十年後

「――すっごい」


 馬車の影でアリィは呟いた。これなら、賊はこのまま退いてくれるかもしれない。


 けれど現実はそう甘くはなかった。


「動くな」


「ひっ」


 突然腕を後ろに捻られ、首元に剣がつきつけられる。彼女は声にならない悲鳴を上げた。


 犯人が賊の一味だなんて、振り返らなくてもわかることだ。アリィはそのまま青年の前まで引っ張られた。


「そこの兄ちゃん、武器を捨てな。多少腕が立つみてぇだが……変なことをしたらこの女がどうなるか、わかるな」


「……チッ」


 青年は舌打ちとともにこげ茶色の剣を捨てた。忌々しそうに睨まれ、アリィは縮みあがった。下手をしたら賊よりも圧がある。


「よし、いいぞ。お前、兄ちゃんを押さえてな。そこのふたりも兄ちゃんを見張ってろ。もうひとりは他の連中を。と言っても、御者と子どものふたりだけか」


 テキパキと指示が出され、賊は「はい、お頭!」とそれに従った。アリィを取り押さえたのは彼らの頭らしい。


 賊のひとりが馬車に駆け寄る。中には息子がいるのだ、アリィはどうにか拘束から逃れようともがいた。振り返って彼に頼み込む。


「やめて! お願い、息子には手を出さないで! まだ子どもなのよ!」


「おとなしくしていればな。おい、静かにしろ」


 彼は冷たく言うと、暴れる女性を押さえつけて剣を首に近づけた。


 その時だった。


目を離したな・・・・・・


 青年は二十歩以上は離れた場所にいたはずだった。それが、彼の目の前に移動していた。


 アリィは彼がいたはずの場所を見た。


 そこには青い光の粒がキラキラと舞い、青年を押さえていた賊が「あ、あれぇ」と間の抜けた声をあげていた。


「――魔法!」


「遅せェ」


 賊はアリィを掴んだまま反射的に一歩引こうとした。彼の剣を持った方の腕を掴み、青年は自分の方へ引っ張った。その力で賊が体勢を崩しよろめいたのを青年は見逃さなかった。


「オラ」


 柄の悪い掛け声とともに、空いている方の手で思いきり殴る。


「ぐわぁっ」


 殴られた方はアリィを放して吹っ飛んだ。鼻と口から血を流す姿は見るも哀れだ。


 青年は素早く彼に手のひらを向けた。呪文を唱えてもいないのに、賊の下の地面に緑色グリーンの光が集まり魔法陣を描く。


蔓魔法ヴァイン


 始動語と共に魔法陣は強く輝き、スルスルと蔓が伸びてくる。それはたちまち賊に巻き付き拘束した。


 賊はそこから逃れようともがいたが、蔓の締め付けが強くなるだけだった。歯ぎしりをして叫ぶ。


「お前、無属性魔法ホワイトでこの魔法陣を壊せ! 他の奴らはその支援を!」


「おう!」


 賊のひとりが軽く目を瞑り、手のひらを緑の魔法陣に向けて魔法を唱え始めた。ゆっくりと白い光が集まり魔法陣が形成されていく。


 それを守るように、ふたりが彼の側に立つ。残りは青年を取り囲んだ。


「チッ、上を捕まえりゃ終わるかと思ったが。意外と冷静な判断するじゃねェか」


「ふん、そう簡単に捕まるわけにはいかないのでな」


 苦々しい顔の青年に対し、賊の頭はどこか余裕ともとれる表情を浮かべていた。蔓に縛られながらも不敵な笑みを浮かべている。


「兄ちゃん、腕が立つならわかるだろ。戦いってのは数がものを言うんだぜ。どうする、今のうちに降参するなら命までは取らねえぜ」


「随分くだらねェこと抜かすンだな。この千年、何倍も数で優位な戦争が終わってねェのを知らねェのか?」


 青年の眼がギラリと光る。けれど賊の態度は変わらなかった。


「魔人との戦争を言ってるのか? 馬鹿か、人間様とあんな化物どもを同じにしてんじゃねえよ。魔獣から生まれ自在に魔法を操る怪物ならともかくな。俺も人間、お前も人間。ひとりひとりの力が同じなら足して数が多い方が勝つ、当たり前だろ?」


「相手が化物だから……勝てなくても仕方ねェって言うのかよ」


「はあ? なんの話を……」


 青年が握った拳を震わせる。


 賊から解放されたアリィは息子とともに馬車の影に隠れていた。青年との距離は十歩以上離れているのに、その怒気はここまで伝わってくる。


「十年前! 俺の村はなァ! 魔人どもに潰されたんだ! アイツらに全部壊された!!」


 怒りを解放するかのように青年は叫んだ。その声は悲痛に満ち溢れていたが――周囲の人間の心は動かされなかった。むしろ困惑した声で話し出す。


「なんだそれ。魔人だなんてもう伝説とかおとぎ話みたいなモンだろ。七百年前じゃあるめえし。ガキの躾けでしか言わねえよ」

「いや、そういや昔そんな話がなかったか? どっかの小せえ村が襲われたって」

「んなもん、どうせ噂に尾ひれがついただけだろ。実際は火事とか嵐とかに決まってる」


 賊は口々にそう言ったが、馬車の影でアリィは思い出していた。


 十年前のあの・・事件のことを。


 知らず知らずのうちに目が見開かれ、漏れた言葉は、


「エダシク村の生き残り――!」


 青年の魔法に捕らわれている賊もその事件を思い出したようだ。一瞬驚いた顔をしたが彼のせせら笑いは消えず、小馬鹿にするように言う。


「はっ、そういやあったな、十年前にどこぞの田舎村が魔人に潰されたって話が。お前はそこの生き残りってわけか。――で、だからどうした」


 青年の怒気を捻り潰すように語気を強める。


「お前の半生はわかったよ。魔人に生まれ故郷を潰されたんだ、そりゃああいつらを恨んで当然だな。で、それが俺らに何の関係がある。お前が消えた村の出身だろうと貴族の生まれだろうと、この状況は変わらねえんだよ。お前はこの人数差に負けて死ぬ。それともなんだ、『僕は魔人に故郷を潰された可哀想な人間なんです、だから見逃してください』とでも言うつもりか?」


「まさか。誰が『可哀想な人間』だよ」


 青年の腕が上がる。一本立てた人差し指は立ちはだかる賊を――いや、その先の街を、国を指差していた。


「この道を進めば玄関街・ラスタバン。さらに行けば前線都市・アダラ。そしてその先には――魔人の国・テウメス。俺はテウメスに行く。魔王を倒して、そンでこのくだらねェ戦争を終わらせる!」


「はっ、言ってろ、てめえの人生はここで終わりだよ! やれ!!」


 賊の頭は叫ぶ。いつの間にか仲間の魔法陣は完成していた。神々しい白色ホワイトの光に手元を彩られ、賊のひとりは魔法を放った。


弾丸魔法マジックバレット――!」


「知ってるか?」


 突如――魔法を放った賊はギョッと視線だけをそちらに移した。目の端に自分を守るように立っていた仲間たちが倒れていくのが映る。思わず青い燐光を探すが見当たらず。


「コイツ、まさか身体能力だけで――!?」


「魔法陣を壊すには――意味ねェンだぜ」


 ――ドンッ!


 魔法の弾丸が賊の頭を縛っている魔法陣にぶつかり、土埃が空中へと跳ねあがる。賊の頭は目を瞑りゴホゴホとむせ返った。


 彼が恐る恐る目を開け地面を確認した時――、緑色グリーンの魔法陣は変わらず燦然と輝いていた。


「クソッ!」


「フッ!」


 彼が毒づくのとほぼ同時に、青年が魔法を放った男を殴り上げる。


 魔法を放った賊は決して小柄ではない。むしろ平均より身長は高く、全身に筋肉がつき引き締まった身体をしている。


 その身体が、軽々と吹き飛ばされた。彼より背の低い青年の手で。


「クソ、これならどうだ!?」


 別の賊が細長い杖をこちらに向ける。その瞬間、杖の先端に黄色イエローの魔法陣が浮かびあがった。


魔法道具マジックアイテムの力を見ろ! サンダー――」


「おっせェよ」


 振り返った青年は剣を握っていた。アリィが捕まった時に一度捨てたはずの剣を。賊がそれを不思議に思う間もなく、青年が剣を一振りする。


 その一撃で魔法陣は切り裂かれ、光の粒は大気中へと霧散した。


「なんで、魔法じゃないのに――。それにその剣――」


 青年の剣が頭を打ち、彼は最後まで言い切ることができなかった。


「……」


 無言で振り返り、青年は賊たちを睨みつける。


 彼らはたじろぎ互いに目を合わせあった。武器を持つ手が少しずつ下がり始める。


 けれどそんな彼らを叱咤するように、誰かの声が響き渡った。


「やれーーっ!! 全員で襲い掛かれ!!」


 それは頭の声だった。魔法の蔓に捕らわれ地に伏しながらも、彼の眼は光を失っていなかった。


 その声に鼓舞され、賊たちの武器を持つ手に再び力が入る。


「ウオオオオォォォーーーー!! やっちまえ!!!!」


 彼らは雄叫びを上げ一斉に青年へと襲い掛かった。


「……チッ」


 小さく舌打ちをしただけで、青年は何も言わなかった。

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