3月11日 ブラックアイスバーン

 今回も寒冷地の話である。〝ブラックアイスバーン〟という名称を聞いた事がおありだろうか。寒冷地にお住まいでなければほぼ縁のない言葉だ。また寒冷地にお住まいの方でも、いわゆる〝圧雪アイスバーン〟の上を走行された経験はおありでも、〝ブラックアイスバーン〟の上を走行された経験をお持ちの方は多くはないのではないか。私はこの〝ブラックアイスバーン〟を経験している。しかも大きな10トンダンプカーの後ろに突っ込むという交通事故の記憶と共に。


 十勝の浄水場建設工事に携わっていた約20年前の話だ。当時、単身赴任だった私は帯広市内に宿舎を充てがわれており、毎日中札内村にある浄水場の工事現場に通っていた。初冬のある朝、ポツポツと雨の降る中、私はいつも通り帯広市内の宿舎から現場を目指して車を発進させた。国道236号線に並行して一本西側を走る農道が私の通勤ルートで、北海道の道東によくある、見通しがいい直線の道路を、私はそれなりのスピードを出して車を走らせていた。道中、相変わらず雨はポツポツと降って路面を濡らしていたが大した雨ではなく、いつもの通勤風景の中に私は身を置いていた。だがいつもの風景に見えて、実はいつもとは違っていたことを後で痛感することとなる。


 道のかなり前方ではあったが、直線道路の先、十字路で10トンダンプが一時停止しているのが視界に入った。安全運転を普段から心掛けている私は、早めのブレーキを軽く踏んだ。ところがブレーキが効いている感覚を全く得られず、その瞬間異変に気付いた。すぐポンピングブレーキ(ABS普及前に必要とされたブレーキを踏んだり離したりすして制動をかける技術)を試してみたが、やはり減速する感覚は得られない。正面に10トンダンプが迫る中、私は意を決して道路から横の畑に突っ込み、ダンプへの衝突だけは回避しようとハンドルを切った。しかしハンドルを切っても車は直進することを止めない。私に出来ることは尽きたと腹を括り、耐ショックの為に足を踏ん張ると車はダンプに後方から突っ込んだ。


 よく交通事故に遭った際に状況がスローモーションになると言う話があるが、この時の私がまさにそうだった。乗っていた車がダンプ後輪の車軸の下にめり込んでいく様子、車の前がひしゃげていくのも認識できた。それらは一瞬のことではあったはずだが、まるでスローモーションのように感じた。考えるに、視界から入る情報が、意思によるデバイスを経ず、ダイレクトで脳に大量に入ってくることによって処理が追いつかなくなり、スローに感じるのではないか。

 あたりが音が甦り、先ずは身体に異変がないかを確かめた。その時、たまたま仕事の先輩からかなり古い型ではあったが、ホンダの高級車と呼ばれる車に乗り換えたばかりで、その車のお陰かボンネットこそぐしゃぐしゃにひしゃげていたが、足元も含めて、車内のスペースは確保されていた。誰かに呼ばれていることに気付き、窓の外を見るとダンプの運転手が「大丈夫か?」と声をかけてくれていた。私は慌てて車から這い出し、ダンプの運転手に頭を下げて謝罪した。ダンプの運転手は今思えば親切な方で、すぐに動き回らない方がいい、と私を路肩に座らせて警察に電話してくれた。

 私自身もやはりそれなりのダメージを受けていたのかボーッとしているうちにパトカーがやってきた。色々聞かれる中、当然ではあるが「どうして後方からダンプに突っ込んだのか?」という話になった。私は「急にブレーキが効かなくなりまして。」と正直に答えた。しかし警察官が怪訝な顔をしている。私は信じてもらおうとブレーキを踏んでも効かなかった状況を説明し始めた。すると警察官が「後ろ見てみろ。」と言って顎で指し示した。私が事故現場から伸びる道路を見てみると、黒い路面の上に、遥か遠くまで続く淡いブレーキ痕が残っていた。呆然としている私にその警察官が言った。「ブラックアイスバーンなのにスピード出し過ぎたんだべさ。」私はようやく事態が飲み込めた。

 しゃがんで確かめてみると、スケートリンクのように平滑な氷の層が、道路の表面に出来ていた。触ってもみたがツルツルで、意外と厚く、3〜4ミリの厚みはあるように見受けられた。私が初めて見たブラックアイスバーンだった。


 ブラックアイスバーンは次のようなメカニズムで出来上がる。

①冬季に乾いた路面に雨が降り、路面を濡らす。

②その路面を濡らした雨が寒さで凍る。

③ポツポツと降る雨が凍った路面の上でさらに凍る。

※多分ザーツと降り続く雨なら溶かされてこうはならないのではないか。


 そしてこのブラックアイスバーンの怖いところは、見た目では路面が濡れているようにしか見えない事。そして圧雪アイスバーン以上に表面がツルツルに、誇張ではなくスケートリンクのようになる事だ。


 その後の事も少し記しておく。ダンプの運転手に、壊れたところは保険で直させてくださいと申し出たが、大した影響は無いないとその場を立ち去られた。警察官に冬道運転には注意するようしぼられた後、私は足もなかったので、動かすとキイキイ音が鳴ったが大破した車で現場に辿り着き、上司から先ずは怪我がなかった事に安堵された後、厳重注意を受けた。


 あれから20年近く経ったが冬道を走行する時に必ず気をつけている事がある。路面が濡れているように見える時には、スピードを抑え、軽くブレーキを踏んであのブラックアイスバーンではないかを確かめるのだ。あの時はやはり自分は幸運だったと思われ、次に同等の事故を起こした時に命の保障はないと肝に銘じているからだ。


おわり

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