遺失
(これが
真っ直ぐに彼を見据えてイルは思う。
魔王の本体はどんな姿か。
ソイツを殺すと決めた日から、度々考えてはいた。
絵物語によくある、魔人十種の特徴を兼ね備えた魔物のような姿とか。下半身は人間、上半身は動物、あるいは逆の、半人半獣の姿とか。魔人の特徴をひとつだけ大きく持った、例えばとてもとても大きい翼を広げる姿とか。
予想していたそのどれもが、目の前の姿とは程遠くて。
(こンなの、ただの人間の子どもと変わンねェじゃねェか……)
翼も角も尻尾もない。
どの街にいてもおかしくないような。
ただの少年の姿で、彼は自らを魔王と呼んだ。
「……あれ。おかしいな。ねえイルさん、聞いてる?」
「……ンだよ。聞こえてるよ」
この少年が魔王だなんてとても信じられなかった。――いや、信じたくなかった。
もっと恐ろしく、禍々しい姿であってほしかった。
…………でないと。
「おっかしいなぁ~」
少年――魔王は片手を顎に添え、もう片方の手の指でトントンと机を叩いた。
小さい、けれどはっきりとした声で言う。
「聞いてた話と違うんだけど」
そうして向いた目は明らかにこちらを睨んでいて。イルは訳もわからず聞き返した。
「違う……?」
「そう。君はさ」
喋りながら、よいしょと少年は机によじ登った。その姿を見た尾狐はゆらゆらと不規則に尻尾を揺らす。
翼鳥、尾狐、そして
三人の視線を浴びながら魔王は悠々と話し始める。
「十年前に生まれ故郷の村を僕らに滅ぼされた。両親を失い、友達とか家とかその他諸々、いろんな大切な物を失った」
長い机を一歩踏み出す。
「その結果君は僕らを憎んだ。両親の仇だとひどく恨んだ。そして僕らへの復讐を決めた。村がなくなった後引き取られたアダラでは暇な軍人に剣を習った。王都の学院では魔法を習った。働いてた護衛
「なンで、ンなこと知って……」
別に自分の生い立ちを隠しているわけではない。
魔人に村を潰されたことは公言しているし、どこで何を教わったかだって、聞かれたら素直に教えている内容だ。
けれどそんなことをわざわざ聞いてくる物などほとんどおらず。後半はアリィやメリクにさえ話したことのない内容だった。
ましてや。つい先ほどあったばかりの相手が知っているわけがない。
「それも、これも」
イルの声など聞こえていないみたいに。
ゆらりと身体を揺らしてまた一歩足を進める。
「あれもこれも。どれもそれも! 全部、全部!!」
少年の口調は徐々に早く、声はだんだんと大きくなる。
反対に動きはゆっくりと鈍くなる。
机の半ばまで進んだあたりで少年はついに足を止め、喉からありったけの空気を吐き出した。
「全部全部全部全部、全部、ぜぇーーーんぶ!!!! 君の行動は全部!!!!!! 僕らを殺すためだ!!!!!!!」
ビリビリと空気が震えるのが伝わってくる。
殺すためだ、
殺すためだ、
殺すためだ。
薄暗い部屋にその言葉が反響し繰り返される。
「まおーたん…………」
尾狐の呟きは響かず、闇に吸い込まれて消えた。
イルは魔王を薄く睨んだ。何をわざわざ、と挑発するように言う。
「……そォだよ。よく知ってるじゃねェか。俺はテメェらを殺すために生きてきた。死ぬ前に自分を殺す相手の再確認か?」
「……僕は死んでない」
「は……?」
肺の中の空気を出し切った魔王は、ゼエゼエと肩で息をしていた。それに合わせて前髪が揺れる。
その奥で。
真っ黒な瞳に鋭い光を宿し。
魔王の双眸が強くこちらを睨んでいた。
静かな夜の湖面はもうそこにはない。風が吹き荒れ水面が乱れる。周囲の落ち葉を巻き上げ竜巻となる。
嵐の夜の湖のように。暴れ、怒り、荒んだ目で。
魔王は
「
今度は頭を抱えて大きく息をする。その指の隙間から視線を覗かせて、
「……それどころか」
嵐が通ったのは一瞬だった。代わりにじっとりと、恨めしそうに。
「君は
「あ…………」
イルはようやくこの少年が何を言いたいのかわかってきた。
この十年、自分は魔人を殺すために生きてきた。そのために剣を習い魔法を習い体術を習ってきた。
――それなのに。それなのに。
実際に魔人を前にした自分はどうだ。
翼竜族には負けた。三体の魔人に歯向かおうともしなかった。
それどころか。
全ての魔人を統べる支配者。
異形たちの頂点に君臨する、化物の中の化物。
魔王。
その名を名乗る少年に対して。
(俺はコイツを
「――ッ。だって、オマエ、丸っきり人間の姿じゃねェか! 魔王を名乗るならなぜ魔人の特徴がひとつもねェッ!? ンなモン、信じられるワケ――」
「おかしい、おかしいんだよねぇー」
必死に言い訳を並べるイルのことを魔王は見てはいなかった。
腰から何かを引き抜いてぶらぶらと振り回す。
それは小ぶりの木の枝だった。先端が二股に分かれていて、その片方にはみずみずしい新芽が揺れている。
それを振りながら、魔王はまた歩き出した。
「そもそも、テウメスを目の前にしてあんな街に何日も留まってるのが不可解だった。君がすぐ側まで来てるって知ってから、ずっとわくわくしてたのに。あと数日で会えるってずっと楽しみにしてたのにさあ。君は何日待っても来なかった」
魔人も人間も、何も言わなかった。
魔王はただ淡々と独白を続ける。
「なんでか知らないけど、あのラスタバンって街にずっといた。他の街と同じように、数日で発っていればもっと早く自力でここまで来てたはずなのに。そうじゃなかった。だからわざわざ様子を見に行った」
その歩く様はふらりふらりと頼りなく。
けれど一歩一歩と確実に。
イルとの距離を詰めていく。
「中身が僕だと知っても、器に入っている以上、傷つけてこようとしないのは君の性格上仕方ないかと思った。……でも、その後。ルインの時は違った」
魔王はついに目の前に来た。
机の上からイルのことを見下ろし言う。
「僕はてっきり、君はルインを見た瞬間に襲い掛かると思ってた。でも違った。君らは仲良くお喋りしてた。――君がすぐに飛び掛かっていれば、あの軍人さんたちが死ぬこともなかったのにね」
「……止めろ」
微かに震える声で言うが魔王は聞いちゃいない。小枝の先で自分の頭をトントン叩きながら、
「ここに着いてからもそうだ。君の身体は拘束させてもらってるけど、魔力もマナもなにも制限しちゃいない。いくらでも魔法は使えたのに。君は使おうともしなかった。それはどうしてだい? どうせ当たらないって思って節約した? それとも怖気づいた?」
自分は何に対して「止めろ」と言った。
濁った眼で見下ろすその視線にか?
軍人が死んだことへの糾弾にか?
――否。
その台詞で声が震えたのはなぜだ。
迫る魔王に怯んだからか?
糾弾の言葉に耐えられないからか?
――否。
心の中で何度も自問自答する。同じような解を上げて、違う違うと否定する。
まるで――真の答えから目を逸らそうとするように。
「僕が聞いてた君は、瞳に復讐の炎を燃やしてた。魔人や魔王と聞いただけで、人が変わったみたいに憎悪の念を滲ませてた。ましてや、実際に目にしたら、だ。……それがどうだ」
「……止めろ」
予感がする。
さっきから魔王が言っていることは正しい。そしてこの後言うこともたぶん正しい。
――けれど。
それを認めたら、自分が自分でなくなってしまうような気がして。大切していた何かを失ってしまうような気がして。
聞きたくなくて無意識のうちに首を振る。
「僕の目の前にいる君は、魔人と歓談し
「止めろ」
魔王は小枝を突きつけた。
目を逸らすなとでも言いたげに。
逸らした先を真っ黒に塗りつぶすような声圧で。
「――
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