ならばあと何度?
♢ ♦ ♢
『その日の朝早く、国からの使者が来ていた。――見たことのある光景だった。そして彼らは告げた。僕が次の贄だと。僕は、僕は――ドラゴンを問い詰めた。また贄になるなんて聞いていない、僕に魔法を教えたいから次の生をくれたんじゃないかと』
漂うシリウスの瞳は真っ暗だ。暗い雪景色は恐ろしく寒い。凍える雪を積もらせるように言葉を紡ぐ。
『ドラゴンはそうだと頷いた。そして言ったんだ。自分は他のものの肉と魔力を喰う。それらは洗練されて――つまり高位の魔法が使えるほど美味くなる。だから僕に魔法を教えたんだと』
降り積もった雪が溢れ出す。
イルはまた、その小さな頭を引き寄せた。その動きに合わせてシリウスは肩に顔をうずめた。
『僕は
そう語る背中を抱きしめようとした腕が半透明の空を切る。イルの瞳にもまた、暗い雪が降り積もった。
触れない背中に手を置きなおして、イルは眉を下げた。
「そっかァ……。お前は自分の命よりも他のみんなの命を選んだンだな。偉いな。俺も見習いたいくらいだ。なかなかできることじゃねェよ。頑張ったな……」
『グスッ……。え、偉くなどない……っ!』
嗚咽混じりシリウスが叫ぶ。イルはそれにゆっくりと問い返した。
「どうして? 俺は充分立派なことだと思うけど……オマエはどォしてそう思うんだ?」
『だ、だって…………』
鼻をすすって肩を震わせる彼の言葉をじっと待つ。
外では風が吹き荒れる中、外界から隔絶されたこの部屋はただ静かだった。
『ドラゴンの望む美味い飯になるために魔法を学ぶ。他の者のために、この命を捨てる。そう思って、何度も喰われて……。だけどそんなの……、五回が限界だった! グスッ、僕は他の者のために喜んでその命を投げ捨てられるような、そんな優しい人間ではなかった! そんな立派な人間には、なれなかった……。僕は……僕の命で生き長らえる人々に嫉妬した。生まれ変わるたびに成長し大人になっている僕の弟やその子どもに嫉妬した。それに……何度殺されても噛み砕かれるときの痛みや恐怖は消えぬし、慣れることはなかった! 六度生まれ変わる頃にはひたすら死にたくないと怯え、七度目に殺された時に僕は決意したのだ。ドラゴンを殺そうと』
あァ、と思う。あまりに過酷な運命にため息が出そうになるのを堪え、穏やかに彼の言葉を反芻する。
「始めはみんなのために、って思ってたけど、途中からつらくなっちまったンだな……。だから立派なンて思えねェのか。そっかァ……。本当に、よく頑張ったな。……うん、オマエは自分のこと偉くないって言うけど、俺は本当にすごいと思う。ひとりで、何度も何度も……。殺されるってわかってて、それでも繰り返したンだもんな。誰にでもできることじゃない。尊敬するよ、シリウス様」
左側の肩をポンポンと叩き、ちょっと待っててなと彼に言う。小さな魔王は何も言わずにそっぽを向いた。
そして両の腕を半透明の背中に回す。触れないとわかっていても――そうせずにはいられなかった。
「――アァ。本当に。触れたらよかったンだけどなァ。そしたらオマエの体温を感じられたのに。ひとりじゃないって伝えられたし、その雪を解かすこともできたのに。俺も千年前に、オマエと同じ時代に生まれてたらよかったのに、なァ……」
『っ! ~~~~!!』
その言葉にまた、雪解け水が溢れ出す。
円形の部屋に咽び泣く声が静かに響く。
その声が小さくなったころ、イルはゆっくりと続きを促した。
「……それで、七度目にドラゴンを殺そうと決めて、十一回目でそれを成し遂げたンだな。やっとドラゴンを殺して、その後、何があったンだ……?」
『…………』
シリウスは押し黙った。
言葉を探しているのか、ただ言いたくないだけなのか。
イルの肩に自分の顔をうずめて口を閉ざした。
彼が喋り出すのを待って、イルはただ触れない背を撫で続けた。
「……」
『……』
「…………」
『…………』
沈黙が続いて、
「あーもう! さっさと話せよ!」
それを破ったのはイルの左側に座る魔王だった。その声にシリウスはびくりと肩を震わせる。
「どれだけ待たせるんだ! あいにく、もう死んでるあんたと違って僕らの時間は有限なんだ。ほら! さっさと話して!」
『な、なにを偉そうに……! 小僧のくせに! いま話をまとめておったのだ!』
「さっきから思ってたけどさあ、なーにが『小僧』だ! 君、十歳なんでしょ。僕は十二歳。僕のほうが年上なんですけど~~?」
『なにおう! 確かにこの身体の年齢は
自分を挟んで喧嘩しだす
それはもう、ギャーギャーと喧しくて。
その喧しさが、なんだかひどく懐かしく――そう、十年ぶりくらいに聞いた気がして。
イルは笑った。
笑って、両側の小さな肩を抱き寄せる。
「よかったなァ! 友達できて!」
「『友達じゃない!!』」
そう言う声がきれいに揃って、また笑う。
ひとしきり、笑って、笑って――。
イルは再び問いかけた。
「そろそろいいか? シリウス。もう一回聞くぜ。ドラゴンを殺して、その後何があったンだ?」
少しだけ瞼を閉じて、開いた目は雪のような灰色だ。
すべてを覆い一面を自分の色に染め上げる雪。
湖を凍らせ大事なものを奥底に閉じ込める雪。
その雪をかき分け、凍った湖面を覗いて大事なものを探すように。
シリウスはまた、ゆっくりと語りだした。
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