部屋

 魔人たちを治める頂点。

 彼らの絶対的支配者。


 魔王。


 それが住む部屋。


 さぞ豪勢なものを想像していた。


 護衛組合で働いていた時、何度か貴族の豪邸に立ち入ったことがある。王都中心部に居を構える貴族の屋敷はすごかった。これでもかと金ぴかの装飾品や輝く石が立ち並び、目が潰れるかと思ったほどだ。


 中心部から外れた所の貴族もすごかった。中心部ほどの煌びやかさはないが、敷地面積がとにかく広い。その中に建つ屋敷も当然だだっ広く、一番小さいと案内された部屋にもイルの住む家が四つは入りそうだった。


 そんな、ぴかぴかで大きな部屋を想像していたから。


「これが、魔王の部屋……?」


 一歩入ったイルは思わずそこで足を止めて呟いた。


 部屋の奥にはもうひとつ扉があって、魔王と尾狐は連れ立ってそこへ入っていった。ちらと覗き見えた様子だと、衣裳部屋のようだった。


 だから自分が今いる部屋が全てではない、ということはわかる。けれど――この部屋がこう・・なら、他のどの部屋だって同じような物だろう。予想していたものとはまるで違った。


 小さな部屋だった。

 小さくて、ほとんど物のない部屋。


 部屋に入って左手には寝台、その足元には小さな丸机と椅子が一脚置かれている。机の上には水差しとコップ。


 家具なんてほとんどそれだけで、どれも木で作られた質素なものだ。装飾なんてないに等しい。


 そして、家具の少なさもさることながら。


 玩具とか、嗜好品とか、思い出の品とか。


 そういう類のものが、この部屋には一切置いていなかった。


 物がない。


 けれどそれ以上に――まるで個性のない部屋だ。


 宿屋の一室みたいに、必要最低限のものしかない。必要最低限で、誰が使ってもいい、誰もが使っているようなものしか。


 その感想をはねのけるみたいに、反対側の壁は一面本棚になっていたけれど。


(こンなの――アイツが自分で選んだとは思えねェな)


 魔法、魔法、魔法、魔法、戦争学、政治学、兵法、魔法――。


 十二歳の少年が好き好んで読むとは思えない、古めかしく分厚い背表紙の本ばかりがびっしりと並べられていて――。イルの目には、それはあの小さい背中を押しつぶそうとしているように見えた。


「魔王、っていう肩書きばっか見て……俺はアイツのことなンも知らねェな。いや、知ろうとも思ってなかった……」


 それが初代様の呪い、ということなのだろうか。会話しようとも思わない、強い憎悪を抱く呪い。


 なんて酷い呪いだろう、と思う。


 元は人間同士なのに、争う理由なんてひとつもなかったのに。無理矢理思考を捻じ曲げ殺し合いをさせるなんて。


 そんな酷い魔法は許せない。


 けれど、それ以上に。


(これがその魔法のせいだったとしても――。今までまるで魔人の存在に疑問を抱かなかった……アイツらの生活とか、感情とか――、そういうのを考えたこともない自分が許せねェ……)


 本棚を眺めていたイルは衝動的にそこへ頭を突っ込んだ。ごつん、と音がする。ちょうど横板の角にぶつかってしまい、想像以上の痛みが走る。


「痛ェ……」


「あー馬鹿! 触るなって言ったじゃん! 君、角! 本に刺さったらどうすんだよ! ……てか、なにやってるの?」


 奥の扉が開き少年が出てくる。顔や黒い髪についていた血は綺麗に落ち、皺も毛玉もひとつない、仕立てのいいシャツと厚手の長ズボンを纏っている。最初とまったく同じ状態。時間を巻き戻したかのようにも見えるが、さすがの魔人でもそんな魔法はないだろう。


「……なンでもねェよ。早かったな」


 同じ姿勢のまま首だけこちらを向いたイルを何とも言えない表情で見ながら、


「メイが水魔法で洗ってくれたからね。メイがやってくれると早く済むんだぁ」


「……まおーたん、わざわざ言わニャいでよ……」


 尾狐が「言わないで」と言ったのは、おそらく「洗ってくれた」以上に「水魔法で」のところなのだろう。


 魔法使いカラー同士の戦いでは、相手の使える属性を知ることが攻略の鍵となる。だから自分の使える属性を教えるのは信頼した相手のみだし、他人の属性を勝手に教えるなんてもってのほかだ。


 ましてや、魔人と人間。


 現状イルに戦う意思はないが、向こうが――尾狐自身がどう思っているかは定かではない。小麦みたいな金髪に彩られた表情は笑っているようにも見えるが、ふざけた口調と細い目のせいで何を考えているのか読みづらい。


 魔王は一瞬「しまった!」という顔をしてから、


「まあ、別に? メイが負けるわけないし」


「それは光栄だけどニャア~……」


「それ翼竜の時も言ってたな」


「ちょ、イルさん!」


「ニャア~……。ボクだけじゃニャいのかぁ。誰にでも言ってるのかぁ」


「だ、誰でもじゃないよ! メイとルインだけだよ! ふたりは絶対負けないでしょ!」


 「ほら、もう行くよ!」と魔王は尾狐と人間の背を押した。


 イルは隣の尾狐をチラと見る。


「ニャハハハハ! そうだニャン! まおーたんのためなら負けニャいよ!」


 そう言って真っ青な瞳を光らせる彼あるいは彼女の気持ちが、今だけははっきりとわかった。

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