邂逅
イルは音を立てないようにゆっくりと宿屋の扉を閉めた。
あれが本当にメリクかはわからない。遠目だったから見間違えた可能性もある。
(けど、こンな夜中にうろついてる子どもをほっとけるワケねェだろ)
念のため剣と盾も持って歩き出す。とりあえず子どもがいた通りまで向かおうとして、
「――!? 魔法!?」
マナが動く気配を感じ、はじけるように顔を上げて走り出す。あの子どもがいたのと同じ方角だ。
風のような速さで路地を駆け抜ける。そうかからない内にあの時子どもがいた通りに出たが、そこには目ぼしいものは何もなかった。路上で寝ている人間がいるがただの酔っ払いだろう。彼には悪いが今は構っている時間はない。
(クソッまだ先か。この先は広場になってたな……)
足を止めたのは一瞬、また走り出す。
ここまで来ても魔法陣らしき光は見えない。悲鳴や争う音も聞こえない。
けれどマナの動きは止まらない。
大抵の場合、魔法陣を作るのに必要なマナの量と、完成した魔法陣の大きさ、発動する魔法の威力はそのまま比例する。
これだけ広範囲にわたってマナを集めているということは、魔法陣もかなりの大きさになる。頭上ではなく足元に作っていたとしても、もう地面が光ってもおかしくない。
それなのに周囲を照らすのはおぼろげな月明りだけで、それがかえって不気味だった。
けれど足を止めるわけにはいかない。周囲を警戒しながら走り続け、
(そこの角を曲がったら広場――行くぞ!!)
剣を抜きながら広場に飛び込む。
その直後、中央に立つ人影が目に入って足を止めた。
身長はイルの腰くらい。わずかな月の光でかろうじて灰色の髪をしているのがわかる。
反対方向を向いていたその人物は気配に気づいたのかゆっくりと振り返った。両手を広げ、踊るように。
闇に紛れて細かい顔や表情はよくわからない。暗闇の中から声が届く。
「遅いよぉ。待ちくたびれちゃったよ」
のんびりとしたその声にイルが目を凝らした時、ちょうど雲が途切れ中央に立つ人影が浮かびあがった。
ふわふわとした灰色の髪。いたずらっぽく少し吊り上がった目。
その姿もあの声も、間違えなくメリクのものだ。
――だが。
「メリクじゃねェな。誰だテメェ!!」
その台詞を聞いた
確かにメリクの顔だけれど――メリクなら絶対にしない表情。
イルのこめかみに青筋が浮く。彼は脇目も振らずメリクに駆け寄った。
「チッ、誰でもいい。メリクから出ていきやがれ」
走る最中、少年を傷つけないように剣をしまう。空いた右手で魔力を操作し剣の代わりにマナを集める。ものの数秒もしないうちにそれは
あの盗賊がイルの魔法陣を壊そうとしたときと同じ。――魔法陣を壊すにはより強い
(精神操作系の魔法なら身体のどこかに「印」がある。まずはそれを壊してメリクを解放、術者自身もそう遠くにはいねェはずだ。捕まえて目的を吐かせる!!)
メリクまではあと数歩。
大きく跳んで手を伸ばせばもう届きそうな距離だ。
――けれど。
違和感を感じわずかにイルの足が鈍る。
(避けねェ? ――まさか、仲間が!?)
魔法陣を構築し始めるのは明らかに攻撃の意思だ。それを片手に浮かべて迫っているのに、
咄嗟に方向を変え、少年の後ろに回り込む。後ろからメリクを押さえその頭に右手の魔法陣をかざして周囲を見渡す。
……全身をピリつかせるが、誰かが動くような気配は感じない。
メリクの中の誰かが抵抗する様子もない。
耳が痛くなるほどの静寂だ。
(……何もない……? じゃアこいつのこの余裕はなんなンだよ……)
訝しんだまま動きを止めていると、
「……はあ。忙しないね。気は済んだ?」
「――ッ! テメェ!」
下から声を掛けられさらに数本の血管が浮き上がる。その感情に任せてほとんど怒鳴るように始動語を叫んだ。
「
魔法陣が力強く輝き、
始動語を唱えた直後を
淡い月明りの中、ふたりの影がぼんやりと浮かびあがる。
(できる限りの魔力は込めた。――どうだ!?)
イルは姿勢も変えずに手の中の少年を見つめた。
――メリクはゆっくりと頭に置かれたイルの手を掴んで、どけて、
「君はいくつか思い違いをしているようだけど」
一歩進んで振り返った。
その眼は暗く、深く、静かに沈んでいて。
(メリクじゃ、ねェ――)
何かに気圧されたかのようにイルは無意識に半歩
「ひとつ。僕の魔法はその程度の解除魔法じゃ破れない。これは双方の合意を前提とした魔法だから、余計にね。――もっとも、僕の魔法を破れるのなんて世界に五人もいないだろうけど」
少年はこちらに背を向けふらふらと歩き出した。
まるで隙だらけで無防備で、また取り押さえることなど造作もないはずなのに――不思議と意識が吸いつけられて足が動かない。
「ふたつ。この子にかけてるのはただの精神魔法じゃない。もっとずっと強力で特別な魔法。本体が近くにいる必要もない。――俗に完全憑依魔法」
数歩いったところで少年はすぐに立ち止まる。何をするかと思えば腰を屈めて小枝を拾った。先が二股に分かれた、細くて小さな枝。
それを円を描くように振りながら、
「使うマナは
「なっ――!?」
イルは息を呑んだ。
まぶたは大きく開き、瞳孔は逆に縮こまる。
全身の毛穴が開いて嫌な汗が流れ出る。
魔法には十一の属性があり、どの属性の魔法が使えるかは生まれ持った資質、ほとんど運とも呼べるもので決まっている。
使える属性がいくつあろうが。
どんなに魔法の修行をしようが。
一つの魔法陣に使える属性はひとつだけだ――
そして複数の属性を合わせた魔法はこう呼ばれる。
「もうわかるよね? これは
手を広げて、踊るようにくるりと大きく回転して。
ぴたりと止まり、イルの顔に木の枝を向け。
メリクの皮を被った魔人はにこりと笑ってそう言った。
イルは自分の呼吸が荒くなるのを感じていた。
ずっとずっと、覚悟は決めていたつもりだった。魔人に会ったら即座に殺してやると。家族や村の仇を討ってやると。
けれどどうやら、自分の覚悟はまだまだ足りなかったらしい。
カラカラに乾いた口の中からどうにか言葉を絞り出す。
「魔人――!」
「
イルの台詞に被せるように、今までより強い語気で少年は言う。その言葉に合わせて顔を近づけ木の枝を突き出しながら、
「僕を魔人って呼ぶのはやめてくれる?
「部、下……?」
少年は木の枝をおろして数歩下がった。そこでイルの全身を一瞥して、
「初めまして、勇者さん。
自分の胸に手を置き薄く笑う。深く暗く静かなその目に、わずかに月の光が入り込む。
「君とは深い付き合いになるだろうから。ロキって呼んでよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます