第3話 ルイテン

精霊魔法

 静かな夜だ。虫の声も野犬の遠吠えも聞こえない。


 あまりの静けさに耳なりがしてくる。


 それを内側から壊そうとしているみたいに、自分の鼓動の音がやけに大きく響いていた。


「魔王、だと――!?」


 そう言った拍子に自分が息を止めていたことに気付く。


 メリクの中にいるのが魔人?


 それも魔王?


 突然のことに理解が追い付かない。


 確かにこの十年、魔王を殺し魔人に復讐することを目標に生きてきた。


 けれど正直、魔王を「殺す」ことよりも――前線都市・アダラを抜けて魔人の国・テウメスにたどり着き、夢幻の森を通りぬけ、魔王城に忍び込み――、魔王に「会う」までの方が険しい道のりになると思っていた。


 だいたい魔王が実在するかどうかだって確実ではなかったのだ。それが突然街中で「やあこんにちは、僕は魔王です」と言われたって信じられる訳がない。


(いや、そもそも――)


 受け入れがたいことを唐突に突きつけられたからだろうか。イルの頭にひとつの疑念が湧く。


(魔人だの魔王だの――コイツの言ってることは本当か? タチの悪いイタズラじゃねェのか?)


 普段のメリクはこんなことをしないし、ここまで自然に対象を操る魔法はそうはない。イルの解除魔法に何も反応がなかったのもまた事実。


 ――けれど。


 そもそもメリクは魔法にかけられているのか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・? 


 何かで脅して演技させれば・・・・・・・・・・・・今までのことは説明がつくのでは・・・・・・・・・・・・・・・


「…………メリク?」


 わずかに希望を抱いて小さく声を掛ける。


 もしそうなら誰にも相談できず随分心細い思いをしていたはずだ。優しく話を聞けば、もしかしたらすべてを打ち明けてくれるかもしれない。


 しかしその期待は一瞬で崩れ去った。


「……あれ。もしかして疑ってる?」


 少年はひどくつまらなそうな顔をし、右手の枝を上下に振った。


「まあいきなりこんなこと言ったって信じられないのも無理ないかあー。僕が魔王なのは事実だし、君が信じていようがいまいがどっちでもいいっちゃどっちでもいいんだけど。信用されないまま話を進めたくもないし」


 話しながらふらふらと歩き出す。彼はイルに向かってきて、両手を広げて踊るようにその横を通り過ぎた。青年は彼を追って振り返る。


 少年は木の枝を振りながら少し歩いて足を止めた。


「これなんかどう? もともとそのためにこう・・したわけじゃないから、これで証明になるかわからないけどさ」


 そう言って足元を枝で指す。


 月明りは雲に隠れてそこまで届かない。イルは警戒しながらも彼に近づいた。


 一歩、また一歩と近づいて――、


「テ、ッメェ――!!」


 それの形がハッキリ見えて、イルはメリクに駆け寄りその胸倉を掴んだ。


「落ち着きなよ。この身体は僕じゃない」


 掴まれた方は冷静だ。胸元を握る手に、放せと言わんばかりに自分の手を添える。けれど服を握る力はますます強くなった。


 これはメリクの身体だとか、中にいる奴は別だとか、そんなことはわかっている。魔王かはともかく、メリクがこんなことをやるはずがない。それ・・を見て先ほどまでの疑いは一気に消し込んだ。


 消し飛んだけれど――じゃあこの怒りは一体どこにぶつければいいのだろうか。


 雲が流れ、月明りがハッキリと辺りを照らし出す。


 広場にいるのは三人。


 魔人への復讐に燃える青年・イル。

 メリクの精神を乗っ取り操る、自称魔王。

 そして――うつぶせに地面に倒れる、名も知れぬ男。


 ふたりが話している間も、近づいてきた間も、こうして片方が胸倉を掴んでいる間も。


 男はその場から動かなかった。


 それはつまり。


「テメェ、よくもぬけぬけと――」


「だから落ち着きなって。あれは死んじゃいないよ」


「なッ――!!」


 少年の言葉に、イルは半ば放り投げるように彼を放した。慌てて地面の男に駆け寄る後ろで、「うわっ」と少年が尻もちをつく音がする。


 男を転がして仰向けにすると、確かに彼が言った通りだった。


 胸はゆっくりと上下し、寝息が聞こえる。耳を当てたが鼓動にも問題はない。


 問題はないが――。


「オイ、起きろ。オイ!」


 いくら揺すっても耳元で声を張り上げても解除魔法を使っても、男は目を覚まさなかった。


「無駄だよお。言ったでしょ、君に僕の魔法は破れない」


 少年の声にイルは男から離れ振り向いた。


 彼は「いった、服が汚れた。いや僕のじゃないしいいか……」と呟きながら立ち上がった。ズボンの尻をはたきながら、


「その人さ、君を待ってたらなんかいきなり話しかけてきたんだよね。『子どもなんだからこんな時間に外にいちゃいけない、帰りたくないならウチに来るかい?』とかなんとか言ってさあ。ごちゃごちゃうるさいから眠らせといた」


 その言葉に少しだけ息を吐く。


 ――だからといってこんなに強い魔法をかける必要性はともかく――「知らない人に話しかけられて面倒だった」は共感できる理由だった。


 けれど。

 続く言葉に。

 また息が止まる。


「こういうことが何度もあると面倒だし、君と話してる間に関係ない奴が来ても困るから。ついでにこの街全体を眠らせといた・・・・・・・・・・・・


「…………は」


 どうにか肺を動かし、吐息に混じって一言だけ言葉を吐き出す。


 その反応に少年は楽しそうに枝を振った。


「だから、全部だ。この街全部・・・・・。僕が、魔法で、眠らせた」


 まるで物分かりの悪い生徒に教師が教えるように。


 少年はゆっくりとそう言った。


「嘘だろ……?」


 対してイルは、また大きくなる自分の鼓動を聞きながら、拳を握ることしかできなかった。


 ここラスタバンは「玄関街」。


 「都市」と名の付く場所に比べればいくらか小規模だが、それでも真っ直ぐ通りぬけるだけで馬車で一日近くかかる。面積なら都市にも引けをとらない大きさだ。


 その街に住む人を全員眠らせた・・・・・・・・・・・・・・


 そういえば、と思い出す。ここへ来る途中に路上で寝ている人がいた。ただの酔っ払いだと思ったが――あれも魔法で眠らされていたのか?


(そうだ、あの時感じたマナの動き……。あれはコイツが街中眠らせようとしたときに……? いや待てよ)


 広場に着くまでを思い返して、イルは少年を睨みつけた。少年の言うことが本当なら――おかしな点がひとつ。


「……ハッタリだ。そこのヤツはそうかもしれねェが、街全体はウソだろ。俺はここに来るまでに魔法陣を見なかった・・・・・・・・・。テメェの話が本当なら、街を覆うほどデケェ魔法陣が現れる。見逃すハズねェ」


 そうだ。メリクを追いかけていたあの時、確かにいっせいにマナが動くのを感じた。けれどどこを見ても魔法陣はなく――魔法陣がなければ魔法を使えるはずもない。


 だから「街全体を眠らせた」なんて、自分を大きく見せるためのただの虚栄だ。慌てふためく反応を見るためのくだらない嘘だ。


 そう、思ったのだけれども。


「ああ、なるほど? ちょっと予備知識に差がありすぎるな……全然話が進まない。人間みんなこうなのかなー」


 少年は顎に手を当て、俯いてぶつぶつと呟き出した。しばらく目を瞑ったり首を左右に傾けたりしてから、


「『精霊魔法スピリットマジック』って知ってる?」


 枝をこちらに突き出した。

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