第二話「バイオレットフィズ」(2)
「高槻さんは、バーテンダーを務めて長いんですか?」
「ここに勤めてからになるので、三年目になります」
「カクテルを作るのって、種類が多そうですごく大変そう」
「そうですね。一説には数千種類あるそうです」
「そんなにあるんですか?僕が見た限りだと、高槻さんがお客さんのオーダーに困ってる姿は見たことない気がします」
「この三年の間に、ここのオーナーに叩き込まれたお陰でしょうか。一般的によく耳にするようなカクテルだと、困らずには作れると思います」
「へえ。すごいな」
この日も、二人の会話は穏やかに続く。時折、司や他のカウンター客からのオーダーに応える彩音の姿を、その客は飽きもせずに見つめていた。
「――今日もすっかり話し込んでしまいました。すいません」
「いえ。楽しいお話をありがとうございました」
前回と同じく、カウンターに着いてから二杯目のグラスを空にしたタイミングで、その客は退店の意思を見せる。
楽しいお話を、と返した言葉は、やはり営業用の文句ではなかった。まだよそよそしさがあるものの、少なくとも彩音の中でその客は、店内で見かければ話しかけようと思うくらいにはなっていた。
「差し支えなければ、高槻さんの下のお名前を聞いてもいいですか?」
支払いを終え、身支度を整えたその客が、最後に彩音に問う。
前回に名前を聞かれたときとの既視感、少しだけ打ち解けた雰囲気に、彩音はその客になら名前を教えてもいいかという気分になった。
「彩音です」
「アヤネ、さん。どんな漢字を書くんですか?」
「
「―――、」
彩音の名前の漢字を聞いた瞬間、その客が小さく驚いたように息を呑んだ気配がした。
「…どうか、しましたか?」
「――いえ。あなたに良く似合う名前だと思って」
「………」
それは、『ピアニストらしい名前だ』と言われた気がして、彩音は心の中で苦笑する。
「僕は好きです。あなたの名前も、あなたの奏でる音も。――ごちそうさまでした。また、来ます」
その客は微笑みを見せて、エウテルペを後にした。
「…あ。また名前、聞きそびれた」
次こそは忘れずに聞いてみようと思い直し、その客が空けたグラスを下げようとしたときだった。
「彩音。やっぱりお前、ああいう感じの男がタイプなんだろ」
「…にやにやしないでくださいよ、オーナー」
「お。まんざらでもないって感じか」
「………」
冗談だったとしても一度は好みのタイプかもしれないと思ったことは事実だ。それを読んだかのような優希の態度に、下手に言い訳すると分が悪いと彩音は判断し、沈黙を貫くことにした。
「うちのピアニストに目をつけるとは、あの客も良い目をしてる」
「………」
「おまけに、ありゃモテる男だ。そんな男を虜にするなんて、彩音も隅に置けねえなあ」
「………」
「おい、彩音。あの客は絶対お前狙いだぞ」
「それには俺も同意しますね」
「わっ」
またも突然として会話に入ってきた司の声に、彩音は驚く。
「接客がいったん落ち着いた感じがあるので、中、手伝います」
そうして司はするりとカウンターの中に入り、手際良く食器の片付けを始めた。
「ほら、彩音。司も同意するってよ」
「ただ、口説き方は少々キザすぎる感じがありますけどね」
「またそれが女にウケるんだろ」
「なるほど」
「…二人とも、そろそろ怒りますよ」
そんな三人のやり取りを遠目で見て笑う、優希と親しい常連客たち。
優希と司のせいで、変に意識しないように、と自分に言い聞かせる彩音だった。
第二話「私を覚えていて」
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