開戦


 時折木の根に躓きながらも、少年は足を止めなかった。嫌な予感が止まらない。家族が、村のみんなが心配だった。


「お兄ちゃーーん。どこーー。どこなのぉー」


 どれくらい走っただろうか。突然見知った声が聞こえ少年は足を止めた。声の方に近づき木々の間に妹の姿を見つけた彼は、跳ねるように駆け寄った。


「ターシャ! よかった、だいじょぶか!?」


「お兄ちゃん! よかったあ、またいないし、ここ、きちゃだめなんだよぉ! それに、さっき、ドカーンってなるし……。うええええええん!!」


 彼女はまた姿を消した兄を探しに来たようだった。森の中に独りきりで元々泣く寸前といった様子だったが、兄の姿を見て緊張の糸が切れたのだろう。わんわんと声をあげて泣き出した。少年はその頭を優しく撫でる。


 ここにたどり着くまでに何回転んだのだろうか。少年と同じ灰色の髪には木の葉が付き、肌は擦り傷や切り傷でいっぱいだった。それは少年も同じようなものだったけれど――その姿を見て彼まで泣きそうになる。


 けれど重傷ではない。少年は妹の手を引いた。


「ごめんターシャ、心配してくれたんだな……。俺、もう勝手にいなくなったりしないから。今はとにかく村に戻ろう。みんなが心配だ」


 妹はこくんと頷いた。ふたりは手を繋いで走り出した。


 地面に足を取られ、鋭い葉に肌を切り裂かれながらも前に進む。段々と木々の隙間が開けてくる。村に近づいているのだ。


 それに比例するように空気が乾き、熱くなっていく。鳥が、虫が、あらゆる生き物が森へ向かって駆けていく。兄妹はその流れに逆らうように走った。


 走って、走って、走って――。


 少年は突然足を止めた。後ろを走る妹がぶつかって「お兄ちゃん!」と小さく叫んだが、彼には聞こえていなかった。


「なんだよ、これ……」


 少年の村は特別豊かというわけではない。名所とか名産を聞かれると少し困るような、よくある村。人間より家畜の数の方が多くて、多くの家庭がその肉や毛皮を売って暮らしている。

 けれどその平凡さが少年は気に入っていた。犬と一緒に家畜を追い立てた後、草むらで転げまわる時間が好きだった。


 毎日家の仕事の手伝いをして、週に何度か教会に読み書きを習いに行って、年に数度のお祭りではしゃぎまわる。そんな生活がいつまでも続くと思っていた。この村で大人になって一生を過ごすのだと、そう思っていた。


 その、村が。


 燃えていた。


 ゴウゴウと音を立てて燃えていた。

 真っ赤な炎を噴き上げながら燃えていた。

 木や肉の焼ける香りをまき散らしながら燃えていた。


 少年はそれを呆然と見つめていた。


 緑の目が、灰色の髪が、真っ赤に染まる。


「なんなんだよこれええええぇぇぇ!!!」


 目の前の光景を拒絶するように。

 燃え広がる炎を吹き飛ばすように。


 灰と熱の混じった空気を思いっきり吸い込み、声の限りに叫ぶ。


 けれど答える人はいなかった。




 ♢ ♦ ♢




「こちらでしたか。探しましたよ」


 少年が立ち去った部屋にひとりの女性が現れる。彼女は先生に向かって話しかけたが、話しかけられた方はそちらを見なかった。まだ少年の背が見えているかのように、彼が出ていった方角を見つめている。


 女性は気にせず近づいた。簡素な服の上で、胸まである長い黒髪が揺れる。――いや、揺れているのは髪だけではない。


 スカートの上部に空いた穴。そこから伸びるのは紛れもない獣の尾だった。


 フサフサという表現がぴったりの、毛が密集した太い尻尾。全体が焼き立てのパンみたいな色で、先端だけ白い。


 ――そう、まるで。狐の尻尾みたいに。


「どこにいるかと思ったら、まさか目標の一番近くにいるなんて。外れたらどうするおつもりだったんです」


 彼女の言葉に合わせて尻尾が左右に動く。先生はようやく振り返った。


「メッサか。まったく、付いてくるなとあれほど……」


「あら、探したと言ったでしょう。付いてきたわけではありません」


 女性は悪びれずに言う。その様子に先生は頭を抱えた。何かを諦めたかのようにため息をつく。


「はあ、まあいい……。状況は」


「はい。狙撃は成功。流星魔法は村中心部に命中、家屋は半数以上が瓦解し現在燃焼中です。死傷者数はまだ判明していませんが、半分以上は死亡と見ていいでしょう」


 女性は姿勢を正しよどみなく答えた。先生は頷き、


「よくやった。この距離から当てるとは。やはりよい腕だ」


「そのことですが……。古代魔法ロストマジックで力を使い果たしたのでしょう。術者ダレンは先ほどマナに還りました」


 術者の死亡を知らされ、先生は眉間に手をやった。小さく呟く。


「そうか……。惜しい男を亡くしたな。かなりの古参だったが……」


「はい。しかし近年は侵攻の機会も減ったため、最期に大規模な魔法が使えたと喜んでいましたよ」


「彼らしいな。あれほどの翼竜はそうはいまいだろうが……。後任は見つかりそうか?」


「休眠中の者も含め、候補は何人か立てさせてあります。ただ、かなり幼い者も混じっているようなので……。支障がないのであれば、即決する必要もないかと」


 そうか、と頷く。そして大股で玄関へと近づき扉を開け放った。


 外の空気が一気に室内へと流れ込む。村の熱気はここまで届いていた。もしかしたら森にも火が移ったかもしれない。


 熱風に髪をなびかせ、先生は一歩踏み出した。女性もそれに続く。


「――開戦だ。戻ろう」


「はい、魔王様・・・


 ふたりの足元に真っ青な魔法陣が広がる。


転移魔法テレポーテーション


 ――シュンッ。


 女性の始動語に合わせ、軽い音と共に二人の姿が消える。


 舞い散る青い光の粒が場違いに輝いていた。

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