第1話 アルタイル

馬車と盗賊

 馬車の中でアリィは分厚い本を取り出した。息子が灰色の瞳を光らせ、わくわくした顔でそれを見てくる。


「おかーさん、早く早く!」


「あぁほら、メリク、落ち着いて」


 振動で馬車が揺れ、アリィはメリクを抱き寄せた。


 彼女たちが使っているのは乗り合いの馬車だった。玄関街・ラスタバンへ向かい西へと進むもの。


 前に進むたびに左右に揺れ、決して乗り心地が快適とは言えない。魔法で都市間を繋いでいる転移門と違い時間もかかる。けれど一般庶民にとって、これはよくある移動方法だった。なにしろ転移門は一回の使用で数年分の稼ぎが飛ぶほど高額なのだ。


 砂利か何かを踏んだのか、また馬車が揺れる。片方から長く垂らした灰色の三つ編みが跳ね、アリィは軽くそれを押さえた。


 けれどまだ身体の小さい息子はもっと大変だ。お尻を跳ねさせ半ばべそをかくメリクの頭を優しく撫でつつ、アリィは丁寧に本を開いた。


 表紙にあるのは蜷局とぐろを巻くドラゴンと吠えたてる大きな犬。この国、ライラプス王国を象徴する絵柄。


 その本に書いてあるのはこの国の人間なら誰もが知る歴史であり伝説だった。ある程度の年齢になれば皆そらんじられるくらいだったが、息子に読み聞かせる手前、何か間違いがあってはいけない。


 彼女はゆっくりと文字を追った。




 ♢ ♦ ♢




 今よりはるか昔、人間たちはまだ魔法が使えませんでした。そのうえドラゴンや魔狼などの大型魔獣モンスターが闊歩しており、怯えながら暮らす毎日でした。


 それを変えたのが教祖シリウス様です。


 シリウス様は生まれながらにして、精霊様たちと交信することができる特別な存在でした。そしてそのお力が認められ、精霊様より「魔法」を授かりました。


 シリウス様が授かった魔法は、魔獣たちが使うものとはまったく異なる、清廉で神聖な御業でした。


 心優しきシリウス様はその御業を人々にも教え伝え、旅すがらに魔獣を退治する勇敢なる仲間を募りました。その呼びかけに応え集ったのが「十輝星」の人々です。シリウス様と十輝星を中心に民は力を合わせ、魔獣を次々に退治し、邪悪なる獣はこの世から姿を消しました。


 しかし皆が喜び平穏に暮らしたのもつかの間、今度は魔人という存在が現れました。彼らの姿は私たち人間にそっくりですが、角や翼、尻尾など、人間にはあり得ない部位がありました。


 その正体は、狡猾なる魔獣が人の姿を真似た紛い物だったのです。


 そして悪辣なる彼らは我らの姿を真似るだけでは飽き足らず、非道にもシリウス様が精霊様から授かった魔法を盗み、それを使って人間の虐殺を始めました。


 再びシリウス様と十輝星を筆頭に我々はそれに対抗しましたが、決着はなかなか着かず、今に至るまで争いが続いています。


 シリウス様亡き後、民の心をまとめるため、全ての民が幸せに暮らせる国を作るというシリウス様の理想を守るため、生まれたのがこの「シリウス魔法教会」です。


 今から1000年ほど前のお話です。




 ♢ ♦ ♢




 そこまで読んでアリィはパタンと本を閉じた。メリクがせがむように服を引っ張る。


「ねーえ、次は? シリウス様が魔獣倒すとこ! 最初の方はつまんないから読まなくていいって!」


「なに言ってるの、御本は最初から順番に読まなきゃダメでしょう。――ごめんなさいねぇ、うるさくして」


 息子を嗜めつつ、向かいに座る青年に軽く謝る。彼女が本を閉じたのは彼がチラリとこちらを見てきたからに他ならない。アリィの言葉に彼は「いえ」とだけ答え目を逸らした。


 彼女はこの馬車の向かう先、ラスタバンの街で宿屋を営んでいる。主人と息子のメリクと経営しているその宿はそこそこに繁盛しており、それは快活なアリィの性格もあってこそだった。


 ラスタバンで泊まる場所に迷ったら、アリィの宿にするといい。長いおさげのアリィがきっと旅の疲れも吹き飛ばしてくれる。


 周辺ではそう言われるほど、アリィは自他ともに認める明るく元気な人間だった。


 だから、馬車に相乗りして向こうがひとりだとみれば、普段なら年や性別など気にせず話しかけるところなのだが。


 彼女はそうしなかった。


 向かいに座る青年、歳は十代後半くらいだろうか。髪の毛はよくある灰色でボサボサと跳ねまわっている。服装は動きやすさ重視の簡素なものだ。丈の長い上着は肘の部分に厚布で補強がされていて、ズボンも同じように膝が補強されている。年間を通して肌寒いこの国では特に珍しくもない格好。


 だから、それだけならどうってことないのだけど――この青年、剣を背負っていた。左腕には丸い盾。


 武器の所持は禁止されているわけではないが、この辺りでこうも堂々と持ち歩く人間は多くない。制服や腕章をしていないから、「軍」や「王国警備隊」の者というわけでもなさそうだ。


 魔獣狩組合ギルドの者か――あるいはただの荒くれ者か。


 それになにより、彼の目つき。


 鋭く吊った目は馬車に乗ってから今に至るまでずっと、どこか遠くを睨んでいるようで。


 その中の灰色がかった緑色の瞳は、的を絞るように小さく、射貫くようで。


 アリィは内心、かなり彼のことを警戒していた。


 この道は最近賊が出るとの噂もある。なにかあった時に息子を守れるのは自分しかいないのだ。


 彼女がそう決意を固めた時。


「止まれ!!」


 馬車の外に怒声が広がった。馬の嘶きが響き、馬車が突然失速する。アリィとメリクは反動で壁に頭をぶつけたが、青年の頭部は動かなかった。「なんだ!?」と叫び外に飛び出していく。


「あんたはここにいなさい! いい、絶対に外に出ちゃダメよ」


 どうするか迷って、アリィも外の様子を見ることにした。息子に馬車の中に残るよう言い聞かせる。もっと駄々をこねるかと思ったが、メリクは意外と素直に頷いた。いつの間にか状況がわかるくらい大きくなっていたらしい。


 けれど感慨にふける時間はない。そっと扉を押し開け様子を窺う。


 飛び出した青年は馬車の少し先で足を止めていた。そして、その背の先には道を塞ぐようにひとりの男が立ちはだかっている。手には大きな鉈を握り、それを青年に――つまり自分たちの方に向けている。


「おい、兄ちゃん、背中の剣を捨てな! 殺されたくなかったらなあ! そこの御者、積んでるのは人間だけじゃねえだろ! 荷物を全部降ろしな、そしたらこの馬車もお前らもそのまま通してやるよ」


 男の後ろからドカドカとその仲間が走ってくる。十人はいるだろうか。囲まれるのは時間の問題だろう。


「チッ、積荷目当ての賊か。めんどくせェ、囲まれる前に――」


 言うが早いが、青年は立ちはだかる男との距離を詰めた。


 ――ゴギィッ!


 直後、鈍い音とともに男の右腕がおかしな方向に折れ曲がる。


 青年が背中の剣を抜き彼の腕を叩き折ったのだとわかったのは――持っていた鉈が地面に落ちてからだ。


「痛ってぇーー! テメェ、」


 青年の剣が頭を打ち、男は台詞の途中で気を失った。


「……まだやるか?」


 その鋭い目で青年は後ろの賊を睨む。彼らは顔を見合わせたじろいだ。

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