片膝をついていたイルは立ち上がった。


 隣には死にかけの翼竜、目の前には死んだはずの翼鳥。


 半ばわかりきったことだが、念のために問いただす。


「オマエ……死んだんじゃなかったのか。魔王の、命令で……」


 はんっ、と翼鳥は鼻を鳴らした。


 その後ろで身体属性シャトルーズの魔法陣が輝き、みるみる翼の傷が塞がっていく。


「あの幼い魔王に伝えておけ。自分を殺すような命令など、完璧に遂行できるのはもとから死にたがっていた奴だけだと。この翼鳥はしばらくの間息があった。それを僕が貰い受けたというわけだ。――この、初代魔王・シリウスが」


「チッ、オマエは、本当に……っ。教祖・シリウス様――そして初代魔王なのか!?」


 イルの叫ぶような問いに――翼鳥は紫の瞳を歪ませた。


 逆さまの三日月みたいに口角が上がる。


「いかにも。魔獣狩りの勇者、精霊の理解者ファミリア、最初の魔法使い」


 ゆっくりと両手を、翼を広げ答える。

 胸を張りそう言う姿は堂々としたもので。


 それはイルが幼い頃に教わったシリウス教経典に出てくる彼の姿とぴったり同じだったけれど。


「そして――シリウス教・教祖にして初代魔王。それらは全て、僕の呼び名だ」


 その。

 その台詞だけは。


 経典の彼とは正反対で。


 絶対にあってはならないはずの台詞だった。


 イルの眉間に皺が寄る。剣を握る手に力が入る。


 疑うという発想すらなく、息をするように信じていたはずの存在を問いただす。


「――っ。人間から魔人を作り、そして魔人と人間が争うようにこの国中に魔法をかけた。千年に渡る呪いをかけ続け、多くの人々を傷つけ、死に至らせた。それも――テメエの仕業でいいンだなッ!?」


「くふっ。ふふ」


 魔王は笑う。


 上を向いて身体を揺らし、楽しそうに、大声で。


「フハハハハ!! そうだ、だったらどうする!? 尾も翼も耳も首飾りもない! 折れた角の、成りそこないの人間が!!」


「決まってンだろ!! テメエを倒し、宝玉を壊す!! 千年続くこの戦争を止めるんだ!!」


「くははははは!! そなたが、僕を倒すだと!? アハハハハ!!!!」


 シリウスはひと際大きな声で笑う。


 そしてぐるりと首を動かし目を合わせ。


「やってみろ!!!!」


 魔王と人間は睨み合う。


 血の混ざる空気がピンと張り詰め――、


「フッ!!!」


 先に動いたのはイルだった。


(魔法陣をいくつも作られる前に!! とっとと仕留める!!)


 姿勢を低くし、けれど速度は落とさず、十歩以上あったはずの距離を一瞬で詰める。懐に飛び込み、左下から右上へ斬り上げるように剣を振る。


「甘いわ」


 剣と翼鳥の間に白い魔法陣が浮かぶ。防御の魔法。


 けれどイルはそれを、


 カシャアァァン。


 魔法が発動される前に叩き割った。


「――ふむ」


 シリウスは少しだけ目を広げ、けれど慌てることなく


火炎魔法ファイア


「ぐッ!」


 イルの眼前、鼻先よりも近い位置に真っ赤な魔法陣が広がる。


 それは浮かんだのと同時に熱を帯び、灼熱の炎が溢れ出る。


(目を焼かれる――!)


 退くか、進むか。


 けれどイルにとっての選択肢なんてひとつだった。


「ぅ、おおぉぉぉぉーーーー!!!!」


 雄叫びを上げ剣を振り切る。


 熱い。

 瞼が焼ける。


 けれど確かに手ごたえを感じる。


 確実に一本入った、これで相手もただじゃ済まないハズ、と思った瞬間、


座標移動魔法ムーブポイント


 スカッ。


 急に手ごたえがなくなり、危うくイルは体勢を崩しかけた。


「ンなっ――」


 なんとか踏み止まり、焼けた瞼を無理やり開いて後ろを睨む。最後の魔法を使ったのは魔王ではなく――、


「――テメェもアイツの手先だったのか? ルイン」


 階段に横たわる翼竜だったから。


 視線が彼の半分閉じた黒い目と合う。腹の底のわからない目と。


 彼ははあっ、と息を吐き、


「馬鹿言いなさんな。あのままだと貴方の目は焼きただれて光を失ってましたよ」


「――チッ。あのまま振り切っていればヤツの傷だってはタダでは済まなかった――」


 言いながら左手を目にかざす。身体属性シャトルーズの光が集まり、見る間に火傷は治っていった。


 シリウスも無傷ではなかった。イルの剣は確かに届き、その肉と骨をいくらか砕いていた。けれど致命傷には至らず、彼も同じように治癒の魔法で傷を癒していた。


(チッ、この程度じゃダメだな。すぐ治されちまう。ヤツを仕留めるには一撃で決めるか、治す暇もないくらいの連撃を続けるか、か――)


 互いに傷を治し、これでまた最初の状態に逆戻りだ。


 半端な攻撃ではいつまで経っても決着がつかない。それどころかこちらの魔力が尽きて回復できなくなるほうが先かもしれない。


(俺の魔力はあの魔王にも遠く及ばなかった。ましてや最初の魔法使いであるシリウス様の魔力があとどれくらいか――。翼竜コイツとの戦いで多少減ってはいるンだろうが……希望的観測はよくねェな)


 敵を睨んだまま隙を探っていると、


「おや貴方身体属性シャトルーズ使えたんですね。これは失礼しました。放っておいて顔面丸焼きの姿を拝んだ方がよかったようだ」


「……ぅるせェ、気が散る。黙ってろ」


 緊張感に欠ける声を掛けられ舌打ちする。

 けれど声の主は動じず、


「俺の質問に答えたら。魔王サマはどちらに?」


「アァ……今こっちに向かってきてるよ」


 そういやコイツは、コレで忠義に厚いヤツだった。そう思いながら答えると、


「は~あ!? このボケナスが。なんで魔王サマがこんな危険な場所に向かってるんですか。貴方さっさと戻って追い返してきなさい。というかふたりでお逃げなさい」


 ボロボロの姿が嘘みたいな声量で叱責された。


 目の前には圧倒的な敵がいる。

 だからこんなことをしている場合ではない。


 わかってる。わかっているけれど――


 イルは堪らず言い返した。


「アァ!? テメェこそナニ言ってンだ。俺がいなくなったらテメェが殺されて終いだろうよ」


「目の前のことしか見えないんですかこのウスラトンカチ。俺が消えたところで計画には影響しないんですよ。例え初代様に宝玉を奪われようと、貴方と魔王サマさえ生きていればまだ勝機はある。ここは一旦体勢を立て直して――」


「うるせェ!! 馬鹿はテメェだ!!」


 一瞬、目の前の敵の存在さえ忘れて。


 イルは大声で怒鳴りつけた。


 翼竜がポカンと口を開け、翼鳥が面白そうにこちらを見る。


(――やっちまったな)


 ふたりの視線が痛い。


 居心地の悪さをごまかすように翼竜に背を向け剣を構えなおしながら、


「……テメェが死んでいいワケあるかよ。オマエが死んだらあの魔王はきっと悲しむ。それに――。俺はもう、目の前で誰かが死ぬのを見たくない」


 訥々と。

 ひとつひとつ。

 自分の気持ちに当てはまる言葉を探しては拾い上げてはめ込むように。


 イルはゆっくりとそう言った。


「へーえ……」


 翼竜は開いた口からそう漏らし、倒れていた上体をゆっくりと起き上がらせた。軋む身体が悲鳴を上げる。傷口が開いて血がしたたり落ちる。


 それでも鋭い目で人間イルを見て、


「俺は魔人ですよ。貴方の村を壊した翼竜だ」


「……でも、オマエじゃねェンだろ。だったらもう、それで十分だ」


「俺が軍人を殺したの、もう忘れたんですか? それ以前にも俺は人間を大勢殺してる。何人かなんて数えちゃいない。きっと貴方の考える倍は殺してる。それでも――俺が死ぬのを見たくないって?」


 それ、本気で言ってるんですかと魔人は続ける。理解の外だと。


 ウルセェな、とイルは思う。この魔人は本当によく喋る、頼むから黙っていてくれと。


 大体――翼竜にまで死んでほしくないと思っていると自覚したことさえ、ついさっきなのだ。


 ほんの数時間前まで、彼は紛れもなく復讐の対象だった。

 殺すべき敵だった。


 それが死ぬのを見たくないだなんて――


(わかってンだよ、自分でもどうかしてるって)


 それでも。


 そう思ったら、もう、止められなかった。


「オマエが大勢殺したのは知ってる。それは許すワケにはいかねェ。たぶん――殺された人のために誰かが復讐に来たら、俺はソイツを止めねェよ。俺はそこまで優しくねェ。……けど。いま、ここで死ぬのは違ェだろ」


 知らなきゃよかったのだろうか。


 魔人が、実は人間だなんて。


 気づかなきゃよかったのだろうか。


 この翼竜が、あの小さな魔王をとても大事にしてるって。


 知らなければ、気づかなければ、俺はこンなに悩まず・・・・・・・・・俺の復讐を・・・・・終えられてたか・・・・・・・


(後悔はより良い未来を歩くため、ね)


 知り合いの言っていた言葉を思い出す。


 その言葉を思い出すということはこの気持ちは後悔なのだろうかと考え首を振る。


 後悔でも苦悩でもなんでもいい。


 今はただ――この道を信じて進むしかない。


 剣先に佇む翼鳥を睨む。


 全ての元凶、シリウスを。


「いまはただ、コイツを倒す。魔王が着く前に倒せばなンも問題ねェだろ。だから――手を貸せ、ルーイ!!」

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