3月30日 長男の旅立ち(その四)

 長男が部屋の中から出てこなくなっても残酷に時間は過ぎていった。今になって考えると酷な仕打ちだったのかもしれないが、カウンセリングを受けさせたり、精神科の病院にも連れて行った事があったように思う。その時その時は長男の事を第一にと考えてのことだったが、カウンセリングの後や病院に行った後は極めて不機嫌になった。長男からしてみれば多分「俺を病人扱いしやがって」という気持ちがあったのだろう。ただ本人は認めていなかったが、引きこもりをしている当時、円形脱毛症になったりもしていたので、無意識の中で苦しんでいたのだと思う。確か長男が学校に行けなくなったのは中学1年生の夏休み後だと記憶している。それから二年半という時間が流れ、中学から高校への進学が近づいた時、私たちは色々な選択を迫られた。


 学校にいけない中、学校側の協力もあり、提出物などで何とか中学卒業までは可能となった。しかし、困ったのは長男が中学卒業後にどうしたいかという意思表示をしてくれない事だった。高校生活をどう送れるかについての選択肢はいくつかあった。

「①このまま学校に行けるようになる事を信じて特別クラスに留まる。」

「②学校は変わらずに、クラスを特別クラスから一般クラスに落とす。」

「③学校を変わる。」

もちろん長男にも声はかけた。しかし何の意思表示もなく、学校との相談の結果、「②学校は変わらずに、クラスを特別クラスから一般クラスに落とす。」の方向で調整していた。しかしもう中学卒業、高校に進学というタイミングで長男はこの中高一貫校の高校には行かないと言い始めた。


 長男の要望だったからか、それとも毎日学校に行く事は嫌だという長男の為に親が提案してだったかはもうはっきりしないが、通信制の学校を探す事になった。タイミング的にギリギリだったが何とかある通信制の学校を見つけ出し、ギリギリ受検をして4月から通信制の学校に通う事になった。そしてほとんど長男が登校する事の出来なかった中高一貫校を辞める際に、私は妻と二人で挨拶に行った。この時、私は精神的に本当に辛かったことを覚えている。「どうしてこんな事になったのか。」、「何をすればこうならなかったのか。」胸がいっぱいになる中、先生方の前では目頭を熱くする程度だったが、学校を出た瞬間、私は号泣していた。


(続く)

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