3月21日 運命のルーレット(高校受験編)
國學院久我山受験を決めた私の心は國學院久我山久我山一本で決まっており、『専願』という形で学校には届け出た。しかしここで予期せぬ運命の種が蒔かれたのである。進学担当の先生から「公立高校受けないらしいが、サンプルが欲しいから学区の二番高受けないか?落ちてもいいんだろう?」と持ちかけられたのだ。
私はその当時、本当に國學院久我山しか見ておらず、ほとんど悩まずにその提案を承諾した。ただその後担任の先生に呼び出され、「あなたの成績ではその公立高校は無理!どうしてそんな無謀な選択をしたの!少なくてもランクを一つ落として申請しなさい。」と酷く怒られた。ただ私としてはその時点で公立高校に行く気は全く無く、神様の悪戯で奇跡の合格を果たすなら、学区の二番高ぐらいじゃないと、結局國學院久我山を選ぶだけだという考えがあった。結局、担任の反対を押し切り、私はそのまま学区の二番高を受験することにしたのだった。
國學院久我山の受験、特に面接のやりとりは今でも覚えている。面接の先生に「うちの高校に入ったら何をやりたい?」と聞かれて朗々と「ラグビー部に入ってラグビーをしたい!」と宣言した。あまりに明朗と答えた為か面接官がニコニコしながら「そうかー受かったらがんばれよー。」「練習キツいぞー。」などと言った言葉を掛けられたのも覚えている。数週間後、國學院久我山から合格通知が届き、私の高校生活は、思い描いた通りにスタートする準備が整った。
公立高校の試験を受けた日の記憶は既に遠く、覚えている事はない。しかし合格発表の日の事はとてもよく覚えている。公立の二番高を受けると進学担当の先生に答えた以上、模試ではその公立二番高の名前を書いていたのだが、結果で合格ラインに届いた事は一度も無かった。私の中では受験した事で既に進学担当の先生との約束は果たしており、わざわざ自分の受験番号がないと分かっている合格発表を見に行く気にはなれなかった。それには落ちたところを同じ学校の生徒に見られたくないという心情も働いていたのだと思う。午前中に早い時間に発表はあったが、私が親に急かされて家を出たのはお昼を大きく過ぎた午後の時間だった。
その日、合格発表のボードを見るために学校に向かう道には散り残る桜がまださいていたのではなかったか。落ちているという諦めの心がなんとか平静を保とうとするが、「もしかしたら合格もあるのでは。」という思いも湧き上がり、興奮というか、心臓とこめかみがドキドキと脈打つ状況に陥ったという記憶がある。既に合格発表のボードの前には誰もいなかった。私はボードの前に進み寄るとボードを見上げた。ボードの書かれた受験番号を目で追っていくと、そこに私の受験番号が記されていた。
私は誰もいないボードの前で静かガッツポーズをしたのではなかったか。その頃は携帯電話もないので、近くの駅に向かい、そこにある公衆電話から家に電話をかけた。母が出てくれて喜んでくれると同時に、早く中学校に報告に行くように急かされた。そしてこの事を一番はっきりと覚えているのだが、中学校に報告行った私は担任から「何をしとったんや!」とえらく叱られた。『合格した事を伝えに来て怒られるんか!?』とその時はひどく不条理を感じたものだが、今から考えると、先生方にしてみれば、合格発表から半日以上過ぎて、みんなの報告がとっくに終わっている中、ノコノコと合格を伝えに来た私を叱り飛ばしたくなるのも分かる気がする。
続く
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