救済

 ――パリン。


 心の中で何かがひび割れた音がする。


 復讐。


 魔人を倒す。魔王を殺す。


 それは自分の生きる目標であり生きる意味だった。

 この十年の全てだった。


(それが、なくなった・・・・・、だと――?)


 ラスタバンにいた十日間、自分でもどこかおかしいと思っていた。気づかないふりをしていても、薄々どこかで勘づいてはいた。


 けれど。


 頭に浮かんだ言葉を肯定するということは。


 今までの自分を全て否定するということで。


「――ッ違う!! ンなワケねェだろ!! 俺はずっとテメェらを恨んできたんだ! その気持ちがこンな急になくなるワケねェ!! 隙を伺ってただけだ!!!」


「君の現状が何よりの答えだ」


 魔王は静かにイルを見下ろしている。その眼に浮かぶのは落胆か軽蔑か。その瞳はただ真っ黒だった。


「使えない人間はいらない。――けど。君がどうしてこうなったかは興味がある。十年分の憎悪を打ち消すほどの……先代様の魔法を解くほどの何かが、いったい何だったのか。ねえ、見せてよ」


 突きつけられた小枝の先に紫色パープルの光が集う。精神属性を示す色。


「ニャ!? まおーたん、それくらいボクがやるよ! まおーたんが手を煩わせる必要ないニャ!」


「いいよ、メイ。自分で見たいんだ。そこにいて」


「了解だニャー……」


 駆け寄ろうとした尾狐はすごすごと机の端に戻った。隣の翼鳥族の女性はそのやり取りを黙って見ていた。


 魔王はイルに視線を戻す。枝先の光が強くなる。


 ひとつ息を吸って、


記憶読取魔法メモリーリード


 ――パンッ。


 光球が魔法陣に形を変える。門魔法の時と同じく、それは完成して畳んでおいたものを広げたみたいに一瞬だった。


(記憶が……読み取られる……っ!)


 イルの頭の中にここまでの出来事が逆再生で浮かびあがる。


 翼竜族との対峙。ラスタバンの広場で魔王と邂逅した瞬間。メリクやアリィとのたわいもないやり取り。彼らと出会う直前の盗賊団との戦闘。


 息も吐き切らないうちに十日以上前の記憶まで遡る。この速さで記憶を読み取るのは並みの魔法使いにできることではないが、魔王は顔色ひとつ変えなかった。


「ん、待って。そこ」


 ぱちぱちと瞬きをして巻き戻した記憶を少し進める。


 魔王はぴくりとも動かず、イルの記憶をじっくりと鑑賞した。


 そして。


「――は」


 魔法陣が消える。部屋は途端に元の薄暗さに戻った。


 その中で。


 魔王は頭を抱えて。


「はああああああああああ!?!?!?!?」


 信じられない、とばかりに絶叫した。


「なに!? なに、これ!? 意味わかんない!! どうして!? くっそ、誰だよこいつ!! 何があったのかと思ったら、こんな、こんなっ……!」


 魔王が見ていたのは盗賊との戦闘の後、アリィとの会話部分だった。


 特別なにか重大なことを話したつもりはない。だから彼が何をそんなに驚いているのかイルにはわからなかったが、ともかく魔王はひどく衝撃を受けていた。


 ふらふらとした足取りで数歩後退る。そこからイルのことを思いっきり睨んで、


「こんな、たった一言でぇ……! 救われてるんじゃない・・・・・・・・・・よ!!!!!!」


 救う。

 救われる。


 その言葉でイルはやっと理解した。


 あの時。


 「代わりに魔王を討って」というアリィの言葉の後に感じた、心地のいい衝撃。何かが溢れ、ドロドロに溶かされそうになる感覚。


 それを表す言葉は「救い」だったのだと。


 あの言葉で、自分は救われたのだと。


 ただその一言で、この十年は報われたのだと。


「……そうか。あの時、俺は……」


 認めてしまえば早かった。


 魔人を倒す。魔王を殺す。それは自分の生きる目標であり生きる意味であり、この十年の全てだった。


 けれど――同じ感情を変わらず何年も抱き続けるのは難しい。その感情の原因が過去の一度きりのことならなおのこと。


 毎日更新される日々の積み重ねの中で、自分はいつの間にか、姿の見えない相手を憎み続けるのに疲れてしまったのだ。どこか心の底で、この復讐心から解放されたいと願っていたのだ。


 しかし魔人に故郷を滅ぼされたのも、一度復讐を願ったのもまた事実。周囲にそれを宣言し行動に移していくうちに、いつの間にかイルの心はがんじがらめになり身動きが取れなくなっていた。


 それを解かしたのがアリィのあの一言だった。


 彼女は枷になると思ってその言葉を放ったけれど、結果はまったくの逆だった。


 その言葉でイルの心は解放され、救われたのだから。


 復讐心はいつの間にか、ただ「今までの努力を認めてほしい」という、単純で子どもっぽい、けれど誰もが持っている願いに変わっていたのだった。


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