3月24日 運命のルーレット(高校デビュー編)

 二ヶ月遅れでのスタートは今考えてもなかなか辛いものだった。既に私が病院のベッドで寝ている間に、確か神戸と聞いたが、親睦を深める校外学習は終わっていた。既に殆どのクラスメイトは、クラスの中でグループを作り、所属するクラブも決めて高校生活を巡航速度で航行中だった。自分は内向的な性格だとは思わないが、既にクラスとしてそれぞれの子が自分の居場所を確保した中に放り込まれるというシチュエーションはなかなかにハードだった。すぐには友達も出来ず、クラブに関しても、肝炎が治ったばかりで、医師から禁止とまでは言わないが、半年ぐらいは激しいスポーツは控えたがいい、と言われていた。つまり前の回で述べた通り、國學院久我山でラグビーをするという夢が、公立高校の合格で、その公立校でラグビーをするという目的に修正を迫られ、肝炎を患ったことでラグビーどころか運動部にすぐには入れないという境遇に置かれていた。その頃の私は、帰宅するときなど、いつも一人でトボトボと歩いていたという印象だ。しかしそんな私にも転機が訪れる。


 芸術の授業は音楽を選択していたのだが、授業で一人一人にクラッシックギターがあてがわれ、音楽の先生からギターを習った。その先生がみんなの前で「放課後、ギターを練習したければ、音楽室からの持ち出しは許可できないがギターを貸し出してもいい。」と言ってくれたのだ。高校に通い始めてからというもの、クラブにも入れず、何かしたいと考えていた私は、この話に飛びついた。音楽の先生のところに行って、放課後クラッシックギターを貸して欲しいとお願いした。それからというもの、毎日ではなかったと思うが、週に何度か居残って音楽室でクラッシックギターを爪弾いた。人生とは積極的になると連鎖して次の事が起こるもので、そんな私を見かけていたフォークソング部所属の同学年の子たちが一緒に音楽をやらないかと声をかけてくれたのだ。

 私は喜んでフォークソング部に加入し、無事最後まで務め上げることになるのである。この高校時代に購入、使用したギターは、その後社会人になっても事あるごとに引っ張り出し演奏してきた。私の楽しい時や辛い時、そして何気ない生活の中に、このギターは寄り添ってきてくれた。この音楽と共に歩んだ日々が、今のドラムにもつながっている。ラグビーをするという夢は叶わなかったが、それを埋めて余りある音楽との出会いが私の人生を彩ってくれているのである。


 高校入学前後の話を、〝運命のルーレット〟と銘打って語らせていただいたが、そろそろ終わりにさせていただこうと思う。


おわり

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