3月13日 釣りの思い出…そして父
男性であれば、いや最近は女性アングラーも多いので〝一般に〟としようか。釣りの思い出には父親の姿が浮かぶのではないだろうか。私にとって父は釣りを仕込んでくれた師匠であった。
私が幼い頃から、父が私たち兄弟を遊びに連れて行く場所は水回りが多かった。川遊びに行き、川に入って大きなたも網で川辺に生える草の下を探り、オイカワなどの魚やエビを獲ったのが今となっては鮮明に残る父の最古の思い出だ。釣りに関しては、一番最初に連れて行ってもらったの大阪に住んでいる時、若狭湾まで足を伸ばしてのキス釣りではなかったか。その後も淀川河口のハゼ釣り、和歌山県白浜でのキス釣りなどに連れて行ってもらった記憶がある。餌の付け方、オモリを付けて餌を投げる時の投げ方、釣れた時に手で触ってはいけない魚の種類。今思い返せば様々な事を父から学んでいた。その後、就職して実家を離れることになっても趣味として釣りは続けた。
北海道に生活の拠点を移してからは、小樽にハゼ釣りに、石狩湾新港にカレイを釣りに行った。そして子供が生まれ、家を建て、東京にいる両親を東京から札幌に呼び寄せてからは、また父と釣りに行った。しかし私の仕事の忙しさもあり、年に数度という頻度だった。そのうち父にも例外なく老化が訪れた。父を釣りに連れて行っても、オモリだけ飛ばしてしまったり、こごらせた道糸がほぐせなくなったりと何かと私に手間をかけさせた。それ以上に、私にとって釣りの師匠であった父が、色々な事ができなくなっている姿を見るのが辛かった。そして息子たちが大きくなり、自分の友達と遊ぶ事を優先させるようになると私は釣りに行かなくなった。
そんな父に昨年の春、癌が見つかった。十二指腸の癌だったが発見が遅れた。見つかった時には、手術は難しく年齢的にも耐えられない、として余命半年を宣告された。思い返せば胃の辺りがムカムカすると数年来言っていたが、時々病院に行き〝逆流性食道炎〟という診断の元、薬も飲んでいた事で家族にも油断があった。
死を宣告された父は、私と釣りに行きたがった。しかし実際に釣りに行く話を進めようとすると体調に不安があるのか「今回はいい」と言って断ってきた。そうこうしているうちに父の体調は悪くなりホスピスへの入院を余儀なくされた。そして昨年の11月19日に父は亡くなった。
年末年始を挟んで四十九日が終わる頃までは喪主を勤め、長男であることから目まぐるしく日が過ぎて行った。今は3月に入り、相続関係の手続きもやっと先が見えてきたところである。
そんな私にはこの春必ずやろうと決めている事がある。父の遺灰を携えて久し振りに釣りに行く事だ。天国にいる父と心の中で会話をしながら二人でゆっくりと釣りを楽しみたい。
おわり
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます