第9話 シリウスベータ

むかし、むかしのそのまたむかし

 今にして思えばあれが全ての始まりだったのだ。


 どれだけ時が経とうが忘れもせぬ。


 今から千と百年ほど前。


 僕が八つの誕生日を迎えた日。


 見慣れぬ緑の目を持つ男が来て、友と遊ぶ僕にこう告げたのだ。


 「次の贄はお前だ」と。


 その時は何を言われたのかわからなかった。けれど次の日の朝早くに国からの使者が来て、両親に同じ言葉を告げた。そこでやっとわかったのだ。


 昨日の男はドラゴンが人間に変化した姿で、自分は二年後に彼に食べられるのだと。


 驚いたし、両親に会えなくなると思うと寂しくはあったが――悲しくはなかった。竜の国・ドラコはドラゴンが治める国。十年に一度の彼の馳走に選ばれるなど、喜ばしく名誉なことだ。


 それに当時は凶暴な魔獣が野を闊歩する時代。贄の子とその家族は最優先で守られるし、生贄を出した家族はその後あらゆる面で優遇される。


 だから僕は、ドラゴンの贄になることを喜んで受け入れた。


 家族も大いに喜び、その後の二年は実に楽しかった。毎日旨いものを食い、仕事もせず友と遊び踊っていられた。


 そして生贄の儀式の当日。


 ドラゴンに差し出された僕は、気が付いたら山奥の彼の住処にいた。


 そこで彼は変化を解き、元の巨大な体躯を晒した。全身を緑の鱗に覆われ、まるで苔むした山かと見紛う体躯を。


 そして僕の身長ほどもある眼でこちらを見つめ、問うたのだ。


 まだ死にたくないか、と。


 僕は首を振った。言ったように、贄に選ばれるのは名誉なことだ。そして選ばれた以上、役目を果たさねばならぬ。だから生に執着はない、どうか自分を喰ってくれ、そして国の人々を守ってくれと、そう言った。


 それを聞いたドラゴンは呟いた。「つまらぬ」と。


 そして人間の姿に戻り、色とりどりの光を浮かべた。――後に、魔法陣と呼ばれる光を。


 僕はそれに魅入られた。


 ドラゴンは笑い、再び問うた。


 この技を使えるようになりたくないか、と。

 お前にはその素質がある、と。


 僕は――僕は、頷いた。頷いてしまった。


 今にして思えば、それが全ての間違いだった。




 ♢ ♦ ♢




『その後僕は、ドラゴンに魔法を習った。それと同時に、友――精霊からも魔法を習った。あの時間は、楽しかったなあ……』


 遠い目をして言うシリウスに、


「ドラゴンと精霊に魔法を習ったって……。そんなの、丸っきりおとぎ話の世界じゃないか。そんな、絵物語の中みたいなこと、千年以上前には本当に――?」


 魔王は疑わし気に、けれどどこか羨ましそうにそう言った。やっと顔を上げて、イルを挟んで浮かぶシリウスのことを見上げている。


『真の話よ。もともと物質魔法マテリアルマジックは魔獣たちのもの、精霊魔法スピリットマジックは精霊たちのもの。僕は運よくその両方を教えてもらえた』


 シリウスは得意げに頷きくるくると空中を回転した。


 イルの気持ちもかなり魔王に近いものだった。いまの魔獣でも、稀に知能が高く会話ができるものがいると聞く。けれど何かを教えてもらったなど聞いたこともない。ましてや、複雑で感覚的な部分も多い魔法を、だ。


(本当におとぎ話みてェな話だな。経典には『シリウス様は精霊たちから魔法を教わった』とあったが、魔獣からも教わっていたなンて――。事実なンだろうが、にわかにゃ信じられねェな)


「最初の人生にも楽しい時があったンだな」


 自分の感想はひとまず置いて、半透明の少年に笑いかける。どんな過酷な話が出てくるかと身構えていたが、楽しい時間もあったと知り安堵していた。


 シリウスもつられたように顔を輝かせたが、それは一瞬だった。


『そうだ、その時は楽しかった。――何も知らなかったから。言ったであろう。今にして思えば、あれが全て間違いだったのだ』


 しんしんと暗い雪を積もらせ、初代魔王はその続きを話し出した。



 ♢ ♦ ♢




 半年ほど経った頃であろうか。その頃、僕は低位の魔法をいくつか使えるようになっていた。


 ドラゴンはまた僕に問うた。


 自分はそろそろお前のことを喰わねば力が尽きる、だが、まだ魔法を教わりたいのなら次の人生を与えてやろう、どうする? と。


 僕は迷った。


 この時間は楽しかったけれど、もともと生贄として死ぬつもりでここまで来たのだ。次なんて考えてもいなかった。


 少し悩んで、けれど僕は頷いてしまった。――それも間違いだったなんて知らずに。


 ドラゴンは笑い、呪文を唱えた。


 三色に光る魔法陣を僕の足元に浮かびあがらせた途端。


 僕の身体を丸ごと咥え嚙み砕き飲み込んだ。


 舌が皮膚を削ぎ取る感覚を、

 犬歯が肉を貫く感覚を、

 臼歯が骨ごと磨り潰す感覚を。


 まだ覚えている。


 そしてマナに還った僕の意識はその場に少しだけ留まった。


 それをほんの一口分だけ舐めとって、「美味い」と笑って。


 彼は一言唱えた。


ならばもう一度セカンドライフ


 それを聞いた途端、ぐるぐると意識が遠のいた。てっきり死んだかと思ったが――そうではなかった。


 気が付いたら僕は、知らぬ女性の腕に抱かれていた。


 始めは何が起きたのかわからなかった。周りは知らぬ顔だらけで、僕のことを別の名前で呼んでいる。


 しかし数日過ごすうちに気が付いた。


 ここは竜の国・ドラコの国の中。


 自分はその民のひとりに生まれ変わったのだと。


 そうわかった僕はすぐに元の家族を探しに行った。そして辿り着いた先には――新たな子と笑う両親の姿があった。


 どうやら僕がドラゴンに喰われてから生まれ変わるまでに、数年の時間差があったらしい。その子は三つくらいに見えた。――幸せそうに笑う、男の子だった。


 それを見た僕は何もしないですぐ帰った。家族が幸せそうならそれでよかった。


 それから数年経って――新たな身体が六つの誕生日を迎えた頃。


 再びドラゴンが僕の前に現れた。魔法を教えてやろう、と。


 僕は喜んで頷いた。


 それから毎日彼に魔法を教わった。他の人間には隠れて、こっそりと。彼は人間ではない、だから突拍子もないことを言うこともあったが――よい師でもあった。


 ふたりだけの秘密のその時間は、何より楽しかった。


 けれど、二年後――僕は知った。


 自分はドラゴンに騙されていたのだと。

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