翼持つ者の戦い

 土埃の中、鼻から出る血を拭って翼竜族ルインは目の前の人影を睨みつけた。


 ここはこの城の最上部、三層からなるそれの最下層。


 大きな円形のその部屋には、床と天井に対となった空間属性ブルーの魔法陣が敷かれていた。けれどそれは細かく明滅し、今にも消え去りそうだ。


 壁や天井の一部は崩れ、土煙をあげている。床には瓦礫と少しの血痕。それらはこの部屋で戦闘が行われた証だった。


 その中央で。


 上へと続く階段を背にして。


 床にあぐらをかいた翼竜は荒い息を上げていた。


 あぐらをかくのは翼竜族の基本的な集中姿勢だ。その体勢でなんとか魔法陣を維持していたが、どうやらもう持ちそうにない。どうしたものか、と考えるそばから口の端から血が流れ出る。


 彼の纏う真っ黒な服は一部が焼け焦げ、青白い肌についた火傷が見える。黒い髪は乱れ鼻と口からは血を流し、細い眉は険しく吊り上がっていた。


「まあまあ、これはこれは。少し見ない間に随分と性格が変わりましたねえ。性格が変わって魔力も変わりましたか? 貴方が火炎属性レッドを使えるなんて知りませんでしたよ。その真っ赤なお洋服に合わせてお披露目ですか?」


 軽口を吐く余裕はあるものの、状況はかなり悪い。数多の魔法を操る相手に対して自分は防戦一方だ。


 力量の差とかそういう以前に、そうならざるを・・・・・・・得なかった・・・・・


 むしろ相手がなぜ自分を攻撃できるのかがわからない。


 半分閉じた視線の先。


 遠目にもわかる。


 その人影が、大きな翼を背負っていることが。


 土煙の中でもわかる。


 その翼が自分のものとは違う種類であることが。


 そして、翼竜族だろうが翼鳥族だろうが。相手が同じ魔人なら――互いを攻撃することなどできないはずなのに。


 同士討ちなど、禁則事項の・・・・・最たるもの・・・・・なのに。


 そんなものなどないかのように。


 その翼鳥は真正面から翼竜ルインに魔法を放っていた。


「まったく、俺を攻撃するなんて酷いじゃないですか。翼持ちの仲なのに。貴方禁則事項はどうしたんです。背中の痛みを我慢してまで溢れる想いをぶつける必要はないですよ。――もしそんな話があるのなら、その情熱を受け止めるのもやぶさかじゃあないですけど。そんな馬鹿な話より」


 膝をついて立ち上がる。今使っている魔法はもう限界だ。ならば戦い方を変えるしかない。


 相手はそれを待つように動きを止めた。


に別の誰かがいると言われた方が信じられますねえ~~」


 明滅していた魔法陣が霧散する。青い光の粒子が翼鳥の顔を照らし出す。


 明るい茶色の髪。薄い紫の瞳。


 それは間違いなく自分の同僚ともいえる魔人のもので。


「どうなんですか、リア。――いえ。リアの中の、誰かさん」


「――くふ」


 翼鳥リアが――その中の誰かが笑う。


「空間支配の魔法か。おもしろい。実にいい。最後に肉体を得たのはいつだったか。少なくとも千年前にはなかった魔法だ。魔法も確実に発展しておる。くはははは、僕は嬉しいぞ、翼竜よ!! そして若造、そこをのけ!」


「…………、ね」


 小さく呟く。


 その一人称は彼の主を想起させ、その小さな主人が言っていたことを思い出す。自分が主の側ではなく、今ここにいる意味。




 ♢ ♦ ♢




 数日前の夜、「ねえ、ルイン。これ、君にしか頼めないんだけどさ」と、あの小さな主はこちらを見ないで言ってきた。魔人が――自分が、実は人間だったと聞かされて、まだ頭がぼうっとしている最中に。


「千年前の呪いを止める、いよいよ、ってなったらさ。きっと邪魔が入ると思うんだ。それが魔人か、教会かはわからないけど――初代様がみすみす魔法を解かれるのを黙って見てるわけないと思うんだ。きっとどうにかして介入してくる。だから、そうなったらさ。君にその足止めを頼みたいんだ」


「ええ。お安い御用ですよ」


 自分が主人を守るのは当然だ。だから二つ返事でそう言った。


 けれど彼は下を向いたまま、


「その、もしかしたら。もしかしたらね。初代様自ら器を見つけ顕現してくるかもしれない。完全憑依魔法で、誰かの身体を乗っ取って――。そしたら、たぶん……。それに勝てる人なんて――。その、それでも――」


 ああ、と翼竜は主人の頭を見下ろした。その頭を片手で包み込む。


 傲慢不遜で独善独自、わがままと理不尽ばかりで、何より寂しがりやな王の頭を。


「ちょ、なに!? 触らないでよ」


 すぐに払いのけられ、翼竜はその手のひらをじっと見た。少しだけ体温が残る手のひらを。


 それから魔王に視線をやって、


「いやちょっと。あのふざけた尾狐がふざけた幻影でも見せてるのかと思って」


「はー!? 僕、真面目に話してたんだけど!? ていうか、メイが本気で幻惑魔法使ったら触ったくらいでわかるわけないし」


「俺はどうです?」


「は? 君、幻惑魔法なんて使えないでしょ」


 何を言ってるんだと言わんばかりの魔王を上から見る。


 別にわざと見下ろしているわけではない。身長の関係上、普通に立って話すとどうしてもこうなってしまうのだ。


 そしていつもの、眠そうな、けれどどこか飄々とした腹の見えない表情で、


「そうじゃなくて。俺が本気でやって、勝てない相手なんているとお思いです?」


「それは……。そりゃ、君は強いけど……」


 言い淀む王の頭をポンポンと優しく叩く。その手は今度は払いのけられなかった。


「大体、何ですかその頼み方は。俺が負ける前提だなんて、まったく腹が立つ。馬鹿にするのも大概にしてください~。もしかして緊張しちゃってます? いつもの貴方らしくないですよ」


「……もう。言わせておけば!」


 少年は両手で頭の上の手を引っ張った。


 翼竜はそれに従い――体勢を崩し彼の前に膝をついた。


「まったく、僕にそんなこと言うの君くらいだよ、ルイン。――頭が高いぞ?」


 自分より長身の青年の頭を見下ろし魔王は言う。


 湖に沈みこませるような目で。

 伸ばした手の先を真っ黒に塗りつぶすような声で。


「これはお願いじゃない、命令だ。たとえどんな邪魔が入ろうと。それが魔人だろうと人間だろうと、初代様だろうと。僕を止める者を絶対に阻み倒してみせろ。そして必ず生き残れ。負けたら絶対に許さない。――できるね、ルイテン?」


 翼を垂らし、胸に手を当て。


「ええ。魔王様のご意思のままに」


 翼竜は小さな王にかしずいた。




 ♢ ♦ ♢




 翼竜ルインはひとつ瞬きをして、目の前の相手に視線を合わせた。その顔には薄っすらと笑みが浮かんでいる。


「主と約束をしたのでね。貴方が初代様だろうと何だろうと――俺はここをどくわけにはいかないんですよ。そして貴方に負けるわけにもいかない」


 いくつもの無属性ホワイトの魔法陣が浮かぶ。背中が痛むが、そんなことは些細な問題だ。


「俺の魔王様と鉢合わせるわけにもいかない。なので、可及的速やかに。ご退場願いますよ!」


 それに呼応するように、翼鳥の正面にも複数の魔法陣が現れる。


 そしてそれは――全て違う色だった。


 十一色の魔法陣に彩られ、翼鳥は叫ぶ。


「はっ! 魔人の分際で、この若造が!! しかし初めて見る魔法の礼だ。最期に見る魔法カラーを選ばせてやろう。さあ、何色がいい!? 僕が使える十と一から、さあ、選べ!!」

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