後悔

 イルがメリクと話している時、その後ろで賊はほっと息をついていた。自分から売った喧嘩とはいえ、まさかあんな展開になるとは思わなかった。先ほどの気迫、ただ者ではない。


 それに、さっき青年が顔を近づけてきた時――彼は見た。


 鋭く尖った目付きの上、長い前髪で隠すように。


 特徴的な意匠の額当てを彼がしているのを。


 そしてそれは――まるで、二本の角が生えた動物の額のようで。


 額当て全体は細い布状だが、中心部には金属板が縫い付けられていた。その金属にふたつの小さな突起が付いていて、それが角のように見えるのだ。


 随分と印象に残る意匠だ。戦闘中は散々動いて髪なんて乱れ放題だったのに、それに気づかなかったのが不思議なほどに。


 そしてその額当てを付けた青年の姿は、動物ではないを想起させた。が何だったのか、具体的には思い出せない。もう少しでその名前が出てきそうなのに喉元で突っかかってモヤモヤする。思い出せないのに、記憶の糸を手繰れば手繰るほど言いようのない嫌悪感が背中を這って近づいてくる。


 けれど。


「お頭ぁ……。俺たち、これからどうなるんでしょう……」


 意識を取り戻した仲間のひとりが話しかけてきて、


「牢に入って……。その後は、どうなるんだろうな……」


 賊の頭である彼はそれに答えた。


 それだけ。

 たったそれだけ。


 ほんの数秒、短い会話の一往復。

 書き起こしてもせいぜい二、三行。


 その短いやり取りの中で、賊の頭は青年の額当てに感じた違和感を――いや、違和感だけではない。


 特徴的な額当てを見たことさえも忘れていた。忘れたことも忘れていた。


 誰かが机の染みを拭き取ったみたいに、きれいさっぱり、何も見なかったことになっていた。


 彼は自分が妙に汗をかいていることに気づき、「まあさっきまで緊張してたしな、というか今もか、これから捕まるんだしな」と特に不思議に思うこともなく受け入れた。そして仲間との会話に戻っていった。


「俺も魔法が使えたらなあ。もっとまっとうな道を生きれてたのかなぁ……」


 賊の頭はぼやき、


「ンなワケねェだろ、魔法が使えようが使えまいがまっとうに生きるヤツは生きるしそうじゃねェヤツはそうじゃねェ。自分の人生を魔法のせいにしてンじゃねェよ」


 いつの間にかまた近くに座って彼らを監視していたイルは間髪入れずに言い放った。


 その言葉に思わず賊は言い返す。こういう短気な性格のせいで、まともな職にありつけても続かないのだと自覚しながら。自覚はあるけれど――自覚のない「持つ者」の言葉には噛みつかずにはいられない。


 縛られ地面に転がされながらも青年を見上げ、


「はっ、魔法使いカラーのお前になにがわかる。お前らはいいよな、たまたま精霊様に愛されたってだけで職に困ることもねえ。俺だって軍に入って魔人をぶっ殺したり王国警備隊に入って悪者ぶっ飛ばしたりしたかったさ」


「なンだそれ、暴れたいだけじゃねェか。だったら組合ギルドにでも入ればよかっただろ」


「うるせえ! そうじゃねえんだよ」


 賊は地面を睨んで歯噛みした。その表情が本当に悔しそうで――何か言おうとしたイルは言葉を飲み込んだ。


「……十年前、お前の村が潰された時。まだ子どもだった俺も、こんなことは許せない、大きくなったら魔王を殺す、魔人どもを根絶やしにするって息巻いてた。軍に入って魔王を殺す勇者になるんだってな。けど……俺は軍に志願することさえできなかった」


 あァ、と青年はため息をついた。


 彼が軍に入れなかった理由。わかりきったことだ。


 どれだけ運動神経がよかろうが体力があろうが。あるいは勉学に優れていようが、どんな名家に生まれようが。あるひとつの才能がなければ前線に出て戦うことはできないのだ。


 魔法。


 千年前に教祖・シリウスが賜った不思議な力。精霊に愛された一部の者にしか使えない能力。


 それがなければ軍へ入隊するどころか、王国直下の仕事のほとんどに応募すらできないのが、このライラプス王国だった。


「俺には魔法の才能がなかった。前線に出ない、非魔法使いクリアでもできる軍の補助の仕事ならいくつも紹介されたが、それじゃあ意味がないと思ったんだ。それで魔法の修行に長い時間をかけたが……今思えばあれがよくなかったんだろうな。気づいたらこのザマだ」


 自嘲気味の笑みを浮かべて視線を逸らす。


 何とはなしに向いたその先には、小さな野ネズミがいた。弱り切って、もうまともに動くことさえできないような。そしてその命が尽きるのを待つように、小さな虫たちがその周りを囲っている。


 「その時」を早めようとしているのか、時折虫は野ネズミに向かっていった。けれどいくら小さいとはいえネズミと虫だ。虫はすぐに払い落とされたが、また周囲を取り巻き隙を伺うかのようにうごめいていた。


「あの時、すぐに諦めるのが正しい選択だったんだろうな。けど、俺は魔法が使えないと認めたくなかった。……はっ、今さら昔のことを後悔してもどうしようもないがな」


 全て手遅れだ、という言葉はぽつりと地に落ちた。


 その先で、また一匹の虫がネズミへ突撃していった。ネズミは身震いし地面を這いそれを振り落とそうとするが、虫は必死にかじりついている。それを見て他の虫たちもわらわらと群がってきた。


「……はあ、本当にどうしようもない話だ。なんでこんなこと話したんだろうな」


 賊の頭は軽く目を瞑ってため息をついた。それを見たイルは、


「……俺はまだ、自分の行動を後悔したことはねェけどさ」


 しゃがんで野ネズミをすくい上げた。傷つけないように優しく虫を払い落し、その手のひらに黄緑色シャトルーズの魔法陣を浮かべた。


 魔法は使えないけれど――それが治癒の魔法だということを、彼は知っていた。


「前に知り合いが言ってたことがある。『過去を思い返して後悔するのは、よりよい未来を進もうとしてるからだ』って、そんな感じのことをさ。だからオマエが今そういうことを考えンのも、昔魔法の修行をしてたってのも、全部無駄でもなンでもねェんだろ。いつかきっと役に立つよ」


 それに、と言ってイルは野ネズミを地に放した。すっかり元気になったネズミは一瞬恐る恐る左右を見渡し、すぐにどこかへと駆けて見えなくなった。


「俺のやってることなンてただの自己満足だ。例え魔王を殺したって、勇者なンかにゃなれねェよ。こンな復讐よりもっといい選択肢があるのはわかってるし、だから他の人間を巻き込んじゃいけねェとも思ってる。……その、だからなンだ、アレだよ」


 ネズミの消えた先を見つめながらイルは言葉を探した。

 賊の頭は再び顔を上げ、その姿を見つめた。


「オマエにはオマエにしかできねェことがきっとあるから。それを探して前に進んでいけば、いつかきっと後悔なく生きていけンだろ」


「俺にしかできないこと、か……」


 賊はその言葉を反芻し沈黙した。何か考えるようなそれを、イルは雪の積もった大樹のような目で静かに見つめた。冬の寒さに耐え、ようやく緑をつけた巨木のような目で。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る