな声を出す。

「俺もこんな『イタチ』女は心底遠慮する」

 静かに、冷気でも含んでいそうな声で言うマスター。

「……すいませんでした」

 柚紀が謝らなければならない気持ちになったのは、明るかった雰囲気が一瞬で一気に、険悪な空気に変わってしまったからだった。

 と、マスターが柚紀へ皿と紅茶を出す。

「サービスだ」

 皿の上に載っているのはロールケーキだった。クリームがピンク色なのは苺が練りこまれているのだろうと柚紀は香りで気付く。

「いいんですか?」

「そこのあほうが作ったものだ、不味かったらあいつに言うといい」

 マスターがそういって、少し離れたカウンターの中でてきぱきとホットサンドを作っている凉平へ視線を投げる。

「じゃあ食べた後で文句つけておきます」

「そうしろ」

 聞こえていた凉平が「文句言う前提かよ!」と言ったが黙殺された。

「ねえ」

 そのやり取りを見ていた女性が柚紀へ。

「はい?」

「凉平はアホだからやめておきなさい」

「なっ!」

 突然の言葉に柚紀がびくついた。

 ついでに凉平が「アホって言うな」とホットサンドを盛り付けながら言うが、誰の耳にも届かない。

「さっきのお返しよ」

 女性がにんまりと意地悪な笑みをする。

「私は鈴音、村雲鈴音」

「田名木柚紀です」

 柚紀が会釈をして自己紹介。

「……一人暮らしが寂しいみたいね」

 と鈴音は素朴に柚紀へ言う。

「え?」

 知らないはずの、いきなり言われた言葉に柚紀はドキリとした。

「そういう顔してる」

 柚紀が聞く。

「何で分かったんですか? 私が一人で暮らしているって」

「簡単よ」

 鈴音はあっさり答えた。

「花の量が多いのにあなた一人だけ。こんな朝にこれだけの量……人手があるなら誰かもう一人くらいいてもいいはず。手伝ったのは凉平と加奈子ちゃん、それとそこですまし顔でコーヒーすすっている誠一郎ね」

 流し見ただけなのにもかかわらず、鈴音はすらすらと文章を音読するかのように口を進め、続ける。

「そして名前と店の名前が同じと言う事から、店は一人で切り盛りしている。そしてそれは……もう結構長いのね。まだ若いのに、花の配置の仕方がすごく上手、手馴れている。……どうかしら?」

「すごい洞察力ですね」

 柚紀が素直に驚いた。

「まぁね」

 そして、鈴音は湯飲みのほうじ茶を手にとって一口すすった後。

「何か嫌な事があったら」

 そう言いながら鈴音は、柚紀の奥へ視線を移し、

「そこのアホに、八つ当たりでもしたらいいわ」

「だからアホっていうなよ!」

 テーブル席の客へホットサンドとコーヒーを置いて戻ってきた凉平が叫んだ。

 鈴音は、凉平へ向かって勝ち誇った笑みを浮かべて

「またここに来るといいわよ、アホでも少しは役に立つから、そこのアホは」

「……それ以上言われると本当にへこむんでやめてください」

 もう既にへこんでいる凉平が、カウンターの中でうんざりした顔をし始めた。

「アホだから、余計な事考えずに相手できるわよ」

「…………」

 隅っこへ逃げていった凉平が、反論する気力も失って肩を落としている。

 柚紀は、そんな気楽なやり取りの中に、どこか温かいものを胸に感じて、

「はい……じゃあ、そうします」

 落ち着いた声で呟くように言った。


 夕方。

 作業車のような薄汚れた白いミニバンの車に、男が六人。

 助手席に座るスーツを着たオールバックの男……銀次がタバコの煙を吹き、

「段取りは分かっているだろうな」

 と他の五人に聞く。

 他の五人は、へい、うす、とばらばらだが、気合の入った返事。

「やる時間はさっき言った通りだ、足残すんじゃねぇぞ」

 もう一度、他の五人がむさくるしい声で答える。

「おし、行け」

 銀次のその言葉で、子分の五人が一斉に車から降り始めた。

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